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格差問題の是正を主張する人たちは、高齢者が家族を養えるだけの
豊かな生活水準を要求する一方で、我々若者向けには、せいぜい行政による
職業訓練ぐらいしか要求しない。
弱者であるはずなのに、彼らが目標とする救済レベルには大きな格差が存在するように思える。
どうしてこのような不平等が許容されるのか。
それはワーキングプアの論理が「平和な社会の実現」に根ざす考え方だからだと、私は考える。
平和な安定した社会を達成するためには、その人の生活レベルを維持することが最大目的となる。
だから同じ弱者であっても、これまでにより多く消費してきた高齢者には、
豊かな生活を保障し、少ない消費しかしてこなかった若者は貧困でも構わない
という考え方に至ってしまうのではないか。
不況直後、「ワークシェアリング」などという言葉はあったが、
いまだにそれが達成される兆しがないのは、誰も仕事を若者に譲らないし、
譲らせようともしないからだ。若者に仕事を譲ろうとすれば、
誰かの生活レベルを下げなければならないのだが、それは非常な困難を伴う。
持ち家で仲良く暮らしている家族に、「家を売ってください。離婚してください」
とは言えないだろう。一方で最初からシングルでアパート暮らしの若者に、
結婚して家を買えるだけの賃金を与えないことは非常に簡単だし、
良心もさほど痛まない。だから社会は、それを許容する。