武士と比べると騎士ってさ・・・at WHIS
武士と比べると騎士ってさ・・・ - 暇つぶし2ch234:世界@名無史さん
09/02/08 22:46:17 O
クレシーでは、50万本近く使われたらしい。

一人当たり90本弱使われた計算。

後クレシーでは、地面が泥沼化してた上、長篠ばりに馬防柵が敷かれていたらしい。
しかも、嘘か本当か、イングランドの長弓射手は100mの距離で鎧の隙間を射抜けるほどの腕前だったらしい。

そんな相手に何度も突撃かけるなんて、どんだけ脳筋なんだよ……

235:世界@名無史さん
09/02/08 22:52:15 0
>>233
そんなに日本の弓の射程はあったのか。合成弓だからロングボウと最低でも
いい勝負はするんじゃないかと思ってたが・・・

>>234
騎士道の本場がフランスで、妙なプライドを持っていた模様
実際、かなり遅くまで重騎兵が残ってたしね

236:世界@名無史さん
09/02/09 00:21:26 0
>>233
和弓の矢のやじりは大変大型で重いということも付け加えた方が良いような。
小さいやじりももちろんあったけど、大型のやじりはナイフを矢に付けて飛ばしてる
ようなもん。当たった時の殺傷力は恐るべし。

ヨーロッパはなぜか弓をバカにしてきたのは凄く不思議。しかも古典ギリシャ時代からそう
なんだから。中世の騎士はむしろギリシャゆずりの観念を受けたんでないの?
トロイ戦争の敵役、トロイの王子パリス(臆病で卑怯者)の得意とする武器が弓。
アキレスやらヘクトルらの英雄のやることは槍と盾でガチンコ。しかも槍は投げてばっかし。
パルチアン・ショットという言葉も悪いイメージしかない。日本の流鏑馬なんかパルチアン・ショット
そのものなんだけど。

一方、日本は鎮西八郎為朝が大英雄で、得意とするのは五人張の強弓。
平家物語の見せ場は那須与一で、より後世の太平記まで弓合戦を延々物語っている。

237:世界@名無史さん
09/02/09 00:26:11 0
日本は、主力兵器が弓だったからだろうな。

238:世界@名無史さん
09/02/09 00:33:27 0
西欧も弓じゃないの?
ガチで殺し合いしようとすれば、弓を使わないわけにはいかないだろ。
騎士がやってた人質分捕り合いみたいな、なんちゃって戦争ごっこには弓なんか必要無いだろうけどさ。

239:世界@名無史さん
09/02/09 00:33:52 O
ウェールズ人の長弓は鎧を貫けたはずだよ。


240:世界@名無史さん
09/02/09 01:47:11 0
というかそもそも武士は弓馬の道と言われるほど、弓と馬術の習得が最低条件
騎士はそもそも弓なんて大して扱えないだろ

241:世界@名無史さん
09/02/09 02:14:30 0
>イングランドの長弓は、材質がただの丸木弓で、有効射程60~120m。

こっちは基本的につくりが同じまま使われ続けたからいいとして

>日本の長弓は、木と竹を張り合わせた合成弓で有効射程180~200m

それはいつの時代のデータを持ってきてるの?
例えば鎌倉時代と南北朝時代では戦術が変わるほど弓の威力が増加してますが・・・

242:世界@名無史さん
09/02/09 02:16:49 0
>後、チェーンメイルより、大鎧の方が重武装だから。

13世紀前半を想定してるわけ?

243:世界@名無史さん
09/02/09 03:59:44 0
ある程度の高度から大角度で落下する矢は場合によってはプレイトメイルも貫くらしいが。

244:世界@名無史さん
09/02/09 09:48:19 0
ギリシャでは確か、狩猟の女神であるアルテミスが弓を使ってたような
弓=ハンター=動物を追い詰める武器
のような感じで、人間に使うものじゃないとか、庶民の武器だと言う蔑視があったのかもしれない
あるいは、蛮族の使う武器だとか、そういう意味もあったかもしれない
そういえばロビンフッドも弓が得意だね
百年戦争のロングボウも、騎士じゃなくて専門の部隊が使ってたはず

古代ギリシャはギリシャで、歩兵にパイク持たせたアンチ突撃ユニットがあったはずだが、
それは消え去って長く顔を出さなかったね

245:世界@名無史さん
09/02/09 16:31:54 0
そもそも騎士なんて用兵雇える身分だモン
自分が戦う技術習得なんて苦労はしたくないんだろうなw

246:世界@名無史さん
09/02/09 17:32:12 0
戦場で、鉄板に全身くるまったまま馬の上でボーっとしてるのが騎士。
ボウガンで打ち抜かれようものなら「禁止しろ」と泣き喚くのが騎士。
戦場での死者が十数人程度なのがザラなのが騎士。

「死のうは一定」とガチで殺し合い、
勝てば敵の首を切り、負けたら自分の腹を切ってた侍とは雲泥の差。

247:世界@名無史さん
09/02/09 18:31:15 0
>>1
日本の武士も搾取して人口の90%の農民を苦しめただろ
それに

497 名前:名無しさん@一本勝ち[] 投稿日:2009/02/09(月) 00:24:24 ID:kU0wCuB80
銃砲が登場して甲冑が無意味になるまでは
西欧や中国の刀剣も両手で持つ重厚長大な
斬撃用途のものがあった。
甲冑の上から、ぶっ叩いて、敵を倒すものだ。
もしくは両手で刀剣を突き出し、突き倒すもの。

しかし、甲冑を着けなくなると、
剣は細く撓るもので軽く長いものが有利になった。
片手で操作できるレイビアの登場だ。

日本刀(術)は、その進化を怠けていたため、
幕末に洋剣と出会ったときに後れを取ったわけだ。

248:世界@名無史さん
09/02/09 18:54:03 0
武士は西洋の貴族のように土地を独占し搾取したというほど金持ちじゃない、少し裕福な商人百姓の方がよほどいい暮らししてた

>幕末に洋剣と出会ったときに後れを取ったわけだ
日本の合戦は前から長槍、弓、鉄砲が主力だ、幕末の洋剣はサーベルで日本刀と刃をあわせたら真っ二つに折れるほどもろい

249:世界@名無史さん
09/02/09 19:10:23 0
西洋の科学技術に圧倒されたって言う話は散々聞くが、
洋剣に負けたってのは聞いたことないな
しかもレイビアじゃなくてレイピアじゃ?

250:世界@名無史さん
09/02/09 20:08:30 0
>>248
だから江戸時代の官僚化した武士と比べるなよ


251:世界@名無史さん
09/02/09 20:26:14 0
鎌倉でも戦国でも同じだよ、鎌倉時代は武士自ら必死こいて土地を開拓したし
戦国は民百姓守らないと見限られるから必死こいて善政引いた

252:世界@名無史さん
09/02/09 20:32:35 O
鎌倉武士は寺社とか公家の荘園を強奪しまくったけどな。
その反動が建武の親政で出てくるんだが。

253:世界@名無史さん
09/02/09 20:37:59 0
>>249
うん。多分彼はなんか勘違いしてるんだと思う。

254:世界@名無史さん
09/02/09 20:39:30 0
寺社とか公家の荘園というが開拓したのは武士だ
鎌倉幕府というのは武士が朝廷から自分の土地守る為に出来た体制

255:世界@名無史さん
09/02/09 20:44:42 O
最近は武士=東国の開拓農民団発祥ってのは間違いらしいよw

256:世界@名無史さん
09/02/09 20:50:07 0
鎌倉末期の武士は風紀が弛緩してひどかったらしいぞ。
悪党って言葉を聞いたことあるかい。あれは鎌倉幕府末期に徒党を組んで
暴行略奪を働いた武士連中を指したのが元々の起源だ。

>>251
西洋の騎士も搾取してばっかりだったら、農民から見限られたとは考えないかい?
つ>ワット・タイラーの乱

257:世界@名無史さん
09/02/09 20:54:24 0
最近も何も武士は鎌倉以前から居るに決まってんだろが
西国を基盤にした平家だって武士だ

258:世界@名無史さん
09/02/09 20:58:18 O
最近の学説だと武士は中央(京)の軍事貴族発祥らしい。
それ以上は詳しく知らんけど

259:世界@名無史さん
09/02/09 21:08:32 0
武士は元々貴族ではなく番犬だろ

260:世界@名無史さん
09/02/09 21:09:48 O
まあ武士も富士川で逃げ出すような奴から、
モンゴル相手に一歩も退かなかった奴までピンキリっスからね。
十字軍みたいにろくに統制されてないはずなのに
エルサレムやコンスタンティノープル落としちゃう騎士もいるし。

261:世界@名無史さん
09/02/09 21:12:17 O
中央で門番とかやってた奴らが地方に来て略奪の限りを尽くしたのが武士の始まりw
まさにYAKUZAwww

262:世界@名無史さん
09/02/09 21:17:34 0
>>256
悪党は必ずしも名の通りの悪ではない

悪党とは、一般的に社会の秩序を乱す者ないし悪事をなす集団などを意味する用語であるが、日本の歴史においては中世に既存支配体系へ対抗した者・階層を悪党と呼んでいる。

263:世界@名無史さん
09/02/10 00:28:42 0
太平記の時代あたりの武士は滅茶苦茶な感じがするよな
ただ江戸時代の息のつまるような時代より
むしろ風紀が乱れてた時代の方が武士が荒削りでいきいきとしてて魅力的だな



264:世界@名無史さん
09/02/10 10:45:04 O
>262

悪党=トリーズナー
だと思ってる。


そう思うだろ?
あんたも!

265:世界@名無史さん
09/02/11 00:41:50 0
しかし武士って強くてカッケー

266:世界@名無史さん
09/02/11 00:45:02 0
普通は既存支配体系へ対抗すれば悪とも呼ばれる

267:世界@名無史さん
09/02/11 01:27:55 O
もういいよ、肥厨の武士マンセーは

268:世界@名無史さん
09/02/11 01:31:29 O
現代なら、かっこいいけど重くて固く履きにくい輸入靴みたいなもんだ、キシは
履くならオシャレな靴がいいが足は傷だらけ
軽さ実用性よりデザインや迫力

269:世界@名無史さん
09/02/11 03:03:04 O
コー○ーに新作出して貰えないからって、
他板に八つ当たりするのやめてもらえないかな。
コ○エーの糞ゲーで頭トロトロに溶けちゃってるのはわかるけどさ。
糞スレいっぱい建てやがって…

270:世界@名無史さん
09/02/11 06:18:22 0
>>268
騎士の鎧ってカッコイイか?
なんかヤカン被ってる鉄板まみれの変人さんみたいでダサいんだけど。

271:世界@名無史さん
09/02/11 13:48:29 O
基本、西洋甲冑は日本の甲冑に比べて装飾性が低くてダサい。

実用主義と言えばそれまでだが、板金鎧が普及したころには騎士自身の存在価値が失われていた。

因みにチェインメイルは、デザインも糞も無いので論外。

272:世界@名無史さん
09/02/11 13:55:42 0
チェインメイルの上に着る陣羽織、
サーコートは結構格好いい意匠などもあると思うが・・
この辺は個人の好みになってくるがね

実戦にはあまり使われていなかったかもしれないが
フルプレートは格好いいと思うよ
逆に、バチカンのスイス衛兵とかのような、タイツに奇天烈な配色の服のようなのは、
あんまり格好いいとは思わんな。騎士じゃないけど

273:世界@名無史さん
09/02/11 14:42:46 0
騎士の鎧っていってもいろいろあるしなー。
思わず吹いたのが、馬上試合用の鎧。

背中、ねーよ!

