【奈良】卑弥呼の後継者、台与の墓説がある西殿塚古墳に巨大な石積み方形壇 天理市 ★2at NEWSPLUS
【奈良】卑弥呼の後継者、台与の墓説がある西殿塚古墳に巨大な石積み方形壇 天理市 ★2 - 暇つぶし2ch319:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:25:01.94 PLvpAZ6C0
>>316
いや光武帝の子リュウケイに贈られた金印がサイズも模様入れるに使ったタガネも同じもので
同一工房じゃないかとまで言われてるが(と言うかこれでほぼ決着がついた)

偽物説ってのはこれを偶然かなんかで片付けてるのか?

320:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:25:33.51 wlLi/jJB0
>>316
委奴国王=伊都国王 と読むのが自然

321:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:26:00.03 5E7W1CzY0
古代のロリ姫だっけ

322:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:29:57.06 T3AXhMxVO
>>318
三流の発展途上国用だから適当だったんじゃない?
現代でもオリンピックの表彰式で間違った国旗を上げてしまいました
みたいなミスはあるんだし。
やべ、字違くね?
倭国用だからこれでいいよ。
みたいな。

323:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:30:43.73 WQzAoz6B0
>>320
同じくそう思う
糸島市のすぐ近くだし

324:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:32:18.05 1gxVQq5Y0
>>318
>>319 紐か何だかもじゃなかった?

はいはい大国大国ー金印あげるよーだが偽物だけどなwwwみたいな

325:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:32:46.15 RST1LrJf0
卑弥呼の死後に男王が立つと国は乱れた
新女王(13)が立つと治まった

326:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:33:02.70 NklVt9V10
>300

後漢書は正に「倭奴國」から使者とある
それを「倭の奴の國」と一部で勝手に読んでるだけ

members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun2-gokan.htm

>倭奴國奉貢朝賀



>306
それでも奴國王に金印はない。小国過ぎ。


>倭國王帥升等

には
・「倭國王」帥升
・倭國「王帥升」
両解釈ある。

倭國「王帥升」解釈で
倭奴國王でなく倭國王と記述があるように見えても問題ない。

倭國と倭奴國の範囲の違いにより両表記が並存、
金印は「倭奴」國王。

327:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:35:02.95 JZBIjEdc0
>>316
仮借なんてよくある話。
古い時代ほど同音の漢字の使い分けはいい加減だった。

328:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:36:32.56 PIZlC34A0
>>318
基本的にはありがちな略字なんだけど
その意味を2種類受け取れるんだよね
いい意味で受け取れば字体のバランス的にそのほうが美しいから
悪い意味で受け取れば蛮族として人編を省略した
どちらで正解かは正直わからんね

>>326
今となっては少数意見だけどその説も昔からあるね

329:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:37:33.80 tBcPXyC20
>>305
「倭」という漢字には2つの意味があり発音(音読み)も意味によって使い分ける。
1)「ワイ」(現代中国語でwei)と読んで「説文解字」には「順皃=従う様子」と書いてある。
  清の時代に「説文解字」を研究して解説書を書いた段玉裁の注釈には
  倭與委義略同=倭と委は意味が略(ほぼ)同じ。
  委,隨也。隨,從也。委は、随うことだ。隨は。従うことだ。
と書いてある。
2)ワ(現代中国語でwoウォ)と読んで古代の日本のこと。
  中国の歴代公務員試験受験用漢字字典には
  「倭 東海中女王国」と書いてある。
URLリンク(dict.variants.moe.edu.tw)

「背の低い人」を表わす漢字は「矮ワイ」だ。
現代中国語や婆姦国語で「倭」と「矮」が同音なので「背の低い連中」の蔑称というわけだ。

しかし中国の古代史研究者には「倭」は「倭の女王卑弥呼」そのものを表わす漢字だという者も居る。
「倭」を分解すると「禾」が「ワ」という音を表わし、「女」+「人扁イ=人」で「女人」
すなわち「ワの女人」というわけだ。

330:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:39:26.67 WQzAoz6B0
倭と委じゃそもそも音が違うような?

331:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:40:29.26 JZBIjEdc0
>>320
奴をドのように読むようになったのは唐代のことで、委奴国をイト国と読むことはできない。
委奴は現存しない地名を表しているか、あるいは「奴」は助詞の「の」「な」を表しているのだろう。

332:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:40:33.91 PLvpAZ6C0
>>324
>紐か何だかもじゃなかった?

広陵王璽が亀で日本のが蛇って話か?

