14/03/22 01:18:50.58
D論についての現実:
指摘されている内容は、初歩的な定型手順の箇所であった、その分野の者には公知のものであり、
論文本体には関係の無い内容であるから、瑣末な言い掛かりに過ぎない。厳密数理系でも同じ事だ。
知られている公知の事実に関しては、同じ文章で構わぬ。その文章を変えるということこそ、原著者
には失礼というものだ。それが作法なのだ。リファレンス・リストに挙げておくのは礼儀だが、公知で
あるから、読む者には分かる。それが無いからといって攻撃される謂れは無い。そういうものだ。
NIHの文章も同様だ。内容は素人向けの極めて初等的なものであり且つ公知のもので、論文の読み
手への入門記述に過ぎず、小保方氏の主張の本体とは何の関連も無い。誰が書いても同じような
内容となる。そんなイントロ文章に誰しも時間を割きたくないから、後回しにし、論文の締め切り間際
にかきはじめるが、面倒なのでNIHから拝借してというのが真相であろう。勿論、この場合には、リフ
ァレンス・リストに加えておいた方がよかったが、意外にウッカリするものだ。身に覚えのあるヤツは
山ほどもいる筈だ。騒ぐ事でもない。重要なのは、新しいコンセプトの中身だ。体裁の出来不出来は
関係ない。興味があるのは新規性だ。瑣末な言い掛かりでその新規性自体が消えることは無い。
劇場型バッシングは瑣末な事柄を大仰に「20ページにもわたって」などとあげつらうのが特徴だ。
「博士号を取り消せ」と唱えるアホバカがいるが、全くのナンセンスである。
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