14/04/29 10:06:25.92 0
ソース(ウォール・ストリート・ジャーナル日本版)
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写真=中国敦煌に並んだ太陽光パネル
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人間が世界の資源を「使い尽くしている」とか、石油が「枯渇しつつある」とか、汚染に対応する大気の能力が「限界に達している」
とか、これ以上人口が増えれば土地の食糧生産能力に「余力がなくなる」という言葉を何度聞いたことがあるだろう。こうした言葉が
出てくるのは、金属や石油、きれいな空気、土地といった資源は有限であり、人間が消費することで資源を使い尽くす恐れがあると
いう前提があるからだ。
世界自然保護基金(WWF)インターナショナルのジム・リープ事務局長は「私たちは地球が持続的に生産できる量より資源を50%
多く消費している。方向転換を図らない限り、この数字は急速に増えるだろう。2030年には地球が2つあっても足りなくなる」と話す。
しかし、人類の歴史には奇妙な特徴がある。それは、人間がそのような限界を何度もぶちやぶってきたというものだ。結局のところ、
サウジアラビアの石油相がかつて言ったように、石器時代は石がなくなったから終わったわけではない。生態学者はこれを「ニッチ
構築」と呼ぶ。ニッチ構築とは、人間(実は人間以外の一部の動物もそうなのだが)は何らかの方法で自分たちの生息環境の生産性
を高め、新たな機会を作り出すことを指す。農業はその典型だ。私たちは自然の恵みに頼ることをやめる代わりに、さらに大きな恵み
を人工的に作り出した。
これと同じ現象を経済学者はイノベーションと呼んでいる。経済学者が生態学者の何にいら立っているかと言えば、生態学者が
限界が静的なものであることを前提に物を考えるからだ。鯨油が枯渇し始めたころ石油が発見されたことや、農場の収穫高が横ばい
になったときに化学肥料が登場したこと、ガラス繊維が発明されると銅の需要が落ち込んだことを生態学者は理解できないようだ。
(>>2以降に続く)