14/03/19 15:19:30.17 W0yjqgs/0
>>395
■日本の官憲が朝鮮人女性誘拐に関与
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○戦中に中国・東南アジア地域の米軍で発行されていた「ラウンドアップ」という新聞の1944年11月30日付記事より
1942年の4月初め、日本の官憲が朝鮮の平壌近くの村に来た。彼らは、ポスターを貼ったり大会を開くなどして、
シンガポールの後方基地勤務で基地内の世話をしたり病院の手伝いをする挺身隊(原文では、"WAC" organizations )の募集を始めた。
4人はどうしてもお金が必要だったのでそれに応じたという。ある女の子は、父親が農民で、ひざを怪我してしまったので、
応募の際に貰った1,500円(米ドルで12ドル:原文)で、治療代を工面したという。そのような形で集められた18人の女の子の集団は、
同年6月にいよいよ朝鮮から南へと出港することとなった。道すがら彼女たちは、日本の大勝利と南方で新しく生まれようとしている
共栄圏についての話をたくさん聞かされた。しかし、船が約束のシンガポールに立ち寄っただけで、そのまま通過してしまってからは
心配な気持ちが広がり始めた。ビルマのラングーンから北へと向かう列車に積み込まれたときには、もはや逃れられないと運命を悟ったという。
URLリンク(www16.atwiki.jp)
官憲と訳している箇所は原文では「Japanese political officers」
URLリンク(home.comcast.net)
この記事は・・・筆者と秦郁彦日本大学教授が閲覧している最中に、同教授が発見されたものである。
また、ワシントンの資料館で長期間独自に資料調査を進めていらっしゃる方善柱杏林大学教授も、既にこの資料を発見しておられ、
当地で面会した際にこの資料の存在について御教授頂いた。関係の方々、特に粘り強く資料閲覧を続けられ、快く資料の提供に応じて下さった秦教授には改めて感謝申し上げたい。
URLリンク(www16.atwiki.jp)