12/06/16 04:04:45.58 kqg8zTDA
>>173
>あくまでホラー映画として終わらせようという強引な結末に見えてしまう。
そのとおり、これはあくまで「少女に取り憑いた悪魔と、それを祓う神父」を描いたオカルト、
ホラー映画だろう。
だが、それが何を意味するのか。
酒場でカラス神父は言う。
「精神医学では信仰の悩みは解決しない」
冷たく大仰な検査機器を使い、現代医学が下した「抑鬱への過剰反応」「神経の異常」
「脳の障害」といった診断は何の役にも立たない。
思春期にさしかかったリーガンが抱えてしまった心の闇、そこに悪魔は入り込んだ。
監督を殺したのは悪魔の仕業ではあるが、リーガンの心理が無関係とはいえない。
遠因である筈の母親は信仰を持たず、おかしくなった娘を受け入れられない。
「顔も声も同じでも、わたしの娘じゃありません!」
劇中でかなり核心に迫ったように見える警部には意味深な台詞が多く、母親とお茶を
飲みながら開いた窓を指差しこんなことを言う。
「すきま風にご用心。ことに秋はすきま風がバクテリアを運びます」
母親から悪魔祓いを頼まれたカラスは「もう悪魔はいない。精神医学が発達してから」
と断ろうとするが、果たしてそうか。
リーガンのミドルネーム=洗礼名を聞き祓いの場に臨むメリン神父に対し、一抹の疑問を
持ったままのカラスに悪魔は忍び寄る。
老母の幻影を見せ、「おふくろを殺したのはお前だ!」
この映画は暗示、象徴といったシーンが非常に多い。
悪魔の像と対であるかのように発掘され、カラスの夢の中で落ちていき、悪魔が取り憑く
直前のカラスの首から引きちぎられ、最後はダイアー神父の手からリーガンたちに託された
であろうあのメダルは、一体何を意味するのか。
>>171
通り魔的なのではなく、悪魔はつけ入る隙を探している。
そしてそれは、誰もが知らず知らず持ってしまっているかも知れないのだ。
といった怖さではないかな。