14/04/03 12:04:50.69
>>604
だから笹井や庭の責任が大きいだろう。
抱え込んで他の研究者は何をやってるか分からなかったんだから。
13年3月に研究ユニットリーダーとして採用されても、研究所内の定例セミナーで、
発表することはなかった。セミナーは、論文発表前に研究の矛盾点や課題を指摘し合う
重要な場であり、若手研究者にとって避けて通れない鍛錬の場だ。
ある理研研究者は「セミナーに一度も出ないのは極めて異例。(競争の激しい)
幹細胞分野で隠したい側面があったかもしれないが、結果として不幸なことになってしまった」と話す。
11年に博士号をとったばかりでリーダーとなった小保方氏の助言者に、笹井芳樹・副センター長と
丹羽仁史プロジェクトリーダーというベテラン研究者がついたことが、秘密主義を加速させたとみられる。
あるCDB研究者は「秘密主義は笹井先生の方針だった」と指摘する。「極秘にするのが笹井先生のやり方。
共同研究者にすら自分のデータを渡さない。その悪い面が出てしまった」。
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