【奈良】卑弥呼の後継者、台与の墓説がある西殿塚古墳に巨大な石積み方形壇 天理市 ★2at NEWSPLUS
【奈良】卑弥呼の後継者、台与の墓説がある西殿塚古墳に巨大な石積み方形壇 天理市 ★2 - 暇つぶし2ch158:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 14:48:26.30 LrCD9TlO0
>>155
「倭」ってのがどこにあった国か知らないが
日本国のもともとの中心地は出雲だろ

だんだん中心が西に移っていったのは確かだが
古墳時代には埼玉の豪族までもが近畿の大王に仕えていたことを考えると
スタート地点が九州ではやっぱ端っこすぎるよ

159:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 14:50:11.68 BCGEWHqP0
>>158
出雲王朝と畿内の大和王朝は別モンでヤマトタケルノミコトに退治された話が
出雲に攻め込んで征服した話じゃなかったっけ
ついでに熊襲征伐も九州の豪族を制服した話

160:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 14:53:54.46 r3Qrm35p0
>>158
卑弥呼は「親魏倭王」に叙されているが
「倭王」であって
「倭国王」でないのに注意。

あくまで倭の一豪族の扱い。

邪馬台国が「倭国」の中心と考える根拠はそれほどない。

161:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 14:54:19.58 G+L1QYMRO
タケルって名前をクマソから貰ってる時点でさ

そんで帰りしなによってる出雲もなぜかタケルって

162:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 14:58:01.88 yupvnISv0
>>33
宇佐八幡宮の今の設定を持って卑弥呼やら天皇家やらを考えるのってナンセンスだよ。
もともと、その地で祀られていた神とかを、
朝廷の支配が及んだときに取り込んで、調停ルールの神で上書きしてるケースがほとんどだから。
宇佐八幡で言えば、創建当初から祀っているのが秦氏の一族だから
本来は秦氏に関わる神だと言われているし。
神社の由緒書き見て八幡神が応神天皇だとか神功皇后だとか言っちゃうと、根本的なところで勘違いするよ。
神社そのものの来歴見ないと。
うちの神社なんか明神系の神を祀ってたら明治の神仏分離令で廃止されて、
神社庁指定のこじつけ日本神話の神にすげ替えられたからなw
そういうのが至る所にあるわけで。

163:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 14:59:43.06 LrCD9TlO0
>>159
全然別の場所に大和王朝ができたなら出雲と王朝交代する必要ない
大和王朝が元の出雲王朝とだいたい重なる版図を得たからこそ交代することになった
で、交代のときに出雲側が諏訪まで逃げたと伝えられているから
当時既に長野県も日本国として認識されていたことがわかる(辺境扱いであっても)

ヤマトタケルは出雲王朝との交代劇とは何も関係ないけど
九州が大和王朝の発祥の地ならそんな後の時代になってまで
「まつろわぬ熊襲」がいることはおかしいよね

164:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 15:04:02.14 G+L1QYMRO
だからタケルって記号がヒントだろ

順番からして最後にタケルになったのはヤマト
それがタケルの元祖面してる

165:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 15:07:59.02 LrCD9TlO0
>>160
そうだね
「倭国」の版図がどのへんかもわからないが
卑弥呼はただの倭の一豪族だね

「邪馬台」が「ヤマト」と読めるんじゃないか?という連想だけで
無理に大和にあてはめる人が多すぎると思う
そもそも我々が呼ぶところの「大和朝廷」「大和王権」が
当時自らを「ヤマト」と呼んでいたなんて根拠はないのが本当のとこだろう

166:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 15:11:47.45 r3Qrm35p0
>>164


諏訪は友好国だったとも考えられる。
なお当時は「日本」の概念は無い。


分家が各地に封じられて
反乱起こしたのを
「まつろわぬ熊襲」と記録して
誤魔化した可能性もある。

167:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 15:14:28.41 G+L1QYMRO
分家が本家をやっつけたってのもあるぜ

信長とかも元はそうだし

168:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 15:17:58.60 qFoR6L/h0
>>165
「読めるんじゃないか」じゃなくて、万葉仮名でそう読めるのは確定だから

その上で邪馬台国と大和朝廷が続いているのかどうかは知らんが

169:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 15:18:28.60 E6VWY/7d0
>>13
え、ヤマタイコクって読まないの?
変換でも邪馬台国ってちゃんと出る。

170:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 15:22:19.02 LrCD9TlO0
>>166
俺宛のレスだよね?

日本国と書いたのは便宜上で
厳密に言えば現在の日本国の母体となった豪族連合体といったところ
>>163で書いた「日本国」は連合体を指していて
諏訪はその連合内の豪族が治めていたということ
だから出雲の友好国と書いても意味はほぼ同じだね

出雲のオオクニヌシが中心となって諏訪まで含めた各地の豪族と姻戚関係を結び
今日の日本国と重なる小ぶりの版図の豪族連合体の盟主となったものが
出雲王朝だろう

>>168
大陸の歴史家が万葉仮名使ってるわけないので
万葉仮名でヤマトと読めることを根拠にあれこれ言うのはほぼ妄想だよw

171:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 15:25:00.17 r3Qrm35p0
ああ、166 は >>163 の間違いね。




>>168
魏志倭人伝には
「邪馬台国」でなく「邪馬壱国」
と書いてあるんだろ?

172:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 15:25:39.91 cAcVZVBU0
九州は邪馬台国はない
まるたい王国は今でもある

173:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 15:33:24.38 LrCD9TlO0
>>158
だんだん西に、は
だんだん東に、の間違い

174:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 15:36:11.24 2zBYCYu40
しかしこれだけ議論百出の事柄を義務教育で教える必要はあるのか?
その時間を近現代史に割く方が有意義だろうに

175:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 15:39:54.60 3aQfZUPm0
ヤマタイ
邪馬台

トヨ
台与

ヤマトと読まないタイヨと読まない不思議

176:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 15:43:07.88 LrCD9TlO0
>>174
正論

しかし実は近現代史を教えるのが面倒だから
わざと古代史で時間かせぎしてたりしてなw

177:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 15:46:43.42 r3Qrm35p0
近現代史は客観的に記述するのが難しい。

評価が定まっていない
というより
現存する団体が直接の利害に関るから
ゴネまくって
教科書として決定稿に至らない。

178:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 15:48:52.30 S2bG8iJK0
>>166
どういう流れのレスなのか読んでないけど
諏訪はタケミナカタが逃げ込んでるから、友好国ともいえないんじゃ

179:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 15:50:39.01 PLvpAZ6C0
>>155
>倭の支配地域は朝鮮半島まで及んでたことを思い出せ
>そして東日本は未開地域だったことも踏まえて、韓国と近畿を

こういうのは前世紀的な考え方というか知識だな
と言うか単なる知ったかぶり?

流石に未だに九州説にしがみついてる人間のことだけはあるw

無論、大型定形古墳の時代には巨大古墳を擁する埼玉古墳群もあるし

この西殿塚やその前の箸墓に先行するいわゆる「纏向型」さえ関東に普通にある
(確か北限は石川県だったか?)

もう3世紀4世紀の日本を考える時
西日本で完結するなんてありえない

180:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 15:51:54.86 MsaHMQCC0
>>161
神武記の一節。
其の梟帥(たける)兄磯城(えしき)等(ども)を斬(き)りつ。

タケルって「梟帥」とも当てるからね。クマソやヤマトやイヅモの他にヤソ(八十)もある。
族長、有力者だったり、軍の命令や勇者というか戦に集合した旗頭(小豪族)だったりの一般名詞でしょう。

盗むとは違うだろうね。

181:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 15:55:45.83 r3Qrm35p0
征服により、その地の王者の称号を継承した、ともとれる。

182:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 16:05:35.47 ApOxxSnm0
そういえば、何で大和と書いてやまとなのだろう?当て字にしても無理ありすぎじゃね

183:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 16:08:30.12 3Kzfty8l0
>>182
船とかいてふねと読むなんて無理すぎだろっていってるようなもんだろそれ

184:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 16:11:56.28 r3Qrm35p0
称号、というか肩書というか、
いろいろなのがあり
例えば神聖ローマの7大選帝候みたいのもあったわけだから、

・「タケル」号を名乗れないと「倭国国王」位の継承争いに加われない、とか

・「タケル」号を名乗るには、世襲でなければ、
 他の「タケル」号を名乗る者を倒して称号を奪うしかない、とか

の事情があった可能性も考えられる。

185:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 16:13:48.12 4mxXmQ2k0
>>81
四道将軍の派遣と、畿内式の古墳の広がりが時期的に一致している事実もあるし
四道将軍の存在の有無はともかく、何らかの史実があったのは間違いないよ
崇神天皇の御世に急速な日本統一が起こったとしても、歴史を紐解いてみれば
ありえない事ではないだろう。
例えば織田信長とか、日本史にもそういう人物は存在した

186:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 16:14:12.69 3aQfZUPm0
漢字が日本語に取り入れられる時に大和が意味する中国語が日本ではヤマトと呼ばれていたかと言えば違うのでは?

187:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 16:16:44.14 G+L1QYMRO
わざわざ説話にしてる所にヒントがある

何でタケルなのかと


つうか神武がタケルだったんだろうよ
将軍職みたいなもんだったんだろう

途中で本家になり大王家の始祖になったんだろうな

188:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 16:22:22.12 JyiBmntL0
>2012年に盗掘され

おいおい、おととしじゃねーかよ。盗掘されるくらいなら学者に掘らせてやれよ

189:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 16:24:52.06 LrCD9TlO0
タケルってのは単に個人の勇猛さを讃える褒め言葉だよ
個人の勇猛さで統治できるのは小さい集落だけ
豪族連合の中心となる者はタケルである必要はない

というかやたら勇猛な奴は不適格だからこそ
皇子であるヤマトタケルは父に疎まれ辺境行脚に追い込まれた

190:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 16:41:37.99 r3Qrm35p0
ヤバイ称号を得てしまったので
疎まれ死地に追いやられたとも想像できる。

義経が勝手に官位に就いたと頼朝に討伐されたように。

191:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 16:56:10.08 r3Qrm35p0
そもそもヤマトタケルの記録にはかなり異同があり
一人の人物の記録ではなく
数代にわたる称号継承者の記録と考えた方が
いいのではないかともされる。

一部の古記録で
『常陸国風土記』は倭武天皇、
『阿波国風土記』は倭健天皇(ないし倭健天皇命)
と記されるなど、

この時期の王族内で複数の称号が並立し
どの称号が最高位なのか明白でなかった可能性も示唆される。

192:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 16:59:17.02 G1L83EkF0
唐に聖書を漢字で書いた文書があって
天孫降臨と当時の説話ミックスしたのが古事記
キリスト教の博愛の概念を和に変えて
神に昇格させ支配者ねらい
文字で支配できると思ったのはキリスト教のおかげ

193:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 17:06:19.08 r3Qrm35p0
天照大神の一族が
出雲の大国主から国譲りを受けその宗主権を継承したとして、
大国主の勢力圏がどこまでだったか。

九州南部や四国は圏外だった可能性も十分あり、
その場合はそれぞれの地域の王の称号があって
天照大神の一族が征服するたびに
その部隊を指揮した一族の者が
その地域の王の称号を継承したのではないか。

そうなると一族内で
各地の王の称号を持つ者が並び立ち、
どの称号が最高位か争う事態も十分考えられる。

194:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 17:06:19.37 zPtKvMx10
大神、神、彦、主、命、尊、天皇

元々の尊称は「尊(みこと)」

195:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 17:10:06.48 G1L83EkF0
アマテラスは語呂合わせ好きなのでアマデウス

196:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 17:16:03.86 DfwOkVJr0
元々長い間、邪馬台国=ヤマトコクって呼んでたのに
元祖ネトウヨ学者の本居宣長が突然、邪馬台国=ヤマタイコク
とか呼び出したせいでこんなことになった
1000年も邪馬台=ヤマトって呼ばれてたのに一学者の説で大混乱

197:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 17:19:50.31 LrCD9TlO0
>>192
古事記のどのへんに「キリスト教の博愛の概念」が出てくんの?w

>>193
最高位なのは部隊を派遣した側の中央の称号に決まってると思う

征服部隊の長が征服先の王の称号を名乗ったら
当然称号は各地で並び立つが
それらは全てローカルな称号に過ぎないから
序列はそれぞれの支配する地域の豊かさや格で決まる

>>196
ヤマトもヤマタイもどっちもこじつけだけどな

198:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 17:24:01.05 zPtKvMx10
「みこと」の由来とは?

199:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 17:28:33.72 LrCD9TlO0
>>198
ソースは忘れたが「コト」は威厳や権威を表すんじゃなかったかな
「ミ」は尊称で「ミコト」は「尊い威厳のある存在」の意味だろう

200:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 17:37:09.90 4mxXmQ2k0
魏志倭人伝に書かれている
魏が日本に送ったものに相当すると思われる多数の銅鏡
周囲、百歩と呼ばれる大規模な古墳
さらに大規模な集落

魏志倭人伝の時代に、これらの全てが揃っている地域は
日本では、いまのところ畿内以外に発見されていない
その事実から考えれば、畿内に邪馬台国が存在した考えるのが
もっとも可能性として高いと思うけどね

そもそも魏志倭人伝の邪馬台国に至る航路は、素直に読めば大和に至る事もわかっているし

201:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 17:52:17.10 G1L83EkF0
倭国を和国に変えたのは唐の景教の
自己犠牲キリスト
から唐軍に壊滅された倭国が抗争相手だった
本州の大国に和を持って尊しとなすと言って
合併した

202:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 17:52:43.90 JA1nEjpdO
ほんとうか

203:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 17:52:57.36 LrCD9TlO0
いや魏志倭人伝の記載のとおりに進んだら絶対に畿内になんて着かないよ
かといって九州にも着かない
正直どこにも着かないわけだが邪馬台国が実在したとしてフィリピンあたりじゃないの

まあ倭人伝なんて伝聞がソースで半分以上がヨタ話だと思う

204:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 17:53:07.89 FVn0DKs/0
遺跡の状況からすると、古墳開始前夜、四国は西から九州が、東から近畿がちょっかいを
出していた様子が伺えるらしい。
そして、大規模前方後円墳前夜、日本各地に様々な古墳が作られていた。
纏向型前方後円墳の原型、前方後方墳の原型、円墳、方墳。

高地性集落は、一世紀には瀬戸内海周辺を中心にし、二世紀は西は九州北西部
から東は静岡まで広がっていた。

遺跡から出てくる中国製鏡は、弥生時代前期・中期は九州が圧勝しているが、
一世紀後半(後漢前期)以降西日本一帯に広がる。
そして後漢後期((二世紀後半から三世紀はじめ、)の鏡は近畿が圧勝する。

アテネがローマ帝国の首都ではないように、九州は三世紀の日本の中心ではない。
纏向以前の鍵唐古遺跡でも、西日本各地の土器が出土している。

205:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 18:00:22.80 4mxXmQ2k0
三角縁神獣鏡の成分を分析すれば、日本ではなく
中国の銅山から採掘された銅を用いたものだとわかっている
それだけなら、銅を輸入しただけって可能性もあるが
中国の工房で精製された可能性が高いことも、当時の工房を調査したわかっている。

三角縁神獣鏡は、中国で作られたものであり。
魏の皇帝が卑弥呼に下賜した物だと考えられる

魏志倭人伝で記載された銅鏡百枚とは、数多という意味であり
日本向けにオーダーメイドされた鏡だったのだろう。
そう考えるのが普通ではないの。。

206:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 18:02:55.26 wlLi/jJB0
穴ぽこが出てきたら、即卑弥呼の宮殿発見 とか
桃の種が出てきたら、即卑弥呼の都発見 とか

石積が出てきたら、即台与の墓発見 とか

こういう余りにも幼稚な妄想をぶちまけるのは、いい加減止めてもらえませんか?

207:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 18:19:04.46 FVn0DKs/0
西殿塚古墳はどうみても手白香皇女の墓と違うんだから、発掘させたっていいと思うけどなあ。
つーか、本物の方をもっと大事にしてやれよと思うな。
継体陵とか仲哀陵とか欽明陵とかさ。

208:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 18:25:22.36 4mxXmQ2k0
出雲王朝の存在が気になるのだがね
私は出雲は一時的にも大和を勢力圏内にしていたと考えている。
そうでなければ、国譲りの神話の存在が説明できない
大和勢力と出雲との間での下克上があった
そのことは、記紀編纂当時の知識人の多くが知っていた事だった
だからこそ、国譲りの神話で、それを正当化する必要があったのだとね

だったら、出雲が大和を支配したのは、何時ごろだろうか?
邪馬台国以前か、それとも以後かで、日本史がかなり変わってくる

209:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 18:29:02.41 HXc6+4x20
卑弥呼とか邪馬台国って言ってるバカは左翼の手下。

冷静に考えてみろ、
その時代って日本の起源から何年だ?
日本ができ天皇が国を治めて何百年たつ?

卑弥呼、邪馬台国、倭 どれをとっても差別用語じゃないか。
このあったかなかったかわからない現在の中国大陸にあった魏という国の
書物の一つに書かれてただけのものを日本の教科書に無理やり載せる意味は何か?
これこそが自虐史観の原点である。

倭人 小人セムシ完全に差別用語であるので本来使用してはいけないはず。

210:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 18:30:54.09 LrCD9TlO0
>>208
仮に日本の近隣の朝鮮半島などに邪馬台国があったとしても
辺境の一豪族に過ぎないわけで
あんまり日本史の本筋とは関係ないだろ

記紀に邪馬台国は出てこないから
関係するとすれば出雲王朝の時代のことだろう

211:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 18:31:35.28 Nn+t30kU0
本当の古代史はまだまだわからない。
中国の研究者が倭人は江南にいた海洋民だといってる.。.
その説では戦乱期に東に行った(海を渡った)連中と西にいった連中
がいて、日本人と越南、雲南・チベット方面の民族に分かれたとか。
海洋民だからそれ以前から日本との交流はあったと思う。
すでに、日本には一万数千年に及ぶの縄文文明があった。
多分天皇のご祖先は水稲技術をもって日本に渡った一族と王族
と関係があって、春秋戦国時代の今から2674年前に日本の初代
天皇である神武天皇になられた。
太平洋側に入った呉人は瀬戸内や大阪湾に入って、越人は日本
海側に入植した。仮説、空想だけど。

212:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 18:33:02.04 PLvpAZ6C0
>>207
継体の后の墓を大きなものにしたいと言う思惑があったんだろうか? 

仮に継体が応神の血統でなかったとしても手白香皇女により繋がるからなw

じゃあ西殿塚の元々の被葬者は誰だったのか?って話で

崇神より前に箸墓・西殿塚と二人ほど大王クラスの人間がいたんだろうか?

213:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 18:37:13.45 crwgMq2v0
>>138
倭姫王の影の薄さは父・古人大兄皇子が中大兄皇子に殺され、
母親は不明だけれども父親が蘇我氏本家に近い存在だったので、
蘇我氏出身の可能性があるけれども、蘇我氏も中大兄皇子に(ryなので。
倭姫王の立后は、古人大兄皇子の鎮魂の意図も無いとはいえないかも。

壬申の乱後消息不明な方々の中には、倭姫王の他に
弘文天皇の弟妹かもしれないと推測される方々もいます。
倭姫王は敗者側としてその後を正史に記録されなかったのかもしれないね。

214:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 18:39:52.98 o3ssT5et0
水行何日ってのはアレじゃないの
1日漕いで停泊地で接待受けて2-3日遊んでたんじゃ

215:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 18:47:33.13 MmNYjGSk0
「やまと」=大和=奈良というのがそもそも早計なんだよな…

もしかしたら筑後の山門郡かもしれん訳で
隣には八女郡なんてのもあるし

216:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 18:56:04.55 G1L83EkF0
朝廷支配が近畿以北になったのは奈良平安くらいで
むしろ近畿以北の日本支配のほうが長いが
日本書紀などのペテンの効果でありがたがるの多いが
明治維新で殺戮したのは公家の悪辣さ

217:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 19:02:08.87 94drDlfE0
でも、こういう歴史ロマンの話大好きだわ
自説云々を持たない頃が一番楽しめる

218:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 19:03:26.79 G1L83EkF0
悪辣が凝集したのが昭和天皇

219:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 19:04:16.36 qtws7NMd0
>>211
日本人のルーツわこく
URLリンク(www.wakoku.net)

220:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 19:17:29.04 G1L83EkF0
武器を捨てて日本人見殺しにしろと命令
したのが昭和天皇ですた

221:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 19:19:50.42 FVn0DKs/0
>>212
この地域に墓があると記紀に書いてあるのが継体の妃だけだからなあ。
墓を大きくしたいと考えたのもあるかもしれんけど、そんなら雄略陵は
何を考えてあんなのにしたのか幕末の人に聞いてみたいよね。

奈良の古いでっかい古墳で被葬者が記紀にないやつって、いくつかあるけど
誰なんだろうねえ。
まあ、桜井茶臼山古墳とかメスリ山古墳とか、発掘しても誰と書いたものが
出てくるわけじゃないから、天皇陵を掘ったらわかるとは思えないけどさ。

伝開化陵なんか、面白いと思うけど、話題にならんのよね。

222:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 19:21:53.52 n0gWk0MB0
「やなもと」が訛って「やまと」に化けたでござる。

223:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 19:30:19.29 T3AXhMxVO
邪馬台国と大和朝廷が記録上断絶しているように見えるのは
2000年周期の大地震と津波のコンボのせいだと思う。
大地震と津波で数年に渡り無政府状態になり
政権や行政を担当していた組織もズタズタになり
まともな引き継ぎ無しで事実上一から再建したから
邪馬台国時代との繋がりが曖昧になってしまった
というか事実上別物になってしまったんだと思う。

224:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 19:53:45.35 1H11otla0
邪馬台国=奈良 アマテラス=卑弥呼

天皇家は九州から出て、大阪の河内~堺に拠点を築く。ここから、天然の要塞である奈良(邪馬台国)を攻めて、
邪馬台国の王の座を奪い取る。したがって、卑弥呼は大和外の伊勢に葬られる。

仁徳天皇陵など巨大古墳が大阪に多いのは、天皇家が拠点を築いた名残である。

225:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 19:53:46.33 xThLQtfK0
おまいら20:00からBS103犬HKプレミアムで卑弥呼だってお

226:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 19:56:56.54 ijsZhZdb0
台与はまだ、16だから

227:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 19:57:28.20 1H11otla0
記紀におけるナガスネヒコとは邪馬台国のことである。
九州系天皇家は日本を治めるために邪馬台国の墓系(前方後円墳)を継承し、巨大古墳を築造していった。

228:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 20:04:31.62 DSrDq26U0
陳寿は焦っていた。10時から魏志倭人伝の打ち合わせだったが寝坊してしまったのだ。
陳寿はつぶやく、「ヤバイ、遅刻だ。」
それを聞いた助手、「邪馬壹国っすか?書いときますね。」

229:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 20:04:55.61 xThLQtfK0
当時の倭国と中国の以外な結びつきとは!
だって!!! ばっかじゃないの、犬HK!!!
当時中国があるかYO!
ちょっと実況行って来る

230:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 20:05:22.23 WQzAoz6B0
大和と邪馬台国はつながってないと思うね
どこかの時点で近畿の大和が九州の邪馬台国を滅ぼしたとみる

231:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 20:06:42.57 uhe3LCvI0
>>209
でも、中国の歴史書に「倭の五王」って記述もあって
これは、現在の天皇家の祖先だって、ほぼ確定してるんだぜ?
その「倭の五王」の前に登場する人物が卑弥呼なんだから、
完全に架空だとか無視するのも良くない

232:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 20:10:59.62 wlLi/jJB0
倭国大乱の痕跡ゼロが畿内。なぜか? まだ縄文人し住んでいなかったから。

233:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 20:13:19.64 WQzAoz6B0
ただし、鬼道を行い人々の心の拠り所であったわけで
もしかしたら邪馬台国を滅ぼした大和が卑弥呼の血を引く者をそのまま国家の象徴とした可能性もあるな
それが今につながっている可能性も

234:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 20:13:45.99 NklVt9V10
>>205
普通ではない。

いわゆる「三角縁神獣鏡」は
その銘文が韻を踏んでおらず、
魏皇帝の命でオーダーメイド&下賜されたものでは有り得ない。

おまけに魏鏡は小型、
大型の鏡は三国志の時代には魏と対立した呉の文化圏のものと相場が決まっており、
大型の三角縁神獣鏡は
呉系の職人が列島に渡来し
政治的都合により魏年号を含む銘文を入れ造らされたと考えざるを得ない。

235:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 20:14:13.09 1gxVQq5Y0
>>233
もしくは、祟りを畏れて祀り上げたとか

236:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 20:16:51.58 WQzAoz6B0
>>235
第二次世界大戦後と状況は同じだったかもしれん

237:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 20:19:04.90 wlLi/jJB0
倭国30か国を瀬戸内畿内まで勝手に広げているNHK・・・ここにもねつ造でっち上げ

238:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 20:21:04.19 NklVt9V10
>>231

>「倭の五王」って記述もあって これは、現在の天皇家の祖先

根拠は?

現在の天皇家が「倭国王」を称し大陸に朝貢した記録は無いわけだが??

239:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 20:22:52.35 4P8o4q+O0
普通に畿内ってか奈良で決まりじゃないか?
邪馬台国はw

240:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 20:23:16.69 T3AXhMxVO
2000年に一度の大災害からの邪馬台国の生き残りは
被害が軽微だった畿内に都を移して
同時に邪馬台国の象徴だった卑弥呼やトヨの古墳も
畿内に作る。
我らこそ邪馬台国の正統な後継者であることを
内外に示し、アピールするために。
そのアピールの為に失われてしまった中国から贈られた
神獣鏡のレプリカも作ってみせたかもしれない。

241:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 20:23:34.37 wlLi/jJB0
犬山の東の宮古墳出土鏡をさも卑弥呼の鏡みたいな扱い方するNHK・・・これもでっち上げ

242:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 20:26:23.39 SrK6BPsR0
西殿塚の前に箸墓に行ったが何もなかった。しかし失敗した。行燈山にでも掘るかな

243:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 20:26:28.31 2+j0CfvD0
畿内説の面倒なところは
朝鮮半島支配を認めたくないためヤマト王権の歴史を短くしたい左翼と
中華王朝の属国があった歴史を認めたくないためヤマト王権の歴史を長くしたい右翼
の両方から攻撃を受けてるところ

244:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 20:29:04.37 wlLi/jJB0
倭に鉄の生産技術が無かったとだと? NHK
半島で鉄を生産していたのは倭人。半島南部は倭国。

245:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 20:31:29.60 DSrDq26U0
>>136
編集の締め切りが迫っていて、思わず書き写しちゃったんだろうね。
小保方の論文みたいに。

246:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 20:42:15.07 1gxVQq5Y0
>>236
んーもっと怖がったんじゃない?鬼道の使い手の血統の国滅ぼしちゃったら

247:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 20:47:01.83 NklVt9V10
>243
いや畿内説のしょうもないところは



何の根拠もない妄想なんだw
>157 >160



畿内派は倭人伝を「当時の列島の中心は邪馬台国」と勝手に拡大解釈して
「だから列島の主役たる大和政権の前身」としたくて躍起。


ところが倭人伝は「列島の中心は邪馬台国」と記してるわけではないw

魏に「戦争に負けそう!助けて!」と泣きついてきた豪族に
とりあえず使節を送った見聞録。

地方豪族なのか、他にもっと栄えた中心が無かったのか、何も記してないんだw

248:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 20:49:38.43 Y1EqsS6G0
邪馬壱を邪馬臺に変えたせいで、
壱与まで巻き添えになっているのが笑えるな

249:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 20:51:08.77 qz1OiXeN0
ステップ式ピラミッド

250:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 20:53:12.21 G+L1QYMRO
どう考えても応神は九州勢の別王朝だよな

251:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 20:54:04.79 1gxVQq5Y0
>>247
しかも貢物百倍返しで、「王として認める行為」を書き残したのは、
自慢入ってね?と思うんだw

252:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 20:57:44.86 oZOu0iI70
>>203
松本清張は魏志西域伝みたいなのも、距離は出鱈目だと言っていたよ。
つまりは「遠く、遠く」の意味で「~里、水行○○日」みたいに使ってるらしい。

253:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 20:58:15.39 wlLi/jJB0
倭の北岸は半島の南岸にあった狗邪韓国。のちの任那。
古墳の形が日本と同じことから明らか。

254:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 20:58:32.82 NklVt9V10
>250
いや任那日本府の長官か何かに封じられていた
天照大神の直系子孫(分家スジ)が
実の父でないかと思う。



応神誕生説話はたしかにあやしげだが、

天照大神の直系子孫であれば
それでも民に無理矢理にでも受け入れさせる事はできる。

天照大神の直系子孫でなければ、まず無理。

255:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:01:56.61 8LD80eXq0
山岸涼子の漫画なら読んだ

256:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:02:17.97 Y1EqsS6G0
隋書に王がいる所は魏の時代から変わらず竹斯って書いてあるんだから、
向こうの本に依拠する限りは議論の余地なんて無いんだけどな

日本書紀を信じるなら、
日本の中心は神武天皇いらい奈良とか大阪なんだから、
どちらかが間違っているということになるわけだが

257:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:05:04.85 NklVt9V10
>251
自慢というか、狂喜乱舞した。



魏は政変で権力交代した直後で、
新政権は現代の言い方すれば
「承認します」という外国からの使節を待望していた。

そこへイの一番に来たのが卑弥呼の使節。

邪馬台国側もそのタイミングを睨んで
「これでなんとか援軍が期待できるだろう」と
渾身一擲で遣使したと思われる。

だから得体の知れない地方豪族の使節であっても
とりあえず歓待した。



でも情勢視察させた結論として援軍は送らなかったから消滅したw

258:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:07:05.76 G1L83EkF0
魏志倭人伝の南行が王のいるところから
離れる意味なのわからないと解けない
大坂の難波京から肥後まで行ってるのはたしか

259:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:08:46.75 jt3ytPd70
「やまと」という口語音が先にあり、そこに中国人が付けた「邪馬台」「倭」という漢字、転じて大韓民国チックに「大倭」「大和」という字を当てたのだろう。
そこまでは誰も異論はないはず。

260:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:09:13.12 1gxVQq5Y0
>>257
やっぱり話盛ってるよなあ?
適当に日本の話集めて、こんな国からも「王に認めてくれ」って
頼まれる魏スゲー!魏最高!みたいなw

261:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:09:38.10 1H11otla0
>>232

倭国大乱の後に卑弥呼を共立したとある。
出雲に大量の剣が埋葬されていたのは、倭国大乱の再発を封印するため。

262:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:10:17.65 PLvpAZ6C0
しかし未だに倭人伝の

 行程記事の読み解き=暗号解読ゴッコ

に入れ込んでる奴がいることにびっくりだわw

70年以後のブームを知ってる爺さんが昔とったナントカで頑張ってるのか?w

263:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:10:37.03 NklVt9V10
>256
そこで九州王朝説ですよw



倭の五王の時代も経て
遣隋使・小野妹子までは筑紫の九州王朝からの派遣、

小野妹子が帰国するころに政権交代して
九州王朝(倭)は覇権を失い
近畿(日本)に列島の主役が移った、と。

264:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:14:35.31 tBcPXyC20
>>168>>171
原文が「邪馬臺国」だったからこそ「邪馬壹国」と勘違いした。
本来「臺ダイ」と「台タイ」は別の漢字。
天「台」宗を旧漢字で天「臺」宗とは書かない。

265:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:14:42.54 1H11otla0
>>263

倭の五王の時代は仁徳天皇の時代。巨大古墳が大阪にいっぱい築かれた。

266:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:19:34.88 PLvpAZ6C0
>>232
>倭国大乱の痕跡ゼロが畿内。なぜか? まだ縄文人し住んでいなかったから。

こういう無知無能が九州説

じゃあ畿内の弥生時代は実年代で一体いつから始まったんだよとw

兎に角イチャモンつける事で頭がいっぱいのクズ

267:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:21:33.60 G1L83EkF0
上京で東北から北陸もそう
南行は今で言う下りなだけで魏志には肥後までの
下りのはなし

268:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:23:06.58 NklVt9V10
>265
いやだから
近畿天皇家が「倭」と自称した記録は無いんだよ。


近畿勢は遣唐使の時代より以前は「唯我独尊」状態で、

九州王朝は、応神~仁徳朝や、継体朝の時代に
外交的に曖昧に近畿優位を認めていた時期はあっても、
大陸との交渉では一貫して倭の代表とふるまっていた、

と考えると矛盾は無いかと思われる。

269:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:25:37.11 1H11otla0
>>268

倭は和であり、大和は大倭ですが

270:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:27:46.86 1H11otla0
また、倭のことをヤマトと読んでいる。

例、倭迹迹日百襲媛命 = ヤマトトヒモモソヒメノミコト

271:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:28:43.44 NklVt9V10
>>269
根拠は?

272:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:31:08.34 w/8vP9jt0
これ盗掘した朝鮮人は一族郎党、呪いがかかったんではなかろうか

273:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:31:14.28 +ec18RHA0
あの~
九州じゃなかったら死んでもいいんすけど俺

274:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:33:58.80 3rnFbQjw0
>>260
話誇張してないよ。
本州に着いてから、近畿まで水行30日で着いている
今までの距離で記すさず日数であることから、手漕ぎボートでなく
河の流れに身を任したのんびり河くだり。
その30日の行程の地域が全て完全な支配下でなければ、のんびりどころか自殺行為。
一方的な弓や投石の的になる

275:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:34:48.24 PLvpAZ6C0
『九州王朝説』と『東遷説』

かつての邪馬台国ブームが生んだ

2大キチガイ電波

教祖二人の対立をプロレスに例えてる人間もいるぐらい
もう学問というよりカルトの域w

2ちゃんだと九州説と言っても大概どちらか
あるいは両方の悪いところどりってのが相場w

276:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:35:38.93 oidmtJ710
壱与はまだ

277:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:36:21.42 oZOu0iI70
江田船山古墳とかトンカラリンを見るにつけ、
邪馬台国は九州に在ったと思うようになりました。

278:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:36:33.14 PIZlC34A0
とりあえず倭からの献上の話が記録に残ってるのは周の前期
年代がほぼ特定できるのがその後の成王の時で3000年ちょい前
つまり神武の東征よりはるか前に海を渡って周と交易していた勢力が存在したわけだ
んでこの時点で倭というのは100以上の国の総称として扱われ1000年ほど引き継がれる
これは後に奴国王が倭王ではなく倭の奴国王として漢より金印を受け取っていることでも証明される
んでこの奴国なわけだけど倭国の南端にあったとの記載がある
奴国の位置は今でいう福岡なわけだからここが南端とすると倭の中心は九州の外に存在すると考えるほうが自然
畿内かどうかはわからんけど九州にのちの邪馬台はないだろうなというのが個人的な見解

279:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:38:21.04 G1L83EkF0
南無妙法連で朝廷が日本支配で
南には法に支配されたいい国ないと唱えさせたので
南の意味は王から離れた意味なのわかった

280:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:42:26.82 WQzAoz6B0
弥生時代鉄器の出土数で言うと西矢護免遺跡をはじめ
熊本が飛び抜けて多い。邪馬台国だった可能性が高いと思う

281:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:43:03.83 y6MO2C4A0
>>274
>河の流れに身を任したのんびり河くだり
30日も?  
日本の川は結構流れが速い上にそんなに長い川が有ったか?

282:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:43:51.68 PYuxsxqV0
魏志倭人伝の日数って参考になるのかあれ
10日とか20日とか書いてあるけど30日あったら東北だって行けるだろ

283:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:45:16.51 hgCx0iAE0
>>276
齢十六なれば

284:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:45:32.81 wlLi/jJB0
>>274
帯方郡から1万2000里という距離表記を完全に無視してるね。
どうして都合のいい方だけ取るの?

285:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:45:33.54 WQzAoz6B0
>>280
訂正
○ 西弥護免遺跡
× 西矢護免遺跡

286:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:45:46.64 QTRVihCY0
日めくりここにあり、、、卑弥呼ここにあり!!

287:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:46:06.11 1gxVQq5Y0
>>274
んーそっちじゃなくて。五十カ国の集合した、
鯨面獣身の素もぐり漁をしている国民が、
酒を作る余裕=米か果実豊富と、
蚕を育てる余裕=桑豊富と、
鉄を作る余裕=燃やす木が豊富で水害も起こさない←米作る人と対立しかねない
を持ってるって書いてあるじゃん?そこら辺盛ってね?話に聞いた日本を、
一つの国、もしくは五十カ国として書いてね?って思うのよ

今ですら、北海道は雪降ってるし、関東は桜散ってるしね

288:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:46:37.76 NklVt9V10
>278
>倭の奴国王として漢より金印

有り得ない。



金印は、
魏でなら唯一回だけ匈奴の王に贈られたのみ、
よほどの大国にしか贈られない。

倭を構成する百余国の一つでしかない奴国の王に贈られるなど
漢代でも有り得ない。



西の大国・匈奴と互角の
東の大国・倭奴の国王に対し贈られたもの、

との解釈しか、中華の秩序体系の中では不可能。

289:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:48:02.72 oZOu0iI70
黄巾の乱から逃れてきた連中が熊本に上陸したのは間違いないと思う。
それから久留米と日向に。久留米から佐賀大和(吉野ヶ里)とルートを
たどって、博多に到達したのではないか?なので、久留米あたりに
邪馬台国があってほしい。

290:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:48:25.55 TRCWHeTq0
>>256
隋書のどこに書いてあるの?>魏の時代から云々

>>269
単純化すると、奈良時代の大和政権の官僚が魏書などを見て、自分たちが支那から
「倭」や「邪馬台(yamato)」と呼ばれていたことを知ったのか否かということかな?
倭をヤマトと読んでしまってるので前者だとは思うが。
もともとの倭国は支那側から見る限り北部九州のことだけを指していたものと俺は
思っている。支那との交流の玄関口は北部九州のみだったしな。

291:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:48:42.39 mElJAunm0
>>262
ごっこやってるのは近畿アホw
 

292:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:49:15.07 WQzAoz6B0
>>274
帯方郡から邪馬台国までが1万2000里
帯方郡から現在の韓国南端近辺の狗邪韓国までが7000余里だぜ?

293:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:50:37.58 2+j0CfvD0
>>288
あの金印は江戸時代につくられた偽物説が強い
漢字しかない国が倭と委を混同するとは思えん

294:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:50:56.30 mElJAunm0
>>243
違う。畿内説の面倒なとこは、とっくの昔に死んでるのにしつこいのだけは
いっちょまえなところ。
小保方擁護とそっくりwwwwwww


 

295:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:51:33.71 ORW1r8Sh0
中国人はいい加減、今も昔も。

296:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:53:20.39 PYuxsxqV0
帯方郡から狗邪韓国までが7000余里
帯方郡から邪馬台国までが1万2000里
ってなんかどっちの説にとっても半端な感じだな

297:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:53:36.02 mElJAunm0
近畿説は「纒向はすごいんだぞー」と言っているだけ。
もはや、邪馬台国についての議論ですら無い。

近畿説は邪馬台国論争から脱落し、消滅しました。

近畿説は小保方擁護と同レベルwwwwwwww


 

298:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:56:04.36 dacFZgrhO
>>281
多分、瀬戸内海。
黄河や長江など大河を見慣れた中国人から見れば、瀬戸内海も河みたいなもの。三十日は三日の誤りかも知れない。

299:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:56:49.81 wlLi/jJB0
>>293
偽物ってのは本物が有ってのことだろ? 本物がどこにあるの?
あるいは偽物作者が大金はたいてそんなもの作る意図がないわな。

300:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:56:53.65 TRCWHeTq0
>>288
後漢書の范曄がなんらかの資料を基として「奴国に印綬した」という記述が
ある以上、ありえないと断定するのはいかがなかものかな?それに大国でな
いテン王に送られてるし。

301:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:57:04.43 U4ZFbX7s0
>>279
南無妙法連華経の南無はサンスクリットで「帰依する」という
意味の「ナーム」の音写なんだけどね。

302:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:57:38.39 1gxVQq5Y0
>>293
その割に一応祀ってあったみたいだけど?

303:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:58:29.71 tBcPXyC20
>>269
その通り
古代から「倭」は中国人の憧れの的。
「倭」は古代の有名ブランド。
だから「大和朝廷」も「倭」と同じ音読みの「和」を名乗った。
「倭」も「和」も「禾」が漢字の音を表わす形声譜

聖徳太子も倭国大乱を知っていたからか十七条憲法の最初に
「以和為貴 和をもって貴しとなす」を持ってきた。

304:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 21:58:48.25 3rnFbQjw0
>>292
手漕ぎボートで日の出から日没まで漕いで移動できる距離が「千里」
なんだろう。
陸の「里」と一緒にするほうがおかしい。

305:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:00:17.43 oZOu0iI70
>>303
「倭」って「背の低い連中」くらいの蔑称じゃなかった?

306:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:01:40.91 PIZlC34A0
>>288
それは漢の事情によるものかと
奴国が使者を出した年は光武帝の晩年にあたり明帝の即位年でもある
んで明帝が目指したのは西域の平定でありそのためには背後に存在する楽浪郡の周辺国をけん制する必要があった
そこにタイミングよく使者が来たので奴国を大国として扱い利用したわけだ

307:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:02:14.07 3mZDlchm0
邪馬台国の時代に石積みの方形壇なんて、本当にあったのか?
近畿説は、なんでもかんでも目ぼしい遺跡を邪馬台国に合うように年代を古く見過ぎるから、
こんな風に辻褄が合わなくなる。

308:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:03:37.72 PLvpAZ6C0
>>293
>あの金印は江戸時代につくられた偽物説が強い

大陸で出た金印と同一の規格だったりと
当時の人間が知りえなかった共通性があり

本物であるのは確定だぞ

309:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:04:55.30 2+j0CfvD0
金印偽物説は自分で調べてみるといい

いや自分も本物であって欲しいとは思ってる

310:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:06:46.19 PLvpAZ6C0
>>309
何を読んでいってるのかしらんが

偽物を造った人間が予知能力を持っていない限り無理だ

311:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:09:17.29 wlLi/jJB0
卑弥呼の塚のサイズは径100歩、
100歩といったらせいぜい50m
箸墓のような巨大な墓になぜなってしまうのか?
頭おかしいんじゃないの?

312:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:10:45.95 TRCWHeTq0
>>306
こういう東アジア的な視点と東アジア史料の知識を、距離があーだ、
方向があーだ近畿だ、九州だ、いやどこだとか江戸時代から続く矮
小かつ結論のでない議論しかできない人たちに持ってほしいんだよ
なあ。

313:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:12:38.63 1H11otla0
>>290

そもそも、卑弥呼が魏に使いを送った「景初三年」と書かれた鏡が大阪の和泉黄金塚古墳から出土している。

なぜ、卑弥呼が使いを送った年がダイレクトに書いてあるのであろう?偶然にしてはできすぎている。
少なくとも、和泉黄金塚古墳が築造された時の大阪には、魏との関連があったとみるべき。

ちなみに、和泉黄金塚古墳の築造時期は4世紀後半。

文字の書かれた鏡一覧
URLリンク(www.ne.jp)

314:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:12:39.31 WQzAoz6B0
>>296
さらに狗邪韓国から対馬国までが1000余里
つまり現在の韓国南端から対馬までが大体当時で言う1000里余りと考えられる
そして対馬国から一大国(一支国、壱岐)までが1000余里だという
これは地図を見ればわかるが確かに韓国ー対馬までと対馬ー壱岐までの距離はほぼ同じだ
ここまでで9000余里
あと3000余里で邪馬台国に到着するということになる
つまり壱岐を中心とした半径が当時で言う3000余里の円の円周上もしくは道のりと考えると円内に邪馬台国が存在するということになる
そうなると熊本、大分、長崎、山口となるが
伊都国(福岡県糸島市)は邪馬台国からみて北方の国だというからやはり九州内の熊本か大分、長崎だろう
たぶん熊本だと思う

315:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:13:21.46 y6MO2C4A0
>>298
黄河や長江など大河を見慣れた中国人でも海と川の違いは分る。
舐めてショッパイのが海。

316:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:14:09.31 2+j0CfvD0
>>310
自分も偽物説に反論してきたが、どうしても引っ掛かるのが「倭」と「委」の差なんだよな
中国の文献で日本を「委」と表記したものある?

317:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:19:25.79 1gxVQq5Y0
>>316
逆に江戸時代の贋作職人が、金印を作る技術と知識を持ってる筈なのに
何そこ間違えてんねん!間違えたままにしとくなや!鋳造からやりなおすやろ!
贋作職人としてのプライドは無いんか!て思うのはどうだろう?

中国ならば分かる>>306がいい事言ってる。大国「扱い」で利用するんだから
モノホンの金印なんてやんねーよwwwって意味になる

318:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:24:43.84 2+j0CfvD0
>>317
その辺も含めて反論したけど、やはり引っ掛かるんだわ

江戸時代と違い漢字しか文字がない国で一字違えば意味がガラリと変わる
しかも他ではその表記がないのに、公式の金印でやらかすかと

319:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:25:01.94 PLvpAZ6C0
>>316
いや光武帝の子リュウケイに贈られた金印がサイズも模様入れるに使ったタガネも同じもので
同一工房じゃないかとまで言われてるが(と言うかこれでほぼ決着がついた)

偽物説ってのはこれを偶然かなんかで片付けてるのか?

320:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:25:33.51 wlLi/jJB0
>>316
委奴国王=伊都国王 と読むのが自然

321:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:26:00.03 5E7W1CzY0
古代のロリ姫だっけ

322:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:29:57.06 T3AXhMxVO
>>318
三流の発展途上国用だから適当だったんじゃない?
現代でもオリンピックの表彰式で間違った国旗を上げてしまいました
みたいなミスはあるんだし。
やべ、字違くね?
倭国用だからこれでいいよ。
みたいな。

323:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:30:43.73 WQzAoz6B0
>>320
同じくそう思う
糸島市のすぐ近くだし

324:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:32:18.05 1gxVQq5Y0
>>318
>>319 紐か何だかもじゃなかった?

はいはい大国大国ー金印あげるよーだが偽物だけどなwwwみたいな

325:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:32:46.15 RST1LrJf0
卑弥呼の死後に男王が立つと国は乱れた
新女王(13)が立つと治まった

326:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:33:02.70 NklVt9V10
>300

後漢書は正に「倭奴國」から使者とある
それを「倭の奴の國」と一部で勝手に読んでるだけ

members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun2-gokan.htm

>倭奴國奉貢朝賀



>306
それでも奴國王に金印はない。小国過ぎ。


>倭國王帥升等

には
・「倭國王」帥升
・倭國「王帥升」
両解釈ある。

倭國「王帥升」解釈で
倭奴國王でなく倭國王と記述があるように見えても問題ない。

倭國と倭奴國の範囲の違いにより両表記が並存、
金印は「倭奴」國王。

327:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:35:02.95 JZBIjEdc0
>>316
仮借なんてよくある話。
古い時代ほど同音の漢字の使い分けはいい加減だった。

328:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:36:32.56 PIZlC34A0
>>318
基本的にはありがちな略字なんだけど
その意味を2種類受け取れるんだよね
いい意味で受け取れば字体のバランス的にそのほうが美しいから
悪い意味で受け取れば蛮族として人編を省略した
どちらで正解かは正直わからんね

>>326
今となっては少数意見だけどその説も昔からあるね

329:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:37:33.80 tBcPXyC20
>>305
「倭」という漢字には2つの意味があり発音(音読み)も意味によって使い分ける。
1)「ワイ」(現代中国語でwei)と読んで「説文解字」には「順皃=従う様子」と書いてある。
  清の時代に「説文解字」を研究して解説書を書いた段玉裁の注釈には
  倭與委義略同=倭と委は意味が略(ほぼ)同じ。
  委,隨也。隨,從也。委は、随うことだ。隨は。従うことだ。
と書いてある。
2)ワ(現代中国語でwoウォ)と読んで古代の日本のこと。
  中国の歴代公務員試験受験用漢字字典には
  「倭 東海中女王国」と書いてある。
URLリンク(dict.variants.moe.edu.tw)

「背の低い人」を表わす漢字は「矮ワイ」だ。
現代中国語や婆姦国語で「倭」と「矮」が同音なので「背の低い連中」の蔑称というわけだ。

しかし中国の古代史研究者には「倭」は「倭の女王卑弥呼」そのものを表わす漢字だという者も居る。
「倭」を分解すると「禾」が「ワ」という音を表わし、「女」+「人扁イ=人」で「女人」
すなわち「ワの女人」というわけだ。

330:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:39:26.67 WQzAoz6B0
倭と委じゃそもそも音が違うような?

331:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:40:29.26 JZBIjEdc0
>>320
奴をドのように読むようになったのは唐代のことで、委奴国をイト国と読むことはできない。
委奴は現存しない地名を表しているか、あるいは「奴」は助詞の「の」「な」を表しているのだろう。

332:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:40:33.91 PLvpAZ6C0
>>324
>紐か何だかもじゃなかった?

広陵王璽が亀で日本のが蛇って話か?

序列としては合ってるんはずだぞ?
(外臣と内臣の違い逆にもし同じだったらそっちのほうがおかしい)

333:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:47:43.38 2+j0CfvD0
つまり偽物の疑いのある金印の他に「倭」を「委」と表記した文献はないということか
っていうか今気づいたけど「委国」と書くと凄い違和感

334:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:50:13.54 NklVt9V10
匈奴 - Wikipedia
>
>現在、「匈奴」は日本語の漢音で「きょうど」と読まれ、現代北京語では
>「ションヌゥ(Xiōngnú)」と読まれている。各国の読みも北京語に準じて
>「Xiongnu」としている。 これらは現在の読みであり、研究者によれば
>「フンナ」もしくは「ヒュンナ、キョウナ」が「匈奴」の当時の発音
>と推測されている。


なるほど

335:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 22:57:44.63 RST1LrJf0
漢が奴国王にゆだねる、だったりして

336:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:01:09.51 NklVt9V10
>333


1-5 倭奴国を倭の奴国と読む誤り
www.geocities.jp/yasuko8787/1-1-5.htm
聖徳太子の著書に、「大倭国」を「大委国」とした例がある。

337:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:04:14.65 NklVt9V10
聖徳太子と日本人 —天皇制とともに生まれた<聖徳太子>像
books.google.co.jp/books?id=y4HkAgAAQBAJ
「委」をワと読ませる例は、
藤原宮跡の木簡には見えるが、
七一〇年の平城遷都以後には見られない。

338:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:05:12.37 tBcPXyC20
>>328
説文解字によると「倭」と「委」は同じ意味と書いてある。
同じ意味なら同じ音読みをすることもある。

>>330
たとえば「漁師」の「漁」には「リョウ」という音は無い。
「ギョ」と読むのが正しい。
しかし「漁師」と書いて「りょうし」と読んでいる。
「りょうし」というのは元々「猟師」の読み方。

339:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:05:17.52 G+L1QYMRO
うーむ

奴国が先にありきな気はするな

狗奴国とかもあるしさ

340:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:05:56.89 F1rcGeoB0
投馬国もおかしいんだよ。
この国だけトウマと漢音読みするけど、
邪馬台国をジャマダイ国とよばないように、
この国も呉音で呼ぶべきなんだ。
ヅマ国とさ。

341:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:08:38.02 M/C6sKSy0
このスレの住人、2012年に盗掘があったという方を何で問題にしないの?

問題ありありありすぎじゃないか。
  なぜ盗掘を許した?
  犯人は誰?
  どの程度の被害?
  報道はそのときあったのか?
などなど

342:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:11:14.92 p4zPYS6/0
北九州に邪馬台国はありません。
あるのは朝鮮渡来の成りすましエタが作った893大国です。

343:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:12:28.81 2+j0CfvD0
>>336
そこ、中国ではその表記は見つかってないと否定してるじゃん・・・

344:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:13:48.00 hgCx0iAE0
2012年って日本がミンス党に占領統治されてた時代だから

345:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:14:16.68 oZOu0iI70
邪馬台国は久留米あたりだと思う

346:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:16:04.37 WQzAoz6B0
>>340
伊都国は帯方郡の使者の拠点だったから魏志倭人伝の伊都国以降の道程の記述は伊都国を中心としたものだと思うんだよな
だから伊都国から南へ水行20日の投馬国とは今のさつまのことだと思う
ちなみに邪馬台国は伊都国から南へ水行10日陸行一月だから海から離れた菊池市か阿蘇の辺りだろう

347:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:18:48.67 AMiB5Gq30
山岸凉子の漫画で言ったら、台与ってだれ?

348:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:21:20.86 PLvpAZ6C0
もしあの金印が偽物ならば
 
 ・後年大陸で出てくるものとサイズがたまたま同じになった
 ・模様も使用したタガネが一緒と言われるぐらいにたまたま同じになった
 ・適当にデザインた蛇鈕も中国の序列に合うようなものにたまたまなった

予知能力でもない限りないわw

349:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:25:04.57 u+WyqpHN0
>>348
江戸時代、印章の収集ブームでね。おりしも中国でも大ブームで、古印についてのその手の情報はものすごくたくさん入ってきてたんだよ。

350:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:26:00.45 Ssvfxbbb0
邪馬台国は昔ヤマトコクと読まれていた
だから邪馬台国=大和朝廷だというのは皆知っていた
それを魏に朝貢してたことを問題視し、日本国は中華帝国に朝貢などしたことがないという
皇国史観に則って邪馬台国=ヤマタイコクと呼び名を変えたのは本居宣長
歴史教科書で出てくる国学者だよ
こいつは更に卑弥呼は倭国王を名乗った九州の女酋長だという勝手な解釈まで既成事実化しようとした

ゴッドハンドと一緒で結論ありきの捏造野郎

351:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:29:11.64 NklVt9V10
>350

すくなくとも列島側の古文献でのヤマトの表記は
「夜麻登」。

352:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:29:26.89 1H11otla0
日本海ルートだと、投馬=敦賀でびわ湖経由で奈良っていうルートもありうる。敦賀は元々、大陸との玄関口だったし。

353:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:29:44.20 PLvpAZ6C0
>>349
鈕の形状やタガネで打ち込まれた模様の情報まであったのかい?

しかも広陵王璽王とかそこから先の時代になって出てきたものだぞ?

当時いくらデータ集めても入手できるはずがない

354:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:30:43.64 gnS++F780
wa は多分古代日本語で「われわれ」みたいな感じの語でしょ。英語の we だよ。
自称に類する語が多民族から呼ばれるときの民族名になることは非常によくある。アイヌ(=人間)なんかもそうだし。

で、古代中国人が日本民族を指すときも wa と呼んだ。
しかし中国語の場合はどういう漢字を当てるかという問題がある。そこで「倭」が当てられたわけだが、
中国人は別に蔑みとかの意味合いはなかったと思ってる。

まず、古代中国人は多民族の呼称に関してはその時々の友好関係で色々変えている。
しかし発音は基本的に一貫している。友好関係が悪いときには変な字を当てたりするが、
別に友好関係が悪くなければそんなことはしない。
(もし中華思想で多民族はさげすむというなら、近現代でもアメリカ=美国なんて字は当ててないはず)

もう1つの論拠は、日本書紀の中で人名・地名などに出てくる日本語の「わ」という音を音写する際、
渡来人が書いたとされるパートでは「倭」の文字をほぼ一貫して当ててる。別に国名とか関係なくてもだ。

つまり、「倭」と「和」は恐らく発音が違っていて、日本語の「わ」に一番近い音が「倭」だった。
ネイティブである中国人にはその発音の違いはクリティカルだけど、日本人には違いが分からなかった。
(今風にいえば、英語のLとRの綴りを日本人がよく間違えるようなもの。ネイティブからすればありえない)

しかし、日本人は「倭」という漢字の意味を嫌って、「和」に換えてもらうように積極的に働きかけたのだろう。

355:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:31:02.83 Ssvfxbbb0
金印は捏造ではないと思うよ
あれが捏造ならやった奴は必ず親魏倭王印も作ったはずだから

356:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:31:32.21 RMEZNrec0
>>7
VMBだろ

357:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:31:48.03 oZOu0iI70
邪馬台国=九州説でもっと盛り上げてほしい。

358:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:31:57.22 G+L1QYMRO
伊都国に邪馬台国の一大率がある時点で九州だろ
これが狗奴国との戦いために居るとしか思えんわな

畿内で邪馬台国と狗奴国が死闘をしてる時に
わざわざ九州に兵站をさくとかあり得んよ
しかも古代で律令制もないのにさ

359:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:32:57.09 2+j0CfvD0
コピペだけど

> 漏れもわざわざ偽者を作る理由はよくわからんが、
> 当時、偽の印を作ることが流行していたのも事実らしい。
> 金印発見のまさにその時に生きていた藤原貞幹は卑弥呼がもらった
> 親魏倭王印の偽物をつくり、その印影を『好古日録』に残している。

360:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:35:17.05 2mkSZ+hR0
>>347
山岸の「青青の時代」なら壱与かと
つか>1にも「壱与」ってあるじゃん

361:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:35:59.56 2+j0CfvD0
更にコピペ

> 広陵王璽
>
> 出土は広陵王に封ぜられた劉荊墓自体ではなく、100mほど離れた土の山から見つかった。
> 発見者は近くの工場のおばさんで、家に持って帰ってしばらく保管していた。
> このような事情により、出土状況から劉荊墓の副葬品であるかどうかは確定できない。
>
> テン王印
>
> 他の印章に比べて作りが粗雑。少なくとも漢の中枢に近い工房で製作されたとは思われない。
>
> 以下、個人的な所感
>
> 実際に、この本による多数の印と比較しても粗雑な印象をあきらかに受けるし、
> 王の字のまん中の横棒はあり得ないくらい上に彫られており、対称性を著しく欠いている。
> おそらくテン王の私鋳印であるか、あるいは、テン国に赴いた使者が現地で作らせたものだろう。
>
> また、掲載された前漢代の印を見るといずれも文字は罫線で囲まれている。
> 中罫線はなくても外周には枠が存在している。それに対して、テン王印は罫線がない。
> これは後漢代の印に一致する特徴。中原の印章に準じて作られたものであるなら、
> 時代は武帝代ではなく、もっと下がる可能性がある。
> 石塞山での出土状況はどうだっただろうか?武帝代で疑りようがないものだっただろうか?
>
> まあ、いずれにしても、この二つの金印を根拠にして漢委奴国王印を真印とする事は出来そうにない。
>
> 他、印について議論されるときに俎上に並ぶ印はことごとく流通品であり、真印である保証がない。
> もろもろの印に関する議論も慎重にしたほうがよさそうだ。

362:冷やしあめ ◆.sszGVuJIY @転載禁止
14/04/10 23:36:30.64 Khu/3deX0
辛坊が学者先生に邪馬台国論争はどれくらいの学者達で
争ってるのか?と聞いたら
10人くらいって言ってたw

363:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:36:51.57 Ssvfxbbb0
金印に関しては発見時の状況が怪しいってのは事実だな
封印された石の中から出てきたとか言ってた割にその場所は特定されていない

364:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:38:56.99 CJH9LAkz0
魏志倭人伝で、邪馬台国までの方角や距離が色々類推されてるが
唯一、古代と現代で解釈がぶれない記述が「水行10日」なんだよね。
「水行」だけは今も昔も不変。とにかく日本上陸したあとに
海だか川だか、「水行10日」したってこと。
九州上陸後に水行10日はあり得ないから、瀬戸内海か日本海を使った、
つまり邪馬台国は畿内ってことになるわな。

365:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:40:14.00 F1rcGeoB0
>>346
薩摩は、句奴国=熊蘇の一部だろう。
この当時から薩摩かどうかも怪しい。
五万戸と書かれた人口があるなら、それなりの遺跡がないとおかしい。
やっぱ投馬国=出雲しかないと思われ。
ならば、倭人伝での間違いは方角なので、邪馬台国=大和だろうと。

366:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:43:38.08 oZOu0iI70
>>364
それって方角を捻じ曲げてるんじゃない?普通九州のずっと下になると思うけど。

367:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:44:01.99 PLvpAZ6C0
>>361
と言うか違う時代違う国で造ったものが

同一規格品になったという方が更に驚くわw

368:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:46:16.89 CJH9LAkz0
>>366
九州のずっと下にそんな国の遺跡がないから方角が間違ってたんだろうね。
とにかく水行だけは、昔の人も、「水と陸地の違い」で間違えることはないから
方角の間違いなんじゃないかな。

369:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:47:43.64 oZOu0iI70
というか魏が呉を挟撃したいという妄想が邪馬台国の位置を捻じ曲げて書き残したという説もあるよね。

370:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:52:01.14 NklVt9V10
>九州上陸後に水行10日はあり得ない

何故?

古代は道の整備が進んでないから、
庶民でないなら船旅の方が普通という気がするが。

371:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:52:51.30 F1rcGeoB0
まあ、今だに九州説が説得力をもつのかは解る。
邪馬台国の記述が記紀にないから。
倭国の大乱の記述もない。
作成者が倭人伝を知らなかったわけではない。卑弥呼の記述があるし。
しかし、記紀では卑弥呼は正統な女王として扱われていない。

372:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:57:07.03 PLvpAZ6C0
>>371
あの記事が挿し込まれたのが何時の時代の話だったんだよって話だな

大和朝廷に邪馬台国だの卑弥呼だのの記憶が残ってた時代じゃあるまいに

373:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/10 23:59:32.84 YjkIdB860
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、

374:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:00:40.63 T3AXhMxVO
70年前の慰安婦の件ですら意見が分かれて
溝が埋まらないのに2000年前の話で決着が付く筈もなし。

375:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:01:59.51 94j7yQxD0
>371
日本書紀は天皇以外に神功皇后に特に一章を割き
そこに倭人伝の卑弥呼の記述を引用するなど
卑弥呼=神功皇后と
印象付けようとした形跡がある。

おまけに日本書紀には
100年ほどずらさないと諸外国の記録と合わない部分がかなり続いていて
それが
神功皇后の章に
倭人伝の卑弥呼の記述を引用するためだったかも知れないのだ。

376:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:03:27.89 y6MO2C4A0
>>364
九州上陸後の水行は九州海岸沿いと解釈するのが自然だと思うが。

377:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:07:07.51 4JpX/7ro0
>>370>>376
陸行1月するような一行だから、船使うってよっぽどの水路だと思うんだよね。
畿内(もしくは出雲)以外だったら九州南部まで行ってしまいそう。
そんな場所に墳墓や出土品あるんだろうか。よく分からないけど。

378:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:12:31.08 1BTjR2VH0
俺は邪馬台国九州説なんだが

もちろん畿内にも別の大きな勢力があって、やがて出雲勢力を吸収し統一する。

魏志倭人伝に書かれていた邪馬台国の行程は倭人に「嘘を教えられた」偽の場所。
完全な友好国ではない大陸の巨大国家の使者がやってきた、その目的は分からない。
相対するのは倭の国の役人。

「あなたの国の首都はどこですか?その行きかたは?」と聞かれ、すなをに教えただろうか。

邪馬台国が外交の権利を分権していたいと国が大きな港を持っていたのは、邪馬台国からすると
一番近くて交通の便が良いのが伊都国だったはず。だから邪馬台国は伊都国の内陸部。
しかし、それを大陸の強国に教えると大群を持って攻められる危険がある。
だから、嘘を教えた。

379:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:16:25.86 ZH9zydtq0
歴史って難しいね
俺は頭悪いからわからん サッカーでも見てる方がいいわ
大津選手頑張ってるかな…

380:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:20:15.01 BFH8mKOh0
陸行、水行の記述は松本清張の清張通史の説を取りたい。

381:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:23:41.43 94j7yQxD0
>377

そこで古田読みですよ

classic.music.coocan.jp/_book/furuta/furuta.htm

382:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:26:37.66 y6NGCBYM0
>>329
倭というのは日本人が自分のことをワレあるいはワと言ってたからだ。これを聞いた中国人あたりが
倭となずけたのである。
青森では今でもワと言う。
民族の名称にはこのようなケースが多い。
アイヌもイヌイットも人とい意味だ。
アーリア民族のアーリアは高貴な人という意味だ。

383:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:27:48.26 YAWG9rgJ0
>>378
子供の遣いじゃ無いんだから
魏から遣わされた使者がそれで納得して国に帰るかな?

384:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:36:50.23 IKywDsJ40
邪馬台国は土蜘蛛のたぐい
倭国は北九州を中心として半島から中国地方までで形成された国家群
旧唐書に曰く、日本は倭国の別種なり
大陸から九州を経由して近畿地方に流れてきた流亡の王族達を中心にできた国が日本なのである
勢力を増した日本は白村江で勢力が衰退した倭国を話し合いで併合する
それを記念して倭国の王を大国主として祀ったのが出雲大社
併合に逆らった九州の小国家は土蜘蛛と呼ばれ討伐の対象となった

って小説どうかな

385:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:36:57.34 kadUlcJ50
>>360
その子の名前が思い出せなかったから聞いた
ありがと

386:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:38:05.12 o4YbF3UT0
>>375
同感。どうも崇神天皇のクーデターを隠す為にあれこれ付け加えた感じだよね。
百襲媛姫が卑弥呼なら、男弟は吉備津彦で
崇神ではないよね。

387:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:39:11.88 rMvCfA5y0
>>336
要するに、倭の奴国のような言い方は日本人しかしない。
倭奴国とは倭国そのものである、ということですかね。
つまり、倭国という大国を魏は畏れていたが虚勢をはってみせた。
而して最高の礼を尽くしたと考えていたので、わが意を得たりです。
いいものを読ませていただいた。それが本来の中国の日本への
接しかたなんだよな。すこし前まではそうだったんだが。

388:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:41:04.97 r9IQwGJY0
>>1
>2012年に盗掘され
天皇陵を国が発掘調査しないとチョンが盗掘し放題だから
さっさと発掘調査するか24時間警備しろよ

389:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:45:35.04 uT8Dga+T0
>>377
大陸からある程度の方向は判っても地図や海図のない時代の話しだからね
正確にピンポイントで直に船で行くなんて無理無理
天候に左右される船旅なんて水先案内人の腕次第でも
それこそ何日かかるかなんて変わるもんだべ

390:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:45:47.21 y6NGCBYM0
奴というのも漢字では卑屈な意味だが
奴は奈良の奈と同じで大地という意味がある。
ラも平らというように状態を表す語である

391:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:46:39.28 a5gGU5Im0
魏の使節は、卑弥呼への下賜品を大量に運ぶ必要もあり水行しかしていないの
ではないか。魏志倭人伝の陸行の部分は紹介だけで実際に行ったわけではない
、と考えるのが合理的と思う。その証拠に、海を始めて渡った時は「始度一海」
とわざわざ書いているのに、始めて陸行した時には何も無いのはおかしい。

392:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:49:32.92 JKZIn9i50
魏志倭人伝なんて興味無いがちょっとググッテ見るか

393:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:55:32.75 W8r6JwWb0
>>371

倭国大乱はスサノオとアマテラスの確執でしょ。アマテラスが怒って天の岩戸に隠れたという。

394:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:57:34.36 2tzeKgNPO
倭人伝の文献論争なんて百年近くやっても結論が出ない
新たな物証で議論しないと解決しないだろ

395:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 00:57:52.06 GAdUGwRf0
卑弥呼は斎宮のことでしょ。

古代には嫁入りがなくて、
共同体の祭祀を女性が行ってたのが、

出雲の影響で、
大和でも嫁入りが行われるようになって、
男系の皇族が成立、

祭祀も男系で継承しようとしたら、
古来の風習を変えることに反対意見があって、
困って神宮を伊勢に移転、

皇族の女性が、
伊勢まで行って斎宮を務める伝統が続いた、
って流れだと思うよ。

だから古事記の冒頭、
国産みに際してイザナギとイザナミが、
柱を巡りなおして声をかける順番も入れ替わる。

396:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:02:09.48 z0wfF6iC0
大河ドラマ
卑弥呼役 卑弥呼
台与役 桜樹ルイ

397:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:04:36.06 kSVDiSdE0
>>394
ま、そういうことだよね
宮内庁が発掘させない限り、真実は明かされないわkだが、
宮内庁は、真実が明らかになると困ることがあるんじゃないかな?

398:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:11:17.00 BFH8mKOh0
>>396
戦国、明治維新ならいざ知らず、あの時代は単調過ぎて数字稼げないだろ?
東北のアテルイのドラマですらコケたからな。

399:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:11:47.93 cp8hzZLo0
巻向の箸墓では吉備で使われた特殊器台や円筒埴輪が多いがそれらや
楯築墳丘墓の弧帯文などは大蛇に近い文様で、邪馬台国の王族が同じ
蛇信仰を持つ吉備族と提携する形で邪馬台国の政り事を行っていた。

古代中華の太陽のカラス信仰を持っていた皇室の先祖はその中に組み込まれる形で
日本列島に住みついたが、鳥信仰のために巻向や箸墓の神と相性が合わず
すぐに追い出されて転々とし、伊勢に落ち着いた。

皇室の祖先と卑弥呼の一族は無関係である可能性が高い。
だから邪馬台国も卑弥呼も『記紀』に記すことができなかった。

400:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:12:31.73 YAWG9rgJ0
>>396
台与役は清純派でお願いします

401:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:12:34.18 GAdUGwRf0
男系化したのに祭祀は女性、
ってのは何が困るかったら、

嫁入りが無かった頃はともかく、
嫁いで余所に行ってしまうようになると、
祭祀を継続できなくなる。

つまり嫁にいけなくなっちゃうんだわ。
昔はね。

402:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:16:03.91 o4YbF3UT0
>>395
崇神の頃は大物主が主力で、
天照は地方をさまよっていた。もちろん台与と言われる豊鍬入姫命が祀っていたわけだけど。
天照が主力となり伊勢に祀られるのは
100年後の天武のときから。

403:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:18:35.75 GAdUGwRf0
伊勢神宮が今の場所になる前は、
転々としてたんだってね。

404:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:20:45.70 2tzeKgNPO
>>397
英国リチャード三世みたくDNA鑑定やって欲しいわ
素人のオレにだって古墳の中に偉いどなたかが眠ってるってことくらいは分かっているが歴史の真相究明のため皇室にはいずれ決断して戴きたい
もし万系一世が証明されたなら、皇室はそれこそ世界遺産クラスなんだと思うし、そうでなくたって戦後日本の皇室制度は日本の誇るべき宝であることは間違いないと思うよ

405:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:20:48.88 bYHxWZ2BO
壱与=伊予


伊代はまだ16だから~

センチメンタルジャニーは正しかった

406:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:21:37.83 JKZIn9i50
なんとなくググッテ読んでみたけど、畿内だな。
南を東にすれば簡単じゃん。
そもそもシナの地図には関東地方が一番南になってる地図があったりする。

こんなもんだ。

407:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:22:24.01 BFH8mKOh0
皇族の血統はとりあえず大化の改新あたりで一度切れてるんじゃないの?
蘇我氏が皇族だったって説もあるし。

408:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:22:31.58 mpYzcAj80
>>182
日本にヒノモトとルビを打つようなものじゃないか?

もともとヤマトあるいは、ヤマトに類した言葉があり、
日本人もしくは、その一部族の自称もしくは本拠地だった
一方、中国の方では、日本(東北地方除く)と朝鮮半島南部を合わせて倭と考えていた
その倭がどうも蔑称らしいということで、日本側として和と書くようになり、
中国式に大和を国号として称するようになった

中国式が正式という考えがあったので、大和とは書くが、
よみはもともとの日本語に従って、ヤマトと呼んだ
こんなところだろ

409:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:24:46.31 0TYAWnbG0
卑弥呼近畿説なんて未だに言ってる学者なんて
引くに引けなくなった可哀想な京大閥だけだろ
本気で言ってるなら知力に難があるわwww

410:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:26:51.75 bYHxWZ2BO
普通に山戸(ヤマト)だろう

411:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:26:53.55 2tzeKgNPO
ついでながら、日本の誇るオカルト論文誌月刊ムーはマクモニーグルゆう超能力者に邪馬台国の在処と卑弥呼を透視させてたな
マクモニーグルとマキムクの音が似てるのはただの偶然

412:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:31:07.13 an7h6EkL0
トヨなのかイヨなのかはっきり

413:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:31:43.26 GAdUGwRf0
ヤマトは、イズモと同じで地域名称、
ワは私達を意味する日本語話者の自称で、

もともと全体としての国号が無かったのが、
日の本の国を称するようになったんでしょう。

ワに当てられた倭の意味を敬遠して、
和に置き換え、大をつければ大和だわな。

414:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:31:51.08 JKZIn9i50
>>403
元々、伊勢神宮の地は、ニニギが日向に下向する天孫降臨の時に、道案内をした猿田彦の住居だから。
で、猿田彦の子孫を太田命と言って、この人が倭姫命に伊勢神宮の土地を与えてあげた。
そして、その太田命の子孫は神(みわ)姓を称している。
そう、三輪神社の太田田根子のこと。
世間ではあまり知られてないが、太田命(猿田彦の子孫)=太田田根子(大物主の子孫)だから、猿田彦=大物主となる。

415:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:32:28.47 8icHdpNw0
URLリンク(jump.2ch.net)

416:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:32:29.29 cp8hzZLo0
>出雲の影響で、
>大和でも嫁入りが行われるようになって


古代の日本は出雲も含めて母系社会。
筑紫の方は一部父系の感もなくはないが。
そして女王レベルの祭祀担当の女性はみなが神妻。
嫁げない。


豊は美称。
天照の名称も玉木の宮に北接するオサダの天照信仰から取ったか
北九州の天照彦信仰か旧事本紀にある人気の天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊
から取ったもの。
鏡作神社もそうなっている。オサダと同じ。

417:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:35:22.14 MzSGiUht0
>>409
逆だから

418:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:40:26.92 GAdUGwRf0
日本における嫁入り、
つまり男系の神話的起源は、