274:世界@名無史さん
09/02/11 14:54:01 O
装飾性という観点では、とちらも和式甲冑には遠く及ばない。

それと、板金鎧自体は普通に使われたけど、その頃にはもう装甲槍騎兵は騎士の専売特許ではなかったし、騎兵自体が戦場であまり使えなくなっていった時期。

275:世界@名無史さん
09/02/11 15:00:42 0
装飾性ってなんなんだ・・・

日本の鎧も格好いいと思うが、その基準である装飾性っていったいなに?
遠く及ばないとか断言しちゃってるけど、この辺りは感性次第としか言いようがないのでは
あるいは、そこに使われている技術を比べてみるとか、そんなような感じになると思う

276:世界@名無史さん
09/02/11 15:25:26 O
要は飾り気が無いって事。もっと言えば個々の個性が無い。

日本の甲冑のように、個人レベルでオリジナリティ溢れるデザインが無数にあるわけじゃないしね。

西洋甲冑で、個人を特定する方法が、盾とかに描かれた紋章しか無いのが良い証拠。

277:世界@名無史さん
09/02/11 16:41:38 O
あああれか、兜に「愛」とか文字の飾りがついてる奴かwww
まあ主観と客観の区別も付かぬ肥厨には分相応の感性と言うべきだなw

278:世界@名無史さん
09/02/11 17:06:47 O
「前立」という単語すら知らない厨房乙w

こういうのに限って、肝心の西洋甲冑の特徴すら知らないから面白いよな。

まあ、もう少し勉強してから出直しな、坊主。

279:世界@名無史さん
09/02/11 17:30:07 0
西洋の騎士も俺は何々家の誰々だって感じのが分かる派手な陣羽織みたいのをつけてたよ。

280:世界@名無史さん
09/02/11 18:07:08 O
陣羽織っつか、それ紋章ね。

紋章は、厳格に定められたルールに則ってデザインされた公共的な記号で、個人的センスが殆ど入れられ無い代物。

そんでもって、紋章のデザインだけ違って、後は殆どみんな同じだから、鎧自体の装飾性というとちょっとね・・・

確かに、馬の外被まで紋章で飾った騎士は、ちょっとカッコいいんだけどね。

281:世界@名無史さん
09/02/11 18:21:17 0
兜は一応、いろんなデザインがあったみたいだよ
後に儀式用になってしまったが、騎士が指揮官クラスをやっていた時代は、
装飾鎧なんてものもあった模様
この辺、さっき仕入れた知識だから、なんとも言えないけどw

まあ騎士の鎧の飾りが紋章だとかがほとんどなのは確か
それでも俺は格好いいから好きだけどさ
傭兵になると、武士のようにおのおので面白い格好をしていたんだろうか

282:世界@名無史さん
09/02/11 19:01:05 0
俺の個人的な乾燥だけで言えば西洋の鎧の方が断然かっこうよい。ファンタジー世界に
映えるのは日本の大鎧じゃ無理だ。
日本の大鎧は直垂がスカートみたいにだらしなく見える点、糸が目立って切れそうな
印象を受ける点、脇の下など防備があいてる所が目に付く点などが個人的にいやだ。
ラストサムライとロードオブザリングではどうしても後者の方がかっこうよいし。

283:世界@名無史さん
09/02/11 19:02:59 O
兜の装飾というと、タンブルとトルティルだな。
動物とか角とか冠とか、色々面白いデザインがあるんだけどね・・・

ただ、ぶっ飛び具合が今一歩足りないんだよなあ。

それに、試合用の鎧以外で見たことないんで、たぶん実戦用じゃないんじゃないかな?

284:世界@名無史さん
09/02/11 19:23:39 O
>282

俺も昔はロードスとかのカッコいい騎士鎧に憧れたよ・・・

でもな、実際に調べてみると、ファンタジーはファンタジーなんだよ・・・

鎧はダサいし、騎士はならず者の脳筋だし・・・

なんかもう、「ドン・キホーテ」で騎士物語に終止符を打たれた理由がよくわかったよ。

285:世界@名無史さん
09/02/11 20:00:44 0
鉄砲のせいで大将クラスの鎧が装飾過ぎると狙撃されるから簡素になったという点


286:世界@名無史さん
09/02/11 20:45:58 O
鉄砲に対抗する為、甲冑は大鎧から当世具足に変わったが、デザインそのものは個人の趣向が凝らされるようになって、より派手になってるぞ。

それに簡素になったのは製法であってデザインじゃない。ましてや、狙撃から隠れる為に地味にしたなんて、初めて聞いたが?

287:世界@名無史さん
09/02/11 21:01:22 0
ライフル以前の銃で狙撃なんて当たらないだろ

288:世界@名無史さん
09/02/11 21:09:29 0
>>282
個人的な好みの違いとしか思えんな。
俺はろーどおぶなんちゃらとかいうのよりも、ラストサムライで鎧武者が森から突撃してきたシーンの方が
一億倍カッコイイと思った。

289:世界@名無史さん
09/02/12 04:26:01 0
日露戦争の時の技術でも近接戦闘必要だったんだから、武士=日本人と考えれば最強だろ。
それ以降資本の蓄積がものをいうようになるとアングロサクソン金融が最強。

290:世界@名無史さん
09/02/12 04:53:26 0
ファンタジーに出てくる鎧って実際ねーじゃん
全部銀ピカで、ファンタジーだと兜とかしねーし

291:世界@名無史さん
09/02/14 14:25:39 0
URLリンク(store.shopping.yahoo.co.jp)
エドワード黒太子の大兜

292:世界@名無史さん
09/02/14 14:28:22 0
>>291
いい!!

293:世界@名無史さん
09/02/14 23:09:36 0
>>248
日本刀は明治時代に完成したんじゃなかったっけ?

>>250
剣道が形成されたのって江戸時代でしょ

294:世界@名無史さん
09/02/14 23:15:13 0
日本の鎧は足場の悪い道を走りやすく通気性が良いように作られて
西洋の鎧は隙間がなるべくないように作られている

295:世界@名無史さん
09/02/14 23:18:02 0
>>293
>>日本刀は明治時代に完成したんじゃなかったっけ?

はあ?
頭オカシイノカナ?

296:世界@名無史さん
09/02/15 00:08:05 0
日本刀は平安時代末期当たりに完成されました。技術的に最高峰に達したのは
鎌倉時代です。所謂古刀。以後、この時代の水準を超えられません。
剣道が形成されたのは戦国時代くさい気がする。有名な剣豪は戦国時代当たりが多いし。

鎧はさすがに西洋のプレート鎧は超えられないでしょう。隙間云々だけでなく、
鉄の質自体が違う。日本の大鎧はまだ皮なんかも使ってるし。
最末期のプレート鎧の板金の厚さは4ミリと聞いたことがあります。フライパン
より分厚く頑丈です。
でも、西洋のプレート鎧を着て落馬すると、重すぎて起き上がることができず、
そのまま死んじゃうんです。あれは騎乗専用の武装です。まともに歩くことも
難しいんじゃなかろうか?

297:世界@名無史さん
09/02/15 00:26:21 0
>>295
明治になって製鉄技術が発達して
強度が歴史上最も強くなったんじゃ・・・

298:世界@名無史さん
09/02/15 00:27:01 0
>>296
戦国時代は剣術
剣道=竹刀剣道は江戸時代にできたんじゃないか?

299:世界@名無史さん
09/02/15 00:31:56 0
日本の戦国時代に活躍した当世具足に該当するのは、コンポジット・アーマーだろうなあ。
それ以降のプレートアーマーやフルーテッドアーマーに該当するのは日本にはちょっと見あたらない。
けど、ナイトアーマーは戦争目的のモノもあればトーナメントとかジャウストとかの競技用のものもあるし。
一概に比較は出来ないよなあ。

300:世界@名無史さん
09/02/15 00:33:22 0
戦国時代は剣術なんてお遊びじゃなくて、弓術とか槍術とか実戦で使えることのが主流だろうが

301:世界@名無史さん
09/02/15 00:36:09 0
>でも、西洋のプレート鎧を着て落馬すると、重すぎて起き上がることができず、
>そのまま死んじゃうんです。あれは騎乗専用の武装です。まともに歩くことも
>難しいんじゃなかろうか?

百年戦争や薔薇戦争なんかでフル装甲の騎士が下馬して戦うのが活躍したのは有名だけど。


302:世界@名無史さん
09/02/15 00:40:25 0
>>301
持つと重いけど着ると分散されてそんな重くないらしい
70kgの人間が100kgに太ってもなんとか走れるように

303:世界@名無史さん
09/02/15 00:44:08 0
百年戦争時代の鎧は20kgちょいぐらい。
このぐらいなら、全身に分散すれば普通に走れるし、身体能力に秀でた騎士ならば乗馬下馬を繰り返すのもお手の物だったらしい。
ただ、ヘンなコケ方をすると重さのせいというよりもプレートが関節の動きを邪魔して起き上がれなくなるということはあったらしい。
この辺の動きの制約はカブトムシとかクワガタのそれに近い。
ヘンなひっくりかえり方すると、自重の何倍ものの牽引力を持つカブトムシも動けなくなる。
アレと同じ理屈。

304:世界@名無史さん
09/02/15 00:52:15 0
>>296
鎌倉までは刀匠が自前の炉で鋼の精製から始めていた。
それ以後の炉と比べると、個人で造った炉だから
製鉄技術的には低く、低温で不純物(チタンとか)が多く、
刀身の鋼の成分は各部で均一ではなかった。
しかしこの不純物と不均一さが刀身に粘り気を生んでいた。
刀匠は経験からこの作用を理解し、元のクズ鉄の配合などを工夫して
刀身の出来をコントロールしていたらしい。
もちろんこれを成功させるのは大変難しく、やり直しも多くて効率が悪かった。
この頃の日本刀は一枚鍛えだった。

その頃戦国時代に入って歩兵戦闘が主となり、刀の需要が増した。
出羽、千種とかで高温の炉を用いた鋼の大量生産も始まった。
刀匠も商売でやってるわけだから、コストダウンと効率化を求めて
出来合いの鋼を使って刀を作るようになった。

305:世界@名無史さん
09/02/15 01:01:59 0
>>296
有名な剣豪についてよく調べてみれば分かるが、
戦国末期にならないと出てこない。
ああいう名人芸というのは集団戦闘では要求されない。
剣術をさして、役にたたない、下らない、という戦国末期を経験した武将もいたらしい。
もしそれ以前に剣術が存在したとしても、
薬丸自顕流みたいなシンプルなものだっただろう。

現代の剣道、剣術につながる、体系的で洗練された技術と、指導方法は
念流が初めて生み出したと思われる。
創設者として慈恩という坊さんがあげられている。
平安時代にも剣術の流派があった形跡があるが
中身が分からず、論ずるに足らない。

306:世界@名無史さん
09/02/15 01:07:00 0
剣術が体系化されるのは戦国後期から安土桃山時代にかけて。
要するに、秀吉のような出世を望もうにも既に下克上が成立するような余地が無くなった時代。
この時代になると、戦場で武勲を競って出世する事はほとんど期待できない。
かくして、既に功成った有力な武将に抱えられる事で出世をもくろむ事になる。
こういう武芸者は決闘作法で優劣を競う事になるので、必然的に戦場作法の武術から一対一の剣術が重視されることになる。


307:世界@名無史さん
09/02/15 01:17:46 0
>>303
人間は上半身を曲げないと起き上がれないからな

308:世界@名無史さん
09/02/15 01:18:22 0
道場剣術自体って、江戸時代の初期から幕末で進化したんだろうか退化したんだろうか。

309:世界@名無史さん
09/02/15 01:19:22 0
>>298
上泉伊勢守は、それまでは木刀しかなく危なくてスパーリングができなかったのを
戦国期にして既に袋竹刀というのを考案し、これを盛んに用いていた。
後の柳生石舟斎と初めて対戦したとき
「俺はコレ使うけどアンタは木刀でも何でもいいよ」
と言って、舐められたと感じて怒った石舟斎を返り討ちにしている。

その後江戸期に入り、戦国期の雰囲気も薄れゆき
元禄の頃には型稽古だけのかっこつけの剣術しかなくなり
戦えば素人にも負ける有様で、剣術人気は低迷していた。
この頃の柳生流の人間の日記で
「近頃の若いモンは袋竹刀での対戦すらしない!けしからん」と述べているものがある。
1700年代に入って、この現状を打開すべく、直真影流が
竹刀と防具を用いた稽古を開始し、実力を回復すると同時に
町人、農民層の余暇の増大と、手軽に試合ができるスポーツ競技としての性格が合致して
幕末の剣術ブームへと繋がっていく。