序列としては合ってるんはずだぞ?
(外臣と内臣の違い逆にもし同じだったらそっちのほうがおかしい)

333:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:47:43.38 2+j0CfvD0
つまり偽物の疑いのある金印の他に「倭」を「委」と表記した文献はないということか
っていうか今気づいたけど「委国」と書くと凄い違和感

334:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:50:13.54 NklVt9V10
匈奴 - Wikipedia
>
>現在、「匈奴」は日本語の漢音で「きょうど」と読まれ、現代北京語では
>「ションヌゥ(Xiōngnú)」と読まれている。各国の読みも北京語に準じて
>「Xiongnu」としている。 これらは現在の読みであり、研究者によれば
>「フンナ」もしくは「ヒュンナ、キョウナ」が「匈奴」の当時の発音
>と推測されている。


なるほど

335:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:57:44.63 RST1LrJf0
漢が奴国王にゆだねる、だったりして

336:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:01:09.51 NklVt9V10
>333


1-5 倭奴国を倭の奴国と読む誤り
www.geocities.jp/yasuko8787/1-1-5.htm
聖徳太子の著書に、「大倭国」を「大委国」とした例がある。

337:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:04:14.65 NklVt9V10
聖徳太子と日本人 —天皇制とともに生まれた<聖徳太子>像
books.google.co.jp/books?id=y4HkAgAAQBAJ
「委」をワと読ませる例は、
藤原宮跡の木簡には見えるが、
七一〇年の平城遷都以後には見られない。

338:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:05:12.37 tBcPXyC20
>>328
説文解字によると「倭」と「委」は同じ意味と書いてある。
同じ意味なら同じ音読みをすることもある。

>>330
たとえば「漁師」の「漁」には「リョウ」という音は無い。
「ギョ」と読むのが正しい。
しかし「漁師」と書いて「りょうし」と読んでいる。
「りょうし」というのは元々「猟師」の読み方。

339:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:05:17.52 G+L1QYMRO
うーむ

奴国が先にありきな気はするな

狗奴国とかもあるしさ

340:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:05:56.89 F1rcGeoB0
投馬国もおかしいんだよ。
この国だけトウマと漢音読みするけど、
邪馬台国をジャマダイ国とよばないように、
この国も呉音で呼ぶべきなんだ。
ヅマ国とさ。

341:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:08:38.02 M/C6sKSy0
このスレの住人、2012年に盗掘があったという方を何で問題にしないの?

問題ありありありすぎじゃないか。
  なぜ盗掘を許した?
  犯人は誰?
  どの程度の被害?
  報道はそのときあったのか?
などなど

342:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:11:14.92 p4zPYS6/0
北九州に邪馬台国はありません。
あるのは朝鮮渡来の成りすましエタが作った893大国です。

343:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:12:28.81 2+j0CfvD0
>>336
そこ、中国ではその表記は見つかってないと否定してるじゃん・・・

344:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:13:48.00 hgCx0iAE0
2012年って日本がミンス党に占領統治されてた時代だから

345:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:14:16.68 oZOu0iI70
邪馬台国は久留米あたりだと思う

346:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:16:04.37 WQzAoz6B0
>>340
伊都国は帯方郡の使者の拠点だったから魏志倭人伝の伊都国以降の道程の記述は伊都国を中心としたものだと思うんだよな
だから伊都国から南へ水行20日の投馬国とは今のさつまのことだと思う
ちなみに邪馬台国は伊都国から南へ水行10日陸行一月だから海から離れた菊池市か阿蘇の辺りだろう

347:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:18:48.67 AMiB5Gq30
山岸凉子の漫画で言ったら、台与ってだれ?

348:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:21:20.86 PLvpAZ6C0
もしあの金印が偽物ならば
 
 ・後年大陸で出てくるものとサイズがたまたま同じになった
 ・模様も使用したタガネが一緒と言われるぐらいにたまたま同じになった
 ・適当にデザインた蛇鈕も中国の序列に合うようなものにたまたまなった

予知能力でもない限りないわw

349:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:25:04.57 u+WyqpHN0
>>348
江戸時代、印章の収集ブームでね。おりしも中国でも大ブームで、古印についてのその手の情報はものすごくたくさん入ってきてたんだよ。

350:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:26:00.45 Ssvfxbbb0
邪馬台国は昔ヤマトコクと読まれていた
だから邪馬台国=大和朝廷だというのは皆知っていた
それを魏に朝貢してたことを問題視し、日本国は中華帝国に朝貢などしたことがないという
皇国史観に則って邪馬台国=ヤマタイコクと呼び名を変えたのは本居宣長
歴史教科書で出てくる国学者だよ
こいつは更に卑弥呼は倭国王を名乗った九州の女酋長だという勝手な解釈まで既成事実化しようとした

ゴッドハンドと一緒で結論ありきの捏造野郎

351:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:29:11.64 NklVt9V10
>350

すくなくとも列島側の古文献でのヤマトの表記は
「夜麻登」。

352:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:29:26.89 1H11otla0
日本海ルートだと、投馬=敦賀でびわ湖経由で奈良っていうルートもありうる。敦賀は元々、大陸との玄関口だったし。

353:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:29:44.20 PLvpAZ6C0
>>349
鈕の形状やタガネで打ち込まれた模様の情報まであったのかい?

しかも広陵王璽王とかそこから先の時代になって出てきたものだぞ?

