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★「当初から誤報と思っていた」 朝日報道に呆れる“福島フィフティー”「俺たちは原発に向かった」
2014.09.11
「普通の人が逃げるところに俺たちは行ったんだよ? そんな連中が吉田昌郎所長の命令に
違反して逃げるわけがない。朝日新聞の報道は当初から誤報だと思って黙殺していた」
福島第1原発の収束作業に従事し続けた東電協力会社の30代社員は、吉田調書の公開を受けて振り返る。
2号機圧力抑制室の圧力がゼロになった後も原発に残った作業員約50人を海外メディアが「福島50」と報道。
その後収束に入った作業員もいつしか含まれるようになった。男性はその一人だ。
平成23年3月11日の震災当日、原発近くの建設現場にいた。1号機が水素爆発した翌12日、
上司から「危ないらしい」と連絡を受けて関東地方の自宅に一旦帰ったが、13日、その上司が
「とにかく行ってくれ」と原発に戻るよう要請。妻と2人の幼い子供を残し、北に向かった。
「やんなきゃ、やんなきゃ、としか考えていなかった」。がれきをかきわけながら、
外部電源を原発につなぐための分電盤を運んだ。1時間の作業だけで、被(ひ)曝(ばく)線量は
8ミリシーベルトを超えていた。
無名でも、爆発が止められればいいと思ってきた。ただ、今年5月、朝日新聞が「所長命令に違反」
と報じたときは、東電社員のなかにも悔しがる人がいたという。
「吉田さんは本当にいい人だった。朝日新聞がどう報じようが訂正しようが、俺たちの功績も変わらない」。
男性はいまも原発を離れることなく、除染作業の指揮に汗を流している。
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