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★中国で沸騰、「なぜ日清戦争に負けたのか?」
120年前を起点に語られる民族復興のストーリー
西村 豪太 :週刊東洋経済記者 2014年07月26日
120年前の7月25日、日清両国の海軍が仁川の沖合で激突した。いわゆる豊島沖海戦である。これによって日清戦争
(中国では”甲午戦争”)の火蓋が切られた。両国が正式に宣戦を布告したのは8月1日だが、中国では7月25日が
日清戦争が始まった日として認識されている。そのため、25日には中国の主要メディアがこぞって日清戦争敗北の
意味を振り返る特集記事や論説を掲げた。
◆「中華民族の偉大な復興」という目標
日本ではほとんど知られていないが、中国では今年に入ってから、さまざまなメディアが「甲午戦争」を振り返る
キャンペーンを張ってきた。
習近平国家主席も、「甲午」の意味合いを強調している。6月9日には中国科学界の重鎮を集めた演説で
「今年は甲午の年だ。このことは中国人民と中華民族にとって特別な意味を持つ。我が国近代史上においても特別な
意味がある。……そしていま、われわれは中華民族の偉大な復興という目標にかつてなく近づいている」と述べた。
ここでの主要なメッセージはイノベーションの重要性を訴えることにあるのだが、そのインパクトを増すために
「甲午」が使われているのだ。
「中華民族の偉大な復興」は習政権のキーワードだが、その原点には「甲午」の敗北があった。中国人にとって
清朝崩壊のきっかけとなった「甲午戦争」は決定的に重要なのだ。それだけに、メディアで取り上げられるさいにも
屈辱の歴史を振り返り、国民に気合いを入れるような論調が多い。
そのなかで出色なのが、国営通信社・新華社による劉亜洲・空軍上将(上将は将官の最高位)へのインタビューだ。
国防大学の政治委員である劉将軍は、対外強硬派としての派手な言論活動で知られる。戦略論から小説の執筆まで
こなす異色の軍人だ。
夫人は李先念・元国家主席の娘である李小林氏で、劉将軍はいわゆる「太子党」(共産党幹部の子弟グループ)
の人脈に連なる。中国人民対外友好協会の会長を務める李氏は習主席の幼馴染みとされ、政権中枢に直結する
キーパーソンとして日本政府もマークしている。そうした背景を持つ人物の日本観は、習主席を取り巻く人々の
発想を探る上で興味深い。 >>2へ続く
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1895年、日清戦争の勝利を記念し東京・日比谷に造られた凱旋門(提供:MeijiShowa.com/アフロ)
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