12/09/03 17:06:58.04 EosSA+8q
>>359
全然難解じゃないっしょ。
1が最初に劇場公開された際にはカットされ、DC版で復活した「何故あんないい娘に」
「我々を絶望させる為だ」という台詞、つまり悪魔が何故リーガンに憑り依いたのか?
という疑問への解答として(またヒット作の柳の下のドジョウ狙いの映画会社の都合で)
製作されたのが2。
2で成長したリーガンは、かつての後遺症か、時々夢遊病のような症状が出る為に
精神科に通っているが、そこである男の子と会話をする。「お姉さんはどこが悪いの?」
「あたしは悪魔の虜なの、坊やは?」「僕は自閉症で人と話が出来ないんだ」「嘘よ、
あたしと話しているじゃない?」といったようなやりとりがあり、それを見ていた少年の
母親は自分の息子が話す姿を見て感激のあまり嗚咽する。
つまりリーガン本人は、自覚していないものの、苦しみを抱えた人々と接する事で相手を
治癒させる特殊な能力を持った人物であり、人間社会に寄与するそうした人々を滅ぼ
していくのが悪魔の目的だというのが2の主題。
これは冒頭、どこかの国の僻村で村の人々を病気などから救っているまじない師の女性
が悪魔に憑り依かれ、ラモント神父が悪魔祓いに挑むが、女性は自ら炎に包まれ「何故
私が?人々を救っているのに!」みたいな言葉を発しながら焼死してしまうシークエンスや、
メリン神父が若い頃、飢餓に苦しむアフリカの農村で、作物を襲うイナゴの群れを追い払う
特殊な能力を持った少年コクモに憑り依いた悪魔を祓った過去などからも分かる。
ただブアマンもフリードキンとはまた違った特異な資質を持っている映画作家で、空飛ぶ
イナゴの視点での視覚効果や、リーガンやラモントの見る幻覚などの細部の方にリキが
入っているので、物語性を重視する人達には受けが悪いのだろうと思われる。