当時いくらデータ集めても入手できるはずがない

354:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:30:43.64 gnS++F780
wa は多分古代日本語で「われわれ」みたいな感じの語でしょ。英語の we だよ。
自称に類する語が多民族から呼ばれるときの民族名になることは非常によくある。アイヌ(=人間)なんかもそうだし。

で、古代中国人が日本民族を指すときも wa と呼んだ。
しかし中国語の場合はどういう漢字を当てるかという問題がある。そこで「倭」が当てられたわけだが、
中国人は別に蔑みとかの意味合いはなかったと思ってる。

まず、古代中国人は多民族の呼称に関してはその時々の友好関係で色々変えている。
しかし発音は基本的に一貫している。友好関係が悪いときには変な字を当てたりするが、
別に友好関係が悪くなければそんなことはしない。
(もし中華思想で多民族はさげすむというなら、近現代でもアメリカ=美国なんて字は当ててないはず)

もう1つの論拠は、日本書紀の中で人名・地名などに出てくる日本語の「わ」という音を音写する際、
渡来人が書いたとされるパートでは「倭」の文字をほぼ一貫して当ててる。別に国名とか関係なくてもだ。

つまり、「倭」と「和」は恐らく発音が違っていて、日本語の「わ」に一番近い音が「倭」だった。
ネイティブである中国人にはその発音の違いはクリティカルだけど、日本人には違いが分からなかった。
(今風にいえば、英語のLとRの綴りを日本人がよく間違えるようなもの。ネイティブからすればありえない)

しかし、日本人は「倭」という漢字の意味を嫌って、「和」に換えてもらうように積極的に働きかけたのだろう。

355:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:31:02.83 Ssvfxbbb0
金印は捏造ではないと思うよ
あれが捏造ならやった奴は必ず親魏倭王印も作ったはずだから

356:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:31:32.21 RMEZNrec0
>>7
VMBだろ

357:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:31:48.03 oZOu0iI70
邪馬台国=九州説でもっと盛り上げてほしい。

358:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:31:57.22 G+L1QYMRO
伊都国に邪馬台国の一大率がある時点で九州だろ
これが狗奴国との戦いために居るとしか思えんわな

畿内で邪馬台国と狗奴国が死闘をしてる時に
わざわざ九州に兵站をさくとかあり得んよ
しかも古代で律令制もないのにさ

359:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:32:57.09 2+j0CfvD0
コピペだけど

> 漏れもわざわざ偽者を作る理由はよくわからんが、
> 当時、偽の印を作ることが流行していたのも事実らしい。
> 金印発見のまさにその時に生きていた藤原貞幹は卑弥呼がもらった
> 親魏倭王印の偽物をつくり、その印影を『好古日録』に残している。

360:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:35:17.05 2mkSZ+hR0
>>347
山岸の「青青の時代」なら壱与かと
つか>1にも「壱与」ってあるじゃん

361:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:35:59.56 2+j0CfvD0
更にコピペ

> 広陵王璽
>
> 出土は広陵王に封ぜられた劉荊墓自体ではなく、100mほど離れた土の山から見つかった。
> 発見者は近くの工場のおばさんで、家に持って帰ってしばらく保管していた。
> このような事情により、出土状況から劉荊墓の副葬品であるかどうかは確定できない。
>
> テン王印
>
> 他の印章に比べて作りが粗雑。少なくとも漢の中枢に近い工房で製作されたとは思われない。
>
> 以下、個人的な所感
>
> 実際に、この本による多数の印と比較しても粗雑な印象をあきらかに受けるし、
> 王の字のまん中の横棒はあり得ないくらい上に彫られており、対称性を著しく欠いている。
> おそらくテン王の私鋳印であるか、あるいは、テン国に赴いた使者が現地で作らせたものだろう。
>
> また、掲載された前漢代の印を見るといずれも文字は罫線で囲まれている。
> 中罫線はなくても外周には枠が存在している。それに対して、テン王印は罫線がない。
> これは後漢代の印に一致する特徴。中原の印章に準じて作られたものであるなら、
> 時代は武帝代ではなく、もっと下がる可能性がある。
> 石塞山での出土状況はどうだっただろうか?武帝代で疑りようがないものだっただろうか?
>
> まあ、いずれにしても、この二つの金印を根拠にして漢委奴国王印を真印とする事は出来そうにない。
>
> 他、印について議論されるときに俎上に並ぶ印はことごとく流通品であり、真印である保証がない。
> もろもろの印に関する議論も慎重にしたほうがよさそうだ。

362:冷やしあめ ◆.sszGVuJIY @転載禁止
14/04/10 23:36:30.64 Khu/3deX0
辛坊が学者先生に邪馬台国論争はどれくらいの学者達で
争ってるのか?と聞いたら
10人くらいって言ってたw

363:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:36:51.57 Ssvfxbbb0
金印に関しては発見時の状況が怪しいってのは事実だな
封印された石の中から出てきたとか言ってた割にその場所は特定されていない

364:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:38:56.99 CJH9LAkz0
魏志倭人伝で、邪馬台国までの方角や距離が色々類推されてるが
唯一、古代と現代で解釈がぶれない記述が「水行10日」なんだよね。
「水行」だけは今も昔も不変。とにかく日本上陸したあとに
海だか川だか、「水行10日」したってこと。
九州上陸後に水行10日はあり得ないから、瀬戸内海か日本海を使った、
つまり邪馬台国は畿内ってことになるわな。

365:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:40:14.00 F1rcGeoB0
>>346
薩摩は、句奴国=熊蘇の一部だろう。
この当時から薩摩かどうかも怪しい。
五万戸と書かれた人口があるなら、それなりの遺跡がないとおかしい。
やっぱ投馬国=出雲しかないと思われ。
ならば、倭人伝での間違いは方角なので、邪馬台国=大和だろうと。

366:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:43:38.08 oZOu0iI70
>>364
それって方角を捻じ曲げてるんじゃない?普通九州のずっと下になると思うけど。

367:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:44:01.99 PLvpAZ6C0
>>361
と言うか違う時代違う国で造ったものが

同一規格品になったという方が更に驚くわw

368:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:46:16.89 CJH9LAkz0
>>366
九州のずっと下にそんな国の遺跡がないから方角が間違ってたんだろうね。
とにかく水行だけは、昔の人も、「水と陸地の違い」で間違えることはないから
方角の間違いなんじゃないかな。

369:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:47:43.64 oZOu0iI70
というか魏が呉を挟撃したいという妄想が邪馬台国の位置を捻じ曲げて書き残したという説もあるよね。

370:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:52:01.14 NklVt9V10
>九州上陸後に水行10日はあり得ない

何故?

古代は道の整備が進んでないから、
庶民でないなら船旅の方が普通という気がするが。

371:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:52:51.30 F1rcGeoB0
まあ、今だに九州説が説得力をもつのかは解る。
邪馬台国の記述が記紀にないから。
倭国の大乱の記述もない。
作成者が倭人伝を知らなかったわけではない。卑弥呼の記述があるし。
しかし、記紀では卑弥呼は正統な女王として扱われていない。

372:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:57:07.03 PLvpAZ6C0
>>371
あの記事が挿し込まれたのが何時の時代の話だったんだよって話だな

大和朝廷に邪馬台国だの卑弥呼だのの記憶が残ってた時代じゃあるまいに

373:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:59:32.84 YjkIdB860
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、

374:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:00:40.63 T3AXhMxVO
70年前の慰安婦の件ですら意見が分かれて
溝が埋まらないのに2000年前の話で決着が付く筈もなし。

375:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:01:59.51 94j7yQxD0
>371
日本書紀は天皇以外に神功皇后に特に一章を割き
そこに倭人伝の卑弥呼の記述を引用するなど
卑弥呼=神功皇后と
印象付けようとした形跡がある。

おまけに日本書紀には
100年ほどずらさないと諸外国の記録と合わない部分がかなり続いていて
それが
神功皇后の章に
倭人伝の卑弥呼の記述を引用するためだったかも知れないのだ。

376:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:03:27.89 y6MO2C4A0
>>364
九州上陸後の水行は九州海岸沿いと解釈するのが自然だと思うが。

377:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:07:07.51 4JpX/7ro0
>>370>>376
陸行1月するような一行だから、船使うってよっぽどの水路だと思うんだよね。
畿内(もしくは出雲)以外だったら九州南部まで行ってしまいそう。
そんな場所に墳墓や出土品あるんだろうか。よく分からないけど。

378:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:12:31.08 1BTjR2VH0
俺は邪馬台国九州説なんだが

もちろん畿内にも別の大きな勢力があって、やがて出雲勢力を吸収し統一する。

魏志倭人伝に書かれていた邪馬台国の行程は倭人に「嘘を教えられた」偽の場所。
完全な友好国ではない大陸の巨大国家の使者がやってきた、その目的は分からない。
相対するのは倭の国の役人。

「あなたの国の首都はどこですか?その行きかたは?」と聞かれ、すなをに教えただろうか。

邪馬台国が外交の権利を分権していたいと国が大きな港を持っていたのは、邪馬台国からすると
一番近くて交通の便が良いのが伊都国だったはず。だから邪馬台国は伊都国の内陸部。
しかし、それを大陸の強国に教えると大群を持って攻められる危険がある。
だから、嘘を教えた。

379:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:16:25.86 ZH9zydtq0
歴史って難しいね
俺は頭悪いからわからん サッカーでも見てる方がいいわ
大津選手頑張ってるかな…

380:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:20:15.01 BFH8mKOh0
陸行、水行の記述は松本清張の清張通史の説を取りたい。

381:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:23:41.43 94j7yQxD0
>377

そこで古田読みですよ

classic.music.coocan.jp/_book/furuta/furuta.htm

382:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:26:37.66 y6NGCBYM0
>>329
倭というのは日本人が自分のことをワレあるいはワと言ってたからだ。これを聞いた中国人あたりが
倭となずけたのである。
青森では今でもワと言う。
民族の名称にはこのようなケースが多い。
アイヌもイヌイットも人とい意味だ。
アーリア民族のアーリアは高貴な人という意味だ。

383:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:27:48.26 YAWG9rgJ0
>>378
子供の遣いじゃ無いんだから
魏から遣わされた使者がそれで納得して国に帰るかな?

384:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:36:50.23 IKywDsJ40
邪馬台国は土蜘蛛のたぐい
倭国は北九州を中心として半島から中国地方までで形成された国家群
旧唐書に曰く、日本は倭国の別種なり
大陸から九州を経由して近畿地方に流れてきた流亡の王族達を中心にできた国が日本なのである
勢力を増した日本は白村江で勢力が衰退した倭国を話し合いで併合する
それを記念して倭国の王を大国主として祀ったのが出雲大社
併合に逆らった九州の小国家は土蜘蛛と呼ばれ討伐の対象となった

って小説どうかな

385:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:36:57.34 kadUlcJ50
>>360
その子の名前が思い出せなかったから聞いた
ありがと

386:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:38:05.12 o4YbF3UT0
>>375
同感。どうも崇神天皇のクーデターを隠す為にあれこれ付け加えた感じだよね。
百襲媛姫が卑弥呼なら、男弟は吉備津彦で
崇神ではないよね。

387:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:39:11.88 rMvCfA5y0
>>336
要するに、倭の奴国のような言い方は日本人しかしない。
倭奴国とは倭国そのものである、ということですかね。
つまり、倭国という大国を魏は畏れていたが虚勢をはってみせた。
而して最高の礼を尽くしたと考えていたので、わが意を得たりです。
いいものを読ませていただいた。それが本来の中国の日本への
接しかたなんだよな。すこし前まではそうだったんだが。

388:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:41:04.97 r9IQwGJY0
>>1
>2012年に盗掘され
天皇陵を国が発掘調査しないとチョンが盗掘し放題だから
さっさと発掘調査するか24時間警備しろよ

389:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:45:35.04 uT8Dga+T0
>>377
大陸からある程度の方向は判っても地図や海図のない時代の話しだからね
正確にピンポイントで直に船で行くなんて無理無理
天候に左右される船旅なんて水先案内人の腕次第でも
それこそ何日かかるかなんて変わるもんだべ

390:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:45:47.21 y6NGCBYM0
奴というのも漢字では卑屈な意味だが
奴は奈良の奈と同じで大地という意味がある。
ラも平らというように状態を表す語である

391:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:46:39.28 a5gGU5Im0
魏の使節は、卑弥呼への下賜品を大量に運ぶ必要もあり水行しかしていないの
ではないか。魏志倭人伝の陸行の部分は紹介だけで実際に行ったわけではない
、と考えるのが合理的と思う。その証拠に、海を始めて渡った時は「始度一海」
とわざわざ書いているのに、始めて陸行した時には何も無いのはおかしい。

392:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:49:32.92 JKZIn9i50
魏志倭人伝なんて興味無いがちょっとググッテ見るか

393:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:55:32.75 W8r6JwWb0
>>371

倭国大乱はスサノオとアマテラスの確執でしょ。アマテラスが怒って天の岩戸に隠れたという。

394:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:57:34.36 2tzeKgNPO
倭人伝の文献論争なんて百年近くやっても結論が出ない
新たな物証で議論しないと解決しないだろ

395:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:57:52.06 GAdUGwRf0
卑弥呼は斎宮のことでしょ。

古代には嫁入りがなくて、
共同体の祭祀を女性が行ってたのが、

出雲の影響で、
大和でも嫁入りが行われるようになって、
男系の皇族が成立、

祭祀も男系で継承しようとしたら、
古来の風習を変えることに反対意見があって、
困って神宮を伊勢に移転、

皇族の女性が、
伊勢まで行って斎宮を務める伝統が続いた、
って流れだと思うよ。

だから古事記の冒頭、
国産みに際してイザナギとイザナミが、
柱を巡りなおして声をかける順番も入れ替わる。

396:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:02:09.48 z0wfF6iC0
大河ドラマ
卑弥呼役 卑弥呼
台与役 桜樹ルイ

397:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:04:36.06 kSVDiSdE0
>>394
ま、そういうことだよね
宮内庁が発掘させない限り、真実は明かされないわkだが、
宮内庁は、真実が明らかになると困ることがあるんじゃないかな?

398:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:11:17.00 BFH8mKOh0
>>396
戦国、明治維新ならいざ知らず、あの時代は単調過ぎて数字稼げないだろ?
東北のアテルイのドラマですらコケたからな。

399:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:11:47.93 cp8hzZLo0
巻向の箸墓では吉備で使われた特殊器台や円筒埴輪が多いがそれらや
楯築墳丘墓の弧帯文などは大蛇に近い文様で、邪馬台国の王族が同じ
蛇信仰を持つ吉備族と提携する形で邪馬台国の政り事を行っていた。

古代中華の太陽のカラス信仰を持っていた皇室の先祖はその中に組み込まれる形で
日本列島に住みついたが、鳥信仰のために巻向や箸墓の神と相性が合わず
すぐに追い出されて転々とし、伊勢に落ち着いた。

皇室の祖先と卑弥呼の一族は無関係である可能性が高い。
だから邪馬台国も卑弥呼も『記紀』に記すことができなかった。

400:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:12:31.73 YAWG9rgJ0
>>396
台与役は清純派でお願いします

401:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:12:34.18 GAdUGwRf0
男系化したのに祭祀は女性、
ってのは何が困るかったら、

