14/04/09 11:49:26.44 mrpzqrab0
>>51はどうしても強制連行にしたいらしいなあ。
(前略)旧満州あいぐん県の部隊(第六国境守備隊)が、200名の慰安婦を募集した。
慰安婦は、慶尚南道、慶尚北道で募集したが、募集をはじめると直ちに、200名の応募があった。
条件が特によかったためである。条件の要点は、衣食住を軍が一切保証し、
慰安婦の資格は軍属の下士官待遇(兵隊より上である)とし、給料もそれに準じて支給する。
軍は、生活上のことについては全く干渉しない、といったものである。貧しさのために、
身を売って働くというのはつらいことだが、200名の慰安婦嬢は、40分1円50銭の約束で
兵隊に接し、稼ぎはそのまま彼女たちの収入となった。募集条件には、前借も認めるとしたので、
前借金を、1、2年で返せた人も多かった。
この200名の慰安婦たちは、満州第十八部隊という呼称がつき、松、竹、梅とわけられた
3棟の兵舎に分散し、仲間同士の組織で生活した。任務(?)を終えて帰国した者もいるし、
なじんだ兵隊の除隊を待って結婚した者もいる。ただ、ソ連軍の侵入によって、痛ましい目に
遭った人も、当然いる。これは気の毒なことである。同情してあげたい。
日本の軍隊には、基本的に、性の問題にかかわる女性たちを、だいじに扱う、という考え方が
あった。女性を強制連行して、奴隷の如く働かせた、ということなど、あり得るはずはない。
もし日本軍が、女性たちを強制連行したとすれば、当時の慰安婦諸嬢は、何千何万の署名を集め、
自身の経歴、働かされた年月、任地、接した部隊名を明記して、抗議行動を起こしたろう。
つまり、慰安婦の仕事は、彼女たちにとっては、やむを得ぬ職業だったのである。ただ、運不運は
あったと思う。その点、満州第十八部隊で働いた人たちは、辛いながらも張り合いはあったろう。
満州第十八部隊は、慰安婦の人格をまず認めていた。この部隊を創設した第六国境守備隊長は、
菱田元四郎大佐である。この人は、人間すべてを平等にみたし、秀れた識見を持っていた。
(伊藤桂一「オール讀物」1996年12月号)