310:世界@名無史さん
09/02/15 01:53:03 O
>>304
よく古釘を意図的にまぜたりしてたよな。
あと同じたたらでも古い形式は玉鋼の取れる量は少なくとも
質が良いてのがあったみたいだな

311:世界@名無史さん
09/02/15 02:09:06 0
玉鋼と三重構造は、生産効率と強度のかねあいから生まれた
当時の日本としてベターな選択だったと思う。

現代の特殊鋼が利用できるなら、三重構造を取って粘りを確保する必要はないし
そうなればシンプルな一枚のほうが強度の点で有利だろう。

312:世界@名無史さん
09/02/15 02:38:16 0
長宗我部元親は幼い頃は姫若子と呼ばれていたが、初陣の際「槍は敵の目と鼻を突くようにし、大将は先に駆けず臆さずにいるもの」と言われ、
いざ戦になるとその通りに行動して鬼若子と言われる程の活躍をしたとされる。

合戦は技術云々ではないという事だ。

313:世界@名無史さん
09/02/15 09:56:51 0
相変わらず武士に変な妄想抱いてる人間多すぎだなw

武士なんて江戸期以前はヤクザに毛が生えたような連中

負けそうになれば簡単に敗走したり寝返る連中がほとんど

314:世界@名無史さん
09/02/15 10:38:56 0
ムスリム戦士たる暗殺教団のアサッシンは当時最強だったイスラムの敵であった
モンゴル帝国の皇帝を暗殺しようともくろんだ。目論みは失敗し、
激怒したモンゴル皇帝は暗殺教団の地域に懲罰軍を送り、かの地を根こそぎ血祭りに挙げたという。
武士がヤクザの毛の生えた連中とするなら、暗殺教団はアルカイダの先駆とも言うべきではないのか。


315:世界@名無史さん
09/02/15 11:19:32 0
>>313
寝返るのは独立してるだからだよ、戦国時の関係は江戸時代の関係というより契約関係だし

316:世界@名無史さん
09/02/15 11:40:46 0
戦国試合じゃ既に鉄砲と槍が主流だろ
刀持った鎧武者のオッサンが一人で「ウォー!」とか発狂しながら突撃したって鉄砲の餌食になるだけ
ハッキリ言って武士は雑魚、ちょっと訓練した百姓にも劣る

317:世界@名無史さん
09/02/15 11:57:13 0
百姓の諺に「泣く子と地頭には勝てぬ」と年貢を取り立てる武士に逆らえない嘆きがあるが。


318:世界@名無史さん
09/02/15 13:29:56 0
>>309
農民とか一部でしょ

>>313
江戸時代の方が酷いでしょ
政権を盗って搾取して貴族政治

319:世界@名無史さん
09/02/15 13:30:54 0
>>317
鎌倉時代は外敵から日本を防衛したじゃん

320:世界@名無史さん
09/02/15 13:31:34 0
>>295はどこへ行った?

321:世界@名無史さん
09/02/15 17:11:47 0
>>314
実際には本拠地が攻略される前にモンゴル軍に降伏して教主ともども生き残ってるけどね。

322:世界@名無史さん
09/02/16 00:38:37 0
ネトウヨは武士が最強じゃないとこまる見たいだが、
はっきりいって200年近い平和をむさぼっていた
朝鮮の正規軍(はるかに劣る兵力数)を圧倒しただけで
明の少数の兵力(文禄:4.3万、慶長:8万~10万)に
さえ勝てず南部四道を確保するのがやっとだったじゃないか!
とても世界最強とは考えられない!

323:世界@名無史さん
09/02/16 00:38:55 0
というかハーンを暗殺とか試みてないからw

324:世界@名無史さん
09/02/16 00:39:20 0
ネトウヨは武士が最強じゃないとこまる見たいだが、
はっきりいって200年近い平和をむさぼっていた
朝鮮の正規軍(はるかに劣る兵力数)を圧倒しただけで
明の少数の兵力(文禄:4.3万、慶長:8万~10万)に
さえ勝てず南部四道を確保するのがやっとだったじゃないか!
とても世界最強とは考えられない!

325:世界@名無史さん
09/02/16 00:39:39 0
>>323>>321>>314

326:パオさん ◆mEq.Fp/iL.
09/02/16 01:07:44 0
日本の武士が世界最強にして史上最大の版図を誇ったモンゴル軍に勝てたのは
日本刀という世界に冠たる武器があったからだ。

参考映像<日本の刀>
URLリンク(www.youtube.com)

327:世界@名無史さん
09/02/16 01:28:44 0
白兵戦の武器で決するほど甘いもんではない。
単に「官軍相整わず」
勝ってる間は表面に出ないが、民族相互の団結力の弱さが
劣勢に立たされて表に出ただけ

328:世界@名無史さん
09/02/16 01:34:19 0
地域諸侯の寄せ集めの田舎国家だから一撃すれば拠点が奪え
あとはどうにでもなるだろうと思って攻め寄せたら
どっこい統一された軍事超大国にボコボコにされたということ

329:世界@名無史さん
09/02/16 01:52:07 0
>>324
島津は数千で20万の明軍を木っ端微塵にしたといわれますが?

330:世界@名無史さん
09/02/16 02:00:43 O
武士を過剰に賛美するのはネトウヨというより
コー○ーのクソゲーに頭を溶かされた連中。
まあネトウヨと親和性高いけどな

331:世界@名無史さん
09/02/16 02:04:55 0
朝鮮も明も日本武士相手にまともに決戦すら出来ない
ひたすら逃げ回った挙句、圧倒的大軍で包囲しながらも逆にシーマンズにボコボコにされたw

332:世界@名無史さん
09/02/16 02:10:56 0
>>323
んな事わかってるよw

333:世界@名無史さん
09/02/16 02:12:29 0
>>331
何度か決戦を試みてはいるんだがその度に撃退されるか攻めきれずに撤退してるな。

334:世界@名無史さん
09/02/16 03:10:29 O
>>324
中国側の資料として七万人死亡した会戦があるがその兵隊はどこから湧いたのかね?
支那人は数しか誇れない弱兵

335:世界@名無史さん
09/02/16 04:26:16 O
>>316
まぁ鉄砲、槍が主な兵器は当然として
いわゆる野太刀を持つ相手に部隊が大苦戦した話を2つ程読んだので刀もそれなりに使える武器みたいよ。
同時の鉄砲は近距離でなければ鎧で弾けるし。


336:世界@名無史さん
09/02/16 06:17:16 i
>>316
戦国時代の侍は「侍筒」って言う普通より強力な鉄砲を使ってたの。
戦争のスペシャリストなんだから、最新の武器に精通してるのは当然だろ。
ちょっと訓練した程度の百姓なんかじゃ相手にならないよ。

337:世界@名無史さん
09/02/16 12:57:30 O
ここで武士を必死に貶してる奴らって、どんなに武士を貶めても、騎士はそれ以下だというのを知らないんだろうか?

338:世界@名無史さん
09/02/16 15:05:13 0
どっちもどっち

339:世界@名無史さん
09/02/16 20:28:51 0
URLリンク(www.meiwasuisan.com)
中世の戦争ごっこ

340:世界@名無史さん
09/02/16 22:18:06 0
>>326
勝てた?ソースは

341:世界@名無史さん
09/02/16 22:19:31 0
>>337
同等だろ

342:世界@名無史さん
09/02/16 23:18:44 0
19世紀まで封建時代やってりゃ武士のほうがよく見えるわ

343:世界@名無史さん
09/02/16 23:35:22 0
武士ってやくざと似たようなもんだ

344:世界@名無史さん
09/02/16 23:40:52 0
まあ、ヨーロッパの封建社会の最盛期は13Cだよな。
それ以降解体に向かって騎士は没落。
封建制が欧州から完全になくなるのは18C後半だけど。

345:世界@名無史さん
09/02/17 06:22:26 0
日露戦争組みも全員士族出身だろ
URLリンク(www.youtube.com)

346:世界@名無史さん
09/02/17 09:09:50 0
>>340
元、高麗、日本、関係国全ての史書に元軍が戦って負けたと書いてある。

『元史』巻一百五十二 列伝第三十九 劉通
「十年、遷征東左副都元帥、統軍四萬、戰船九百、征日本、與倭兵十萬遇、戰敗之。」

『高麗史』八十七巻
「十月、金方慶與元元帥忽敦洪茶丘等征日本、至壹岐戰敗、軍不還者萬三千五百餘人。」

『鎌倉年代記裏書』
「十月五日、蒙古寄来、着対馬嶋、同廿四日、大宰少弐入道覚恵代藤馬允、於大宰府合戦、異賊敗北、」

『帝王編年記』
「六日。飛脚到来。是去月廿日蒙古与武士合戦。賊船一艘取留之。於鹿嶋留抑之。其外皆以追返云々。」

347:世界@名無史さん
09/02/17 15:18:11 0
>>346
台風のおかげじゃなかったの?

348:世界@名無史さん
09/02/17 15:19:05 0
はあ?
頭オカシイノカナ?の>>295はどこへ行った?

349:世界@名無史さん
09/02/17 15:46:05 0
>>347
武士団にやられて、さらに船上でも夜襲されて、更に沖の方に引っ込んだところで台風直撃

350:世界@名無史さん
09/02/17 19:18:10 0
>>347
台風にやられたのは帰り道なんだな。
弘安の役なんかは海上で待機中にやられたらしいけど、
それまで二ヶ月近くまともに上陸させなかったわけで、
神風を差っぴいても鎌倉武士団は健闘したと言っていい。

351:世界@名無史さん
09/02/17 20:30:05 0
文永の役は元軍が優勢だったし、
弘安の役で日本が健闘したのは主力の江南軍10万が合流する前だからな…。

352:世界@名無史さん
09/02/17 22:02:13 0
>>349-350
遠征って難しいんだよね
特に船旅は日露戦争に勝てた理由もそれだし

>>350
2回目は石垣を作ったよね

353:世界@名無史さん
09/02/17 22:24:02 0
>>351
文永の役で、たった1日で敗退した元軍が「優勢だった」などという事実はない。
「元軍が劣勢でこのままでは全滅だから撤退するしかない」とモンゴル人の司令官が撤退を決定したと、
はっきり高麗史に書いてある。

弘安の役でも、主力江南軍10万が合流したのは台風が来る1ヵ月以上前だが、それでも元軍は
博多湾から遠ざかる一方だった。
資料では、日本が殺したり捕虜にしたりした元兵の数は10万人以上。

結局、4万、14万の元軍は鎌倉武士に全く歯が立たないまま、軍事力で圧倒され惨敗したというのが真相。

354:世界@名無史さん
09/02/17 22:43:53 0
武士たちが必死で頑張って外敵を撃退したというのに、
神主や僧侶が「神or仏の加護で神風が吹いて元軍を壊滅させた」
というプロパガンダを流したせいで……。

鎌倉武士カワイソス(´・ω・)

355:世界@名無史さん
09/02/17 22:55:09 0
文永の役で博多、箱崎は陥落して太宰府の水城まで撤退してるじゃん。
これで日本が優勢とは思えないが。

弘安の役は江南軍10万が平戸島辺りで合流して、
「さあ、博多湾へ向けてに総攻撃に行くぞ!」ってところで台風で壊滅的被害を受けたんだろ。
その後、残兵掃討で殺したり捕虜にした、ということだろ。

356:世界@名無史さん
09/02/17 23:02:04 0
>>354
「神風が吹いて元軍を壊滅させた」 というプロパガンダを流してるのは、
戦後の日教組やマルクス主義の歴史研究者たちなんだよ。
戦前はちゃんと「武士たちが必死で頑張って外敵を撃退した」ことになっていたのに、
太平洋戦争で負けた途端、元寇でも負けてたことにされちゃった。

昭和天皇の歴史教科書 国史(口語訳)に書いてある元寇↓

『元はついに武力でわが国を屈服させようと、後宇多天皇即位の年に、高麗の兵を合わせ、数百艘の船をつらねて、
朝鮮海峡を渡り、まず対馬、壱岐をおかし、さらに博多地方に迫りました。九州の豪族たちが奮戦してこれを防いだので、
元軍は深く侵入できずに退却しました。文永末年のことでしたので、これを文永の役といいます。』

