14/04/22 19:13:27.12 lnpzPuKd0
>>987 中華より中華的たることをもって誇りとし、「大明国之東屏」と称して中華文明を守護することが
朝鮮王朝の任務だと自認したのである。
しかし、17世紀の中葉に満族によって明が倒され、征服王朝としての清が成立して、
朝鮮の中華に対する崇敬の念は鬱屈へと変じた。「蛮夷(ばんい)」満族によって
樹立された清には服属し難い。さりとて小国朝鮮にはこの巨大王朝に抗(あらが)う力はない。
そこで表面的には清の臣下として事(つか)えながらも、心の深層においては中華の伝統を
正しく継承するのは清ではなく、「東方礼儀之国」たる朝鮮のみだとする考え方が次第に強化されていった。
前者を事大主義と呼び、後者を小中華主義と称する。
朝鮮の小中華主義思想の中枢に位置していたものは、人間社会は儒教の思想と礼式(礼教)
により教化され、初めてまっとうすると考える朱子学である。これが原理主義となって朝鮮社会を染め上げた。
礼教に無縁な日本人は文字通りの蛮夷である。礼教を原理とする典雅なる朝鮮王朝を蛮夷の日本が侵略し、
あまつさえ朝鮮を日本に「併合」することなど道義において許されるはずがない。
道義に違背する過去はそのことごとくを糾弾・否定しなければならない。