14/04/16 01:19:44.60 0
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とはいえ、葬儀代や墓代をけちって、バチがあたらないのだろうか?
そんな不安に駆られる人も少なくないだろう。島田氏いわく、死者が出れば
丁重に葬らなければならないという通念や観念があるものの、
近年の日本はその丁重さがすべて金ではかられるようになっていると指摘する。
現在行われている仏教式の葬儀は、もともと修行途中に死んだ雲水のために行われた曹洞宗の葬儀に発しており
十分に生きることができなかった無念さを晴らすという意味がある
ところが、今は80歳、90歳まで生きて「大往生」する人が多く、無念と言えるものではない
その点で現代の葬儀のあり方は、現代の死のあり方にそぐわないものになっているという
要するに死者が無念を残していなければ、大それた葬儀をやる意味はないのである
また、葬儀の意義として、「遺族の悲しみを慰めるためのもの=グリーフ・ケア」を唱える人がいるが、
主張しているのはもっぱら葬祭業者や葬祭コーディネーター、僧侶あたりだと皮肉っている。
残る問題は法律だ。当たり前だが、日本の法律ではどこでも遺体や遺骨を埋めていいわけではない。
戦後1948年5月、公衆衛生上の理由から制定された
「墓地、埋葬等に関する法律(墓理法)」の第2条第5項に墓地についての規定があり、
「墓地とは、墳墓を設けるために、墓地として都道府県知事(市又は特別区にあつては、市長又は区長。以下同じ)
の許可を受けた区域をいう」と定められている
近年、広まっている遺骨を墓には葬らず、海や山に撒いてしまう自然葬、散骨というやり方は
当初この法に触れると見なされていた。しかし、1987年に厚生省が見解を示し
「もともと土葬を問題視にして遺灰を海や山に撒くといった自然葬は想定しておらず対象外」と表明したことから
より一般的になった。ただし、海は誰のものでもないが、山となると必ず所有者がいるため
山で散骨する場合は、自分たちで所有している土地か、自然葬を行うことが許可されたところでないとできない
生活の多様化や高齢化に伴い、墓守がいなくなり、無縁墓となる問題は年々深刻化している
その整備費用は現在、地方自治体の税金から賄われている
それでも墓を持ちたいか? 現代には現代にあった弔われ方を模索する必要がありそうだ。
文=山葵夕子