『このため、元はまた大挙して攻めてきて、その軍は壱岐、対馬をへて博多と肥前の沿岸にも迫りましたが、
南海、西国の将兵がよく防ぎました。また、偶然にも大暴風雨がおそい、敵の船は破壊され、多くの兵が溺死し、
残った軍はあわてふためいて逃げかえりました。弘安四年のことでありましたので、これを弘安の役といいます。』

URLリンク(www.amazon.co.jp)


357:世界@名無史さん
09/02/17 23:10:29 0
>>355
文永の役で博多、箱崎が陥落したなどとことを裏付ける資料はない。

弘安の役で江南軍10万が平戸島辺りで合流したのは、台風がくる約1ヶ月前。
「さあ、博多湾へ向けてに総攻撃に行くぞ!」って思ったが、日本軍が強すぎて
1ヶ月間逃げ回ってるうちに台風に遭遇したってこと。

358:世界@名無史さん
09/02/17 23:13:58 0
>>356
嘘ついてんじゃねーよ
そういう考え方は「太平記」や「八幡愚童訓」にもみられるだろうが

359:世界@名無史さん
09/02/17 23:16:07 0
世界史厨が必死すぎるwww
世界勝ち抜きトーナメントでブッチ切りのチャンプだった大元ウルスが
日本の国内チャンプに雑魚あつかいされたからって必死にならなくてもww

360:世界@名無史さん
09/02/17 23:19:47 0
>>358
「太平記」は軍記物語だし、「八幡愚童訓」は八幡信仰布教のための宗教書。
どちらも元寇の資料としては二流の文献。
江戸時代の国学者だって、そこに書いてあることが史実だなんて思っていない。

361:世界@名無史さん
09/02/17 23:23:14 0
ぶっちゃけた話、日本が蒙古に勝てた理由って何だと思う?
「日本が強かったから」というなら、具体的にどんなふうに蒙古より強かったのか

362:世界@名無史さん
09/02/17 23:25:40 0
>>360
>「神風が吹いて元軍を壊滅させた」 というプロパガンダを流してるのは、
>戦後の日教組やマルクス主義の歴史研究者たちなんだよ。

この部分に対して言ってるんだよ
それとも何か、これらの著者はマルクス主義者なのかい?

363:世界@名無史さん
09/02/17 23:27:08 O
まあ百済のサウラビの子孫だからじゃね?

364:世界@名無史さん
09/02/17 23:29:45 0
中央政府による統制。
それが保証する頭数(弘安)。

兵員の質。よく訓練され、実戦経験も豊富で、
矢を防ぐ能力では一流の大鎧と射程の長い弓と最高の刀剣を装備した
重装弓騎兵が相互に支援しながら万単位でわらわら湧き出してくる。

そりゃ負けます。

365:世界@名無史さん
09/02/17 23:31:29 0
>>362
現実に現代の日本人に「神風が吹いて元軍を壊滅させた」 というプロパガンダを流してるのは、
戦後の日教組やマルクス主義の歴史研究者たちじゃん。


366:世界@名無史さん
09/02/17 23:32:35 O
元軍は大多数が高麗・旧南宋の兵でモンゴル人がほとんどいない
軍隊だったんだろ?

367:世界@名無史さん
09/02/17 23:35:43 0
>>366
歩兵ばかりだったのは8000人の高麗部隊。
その他の蒙漢軍が2万5000。

それにモンゴル高原出た時点でモンゴル軍にモンゴル人なんてほとんどいない。

さんざんガイシュツ。

368:世界@名無史さん
09/02/17 23:38:22 0
フビライの遠征って結構失敗してるよね。
チャンパ-とかシュリーヴィジャヤとかシンガサーリまで行ってるけど
結局失敗したよな。どれも、海から攻めてる。

369:世界@名無史さん
09/02/17 23:38:56 0
>>365
別にプロパガンダじゃなくとも、
こういう考え方は当時から存在してたわけだ
それをさも左翼特有の考え方のように言ってるんじゃねーよ

370:世界@名無史さん
09/02/17 23:43:48 0
>>369
軍記物語や宗教書の中に存在していた特殊な考え方を、「歴史的事実」として普及させたのは
戦後の日教組やマルクス主義の歴史研究者たちだろーが


371:世界@名無史さん
09/02/17 23:44:37 O
蒙漢軍って騎兵部隊だったのか?
軍馬を船に乗せるって当時はすごい手間だっただろ。

372:世界@名無史さん
09/02/17 23:47:33 0
手間がかかるのは今も同じ。手間をかければ普通に連れていける。
ノルマンコンクェストでも騎兵連れてってる。

373:世界@名無史さん
09/02/17 23:49:14 0
>>371
八幡愚童訓
「其中に、大宰少弐三郎左衛門尉景資殿を、日大将軍として待かけたるところ、
十月廿日未明より、蒙古陸地に、おしあかり、馬にのり、旗をあけて攻かかる」


374:世界@名無史さん
09/02/17 23:49:42 0
吐蕃とか大理国を征服したのもフビライだっけ?
やっぱ地続きだと強いのか。

375:世界@名無史さん
09/02/17 23:50:31 0
>>371
日本から対馬海峡越えて朝鮮半島で暴れまわった倭寇も、大量の騎馬部隊を抱えていた。
倭寇にできたことが、国家事業として日本に攻め込んだ元や高麗にできないはずがない。

376:世界@名無史さん
09/02/17 23:58:36 0
>>370
だから、それ以前にそうした考え方があり、また軍記ものの作者がそう書くほど広まっていたのに、
何でマルクス主義者が広めたことになるんだ

377:世界@名無史さん
09/02/18 00:00:45 0
>>375
私的海賊より国家が有利とは限らないよ、特に前近代ではね
国家というのはたしかに私的な武装集団よりできることは大きいかもしれないが、障害もやはり大きい

どうでもいいけど、戦前・戦中の歴史教科書には神風について書かれてなかったの?

378:世界@名無史さん
09/02/18 00:04:43 0
>>376
八幡愚童訓は八幡の加護を強調するために書かれた宗教プロバガンダで
既に広まっていたわけではなく、これから広めようとしたもの。

しかし世間は面白い書物としては読んだが、いっこうに騙されなかった。
昭和天皇の教科書にも武士が蒙古をボコボコにしたとはっきり書かれている。

ところが戦後にろくな史料批判もできない智恵遅れのマルクスかぶれの文系が
矛盾するところは妄想で補って広め始めた。

379:世界@名無史さん
09/02/18 00:06:29 0
>>377
へぇ、海賊に運べる騎馬を国家が運べないなんてどんな障害があるの?
参考までに教えてほしいね。

ちなみに史料にはモンゴル軍は馬によく乗る、とはっきり書いてありますから。

380:世界@名無史さん
09/02/18 00:10:56 0
>>378
もう何でもマルクス主義者だなw

381:世界@名無史さん
09/02/18 00:12:07 0
>>380
反論できない知恵遅れマルクス主義者の図。

382:世界@名無史さん
09/02/18 00:13:29 0
維新政党・新風

383:世界@名無史さん
09/02/18 00:15:53 0
マルキシストってのは戦後になって張り切ったんだよ。
これからは俺達の時代だ!ってね。
これまでマルキシストをバカにしていた社会を解体し、否定し、
素晴らしいマルクス主義を広めてやろう!そんな感じ。

70年代で化けの皮が完全に剥がれて
「やっぱバカはいらねーや」って捨てられて
またゴミ漁りに戻っちゃったけど。

384:世界@名無史さん
09/02/18 00:18:26 0
>>37
文永の役について、戦前の歴史教科書は神風の記述がなかった。
弘安の役については、大正期にはじめて登場する。
戦中は武士の奮闘と神風によって撃退みたいなストーリー。
そして、敗戦後初めてつくられた歴史教科書「くにのあゆみ」からは、武士が戦闘で負けていたことになり
現在のストーリーになった。

385:世界@名無史さん
09/02/18 00:19:52 0
>>379
に答えられないマルクス主義者。
帰ってオナニーしながら党大会で発表する原稿書いてるんだろうな。
「日本が右傾化してるニダ!元寇の評価にも反動化の徴候が現れているニダ!
これからみんなで論破してやるニダ!」

386:世界@名無史さん
09/02/18 00:21:21 0
>>381
よく言うぜw
「軍記ものの作者がそう書くほど」っつってんのに、
八幡愚童訓の話に持っていくような、論点ずらし野郎に言われたかねーや

387:世界@名無史さん
09/02/18 00:22:26 0
>>386
どの軍記ものにそんなことが書いてあるの?

388:世界@名無史さん
09/02/18 00:24:01 0
>>387
太平記

389:世界@名無史さん
09/02/18 00:27:21 0
>>388
プッwww太平記wwwwバカだコイツwww

390:377
09/02/18 00:27:30 0
>>384
ありがとうございました
>>379
勘違いしてるようだけど、別に俺は元寇が騎馬であることを否定したわけじゃないよ
ただ
>倭寇にできたことが、国家事業として日本に攻め込んだ元や高麗にできないはずがない。
こうした理屈は歴史の中では必ずしも正しくないといったまででね

391:世界@名無史さん
09/02/18 00:28:31 0
>>390
じゃ、正しくない事例よろしく。

392:世界@名無史さん
09/02/18 00:29:21 0
>>386
太平記は神風云々以前に、九州全土が蒙古の支配下になったことになってるんだが、
そんな歴史認識は太平記以外にまったく普及していない。
太平記を根拠に神風の認識が普及していたというのは無理があるね。

393:世界@名無史さん
09/02/18 00:29:30 0
てかさ、「武士」と「騎士」どっちが強いかとか
「日本」と「元」どっちか強いかとか
はっきり言ってくだらないと思う
歴史はゲームじゃないんだから
「白人」「黒人」とか「ユダヤ」「イスラム」とかに置き換えてみれば
こうした議論のばかばかしさがよく分かると思うが

394:世界@名無史さん
09/02/18 00:30:23 0
>>391
全盛期のバイキングと西欧の王国ではどちらが海軍力があったか

395:世界@名無史さん
09/02/18 00:30:44 0
>>393
倭寇にできた騎馬の船舶運搬が、
高麗や元にできない理由としてどんなものが考えられるのかな?

396:393
09/02/18 00:31:19 0
いや、なぜ俺に聞くw

397:世界@名無史さん
09/02/18 00:31:37 0
>>394
西欧に決まってるじゃん。
君、何のためにバイキングすると思ってるの?
ここにない金が西欧にあるからだよ?

398:世界@名無史さん
09/02/18 00:32:33 0
馬鹿?

399:世界@名無史さん
09/02/18 00:33:12 0
>>394
西欧が中央集権化したらバイキングなど相手にならなかった。
だから急いでハラルド美髪王が中央集権化を進めた。

元とは比較にならない事例だな。他には?

400:щ(・∀・㍉)
09/02/18 00:36:51 O
戦国時代や中世なんて、現代人が思う以上に地獄絵図だろ
疫病や飢饉、狂気に塗れた坊主や信者。徘徊するゾンビみたいな村人。金めね物や食糧を奪う山賊や盗賊に海賊。
ところ構わず、性欲にふける老若男女。
そんな中で、日々死と隣合わせの戦士の事をどっちが最強だとか現代人に分かるわけない。

401:世界@名無史さん
09/02/18 00:37:07 0
>>393
元寇の戦利品をして伝えられてる品の中には、モンゴル軍が欧州遠征で獲得したと思われる
十字の印をつけた兜があるんよ。
欧州遠征で騎士を打ち取った蒙古が日本で武士に打ち取られてるんだから、武士は騎士より
強かったと言えるんじゃないの。

402:世界@名無史さん
09/02/18 00:38:02 0
つか、西ヨーロッパの王国ってかなりの数が土着したバイキングと現地人の混血じゃん。
フランク王国だってそうだし、デーン王国だってそうだし。

403:世界@名無史さん
09/02/18 00:38:10 0
>>394
倭寇にできた騎馬の船舶運搬が、高麗や元にできない理由を聞いてるんだけど。
答えが西欧とバイキングじゃ話にならないな。

他に反論ある?低能クン。

404:世界@名無史さん
09/02/18 00:38:43 0
>>399
ゲルマン蛮族vsローマ帝国

405:世界@名無史さん
09/02/18 00:38:55 0
>>402
フランク王国がバイキングって・・・
時代がずれ過ぎなんだけど。
ここ本当に世界史板?

