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大きな悲劇に見舞われると、たいていは国をあげた反省が始まる。先週発生した韓国の旅客船セウォル号の事故もそうだ。
韓国では悲嘆や怒りとともに自己嫌悪に近い感情があふれ出した。メディアの論調には「安全に無頓着な韓国社会が生んだ典型的な人災だ」というものがある一方、
「一体どういう国なんだ」と侮蔑するような問いかけや「韓国社会が変わらない限り、次にどんな災難が降りかかるかわからない」という懸念もあった。
高校生を中心に犠牲者は300人を超える可能性があり、事故の原因を究明したい韓国人は各方面に批判の目を向ける。
厳しく責任を問われているうちのひとりが、いち早く船から逃げ出したとされる船長だ。先月マレーシア航空機が消息を絶ったときと同じく、
政府の初期対応が鈍く、救助活動において矛盾する指示が出されたことも問題視される。
直接の犯人がだれかは別として、韓国人は自らの社会の深部に回答を見いだそうとしている。
韓国は外から見ると信じがたいほどの成功を収め、生活水準は欧米に近づいている。
だが、多くの国民の目には、格差や激しい受験戦争、自殺率の高さなど韓国社会の深刻な欠陥が浮かび上がる。
今回の事故の根本的な原因の一つが、市民の幸福よりも経済成長や利益、韓国企業の名声を重視する経済モデルだと見なす者もいる。
また、海外の評論家の多くが、韓国の文化そのものを批判する論調を展開した。
特に、船内にとどまれという致命的な指示に学生が従ったのは、上下関係を重んじる韓国の文化のためだといわれる。
韓国はこれまでも安全基準の低さを露呈してきた。進んだ国の中では命に関わる産業関連の事故の数がトルコに次いで多い。
1995年にソウル市で建設コストを低く抑えた百貨店が崩壊した事故では500人の死者と1000人近い負傷者を出した。
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