オオクニヌシがスサノオのとこから、
駆け落ちした件でしょう。

だからわざわざ古事記に書かれてるわけで、
その後で国譲り、そして天孫降臨となる。

嫁入りで成立した皇族の男系始祖の起源神話で、
高貴な人は旅をしてきた、天照大御神に命により、
という構成になってる。

419:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:45:38.03 bYHxWZ2BO
スサノオとオオクニヌシの関係って逆な気がするよなぁ

420:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:46:59.78 s5zfbf6x0
大発見だね歴史が変わる

URLリンク(a-draw.com)

421:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:48:26.20 cp8hzZLo0
>>414
その線もあるが、大値根子で古代の「値」役職の長の意味にも取れないことはない。
ただ残念ながら美努邑付近には猿田彦信仰も佐田彦信仰も見られない。

大物主や高尾張族の祖神と結び付けたかった不比等の入れ込みかもしれない。
逢坂の鹿島の元地の経緯を考えるとそう思えてしまう。

422:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 01:54:45.57 OrliEiAbO
>>420
後ろ密かにいるな

423:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 02:09:27.96 GAdUGwRf0
嫁入りという概念がない時代には、
女性は生まれた共同体で子供を生むんで、
生まれてきた子供も女性の共同体に入る。

つまり必然的に母系部族社会になるわけで、
そもそも母系とか男系という意識もない。

通い婚から婿入りを経て、
女性が男性側の共同体に移籍するようになると、
生まれた子供も男性側の共同体に属すので、
そこで初めて男系という概念が生じる。

母系部族社会から男系氏族社会への移行ね。

多くの場合、駆け落ちも含めて、
いわゆる略奪婚が嫁入りの原型で、
共同体間の交渉は、やがて様式化されるようになる。

男性側の共同体が、
女性側の共同体に対して行う賠償が結納になり、

共同体の移籍に伴って、
女性が持って行く財産が持参金となる。

424:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 02:28:53.61 8icHdpNw0
URLリンク(jump.2ch.net)

425:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 03:57:33.13 56S/VAq90
卑弥呼って名前の文字の意味考えたらなんか違うような感じ
見下された感じの巫女みたいなの?
卑弥呼はマリア?大国主がキリスト?
サルタヒコの天狗顔はキリストか?

426:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 04:45:18.98 te4CAnur0
大和朝廷はそれ以前の百余国に分かれていたとする豪族集落国家を
統合して、各国から代表が畿内にある朝廷に参加させたわけで
一豪族国家だった邪馬台国とは別物と考えるほうが自然
幾つにも分かれていた部族集落が地形の理に沿って統合されていった。
九州と一部の南朝鮮海南部あたりの勢力が任那を作り上げた時期あたりには
出雲勢力、四国畿内勢力、北陸、東北と独自の勢力ができていたはず
これが朝鮮半島および中国モンゴルあたりの勢力分布抗争の影響を受けて
国内統一政権へと加速させた。
当時の白村江の戦いの動機とか見ると国防意識のほうが強く
いかに大陸国家の侵略を驚異にと感じていたかわかる。
統合にあたっては国内における大規模な戦いはなく小競り合い程度で
協議による連合国家として発達したと推測したほうがいい
大和朝廷の各地方職の権限など考慮すればそのほうが自然
藤原一族によって官僚体制が牛耳られても
結局豪族に連なる勢力によって武家による封建国家につながるわけだから

427:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 04:55:30.51 9gM0Uy3k0
>>399
提携というより、吉備の王権が奈良に東遷したと考えたほうがよいな。

428:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 05:37:04.65 iGOOvEZk0
>>425
実名敬避俗の風習があるから。
漢字には呪力があると信じられその対象の本質を指し示す実名は避けられた。
実名を使うのは相手を霊的に支配する呪術の意思と見なされ無礼な行為
逆に一見して蔑称にみえる仮の名の漢字を使うと言うことは
本質は全く別の所にあると言うことで、実は尊称。

429:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 06:22:19.42 cH6udMCjO
>>411
確か本が出てたよな?
似顔絵が若い頃の薬師丸ひろ子みたいで
おぉ、これは良いな
と思ったのを覚えてる。
確か場所は九州でも畿内でもなくて
出雲のあたりとか言ってなかった?

430:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 06:56:26.02 o4YbF3UT0
>>429
確か広島と奈良を行ったり来たりしてるとか言ってたような…

431:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 07:48:01.12 frZs9pC00
>>425,428
卑弥呼っていう文字を割り当てたのは中国(魏)なんですが…
魏志倭人伝にもあるように邪馬台国は魏の冊封国に入っていた東夷国

432:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 08:17:11.77 D9o4+n020
>>182
>大和と書いてやまと
「倭」=「委」=「和」=「邪馬臺」
広東語で「臺」はトーィと発音する。
↓広東語の「臺」の発音↓
URLリンク(humanum.arts.cuhk.edu.hk)

日本語のヤマトを中国語で表わそうとすると
中国語には口を大きく開いた単母音オ[ɔ]が有るが
日本語のオ[o]は口の開き方が小さくて音色が違うので
より近い広東語の「臺」のトーィのような二重母音の音色で代用したのだろう。

>>375
大和政権は有名ブランド「倭」「邪馬臺国」の後継を自任あるいは盗用したんじゃないか
だから「倭」=「和」で訓読みを「邪馬臺ヤマト」にしたから「大和」もヤマトと読む。

433:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 08:18:46.36 uW2zEQhp0
台与=タイヨ=太陽

434:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 08:48:09.33 scsGC+2W0
盗掘したやつは宝が欲しかったんじゃなくてなにか別の目的があるのでほ

435:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 08:51:42.75 cH6udMCjO
インディジョーンズのように
普通の学者が知らないような何らかの仮説を元に
埋まっていた筈のお宝を手に入れたとか?

436:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 08:59:38.37 lr01w/3d0
九州のは元祖邪馬台国、畿内のは本家邪馬台国

437:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 09:55:42.30 w1EyNwuM0
古代大和は女性中心だったんだよね
そして古代大和の時代は貧民でも二人の妻を持てるくらい経済的余裕があったそうだ


それを藤原がクーデーターして
政権とってから全国的な税制度で庶民からも税を徴収
現在の天皇家のような血統が違う連中でのっとって国民全部を荘園制度でギューギューにした

藤原と今の天皇家は
どこの犬の骨ともしれん連中で古代大和の
卑弥呼の血統とは縁もゆかりもない
仏教伝来の時に一緒にやってきた連中

438:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 10:04:48.61 gX6MRbXg0
古来から一貫して人命を軽視する東アジアの歴史などどうでもいいよw

439:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 10:16:58.65 w1EyNwuM0
それを言うなら現代の方が人命軽視だろ?
1900年までの歴史よりも
この100年行われた戦争の方がはるかに死者も多かったぞ

440:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 10:27:51.92 GAdUGwRf0
皇族には男系氏族名が無いから、
少なくとも男系氏族として渡来したのではないでしょ。
嫁入りで男系氏族が成立したと考えるほうが妥当だよ。

女性が共同体の祭祀を務める風習は、
皇族の女性が斎宮を務める伝統に残ったんでしょ。

沖縄の一部では今でも、
共同体の祭祀を女性が務める伝統が残ってる。

441:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 10:31:35.36 kqmgNCLDO
おーいはに丸 DVD-BOXのステマ

442:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 10:38:25.32 0R/EBNPG0
邪馬台国は東北(八幡平)だ。
常識で考えろ、バカw

443:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 10:55:40.91 nnLHqpoR0
男系ニニギ命

女系コノハナサクヤ姫

政略結婚で成立した共同統治が出発点だから

渡来の男系文化と
土着の女系文化と

混合されてる。

444:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 11:16:10.43 4zd6a6p60
>>442
その常識とは以下のうちのどれだ?
1.三国志(魏書・呉書・蜀書)などの支那の史書を読み、史料批判し、三世紀前後における東アジアの状況を理解している大学教員もしくは大学院生レベルの常識
2.魏書の倭人の文だけを読み、史料批判もせずにその中だけで読み解こうとする三流大学生レベルの常識
3.倭人の文すら理解できずに、己の貧困な知識を総動員して適当に答える低偏差値高校生レベルの常識

3か?w

445:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 12:00:36.16 D+nUqMYS0
>>1
>  2012年に盗掘され宮内庁書陵部が調べていた。ほとんどが陵墓として立ち入りを制限されている大王墓の構造を考える貴重な手掛かりになりそうだ。
盗掘される前に調査しろよ。アホか。

446:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 12:12:50.10 iGOOvEZk0
>>431
>卑弥呼っていう文字を割り当てたのは中国(魏)なんですが…
>魏志倭人伝にもあるように邪馬台国は魏の冊封国に入っていた東夷国

そう、だから尊称としてその漢字を当てた
また冊封国は他だの通商条約で主従関係ではない
中華思想は明の時代に西洋人に見せられた世界地図に衝撃をうけた明人が
自分の心守る為に「真ん中に位置する国が偉いんだ」との思想生み出した
歴史的には浅い代物。

447:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 12:13:16.54 gudbVbN60
日本古代史をを言葉遊び、文字遊びに堕して、
日本の国家像を矮小化する傾向は遺憾である。
はっきり言って、邪馬台国、卑弥呼論争は下らん。

448:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 12:20:06.73 go6ljTyW0
>>442
デスヨネー

まあネタ抜きでも一戸とか八戸とかの縄文出土品は明らかに水準を超えてるからな
あのあたりに何らかの有力勢力がいた可能性は高い

449:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 12:23:02.65 aNseY3zF0
>>442
鯨井統一郎先生おっすおっす

450:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 12:41:27.71 n6JMY9+m0
倭人伝の記述が信用できるとするならば
確かに邪馬台国は八幡平かもしれん

倭人伝の記述は信用できないとするならば
邪馬台国の存在自体を疑うべき

古墳のあるところには権力者が居て国があったが
その権力者は誰も卑弥呼や台与ではないし
その国はどれも邪馬台国ではない

451:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 15:16:58.76 nnLHqpoR0
列島では、
卑弥呼の墓が最初の古墳。

古墳時代とは卑弥呼以降を言う。

これ常識。

452:名無しさん@13周年@転載禁止
14/04/11 15:52:21.27 uBtPrTJn0
まぁ前方後円墳勢力が九州から関東、東北の一部にまで勢力を広げたのは遺跡や史書からわかってる
これが記紀にある皇室の勢力であることもだいたい記述と一致してる

ただこの前方後円墳勢力と邪馬台国と関係があるかどうかは依然として不明だな
邪馬台国と言う存在を前方後円墳勢力と結びつける決定的証拠は何もない
というか邪馬台国自体が正体不明

誠実な歴史批評をするのなら「わかりません」というしかない


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