406:世界@名無史さん
09/02/18 00:39:30 0
騎馬の運輸たって、数が違えば難度だって変わるだろうに。


407:щ(・∀・㍉)
09/02/18 00:40:54 O
ケンシロウが最強だよ以上

408:世界@名無史さん
09/02/18 00:40:57 0
>>404
元と倭寇の関係とは比較にならないな。

倭寇にできた騎馬の船舶運搬が、高麗や元にできない理由を聞いてるんだけど。
いい加減答えてもらえるかな?

409:世界@名無史さん
09/02/18 00:41:56 0
>>403
あのだから別に俺は元の輸送能力に異議を唱えてるわけではなくて
必ずしも私的武装集団より国家のほうが強いわけではないということを言いたかったわけで
もしかして俺を誰かと勘違いしてない?
まあでもこの流れでそういう書き込みをすればそうとらえられてもしかたないわな
俺が悪かった、スマソ

410:世界@名無史さん
09/02/18 00:43:31 0
>>409
倭寇にできた騎馬の船舶運搬が、高麗や元にできない理由を聞いてるんだけど。
君はそういうことが有り得ると主張してるんでしょ?
IFでいいから答えてみなよ。

あ、元がローマ帝国並みに没落してるとか、
暗黒時代の欧州並みに分裂してるとか、
そういうバカげた設定はなしで。

411:世界@名無史さん
09/02/18 00:44:42 0
弘安の役の前に元のクビライが高麗へ送った注意書き読むと、軍馬のあつかいについての指示が
かなりの割合を占めている。
元軍に軍馬が少なかったとは考えられない。

412:世界@名無史さん
09/02/18 00:46:50 O
欧州遠征の頃のモンゴル軍と日本遠征の頃の元軍じゃあ
兵質が違うんじゃねーの?
元軍なんてヴェトナムやマジャパヒト王国にすら負けてるし

413:世界@名無史さん
09/02/18 00:47:11 0
>>410
UFOが元の馬を全部キャトルミューテーションしてしまった。
元の馬係りが全員記憶操作されて揃って馬の用意を忘れてしまった。

宇宙パワーを借りれば想定可能。

414:世界@名無史さん
09/02/18 00:49:06 0
宇宙パワーかよwww

415:世界@名無史さん
09/02/18 00:55:49 0
>>412
弘安の役で兵10万、船3500隻を失ったモンゴル軍がその後弱体化するのは当然。
ベトナムでもジャワでも、数百隻単位の艦隊しか送れなかったことが致命傷となっている。
もろに日本に大敗した影響なんだよ。

416:世界@名無史さん
09/02/18 01:04:03 0
>>363
携帯は嫌韓厨が百済だけは味方してるの知らないのな

417:世界@名無史さん
09/02/18 01:05:53 0
暴風雨の自滅を大勝として語るウヨキモい

418:世界@名無史さん
09/02/18 01:08:23 0
圧倒的に日本軍が強かったんなら何で幕府が崩壊したんだよ

419:世界@名無史さん
09/02/18 01:18:07 0
>>418
恩賞として与える土地の不足、
対外戦争に対処するための得宗権力の強化とそれへの一般御家人の反発、
貨幣経済の浸透による農村の自給自足経済の動揺、
細分相続による御家人の貧窮化、

まっ、勝つには勝ったけど、得たものは何もなかったってとこだろ

420:世界@名無史さん
09/02/18 01:31:17 0
>>417
元が暴風雨な遭ったのは、戦闘で日本軍に全く歯が立たず、2ヶ月間も海上を逃げまわっていたからだってことを
理解してないな。。。
日本軍の大勝以外の何物でもないじゃん。

421:世界@名無史さん
09/02/18 01:43:25 0
石築地を利用しての防戦をどのように考えるかだが…

422:世界@名無史さん
09/02/18 01:50:19 0
文永では3分の1の人数で、野戦で圧勝した。
弘安では数でも勝り、防壁も築き、十分な体制で臨んだので、
一方的にひたすらボコりまくった。そんだけ。

423:世界@名無史さん
09/02/18 01:52:37 0
>>420
大本営発表臭が酷い

424:世界@名無史さん
09/02/18 01:56:22 0
弘安の役で、石築地は勝利に全く関与していない。
6月上旬に東路軍が志賀島に上陸したものの、日本軍の攻撃に連戦連敗で海上へ逃走。
壱岐から平戸へと逃げ回り、7月初頭に江南軍10万と合流。
それでも一向に戦局が好転せず、上陸の目処すら立たないまま1ヵ月を浪費し、7月末に台風に遭った。
数以外に元軍が日本軍に優ってる要素など何一つない。
日本の武士が大陸の軍勢よりも圧倒的に強いということを証明した戦い。

425:世界@名無史さん
09/02/18 01:57:50 0
そのつおい日本がなぜ大陸から叩き出されたのかkwsk

426:世界@名無史さん
09/02/18 01:59:32 0
>>425
時代が違うじゃん

427:世界@名無史さん
09/02/18 02:03:13 0
>>425
朝鮮征伐では明史日本伝の最後に、はっきり、
明もチョンも勝ち目はなかった。秀吉が死んだから撤退した。
と書いてある。
南部は倭城がどんどんできて完全に日本の勢力下に入っていた。

大東亜戦争はソロモンから攻めてきたアメリカに負けただけ。

428:世界@名無史さん
09/02/18 02:05:21 0
鎌倉期の人口は800万とか1000万とかその程度らしいが
20万も動員出来るだけの経済基盤なんてあったの?

429:世界@名無史さん
09/02/18 02:08:24 0
>>428
あったから大モンゴル帝国に圧勝したんじゃん

430:世界@名無史さん
09/02/18 02:09:38 0
>>427
スマン
明史三百二十二列伝第二百十外国三日本のどこが
該当するのか教えてくれるとありがたい。

431:世界@名無史さん
09/02/18 02:11:38 0
>>430
「中朝與朝鮮迄無勝算」

ちなみにこれ、さんざんガイシュツだから。

432:世界@名無史さん
09/02/18 02:12:39 0
>>429
ハイドゥの乱以降モンゴル帝国内は
元朝と各ハン国(イル=ハン除く)で対立してるんだよ。

433:世界@名無史さん
09/02/18 02:17:55 0
>>431
ありがとう。
日本圧倒的だなあ。

434:世界@名無史さん
09/02/18 02:19:48 0
>>432
経済力、支配領域など全ての面で大元ウルスはモンゴル帝国内で圧倒的な地位を占めてる

435:世界@名無史さん
09/02/18 02:38:45 0
ハイドゥの乱(1266~1311)
文永の役(1274)
弘安の役(1281)

この場合、二正面作戦をやるフビライがアホってことか?

436:世界@名無史さん
09/02/18 03:07:26 0
>>435
二正面、三正面作戦は、モンゴル帝国の基本パターンね。

1236年にクチュの南宋侵攻とバトゥの東欧遠征。
1253年にフレグに中東遠征とフビライの大理国遠征。

この他にも細かい侵攻作戦を同時進行で進めてる。
金を滅ぼしてからのモンゴル帝国は、各方面軍がそれぞれ正対する敵と独自に戦ってる感じ。
戦国日本で、秀吉、柴田、滝川、明智の各方面軍が、毛利、上杉、北条などと同時に戦っていた織田政権を
ユーラシア大陸レベルまでスケールUPさせたようなイメージかな。


437:世界@名無史さん
09/02/18 03:52:43 0
>>412
ベトナムは最終的には撃退したとはいえ全土を蹂躙されてるし、
マジャパイト王国は謀略を用いて追い出したんで、鎌倉幕府とはまた違うような気もするねえ。
しかしよくインドネシアくんだりまで遠征したもんだな元は。

438:世界@名無史さん
09/02/18 09:52:20 0
そんなに強いんだったら大陸に攻め込んで大都占領すれば良かったのに

439:世界@名無史さん
09/02/18 10:08:46 0
>>438
鎌倉幕府はモンゴルのような野蛮な侵略主義者とは違うのだよ。
ただ、もし本気で攻め込んだら大都など簡単に占領していただろう。
元朝は日本人のごく一部に過ぎない倭寇にすら、散々な目に遭ってるからな。
1309年には明州城が攻め入った日本人によって焼きの原にされている。

440:世界@名無史さん
09/02/18 14:26:18 0
倭寇みたいにゲリラ的戦法を取ってるのの戦闘結果と、
大都攻めみたいにおそらくは大軍同士の決戦になると考えられるのの戦闘結果はまた違うと思う。

日本軍だってもし大陸に攻め込んだら補給線の問題だってでてくるし、
いくらなんでも大都など簡単に占領していたとかいうのは言いすぎじゃあないかねえ。

441:世界@名無史さん
09/02/18 14:48:21 0
>>419
なんだ、それなら小学校で習ったのと同じ内容だ

442:世界@名無史さん
09/02/18 14:49:25 0
>>427
秀吉が死んだじゃなく秀吉が築いた財産が尽きたからなんじゃ?

443:世界@名無史さん
09/02/18 14:53:23 0
>>442
秀吉の死後、家康が豊臣の財産を減らそうとあの手この手と策略しました。
それでも、なお大量に財が残っていた。

444:世界@名無史さん
09/02/18 15:45:10 0
>>440
まあ、沿岸から10kmしか離れていない大宰府を拝むことすらできず
橋頭堡すら確保できず逃げ帰った元寇の場合
補給線は言い訳にはならないけどな。

445:世界@名無史さん
09/02/18 15:46:02 0
ちなみに倭寇の場合は大陸のそれくらいの都市を攻め落として灰にしている。

446:世界@名無史さん
09/02/18 16:18:59 0
でも後期倭寇の大半は倭人に偽装した中国人で、
その首領も王直みたいな中国人貿易商なんだよなあ。

平戸とか五島なんかも実のところ中国人海商の縄張りだったわけで、
事実上、中国人の占領下にあったようなものなんでは?
平戸の松浦氏なんかも中国人の子分だったんでは?

447:世界@名無史さん
09/02/18 16:55:28 0
近代史でも中国兵は弱兵で有名じゃない
日本武士が大陸に対して無双不敗を誇ってたとしても不思議じゃない

448:世界@名無史さん
09/02/18 17:33:42 0
陸戦で対抗できないヴェネツィア・イスパニア連合軍はオスマン帝国海軍にレパント大敗からの勢力回復を許してしまったが、
陸戦で対抗できる日本の御家人は度々支那沿岸を侵して、元帝国海軍に元寇大敗からの勢力回復を許さなかった。

449:世界@名無史さん
09/02/18 19:40:10 O
どうでもいいが、そろそろ騎士の武勇伝を聞きたいんだが?

まあ、大して無いだろうけどなw

450:世界@名無史さん
09/02/18 20:50:55 0
世界史(苦笑

451:世界@名無史さん
09/02/18 21:01:09 0
>>447
その中でも李如松は善戦しているな。
彼だけは認めてあげてもいいんじゃないか?
立花と小早川にボロ負けして自身も殺されかけたけど。

452:世界@名無史さん
09/02/18 22:05:45 0
>>443
教科書や殆どの歴史漫画は嘘なのかよ

453:世界@名無史さん
09/02/18 22:06:15 0
>>447
近大は武士じゃなく農家出身の兵隊だろ

454:世界@名無史さん
09/02/18 22:18:28 0
近畿大学?

