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2010年に大和・小島・常田が小保方を理研・若山研究室にねじ込もうとした時の写真だ。
URLリンク(i.imgur.com)
クロノロジーによれば、この写真を撮ったあと2011年に急遽D論は完成、2011年03月に小保方は若山の推薦で
理研CDB入りを果たしている。
また2012年12月に笹井は竹市の依頼で小保方の論文執筆アドバイザーになっている。
2013年03月 小保方氏、「細胞リプログラミング研究ユニット」のリーダーに抜擢された。5年契約
>>426
小保方UL抜てき時の様子が理研報告書案で明らかになった。極めて強引に採用された様子が手に取るようにわかる。
従来は竹市センター長の説明で、「プレゼンが素晴らしかったから採用した。」とされていた。
以上の事実から小保方が理研と初めて関わった時、笹井が論文執筆アドバイザーに加わった時、
小保方UL抜てき時のそれぞれに加わった外部の力はその背景にあった勢力が少しずつ変化していることを表している。
日経6月5日夕刊の記事には「笹井氏の責任指摘、STAP論文『秘密保持を優先』」という見出しがあったが、
小保方が理研に関わりを持つになった当初から笹井が強力に関与していたわけではないだろう。
外部の力をはっきりさせるためには更なる検討が必要だ。小保方・笹井だけで到底終わる問題ではない。