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★日本人にとって「朝日新聞」とは
門田隆将2014年08月20日 11:23
もうここまで来ると「日本人にとって朝日新聞とは?」ということを真剣に考えなければならないので
はないだろうか、と思う。一昨日から産経新聞が報じている「吉田調書」(聴取結果書)の真実は、
多くの国民に衝撃を与えたのではないだろうか。
私は、産経新聞にコメントを求められ、吉田調書の全文を読んだ。そして、「朝日はなぜ事実を曲げてまで
日本人を貶めたいのか」という文章を産経新聞に寄稿した。すると、朝日新聞から「名誉と信用を傷つけられた」
として、抗議を受けている。
私は正直、そのことにも、呆れている。朝日新聞は5月20日付紙面で、「吉田調書入手」と銘打ち、
「福島第一原発から職員の9割が所長命令に違反して撤退した」と、大キャンペーンを始めた。
その記事によって、世界のメディアが「日本人も原発の現場から所長命令に背いて逃げていた」
「これは“第二のセウォル号事件”だ」と報じ、現場で命をかけて事故と闘った人々の名誉と信用は傷つけられた。
朝日新聞が報道機関として本当に「名誉と信用を傷つけられた」というのなら、紙面で堂々と反論すればいい。
そして、命をかけた現場の人々の名誉と信用を自分たちが「傷つけていないこと」を、きちんと論評すればいいのである。
これまで何度も書いているので詳細は省くが、朝日が報じる2011年3月15日の朝、福島第一原発(1F)の
免震重要棟には、総務、人事、広報など、事故に対応する「現場の人間」ではない“非戦闘員”も含む700名
ほどの職員がいた。その中には、女性職員も少なくなかった。事態が悪化する中で、彼ら彼女らをどう1Fから
退避させるか―吉田昌郎所長はそのことに頭を悩ませた。
700名もの人間がとる食事の量や、水も流れない中での排泄物の処理……等々、1Fで最も安全な免震重要棟は
その時、とても多数の人間が居つづけられる状態ではなくなっていた。1Fのトップである吉田所長は、
2F(福島第二原発)への退避について、2Fの増田尚宏所長と協議をおこない、その結果、2Fは、
「体育館で受け入れること」を決めている。
そんな交渉を前日からおこない、その末に3月15日朝6時過ぎに、大きな衝撃音が響き、2号機の圧力抑制室
(サプチャン)の圧力が「ゼロになった」のである。それは放射性物質大量放出の危機にほかならなかった。
もはや、彼ら彼女らを免震重要棟に留まらせていることはできなかった。
「各班は、最少人数を残して退避!」と吉田所長は叫び、のちに“フクシマ・フィフティ”と呼ばれる人々
(実際には69名)を除いて、吉田所長の“命令通り”職員は2Fに退避したのである。
こうして女性職員を含む多くの職員が、バスと自家用車を連ねて2Fへと一斉に移動した。
しかし、これを朝日新聞は“所長命令に違反して撤退した”と書いたのである。
この場面は、私が吉田所長以下、90名近い現場の人たちに取材して書いた拙著『死の淵を見た男』のヤマ場でもある。
私は、この事態になる直前、「一緒に死んでくれる人間の顔を思い浮かべていた」と、1Fに残ってもらう人間を
“選別”する吉田所長の思いと姿を、当の吉田さん自身から詳細に聞いている。
私は、吉田さんの証言を聞きながら、「今の世にこれほど“生と死”をかけた壮絶な場面があるのか」と思い、
そのシーンを忠実に描写させてもらった。
しかし、朝日新聞は、あの壮絶な場面を世界中のメディアが「所長命令に違反して現場から逃げ出した」
と報じるようなシーンにしてしまったのである。 >>2へ続く
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