455:世界@名無史さん
09/02/18 22:20:42 0
>>446
痛いところを突かれてネトウヨ沈黙だな。

中国人メインの後期倭寇の本拠地が平戸や五島だったってことは、
それが何を意味してるかもうわかるよな。

456:世界@名無史さん
09/02/18 22:23:15 0
そういう都合の悪いところは無視できるようになってるから、無駄だよw

457:世界@名無史さん
09/02/18 22:25:24 0
武士は日本の誇りだから

458:世界@名無史さん
09/02/18 22:34:48 0
>>455
十のうち三は真倭。こういうの↓

「長刀、倭の中国を犯すよりこれ始めてあり。
彼らこれを持ちて跳躍光閃して前に進めば、我が兵は己に気を奪われるのみ。
倭は躍を善くし、一たび足を逆えば別ち丈余、刀長は五尺にて、則ち(一)丈五尺なり。
我が短兵器は接し難く長器は捷ならず、身多く両断す」(紀効新書、1560年)

実際に明軍をボコって沿岸部を好き放題荒らしていたのはこういう連中。
要するに中国は日本人のテリトリーだったということ。
それが何を意味してるかはもうわかるよな。

459:世界@名無史さん
09/02/18 22:40:46 0
平戸や五島で中国人が活動してはいたが、施政権までこれら中国人が握っていたかとなると、
豊臣秀吉が倭寇取締りをした際にこれらの地域の中国人が抵抗したという記録も無いし
徳川幕府がスペインやポルトガルを長崎から平戸に移した際に中国人の抵抗が見られなかったのは何故か。


460:世界@名無史さん
09/02/18 22:40:48 0
>>458
それがどの期間のことであるか、詳細な対比表ある?
どっか別のスレで話題になってたんだけど、乗り遅れた。
それがわかれば、偽装倭寇がどの時期でどのくらいの規模だったか
わかるように思うのだが。

461:世界@名無史さん
09/02/18 22:46:12 0
>>460
紀効新書は兵学書だから雑魚い偽倭寇はアウト・オブ・眼中
対日本人戦のことしか書いてない

462:世界@名無史さん
09/02/18 22:48:21 0
大親分の王直とかが中国人だし、7割の倭人偽装者もいる。
倭寇というのは中国人のボスの下に倭人に偽装した中国人海賊・商人と
九州の松浦党とかの日本人海賊が集まった国際的集団だろ。

ありていに言えば中国人のボスの手先になってたのが「真倭」の連中。

463:世界@名無史さん
09/02/18 22:52:11 0
>>462
7割の偽装業者を率いていたのが王直とか徐海だろ。
そりゃ大親分だろう。数だけは多いから。
誘降にのってあっさり捕まって処刑されるけどな。

所詮チャンコロ。雑魚すぎ。

464:世界@名無史さん
09/02/18 22:54:52 0
平戸の殿様はそのチャンコロの子分だったんだな。

465:世界@名無史さん
09/02/18 22:56:31 0
>>461
いや、そういうことを聞いているんじゃなく
倭寇の規模とか構成とか、偽倭寇の規模とか活動範囲とか
そういう具体的なところでの、分布みたいなもの。
わかんなきゃいいけど、>>458の後半で定説っぽく書いてあるから
当然、資料に拠っているものと思ったもので。

466:世界@名無史さん
09/02/18 22:57:03 0
>>464
逆。
真倭にボコられる程度の明軍が怖くて
日本の領主に貢物を差し出して守ってもらっていた。

日本の威を借る狐。

467:世界@名無史さん
09/02/18 22:58:38 0
ところで、倭寇って武士なん?

468:世界@名無史さん
09/02/18 22:59:22 0
ぎゃふん

469:世界@名無史さん
09/02/18 23:00:46 0
どうも「真倭」が中国人の首領の手下だったことを認めたがらないようだな。
当時は中国の方が経済大国で文化先進国でアジアの中心だったんだから、
先進国の企業家が途上国の海賊や現地有力者を手なずけていたって感じだろ?

470:世界@名無史さん
09/02/18 23:02:29 0
中国の中央集権体制では、辺境の州は、自国の賊の依拠するところと
なりやすいからね。
とくに内政混乱期。

471:世界@名無史さん
09/02/18 23:02:44 0
>>465
定説もクソもなく、実際に倭寇鎮圧にあたった
威継光が「日本人の戦闘能力やべーよ!他の明軍が心配だよ!」
つって書いたのが紀効新書。引用した倭寇剣法の部分を読めば分かるだろ。
実際に脅威となっていたのは日本人の倭寇。

472:世界@名無史さん
09/02/18 23:03:46 0
中国人が来てるの?
朝鮮半島で日本軍にボコボコにされるような雑魚中国人が
日本人を支配できるわけ無いだろうに。

473:世界@名無史さん
09/02/18 23:03:53 0
>>469
はいはい。
で、>>466への反論は?

反論がないなら>>466で決定。

474:世界@名無史さん
09/02/18 23:06:11 0
>>469
先進国の企業家=松浦氏
途上国の海賊や現地有力者=王直とその手下

明は発展途上国ということでFA

475:世界@名無史さん
09/02/18 23:06:47 0
中国人首領の下に日本人・中国人その他の混成で形成された海上貿易集団。
それが倭寇。
真倭と偽倭が別々の集団だったわけではない。

476:世界@名無史さん
09/02/18 23:09:31 0
>>471
「実際に脅威となっていた」 それは理解している。
その倭寇のそれぞれの構成を、と思って。
倭寇全体が真倭なのか、その三割だけが威継光と戦ったものなのか
手元にその史料はないから、聞くしかなかったのだけど
具体的な状況を示すことが叶わないなら、別にそれでもいい。
そちらの手元に、紀効新書以外の資料もあるのかと思って
手軽に調べられるなら、と都合のいいことを考えただけだから。

477:世界@名無史さん
09/02/18 23:10:17 0
>>475
>中国人首領の下に

発展途上国民が必死です。

478:世界@名無史さん
09/02/18 23:10:23 0
議論の運び方といい主張の内容といいゆとりウヨ臭が酷い。

479:世界@名無史さん
09/02/18 23:11:07 0
>>475
ということは、一集団も混成?
偽倭も、日本式の剣術使うのだろうか?

480:世界@名無史さん
09/02/18 23:11:51 0
>>476
それぞれの構成なんて>>458のどこにも書いてないけど。

>わかんなきゃいいけど、>>458の後半で定説っぽく書いてあるから
>当然、資料に拠っているものと思ったもので。

君は一体>>458で何を見て、倭寇の構成の資料があると思ったわけ?
頭おかしいんじゃない?

481:世界@名無史さん
09/02/18 23:15:01 0
>>480
書いてないじゃなくて、「知りたい」わけだ。
歴史の研究とはその詳細を詳らかにしていくことだから。

>>倭寇の構成の資料があると思ったわけ

それなりの定説なりが、あると思った。
断定的に書かれているから、最近の研究ではそこまで
いっているのかと。
つまり、別にない、ってことでおk?
で、三割の真倭が、主に明の辺境州を襲って経済擾乱を誘発させた
という認識でいいわけだね?

482:世界@名無史さん
09/02/18 23:16:56 0
480みたいなヒステリックな輩とよく話す気になるな
どうみても知ったかの厨じゃん

483:世界@名無史さん
09/02/18 23:19:49 0
>>481
>わかんなきゃいいけど、>>458の後半で定説っぽく書いてあるから

要するに本当は書いてないけど、頭のおかしい君が書き間違えた、と。

自分が「定説」が欲しかったわけだね?

484:世界@名無史さん
09/02/18 23:20:54 0
別にバカにしているとかではないよ。
軽く興味をもったから、どんな資料に依拠しているのか
探りをいれてみただけ。
そういうの気にならない?
もっとも、十のうち三の根拠もよくわかってない素人だけどね。

485:世界@名無史さん
09/02/18 23:21:01 0
>>482
発展途上国民乙。

完全論破。
チャンコロの大物、王直も
日本では松浦氏に土下座するただの乞食だったことが分かりました。

486:世界@名無史さん
09/02/18 23:21:45 0
>>484
資料は紀校新書ってはっきり書いてあるじゃん。
君、頭大丈夫?

487:世界@名無史さん
09/02/18 23:22:39 0
>>483
そうそう。
威継光は明の名将としても有名だしね。
なにか詳しい話があるかと物色。

488:世界@名無史さん
09/02/18 23:23:01 0
>>484ってあんまり日本語読めないんじゃない?

489:世界@名無史さん
09/02/18 23:23:39 0
>>486
ああ、ごめん。
言い直しておく。「研究資料」ね。

490:世界@名無史さん
09/02/18 23:24:13 0
煽りまくって勝利宣言とか……
そういう歴オタの知性は客観性と信頼性に欠けるんだよね。結局

491:世界@名無史さん
09/02/18 23:24:19 0
>>487
紀校新書っていうのがどういう本かよく調べてみたほうがいいよ。
あなたがバカだから知らないだけで
本当は知ってなきゃいけない本。

492:世界@名無史さん
09/02/18 23:24:23 0
完全論破ってのも痛いけど、中国人が日本の港を支配していたようなのも聞き捨てならんね。
本当ならソースを出すべきじゃね?

493:世界@名無史さん
09/02/18 23:25:47 0
>>489
紀校新書が研究資料じゃなかったら何なの?
逆に知りたいわ。

494:世界@名無史さん
09/02/18 23:25:59 0
>>491
武術教科書、だっけ?

495:世界@名無史さん
09/02/18 23:26:39 0
491 :世界@名無史さん:2009/02/18(水) 23:24:19 0
>>487
紀校新書っていうのがどういう本かよく調べてみたほうがいいよ。
あなたがバカだから知らないだけで
本当は知ってなきゃいけない本。

こいつ基地外すぎるよ。傍から見てて不愉快

496:世界@名無史さん
09/02/18 23:28:29 0
>>495
基地外すぎるチャンコロ乙。お前は傍から見てて愉快だよ。バカだから

497:世界@名無史さん
09/02/18 23:30:07 0
>>494
> >>491
> 武術教科書、だっけ?

無意味な「、」がキモすぎる。
武術だけではなく軍隊の運営に必要な知識が網羅された総合的な兵学書。

498:世界@名無史さん
09/02/18 23:30:08 0
倭寇に絞った概説書なり歴史研究書なりが
すぐには見つからんかったから聞いただけです。
まぁ不快に思ったならスルーしておいてください。

499:世界@名無史さん
09/02/18 23:31:14 0
>>498
最後に一つだけ答えて。

紀校新書が研究資料じゃなかったら何なの?
あなたの「研究資料」の定義が不思議でしょうがない。

500:世界@名無史さん
09/02/18 23:35:52 0
そうだね、もっと俯瞰して… 
その歴史的背景から、倭寇出現の遠因と変遷
活動範囲の具体的な色分けと、何回も言いますが
構成要因の、おおよその割り出し。
その被害と経緯、などを一連として書き出した
最近の研究書のこと。
紀校新書が手元にないことは前述していまして、もっと簡単に
手に入るそれがあるかと思って聞いていただけですよ。
最初から、それは言っていたと思いますが。

とまれ、長くつき合わせて申し訳なかった。

501:世界@名無史さん
09/02/18 23:37:19 0
>>500
3行目まで読んだ。

あなたの脳みそでは、妄想がバクハツしていることは分かりました。

502:世界@名無史さん
09/02/18 23:39:41 0
妄想?
研究書なり概説書なりの段落は、だいたいそういう区切りで構成されてますよ?
まぁ、無いということはわかったので、これ以上は粘着になりますから
失礼しますね。

503:世界@名無史さん
09/02/18 23:39:47 0
>>496
バカにも利口な人間とそうでないのの区別くらいはつく。
もちろんアンタは利口な人間には見えないな。
チャンコロ嫌いの割にチャンコロ的な事大主義を感じるんだが。同類嫌悪?

