【朝日誤報】「強制連行」を広めた吉田清治とは何者なのか 「真実を書いても何の利益もない」とうそぶくat NEWSPLUS
【朝日誤報】「強制連行」を広めた吉田清治とは何者なのか 「真実を書いても何の利益もない」とうそぶく - 暇つぶし2ch1:◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★
14/09/08 17:46:57.30
★【慰安婦偽証「吉田証言」とは何か】「強制連行」を広めた吉田清治とは何者なのか 「真実を書いても何の利益もない」
2014.9.8 12:36

そもそも吉田清治とは何者なのか。韓国・済州島で奴隷狩りのように女性を強制連行したというその証言について、
現地調査で虚偽だと暴いた現代史家の秦郁彦は、吉田氏を「職業的詐話師」と呼ぶ。実際、証言内容が虚構に
満ちているだけでなく、吉田の経歴もまた謎に包まれている。

吉田清治の名はペンネームで、本名は吉田雄兎(ゆうと)。他に別名として東司、栄司を名乗っている。
吉田の著書で山口県と記されている本籍地も、実は福岡県だった。門司市立商業学校(当時)の卒業生名簿には
「吉田雄兎」の名があるが、卒業生名簿には「死亡」と記されている。

吉田の著書の記述では昭和12年、満州国地籍整理局に務め、14年から中華航空上海支店に勤務したことになっている。
しかし、歴史学者の上杉千年の調査では中華航空社員会で吉田を記憶する者はいなかった。

吉田によれば、15年に朝鮮の民族主義者で日本の民間人を殺害した金九を輸送した罪で逮捕され懲役2年の刑を受けたという。
ただ、吉田は秦に対し、罪名はアヘン密輸にからむ「軍事物資横領罪」であることを告白している。

17年に山口県労務報国会下関支部動員部長に就いたとする吉田。済州島での慰安婦狩りも、
著書で「(強制連行の)実態は私が家内にしゃべったか見せたかしたので、家内の日記の中にありました」と書くが、
吉田が実際に妻と結婚したのは「慰安婦狩り」を行ったという時期の1年後のことだとされる。

著書には戦後の吉田の足跡は一切触れられていないが、秦によると22年に下関市議に共産党から出馬し落選。
45年ごろには福岡県の日ソ協会役員に就いた。

これら吉田自身の虚構は秦や上杉、戦史研究家の板倉由明らの丹念な研究によって明らかになった。

強制連行の唯一の日本側証言とされてきた済州島での慰安婦狩りに関しては、地元紙「済州新聞」記者、
許栄善が取材すると全くのデタラメだと判明した。慰安婦問題で日本政府の責任を追及する立場の中央大教授、
吉見義明も「吉田さんの回想は証言として使えない」と判断している。

朝日新聞が自社の吉田証言を取り上げた記事を取り消したのは今年8月のことだが、吉田自身はすでに平成8年の
週刊新潮(5月2・9日合併号)のインタビューで「本に真実を書いても何の利益もない」「事実を隠し、
自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやっている」と捏造(ねつぞう)を認めていた。

吉田は朝日新聞が昭和57年9月2日付朝刊(大阪本社版)で、「済州島で200人の若い朝鮮人女性を
『狩り出した』」と大きく報じたことなどを皮切りに、新聞や雑誌、講演に登場するようになった。

サハリン残留韓国・朝鮮人の帰還訴訟を行った弁護士の高木健一の著書によると、吉田は57年9月30日と
11月30日の2回、「強制連行の証言者」として出廷。「慰安婦狩りの実態」が法廷で披露されたことに対し、
高木は「証言は歴史的にも非常に大きな意義がある」と評価している。

吉田は58年7月に『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』を著し、58年12月に韓国・天安市の国立墓地に謝罪碑
を建てるために訪韓。以降も現地で謝罪を繰り返した。平成12年7月に死去していたことが判明している。(敬称略)

URLリンク(sankei.jp.msn.com)


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