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>>356
官斡旋は、男子の労務者調達の場合だと方式が確立していた。すなわち予定数をこなすための割当は、
総督府-道知事-(郡〉-面
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--警察署ーー駐在所
のルートで下降し、最末端で内地の村長に当る面長が駐在所の巡査と協議して指名するようになっていた。
指名に当っては、貧富の程度を含めた個々の家庭事情が考慮されたが、面内での力関係が影響したであろう。
しかし、『面長の全員、駐在所巡査の大多数は朝鮮人だった』から、
○2013年06月13日(木)「歴史学の第一人者と考える『慰安婦問題』」(対局モード) - 荻上チキ・Session-22
秦 当時日本人なんですよ、朝鮮人はね。だいたいね??
吉見 いや??
秦 朝鮮に住んでた日本人でねぇ、朝鮮語で朝鮮人を騙せるほどねぇ、朝鮮語上手い人は、ほとんど1人もいなかったと思います、えぇ。
当時、日本人で朝鮮語を話せる人は「ほとんどいなかった」。
当時の朝鮮人は日本人であり「朝鮮人が朝鮮人の官斡旋を行っていた」
URLリンク(ja.wikipedia.org)
朝鮮総督府においても、1921年から1945年の日本統治終了に至るまで、
朝鮮語能力検定に合格した職員を昇進や給与において有利に処遇していた[47]ことから、
朝鮮語の抹殺が企図されていた形跡はなく、
1943年当時に至っても日本語を解する朝鮮人は1,000人当たり221,5人に過ぎないとする資料もあり(「朝鮮事情」1940-1944年版)、
8割の朝鮮人は日本語を話すことが出来ず、朝鮮語を奪おうとしたは有り得ないことであった[48]。