嫁入りが無かった頃はともかく、
嫁いで余所に行ってしまうようになると、
祭祀を継続できなくなる。

つまり嫁にいけなくなっちゃうんだわ。
昔はね。

402:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:16:03.91 o4YbF3UT0
>>395
崇神の頃は大物主が主力で、
天照は地方をさまよっていた。もちろん台与と言われる豊鍬入姫命が祀っていたわけだけど。
天照が主力となり伊勢に祀られるのは
100年後の天武のときから。

403:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:18:35.75 GAdUGwRf0
伊勢神宮が今の場所になる前は、
転々としてたんだってね。

404:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:20:45.70 2tzeKgNPO
>>397
英国リチャード三世みたくDNA鑑定やって欲しいわ
素人のオレにだって古墳の中に偉いどなたかが眠ってるってことくらいは分かっているが歴史の真相究明のため皇室にはいずれ決断して戴きたい
もし万系一世が証明されたなら、皇室はそれこそ世界遺産クラスなんだと思うし、そうでなくたって戦後日本の皇室制度は日本の誇るべき宝であることは間違いないと思うよ

405:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:20:48.88 bYHxWZ2BO
壱与=伊予


伊代はまだ16だから~

センチメンタルジャニーは正しかった

406:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:21:37.83 JKZIn9i50
なんとなくググッテ読んでみたけど、畿内だな。
南を東にすれば簡単じゃん。
そもそもシナの地図には関東地方が一番南になってる地図があったりする。

こんなもんだ。

407:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:22:24.01 BFH8mKOh0
皇族の血統はとりあえず大化の改新あたりで一度切れてるんじゃないの?
蘇我氏が皇族だったって説もあるし。

408:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:22:31.58 mpYzcAj80
>>182
日本にヒノモトとルビを打つようなものじゃないか?

もともとヤマトあるいは、ヤマトに類した言葉があり、
日本人もしくは、その一部族の自称もしくは本拠地だった
一方、中国の方では、日本(東北地方除く)と朝鮮半島南部を合わせて倭と考えていた
その倭がどうも蔑称らしいということで、日本側として和と書くようになり、
中国式に大和を国号として称するようになった

中国式が正式という考えがあったので、大和とは書くが、
よみはもともとの日本語に従って、ヤマトと呼んだ
こんなところだろ

409:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:24:46.31 0TYAWnbG0
卑弥呼近畿説なんて未だに言ってる学者なんて
引くに引けなくなった可哀想な京大閥だけだろ
本気で言ってるなら知力に難があるわwww

410:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:26:51.75 bYHxWZ2BO
普通に山戸(ヤマト)だろう

411:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:26:53.55 2tzeKgNPO
ついでながら、日本の誇るオカルト論文誌月刊ムーはマクモニーグルゆう超能力者に邪馬台国の在処と卑弥呼を透視させてたな
マクモニーグルとマキムクの音が似てるのはただの偶然

412:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:31:07.13 an7h6EkL0
トヨなのかイヨなのかはっきり

413:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:31:43.26 GAdUGwRf0
ヤマトは、イズモと同じで地域名称、
ワは私達を意味する日本語話者の自称で、

もともと全体としての国号が無かったのが、
日の本の国を称するようになったんでしょう。

ワに当てられた倭の意味を敬遠して、
和に置き換え、大をつければ大和だわな。

414:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:31:51.08 JKZIn9i50
>>403
元々、伊勢神宮の地は、ニニギが日向に下向する天孫降臨の時に、道案内をした猿田彦の住居だから。
で、猿田彦の子孫を太田命と言って、この人が倭姫命に伊勢神宮の土地を与えてあげた。
そして、その太田命の子孫は神(みわ)姓を称している。
そう、三輪神社の太田田根子のこと。
世間ではあまり知られてないが、太田命(猿田彦の子孫)=太田田根子(大物主の子孫)だから、猿田彦=大物主となる。

415:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:32:28.47 8icHdpNw0
URLリンク(jump.2ch.net)

416:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:32:29.29 cp8hzZLo0
>出雲の影響で、
>大和でも嫁入りが行われるようになって


古代の日本は出雲も含めて母系社会。
筑紫の方は一部父系の感もなくはないが。
そして女王レベルの祭祀担当の女性はみなが神妻。
嫁げない。


豊は美称。
天照の名称も玉木の宮に北接するオサダの天照信仰から取ったか
北九州の天照彦信仰か旧事本紀にある人気の天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊
から取ったもの。
鏡作神社もそうなっている。オサダと同じ。

417:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:35:22.14 MzSGiUht0
>>409
逆だから

418:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:40:26.92 GAdUGwRf0
日本における嫁入り、
つまり男系の神話的起源は、

オオクニヌシがスサノオのとこから、
駆け落ちした件でしょう。

だからわざわざ古事記に書かれてるわけで、
その後で国譲り、そして天孫降臨となる。

嫁入りで成立した皇族の男系始祖の起源神話で、
高貴な人は旅をしてきた、天照大御神に命により、
という構成になってる。

419:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:45:38.03 bYHxWZ2BO
スサノオとオオクニヌシの関係って逆な気がするよなぁ

420:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:46:59.78 s5zfbf6x0
大発見だね歴史が変わる

URLリンク(a-draw.com)

421:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:48:26.20 cp8hzZLo0
>>414
その線もあるが、大値根子で古代の「値」役職の長の意味にも取れないことはない。
ただ残念ながら美努邑付近には猿田彦信仰も佐田彦信仰も見られない。

大物主や高尾張族の祖神と結び付けたかった不比等の入れ込みかもしれない。
逢坂の鹿島の元地の経緯を考えるとそう思えてしまう。

422:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:54:45.57 OrliEiAbO
>>420
後ろ密かにいるな

423:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 02:09:27.96 GAdUGwRf0
嫁入りという概念がない時代には、
女性は生まれた共同体で子供を生むんで、
生まれてきた子供も女性の共同体に入る。

つまり必然的に母系部族社会になるわけで、
そもそも母系とか男系という意識もない。

通い婚から婿入りを経て、
女性が男性側の共同体に移籍するようになると、
生まれた子供も男性側の共同体に属すので、
そこで初めて男系という概念が生じる。

母系部族社会から男系氏族社会への移行ね。

多くの場合、駆け落ちも含めて、
いわゆる略奪婚が嫁入りの原型で、
共同体間の交渉は、やがて様式化されるようになる。

男性側の共同体が、
女性側の共同体に対して行う賠償が結納になり、

共同体の移籍に伴って、
女性が持って行く財産が持参金となる。

424:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 02:28:53.61 8icHdpNw0
URLリンク(jump.2ch.net)

425:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 03:57:33.13 56S/VAq90
卑弥呼って名前の文字の意味考えたらなんか違うような感じ
見下された感じの巫女みたいなの?
卑弥呼はマリア?大国主がキリスト?
サルタヒコの天狗顔はキリストか?

426:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 04:45:18.98 te4CAnur0
大和朝廷はそれ以前の百余国に分かれていたとする豪族集落国家を
統合して、各国から代表が畿内にある朝廷に参加させたわけで
一豪族国家だった邪馬台国とは別物と考えるほうが自然
幾つにも分かれていた部族集落が地形の理に沿って統合されていった。
九州と一部の南朝鮮海南部あたりの勢力が任那を作り上げた時期あたりには
出雲勢力、四国畿内勢力、北陸、東北と独自の勢力ができていたはず
これが朝鮮半島および中国モンゴルあたりの勢力分布抗争の影響を受けて
国内統一政権へと加速させた。
当時の白村江の戦いの動機とか見ると国防意識のほうが強く
いかに大陸国家の侵略を驚異にと感じていたかわかる。
統合にあたっては国内における大規模な戦いはなく小競り合い程度で
協議による連合国家として発達したと推測したほうがいい
大和朝廷の各地方職の権限など考慮すればそのほうが自然
藤原一族によって官僚体制が牛耳られても
結局豪族に連なる勢力によって武家による封建国家につながるわけだから

427:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 04:55:30.51 9gM0Uy3k0
>>399
提携というより、吉備の王権が奈良に東遷したと考えたほうがよいな。

428:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 05:37:04.65 iGOOvEZk0
>>425
実名敬避俗の風習があるから。
漢字には呪力があると信じられその対象の本質を指し示す実名は避けられた。
実名を使うのは相手を霊的に支配する呪術の意思と見なされ無礼な行為
逆に一見して蔑称にみえる仮の名の漢字を使うと言うことは
本質は全く別の所にあると言うことで、実は尊称。

429:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 06:22:19.42 cH6udMCjO
>>411
確か本が出てたよな?
似顔絵が若い頃の薬師丸ひろ子みたいで
おぉ、これは良いな
と思ったのを覚えてる。
確か場所は九州でも畿内でもなくて
出雲のあたりとか言ってなかった?

430:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 06:56:26.02 o4YbF3UT0
>>429
確か広島と奈良を行ったり来たりしてるとか言ってたような…

431:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 07:48:01.12 frZs9pC00
>>425,428
卑弥呼っていう文字を割り当てたのは中国(魏)なんですが…
魏志倭人伝にもあるように邪馬台国は魏の冊封国に入っていた東夷国

432:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 08:17:11.77 D9o4+n020
>>182
>大和と書いてやまと
「倭」=「委」=「和」=「邪馬臺」
広東語で「臺」はトーィと発音する。
↓広東語の「臺」の発音↓
URLリンク(humanum.arts.cuhk.edu.hk)

日本語のヤマトを中国語で表わそうとすると
中国語には口を大きく開いた単母音オ[ɔ]が有るが
日本語のオ[o]は口の開き方が小さくて音色が違うので
より近い広東語の「臺」のトーィのような二重母音の音色で代用したのだろう。

>>375
大和政権は有名ブランド「倭」「邪馬臺国」の後継を自任あるいは盗用したんじゃないか
だから「倭」=「和」で訓読みを「邪馬臺ヤマト」にしたから「大和」もヤマトと読む。

433:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 08:18:46.36 uW2zEQhp0
台与=タイヨ=太陽

434:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 08:48:09.33 scsGC+2W0
盗掘したやつは宝が欲しかったんじゃなくてなにか別の目的があるのでほ

435:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 08:51:42.75 cH6udMCjO
インディジョーンズのように
普通の学者が知らないような何らかの仮説を元に
埋まっていた筈のお宝を手に入れたとか?

436:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 08:59:38.37 lr01w/3d0
九州のは元祖邪馬台国、畿内のは本家邪馬台国

437:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 09:55:42.30 w1EyNwuM0
古代大和は女性中心だったんだよね
そして古代大和の時代は貧民でも二人の妻を持てるくらい経済的余裕があったそうだ


それを藤原がクーデーターして
政権とってから全国的な税制度で庶民からも税を徴収
現在の天皇家のような血統が違う連中でのっとって国民全部を荘園制度でギューギューにした

藤原と今の天皇家は
どこの犬の骨ともしれん連中で古代大和の
卑弥呼の血統とは縁もゆかりもない
仏教伝来の時に一緒にやってきた連中

438:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 10:04:48.61 gX6MRbXg0
古来から一貫して人命を軽視する東アジアの歴史などどうでもいいよw

439:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 10:16:58.65 w1EyNwuM0
それを言うなら現代の方が人命軽視だろ?
1900年までの歴史よりも
この100年行われた戦争の方がはるかに死者も多かったぞ

440:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 10:27:51.92 GAdUGwRf0
皇族には男系氏族名が無いから、
少なくとも男系氏族として渡来したのではないでしょ。
嫁入りで男系氏族が成立したと考えるほうが妥当だよ。

女性が共同体の祭祀を務める風習は、
皇族の女性が斎宮を務める伝統に残ったんでしょ。

沖縄の一部では今でも、
共同体の祭祀を女性が務める伝統が残ってる。

441:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 10:31:35.36 kqmgNCLDO
おーいはに丸 DVD-BOXのステマ

442:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 10:38:25.32 0R/EBNPG0
邪馬台国は東北(八幡平)だ。
常識で考えろ、バカw

443:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 10:55:40.91 nnLHqpoR0
男系ニニギ命

女系コノハナサクヤ姫

政略結婚で成立した共同統治が出発点だから

渡来の男系文化と
土着の女系文化と

混合されてる。

444:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 11:16:10.43 4zd6a6p60
>>442
その常識とは以下のうちのどれだ?
1.三国志(魏書・呉書・蜀書)などの支那の史書を読み、史料批判し、三世紀前後における東アジアの状況を理解している大学教員もしくは大学院生レベルの常識
2.魏書の倭人の文だけを読み、史料批判もせずにその中だけで読み解こうとする三流大学生レベルの常識
3.倭人の文すら理解できずに、己の貧困な知識を総動員して適当に答える低偏差値高校生レベルの常識

3か?w

445:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 12:00:36.16 D+nUqMYS0
>>1
>  2012年に盗掘され宮内庁書陵部が調べていた。ほとんどが陵墓として立ち入りを制限されている大王墓の構造を考える貴重な手掛かりになりそうだ。
盗掘される前に調査しろよ。アホか。

446:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 12:12:50.10 iGOOvEZk0
>>431
>卑弥呼っていう文字を割り当てたのは中国(魏)なんですが…
>魏志倭人伝にもあるように邪馬台国は魏の冊封国に入っていた東夷国

そう、だから尊称としてその漢字を当てた
また冊封国は他だの通商条約で主従関係ではない
中華思想は明の時代に西洋人に見せられた世界地図に衝撃をうけた明人が
自分の心守る為に「真ん中に位置する国が偉いんだ」との思想生み出した
歴史的には浅い代物。

447:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 12:13:16.54 gudbVbN60
日本古代史をを言葉遊び、文字遊びに堕して、
日本の国家像を矮小化する傾向は遺憾である。
はっきり言って、邪馬台国、卑弥呼論争は下らん。

448:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 12:20:06.73 go6ljTyW0
>>442
デスヨネー

まあネタ抜きでも一戸とか八戸とかの縄文出土品は明らかに水準を超えてるからな
あのあたりに何らかの有力勢力がいた可能性は高い

449:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 12:23:02.65 aNseY3zF0
>>442
鯨井統一郎先生おっすおっす

450:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 12:41:27.71 n6JMY9+m0
倭人伝の記述が信用できるとするならば
確かに邪馬台国は八幡平かもしれん

倭人伝の記述は信用できないとするならば
邪馬台国の存在自体を疑うべき

古墳のあるところには権力者が居て国があったが
その権力者は誰も卑弥呼や台与ではないし
その国はどれも邪馬台国ではない

451:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 15:16:58.76 nnLHqpoR0
列島では、
卑弥呼の墓が最初の古墳。

古墳時代とは卑弥呼以降を言う。

これ常識。

452:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 15:52:21.27 uBtPrTJn0
まぁ前方後円墳勢力が九州から関東、東北の一部にまで勢力を広げたのは遺跡や史書からわかってる
これが記紀にある皇室の勢力であることもだいたい記述と一致してる

ただこの前方後円墳勢力と邪馬台国と関係があるかどうかは依然として不明だな
邪馬台国と言う存在を前方後円墳勢力と結びつける決定的証拠は何もない
というか邪馬台国自体が正体不明

誠実な歴史批評をするのなら「わかりません」というしかない


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