14/04/06 00:02:55.83 pcDR4ryi0
>>9
開封のユダヤ人コミュニティーは遅くとも宋代(960年-1279年)には成立し、19世紀末まで存続していた。
開封のユダヤ人の先祖は中央アジアから渡ってきたと推測されている。
また、1163年にウスタド・レイウェイ(Ustad Leiwei = ウスタドはペルシア語でラビのこと)という人が宗教指導者に任ぜられ、学習堂や儀式用の浴槽、
コミュニティー共同の厨房、コシェル肉供給のための屠殺場、仮庵の祭り用の天幕などを併設したシナゴーグが建設されたという報告もある[1] 。
儒教の道徳、倫理の原理が支配的な環境にあって、このような独自の宗教的、民族的な集団が700年以上に亘って中断なく存在していたことは、
中国史およびユダヤ史上にもまれな現象である。
明代(1368年-1644年)には、ユダヤ人は皇帝から
艾、石、高、金、李、張、趙
の7つの姓を授けられ、これらは今日でも見識することが出来る。
これらの姓は本来のユダヤ人の氏族の姓 Ezra, Shimon, Cohen, Gilbert, Levy, Joshua, Jonathan をそれぞれ中国風にしたものであるという[2]。
面白いことに、これらの姓の内の2つ石と金は、西欧のユダヤ人の姓に多く見られる Stone (Stein) やGold と一致している[3][4]。
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