504:世界@名無史さん
09/02/18 23:42:04 0
>>503
>チャンコロ嫌いの割にチャンコロ的な事大主義を感じる

具体的にどうぞ。

現時点では、利口な人間とそうでないのの区別もついてないのは明白だなww

505:世界@名無史さん
09/02/19 00:08:26 0
>>439
> 元朝は日本人のごく一部に過ぎない倭寇にすら、散々な目に遭ってるからな。
? 倭寇は普通明代に入ってからで、元朝時代にはまだ殆ど活動してはいないはずだけど。
1350年に高麗が襲撃されたのが、海賊行為としてのいわゆる「倭寇」の最初とは聞くが・・

> 1309年には明州城が攻め入った日本人によって焼きの原にされている。
あれは攻め入ったんじゃなくて、明州市舶司の役人が不正に商品を横領しようとしたため
日本の商人たちと衝突した事件。市舶司の役人の横暴に日本の商人たちが怒って港に卸した
積み荷の硫黄を焼き払ったら、運悪く近隣住宅に燃え移り、官舎や道観など市街の中心部が
丸焼けになる大惨事なった。港湾施設と官舎や公共施設などは互いに隣接して周密な状態
だったため、出火後あっという間に燃え広がったらしい。(この時日本商船側は損失補填の
ために火災で混乱している市中に混じって掠奪を働いたとも)

この後、日本の商船や日本人は明州(現在の寧波。当時は慶元路とも呼ばれた)への入港が禁止され、
近隣の港町での交易に限定された。その後数回日本の商人たちの暴動があったらしいが、隔離的な
措置が功を奏したためか明州への直接的な被害は無くなったそうだ。
1309年の事件で華南一帯の港湾諸都市での日本人の評判はすこぶる落ちたらしいが、港湾施設での
暴動に備えるための沿岸警備が強化され、元朝政府からは色々制限は課されたものの日本からの
貿易は基本的に奨励されていたようだ。(元朝は自由貿易推進を国是としていて、しかも日本は
立場上元朝とは敵対していたため、抗議のしようが無く、交易を禁止することも出来なかったらしい)

1309年の事件は飽くまで現地の役人と日本の商人たちが衝突して偶発的に起きた暴動事件であって、
明代のような中国から朝鮮一帯を荒した海賊行為の一種である「倭寇」のそれでは無い。

というようなことを、榎本渉先生という方の「日本遠征以後における元朝の倭船対策」『日本史研究』
(2001/10)という論文で書かれてあった。

506:295
09/02/19 00:17:35 0
>>320
なんか用か?

507:世界@名無史さん
09/02/19 00:30:48 0
>>505
倭寇は普通、元寇の復讐として始まったというのが普通の説で
「倭寇は普通明代に入ってから」というあんたのオツムが異常におかしいだけ。

元・王乙 『海寇』

日本の狂奴は浙東を乱して、将軍変を聴いて気虹の如し。
沙頭に陣を列して烽煙暗く、夜半に?兵して海水も紅し。
篳?歌を按じて落月を吹き、髑髏酒を盛って清風を飲む。
何時か南山の竹を截り尽し、当年殺賊の功を細く写かん。

508:世界@名無史さん
09/02/19 00:34:07 0
>>505
「齎す所の硫黄などの薬を持って、城中を火やす。官府・故家・民居」
「慶元と日本は相接し、且つ倭商のために焚き毀される。
宜しく請う所の如くし、その餘の軍馬遷調はこと機務に関わり、別に議して行なうべし。」

どう見ても硫黄を持ってばらまいて火をつけてます。
運悪く燃え広がったってどこに書いてある?

「延祐四年(一三一七)、四明に往って、倭人の互市を監する。
これより先に、往って監する者は外夷の情の測られないのを懼れて、
必ず厳兵して自衛し、大敵を待つがごとし。」(元史)

509:世界@名無史さん
09/02/19 00:35:43 0
倭寇とはなにか?

510:世界@名無史さん
09/02/19 00:37:23 0
>>509
元寇=蒙古襲来
倭寇=日本襲来

511:世界@名無史さん
09/02/19 00:37:56 0
元代の学者の呉莱(一三四〇年没)いわく

「今の倭奴は昔の倭奴とは同じではない。
むかしは至めて弱いと雖も、なお敢えて中国の兵を拒まんとする。
いわや今は険を恃んで、その強さはまさにむかしの十倍に当たる。
さきに慶元より航海して来たり、艨艟数千、戈矛剣戟、畢く具えている。
(中略)その重貨を出し、公然と貿易する。
その欲望を満たされなければ、城郭を燔?して居民を略奪する。
海道の兵は、猝かに対応できない。
(中略)士気を喪い国体を弱めるのは、これより大きなことはない。
しかし、その地を取っても国に益することはなく、
またその人を掠しても兵を強めることはない。」


榎本渉が誰か知らんがまさに(失笑)だな。

512:世界@名無史さん
09/02/19 00:38:07 0
この板にもID欲しいなあ、と思ったり。

513:世界@名無史さん
09/02/19 00:45:00 0
>>しかし、その地を取っても国に益することはなく、
>>またその人を掠しても兵を強めることはない。

すごいな、ほんと荒らしているだけなんだな。
国益に供することができないのは、彼らが日本のアウトローだから?



514:世界@名無史さん
09/02/19 00:49:42 0
中世の日本に日本全体の国益、なんつう発想を持ってた連中はほとんどいないと思うが。

515:世界@名無史さん
09/02/19 00:52:40 0
騎馬民族と同じで略奪が目的だから土地の所有に意味を見出さないんだよ。
なにより落とした城に大名を招きよせたら、それ以後自由に略奪できなくなる。
元人にシコシコ働いてもらって思い出したように略奪するのが得だった。

516:世界@名無史さん
09/02/19 00:57:15 0
あれ?
その地を取っても国に益することなく云々は
元側の嘆きなんじゃないのか?

倭寇の被害で国力は弱まるのに、取り返しても益するところなく
倭寇の団員を捕縛しても、(面従腹背で)戦力にはならない

とかいう感じで。

517:世界@名無史さん
09/02/19 01:00:46 0
>>504

真倭>偽倭なのは確実としても、
防衛側の明兵にとって、残り7割の偽倭は自分たちと同一民族。
これを無視して嘉靖大倭寇がまるで日本人だけで海上覇権を握った、
王直は日本の威を借る狐、という主張がおかしい。

支那人が恐れていたのは、
戚継光の紀效新書に書かれている真倭(日本人)だけ、みたいな主張もおかしい。
偽倭は書かれていない=偽倭はまったく脅威ではなかった
という自論に都合のいい方向に解釈する読み方が恣意的でおかしい。

具体的な戦力の構成と戚継光の対戦相手についての質問には一切答えず
ひたすら相手の揚げ足を取るだけでヒステリックにかみついて議論のシャットアウトしたのもおかしい。

ついでに言うなら純日本人の俺をチャンコロ認定するのもおかしい。

私はバカな人間なのは事実だが利口な人間と話して
あんたほど胡散臭い感じを受けたことは一度もないな。
つまりあなたがどういう人間かぐらいは分かる。

518:世界@名無史さん
09/02/19 01:01:28 0
そうおもったので、そうでない方向の模索の先に不成立を見いだそうとした。

519:世界@名無史さん
09/02/19 01:06:16 0
>>517
ところで「倭」や「賊」など様々な表現をされているこれら「倭寇」集団が、
実際に日本から来た「真倭」を中心としているとは
これら史料の記録者たちも見なしてはいなかった。
『倭変事略』では最初に海塩沿海に上陸した「倭寇」が
「日本人」の漂着者を装ったことを記しているが、
その後これら「倭」が立ち去った廟堂の壁に
漢詩を書きつけていった者があったことを記して
「多くは中国不逞の徒に由り、衣冠失職の書生の志を得ざる如きの者、其の中に投じ、
これの奸細と為る」という鄭端簡らの意見を紹介して
「この四十賊を観みるに亦た能く題詠する者あり。
則ち乱を倡える者はあに真倭の党なりや。
厥の後、徐海・王直・毛烈ら並べて皆華人なり。
信ず可し」と、これら「倭寇」の多くが「華人」であったことを示唆している。

520:世界@名無史さん
09/02/19 01:07:38 0
寇起こりて四年、初めは十を以って計う。漸く数百数千の衆きに至る。
今則ち聚りて幾万を為す。始め一方を寇して沿隣邑旁郡の間に次り、
猶お顧忌を懐く。今歳は則ち浙の東西、江の南北に満つ。

↓↓重要
名は倭寇と雖も実はショウ泉寧紹の民の勾引して乱を為す。

今歳は客兵の附党、郷民の投入多し。
昔は但だ剽掠して毎ごとに郊野海浜の区に竊窺し、飽けば即去せんと欲す。
今歳は則ち郡邑の城池を攻め腹裏の内地に拠る。

521:世界@名無史さん
09/02/19 01:11:36 0
いずれも嘉靖大倭寇について記したもの。

大体、嘉靖大倭寇の話自体、こちらは微塵もしていない。

それから嘉靖大倭寇が海上覇権を握ったなど事実誤認もはなはだしい。
数十人から数百人程度の集団が散発的に襲撃を繰り返しただけ。

正規軍がきたら逃げるしかないソマリアの海賊が
ソマリアの海上覇権を握ったなどと表現するバカはいないだろう。
君はどうか知らないがねwww

522:世界@名無史さん
09/02/19 01:14:10 0
>>517
嘉靖大倭寇ってスレ内検索してごらん
あんたが初めて出した言葉だから

妄想バクハツしすぎwww

523:世界@名無史さん
09/02/19 01:17:34 0
wikiによれば、嘉靖大倭寇は後期倭寇の主力ということらしいから
名称が始めて出てきただけで、別に問題ないんじゃない?
戚継光が戦ったのがコレなんでしょ?

524:世界@名無史さん
09/02/19 01:20:02 0
>>520
>今歳は客兵の附党、郷民の投入多し。

ここがポイント。
>数十人から数百人程度の集団が散発的に襲撃を繰り返しただけ。
の初期嘉靖大倭寇が、真の大倭寇に成長した理由。

要するに、最初はへなちょこ偽倭寇の、こそ泥の回数が増えただけだったのが
本来鎮圧にきたはずの外部からの軍隊とか、地元の人間が加わって
大倭寇に成長した。どっちみち真倭は関係ありませんな。

525:世界@名無史さん
09/02/19 01:22:19 0
>>523
>wikiによれば

失笑wwwさすがは世界史板wwww

526:世界@名無史さん
09/02/19 01:23:28 0
>>525
でもそっちは根拠なしだよね?
どっちもどっちだな、こりゃ。

527:世界@名無史さん
09/02/19 01:25:31 0
>>526
「倭変事略」
「嘉慶松江府志」

これがソース。あなたのソースはWIKIPEDIAなんだよね(笑

528:世界@名無史さん
09/02/19 01:27:04 0
倭寇(14~16世紀)
嘉靖年間(1522~1566)
戚継光(1528~1587)
王直(1???~1559)

529:世界@名無史さん
09/02/19 01:27:40 0
ふうん、じゃあwikiが間違っているということか?
正しくは、>>521

530:世界@名無史さん
09/02/19 01:28:26 0
>>526
根拠根拠言いまくる割りにお前の根拠はwikiかよwww

思考は非論理的で唐突だし
いきなり嘉靖大倭寇の話を持ち出すwww

キチ外すぎるwww

531:世界@名無史さん
09/02/19 01:30:00 0
これが知恵遅れの実例です↓

>>523
>wikiによれば

532:世界@名無史さん
09/02/19 01:30:52 0
>>530
いや、おれにはもともと資料はないって明言したろ。
仕方ないから、手軽なwikiを漁ってただけだよ。
ま、気が向いたらいくらかでも教えてくれればいいよ。
ソース付きでね。

533:世界@名無史さん
09/02/19 01:32:30 0
>>532

>>523
>wikiによれば

(苦笑)

534:世界@名無史さん
09/02/19 01:35:27 0
あ、おれ>>517とは別人だから。
もしかしたら混同してるような気がする。
倭寇の構成を聞いていた方だからな。

おれが倭寇について無知なのはわかっているが
他の人までひとまとめにしないように。

535:世界@名無史さん
09/02/19 01:40:16 0
URLリンク(www2s.biglobe.ne.jp)

536:世界@名無史さん
09/02/19 01:53:32 0
・鎌倉幕府は野蛮な侵略主義者ではない
・もし本気で攻め込んだら大都など簡単に占領していた
・なぜなら、元朝はごく一部の倭寇にすら、散々な目に遭ってるから。1309年明州城
・「実際に」明軍をボコって沿岸部を好き放題荒らしていたのは真倭。
・中国は日本人のテリトリー
・紀効新書は兵学書なので偽倭は「実際の」脅威ではない
・真倭にボコられる程度の明軍が怖くて、日本の領主に貢物を差し出して守ってもらっていた。
・王直は日本の威を借る狐
・「実際に」脅威となっていたのは日本人の倭寇。
・先進国の企業家=松浦氏
・途上国の海賊や現地有力者=王直とその手下
・明=発展途上国

>>438あたりから読んでここら辺が引っかかる。

537:世界@名無史さん
09/02/19 05:59:47 O
ナルで気取るから騎士はいや あせもだらけ

538:世界@名無史さん
09/02/19 06:05:36 0
倭寇って中国人メインの連中でも日本沿岸を襲撃することはなかったのか?

