14/04/10 16:03:53.97 I7Ag/pDg0
朝鮮人の「恨」(ハン)について
URLリンク(fetia.blog34.fc2.com)
朝鮮人は、「自分の望みは常に十全に満たされるべき」と考えています。
その十全に満たされるべき望みが実現されなかった時、「恨」が発生するようです。
例えば腹を空かせた朝鮮人がいたとします。この朝鮮人に何か食わせてやれば、ひとまず空腹から脱した
朝鮮人は満足するでしょうか。多分、満足しません。「どうせ食べるならもっと美味しい物を食べたかった」
などと不満を言うでしょう。
それでは、この朝鮮人にもっと美味しい物を食べさせてやれば満足するでしょうか。おそらくこの朝鮮人は
きっと「これっぽっちじゃ足りない。どうしてもっと食べさせてくれないのか」などと言うでしょう。
では、もっとたくさんのごちそうを食べさせてやれば、この朝鮮人は満足するのでしょうか。
おそらくこの朝鮮人は口一杯にごちそうを頬張りながら、「最初からこんなごちそうを出してくれれば、
ごちそうだけで満腹になれたのに、最初につまらないものを食べさせられたせいでこれ以上このごちそうが
食べられないじゃないか」と不満を言うでしょう。
「自分の望みは常に十全に満たされるべき」と考えるということは、このように、ひとつの望みが叶えられても、
すぐにより一段階上の願望が発生し、それが叶えられればまたひとつ上の願望が生じるということの繰り返し
となります。
単なる不満と違うのは、不満を不当と考えている点でしょうか。不当な現実を押し付けられことに対する悲しさや
憤りを心の底に蓄積させ、発酵させたものが「恨」になるのでしょう。
要するに「恨」とは、「果てしなく生じる願望に対する果てしない追求に応じ切れない現実世界に対する不満から
生じる負の感情」と考えれば、だいたい間違っていないのではないかと思います。
ちなみに、「日本人が世界中から嫌われ孤立し、孤独に耐え兼ねた日本人が韓国人に土下座して友誼をこい
ねがう」というのも彼らの切なる望みですが、それが叶えられないこともやはり彼らの「恨」になっています。