14/04/24 15:57:01.75 JnMrFOZO0
URLリンク(www.youtube.com)
ここで例として綾波礼が透明な水槽の中でシミュラークレイティフに内臓として大笑いしていく( ̄- ̄)
シーン…を思うだすにつけ、これは、まるで内臓として生きるシュレーディンガの猫、内臓二時空間的に重
ねあわせるカタチでガリレイ空間のあらゆる次元延長として速度性単なる微分系と看做した簿関数を常
に想定できる連続性の仮定される世界描像を形作るその取り組みの態度において既に、これでは最初
から礼のそして猫の内臓とそのカタチが同じ何らかのフラクタルの形状~フラクタル性ではない~に完
全に一致した描像として受け入れることを許すことではないか。コレは危険な現実である。
例えるとまあ物質的な世界観で話をすると必ず二つ取れる①宇宙は何処まで言ってもデカルトユークリッド空間でまっす
ぐ行けばまっすぐな自然にいける② 宇宙は何処まで言ってもアインスタインの空間で閉じて曲がってい
るのし光は曲がると証明されている。だから、何処も何もかも曲がっているのが自然だ。そして、宇宙に従
え、ソレが自然だ っつって言えばいいんす。どっち取るか
(コレで可能になるはず)以上、猫は点でもないし、内部構造と外部構造が違うし、その意味で、原子論に
載れない。猫だ と先ずその描写スケールを決めた場合は。だから、シュレーディンガの猫はそもそも
原子論的描像を等値に記述可能な波動論の記述に乗らない。あくまでその場合だけ 単独にそのカタチ
で記述することが出来る。それ以外の場合は、原子論的原子として看做せる 独立記述系の形式に乗る
必要がある。それは、猫が微小要素、原子~点と看做せる領域においてシュレーディンガの猫ははじめ
て考察しうる コレは無限、少なくとも宇宙全体を考えた時でなくてはならな
い。すると、これが観測者私を必ず含む。従って先ずシュレーディンガが心臓発作等で死ぬ確率を計算
に入れていなくてはならない。これがまず、
、先ず自分を審判するべきで。このようなカタチで原子論的国家は解けてしまいかねずもしそうでれば子
分死んで居ないかどうかを。相補性により、猫は半分死んでいない。原子論的猫を原子論的シュレーデ
ィンガと入れ替えてシュレーディンガに箱に入って猫に観測してもらっても
物理的記述は変化しないからである。