【社会】相模原の元軍人が語る慰安婦の記憶「鶏や豚を盗むように女性を連れ去り犯す…私達は中国朝鮮人を奴隷のように扱った」★2at NEWSPLUS
【社会】相模原の元軍人が語る慰安婦の記憶「鶏や豚を盗むように女性を連れ去り犯す…私達は中国朝鮮人を奴隷のように扱った」★2 - 暇つぶし2ch1:幽斎 ★@転載禁止
14/04/20 21:37:16.62 0
相模原の男性が語り続ける 慰安婦への加害の記憶
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 中国の女性たちを強姦する日本兵に私は避妊具を配った-。
先の戦争で自ら手を染めた後ろ暗い過去と向き合い、
告白を続ける人が相模原市南区にいる。元牧師の松本栄好さん、92歳。
「傍観していた私は『戦争犯罪人』だ」。歴史への反省がかすむ社会に
今、伝え残したいことが多くある。「従軍慰安婦は確かに、いた。私が証人だ」 

 筒状の器具を性器に差し込み、のぞき込む。炎症で赤くなっていないか。
できものは見当たらないか。月に1度の性病検査。軍医の手伝いが衛生兵、松本さんの任務だった。
 女性の体を思ってのことではなかった。
 「兵力を維持するためだった」
 戦地や占領地では日本軍人の強姦が問題になっていた。住民の反感を買えば、
治安の悪化を招き、占領はおぼつかない。一方、不衛生な現地の売春宿では性病に感染する恐れがある。
病気になれば兵隊として使い物にならなくなる。強姦防止と性病予防が慰安所の目的だった。
 中国山西省孟県に出征したのは1944年2月。当時21歳。城壁で囲まれた大隊の拠点に慰安所はあった。
 「慰安婦としていたのは20代ぐらいの6、7人。日本の着物ではなかった。
兵隊たちが『朝鮮ピー』と呼んでいたので、彼女たちが朝鮮の人々なのだと分かった」
 半年後、分遣隊として数十キロ離れた上社鎮という占領地区に移り、
慰安所は強姦の歯止めになるどころか性的欲求をあおり、拍車を掛けていることを知る。
 「慰安所は大隊本部にしかなかった。だから兵隊たちは『討伐』と称し、村々で食料を奪うのと同時に女性たちを強姦していった」
 犯す前、松本さんは避妊具を手渡した。「気を付けろよ」。病気になるなという念押しだった。
 強姦は当時の軍刑法でも禁じられていた。「私はトルストイの禁欲主義に傾倒していて、
性行為への嫌悪感が勝っていた」。それでも、目の前で繰り広げられる光景に疑問も罪悪感も湧かなかった。

1の日時:2014/04/20(日) 18:42:37.37
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