14/03/22 13:13:07.28 3DT39g4o0
>>555
■群馬の高崎連隊によるミャンマー・カラゴン村虐殺(ネトウヨ本には出てこない日本史)
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1945年7月上旬、群馬県高崎の連隊歩兵第 215連隊第3大隊による、タイ国境近くのビルマ東南部モールメン地方のインド人部落
カラゴン村殲滅作戦が強行された。その結果、少なくとも女、子供を含む 600 人以上の住民が虐殺され、
約 10人の若い女性住民が拉致され、その後村が焼き払われた
○被告1 少佐 イチカワ セイギ (市川 清義・大隊長)
「子供は世話をする人がいなくなれば孤児として後に残されるので、それを避けるために殺す必要があった。」
○カラゴン村長 Mohd Usoofの証言
Q 日本兵は村人をどこに集めたのですか。
A 男はモスク、女は近くの聖職者の施設(zayato)に集められるのを見ました。
Q 集められた村人は、何人でしたか。
A 600 人以上。
Q 集められた村人は、日本兵にどのような扱いを受けましたか。
A 両手を背中で縛り、長いロープで一人ずつ繋ぎ、10~15人ずつの固まりとなって、ちょっと
離れた井戸まで連れて行かれるのを見ました。それから悲鳴を聞いたのです。
Q 彼らが井戸に着いて、そこで何が起こったか見ましたか。
A 引きずられ、目隠しされ銃剣で突き刺され、井戸に投げ込まれるのを見ました。
Q 銃剣で刺すのはどのくらい続きましたか。
A 3時から6時半までです。暗くなった後、子供や女が悲鳴を上げるのを聞きました。
Q あなたが12日にカラゴンへ戻った時の村は、どのような状態だったのですか。
A 家はすべて焼け落ち、井戸は死体だらけでした。
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