539:世界@名無史さん
09/02/19 06:38:25 0
中国で、「日本人」=「圧倒的に強い」と認識されていたから、中国人の海賊まで日本人の振りをするんじゃん。
そういう認識の連中が、日本沿岸襲撃など恐ろしくてできるわけない。

540:世界@名無史さん
09/02/19 07:45:03 0
狂信的な日本オタが暴れまくってるな。

オタというより信者と言うべきか。

541:世界@名無史さん
09/02/19 07:57:51 0
>「真倭」という表現について言えば、官軍の兵士が「倭寇」と戦い、敵を捕獲・殺害した場合の論功行賞には
>「真倭」の首級を挙げた場合についての規定が存在した。
>『籌海図編』巻十一公賞罰の中には兵部尚書張時徹の賞功の例が引かれ、

>有名の真倭賊首一名顆を擒斬する者は三級を陞し、陞授を願わざる者は銀一百五十両 を賞す。真倭の従賊一名顆を獲る、
>ならびに陣亡する者は一級を陞し願わざる者は銀五十両を賞す。
>漢人の脅従賊二名顆を獲る者は署一級を陞授し願わざる者は銀二十両を賞す。

>とあり、「漢人の脅従」よりも「真倭」を擒斬した方がより高い功績と見なされていたことがうかがえる。
>また「真倭」の中にも「有名賊首」「従賊」の区別があることも知られる。

>実際にはその指導層から末端の参加者まで明出身者が圧倒的多数だった倭寇に対するに当たって
>「真倭」の敵の方がより重視される対象となっていたのはなぜだろうか。
>石原道博氏が著書『倭寇』で指摘したところの明官憲による政治的宣伝(自国内の反乱活動を異民族の侵入にすりかえるなど)
>の意図も感じられなくもないが、実際に「真倭」が強力な戦闘要員であったとの解釈も可能かもしれない。

>『籌海図編』巻二の「寇術」
>「倭奴の我に勝るは専ら術を以てなり。即ち其の術を以て其の人に還治す。
>必ずしも古の兵法を用いざるも勝たざるを蔑む。故にこれを誌す」

>として胡蝶陣などの「倭夷」独特の戦闘法を詳細に記し、実際に彼らがその戦闘力を恐れられていたことがうかがえる。

以上都合のいいところだけ引用w

542:世界@名無史さん
09/02/19 08:23:30 O
>>538
お金が欲しくて強盗ってのはするもんだ。
貧乏人を襲ってどうする?

543:世界@名無史さん
09/02/19 08:29:07 0
>>452
今の教科書や漫画にどんなことが書いてあるかは知らないけど、秀吉の死後も大阪城には山のように金塊が
残っていたというのは事実だよ。
で、その財産を減らすために、ほとんど無理矢理に多くの寺社仏閣の建立・修復をさせた。

大阪冬の陣のきっかけになった「国家安康」「君臣豊楽」という文字が書かれた鐘のある寺が、その時に修復し
た方広寺。

544:世界@名無史さん
09/02/19 08:29:40 0
中世の日本は世界屈指の経済大国だよ

545:世界@名無史さん
09/02/19 09:09:22 0
>>543
大阪の陣で10万の浪人養ってるしな、関が原以降の豊臣の直轄地は65万石ぐらいで石高だけで養えば1万6千から2万くらいが打倒
浪人を養えたのは金銀握って宝

546:世界@名無史さん
09/02/19 09:13:58 0
実際、戦国時代は金山祭りだったからな。
しかしそれ以前は? だいたい1560年以前。
後期倭寇の最大活躍はそれ以前の年代なんでしょ?

547:世界@名無史さん
09/02/19 09:45:54 0
『宋史』日本伝
「東の奥洲は黄金を産し、西の別島は白銀を出だし、以て貢賦となす」

昔から日本は豊かな国だったよ

548:世界@名無史さん
09/02/19 09:57:51 0
武士が強かったソースはいくらでも出るが
弱かったソースが何一つ出ないのはどゆこと?

549:世界@名無史さん
09/02/19 10:01:23 0
武士がものの役にたたなかったのは、幕末の頃だけだから。
陣羽織が死蔵されていたのを嘆いた歌があったよね、たしか。

550:世界@名無史さん
09/02/19 10:43:43 O
幕末武士は兵器が劣ってただけで、
西欧人は命を簡単に投げ出す侍には得体のしれない恐怖を感じてたとある。

551:世界@名無史さん
09/02/19 10:52:34 0
浦賀のときの話だな。

552:世界@名無史さん
09/02/19 11:19:06 0
倭寇の親分が中国人だったから云々から妙な流れになってるけど
別に王直は明の役人でも封臣でもなんでもないんだから荒れるなよ。
山田長政がアユタヤで知事やってても、別にマレー半島の辺りが日本領な分けじゃないだろ。

553:世界@名無史さん
09/02/19 13:02:17 O
というか、騎士が強かったという事例は無いのか?

このままだと、武士>騎士は確定だぞw

554:世界@名無史さん
09/02/19 13:18:56 0
いや、それはマジで確定だし。
ただ、日本の武士は大陸への侵攻を完全に果たしていないので
騎士と武士が直接対決した結果、その力関係というわけではない。

555:世界@名無史さん
09/02/19 16:07:06 0
まあ、著名は倭寇の首領は中国人ばかりで、
日本人の首領なんて名前も残ってないわけだが。

平戸の松浦氏なんて、王直とかにペコペコしてたんだろ。

556:世界@名無史さん
09/02/19 16:18:04 0
朝鮮半島と地続きだったら
蒙古には勝てるか分からんが
朝鮮と明には必勝だと思われる

557:世界@名無史さん
09/02/19 18:14:40 0
倭寇は、日本では、侍には太刀打ちできないただのこそ泥だったが
雑魚なチャンコロ相手に荒稼ぎしていました。l

558:世界@名無史さん
09/02/19 18:35:19 O
倭冦って商売なんだよ、もともと。知らない人もいっぱいいるみたいだけど。
元や明で品物を買って日本に売るのが仕事で、すげーもうかってた。
でも、買わないで無理矢理奪ってたほうがもっと儲かるってわかっちゃった。

559:世界@名無史さん
09/02/19 18:38:51 0
>>556
そもそも地続きだったら、全く違う国になっていただろ。

560:世界@名無史さん
09/02/19 18:42:14 P
>556
地続きだったら日本は中国の衛星国だろうよ

561:世界@名無史さん
09/02/19 20:03:57 0
>>560
地続きの場所にもよるけどな。
中国からみて、朝鮮半島の向こう側だと、建前上の衛星国家にはなっても
やはり独立傾向は強かったと思う。
あまり変わらん気もするな。
しかし、元寇にはもっと手を焼いたかもしれないし、あるいは
勝ったとき、追撃で元の物資や、領土が手に入ったかもしれないし。

562:世界@名無史さん
09/02/19 21:04:25 0
王直は日本にいる時は和服着て日本語話して和名を名乗ってたそうだし
ほとんど日本人みたいなもんだったんじゃないの?
中国人には「王直=裏切り者の売国奴」と認識してる人も多い

563:世界@名無史さん
09/02/19 21:08:16 0
そりゃあ雑魚の明兵程度にびびって
松浦氏に土下座して匿ってもらってたわけだからね。
チャンコロヘボすぎ。

564:世界@名無史さん
09/02/19 21:16:31 0
松浦氏が王直に土下座してたわけだが。

565:世界@名無史さん
09/02/19 21:35:01 0
びびって逃げてきた奴を匿ってやってるのに
何で匿ってやってるほうが土下座するんだよ
チャンコロって頭おかしいね

566:世界@名無史さん
09/02/19 22:02:07 0
政治的配慮とかいう高度な技術なんじゃないの?

567:世界@名無史さん
09/02/20 00:01:20 0
>>410
>倭寇にできた騎馬の船舶運搬が、高麗や元にできない理由を聞いてるんだけど。
だから俺は別にこんなことは主張しとらんといっとるやろが
遅レスだが、やってもいないことで責められるのは我慢がならないので一応言っとく

568:世界@名無史さん
09/02/20 00:03:58 0
すげー日本人様が大陸進出に失敗したのか誰かkwsk

569:世界@名無史さん
09/02/20 00:07:26 0
つーか武士>>騎士とかほとんど確定してるんだし、
お互いの文化の共通点とか、相違点とか、いろいろ語らんか?
日本最高も結構だが・・・

570:世界@名無史さん
09/02/20 00:23:08 O
お互い職業軍人だから不必要な残虐行為を嫌い名誉を重んじる
武士道なり騎士道なるものが建前として存在

いざとなるとそれを無視するのも同じ

だが平和時には流浪の武芸者が自らの武芸を競ったのは同じ

騎士はそれに女性や宗教が絡んでくるな

日本の武芸大会は名誉より仕官のためという要素が大きいかも

571:世界@名無史さん
09/02/20 00:24:33 0
武士は武士道という哲学を近世に規範と定めたから政教分離を要求する近代政治にも適応できた。
騎士はキリスト教という宗教を近世に規範と定めたから政教分離を要求する近代政治に適応できなかった。

572:世界@名無史さん
09/02/20 00:24:37 0
>>568
兵站がタコだから

573:世界@名無史さん
09/02/20 00:24:49 0
>>569
>つーか武士>>騎士とかほとんど確定してるんだし、

それはおまえの偏見だ。

574:世界@名無史さん
09/02/20 00:25:37 0
ヨーロッパ本土の騎士とインド洋や大西洋で貿易に従事した武装商人とどちらが強いのか。
バンコクで日本人の傭兵部隊はスペインの武装商人に圧勝したというが、
これを日本の武士とヨーロッパの騎士との対決にそのままあてはめるわけには行かないだろう。


575:世界@名無史さん
09/02/20 00:30:31 O
>>571
うーん。
軍事力が専門技術を必要としないライフルにかわったから
騎士は没落していったよーな。
あと農業の相対的地位の低下も封建領主である騎士の力を削いだし


武士は明治維新という近代化で没落といえないかい?

576:世界@名無史さん
09/02/20 00:31:28 0
いつ確定したんね?
欧米人側から見ればまた違った見方になる。
武士はランスチャージの技術がなかったし(戦闘時はわざわざ下馬)、防具の堅牢さでは騎士に劣るし、
突っ込みどころは武士側にも多数。
戦国日本は投石部隊がいたりと、実際かなり妙な部分もある。
個人的に大鎧は動脈がある脇の下ががら空きなのがすごく気になる。
騎士の防具は鎖帷子にしろ、プレートメイルにしろそういう急所は確実に守っている。
ウリナラマンセーでは結局墓穴を掘るもんよ。

577:世界@名無史さん
09/02/20 00:33:13 0
ドイツでは騎士階級がそのまま近代国民軍の将校などの人材を供出する母体となったが。


578:世界@名無史さん
09/02/20 00:38:53 0
オスマントルコの攻撃に何とか持ちこたえている騎士と
明軍相手に一進一退を繰り返していた武士を比較するとどうなのか。


579:世界@名無史さん
09/02/20 00:39:16 0
中世騎士って戦術とか用兵術とかどうなんだろね
日本の場合中国からその手の書物とか流れてきてたが

580:世界@名無史さん
09/02/20 00:55:19 0
>>576
ふーん。いろいろ技術はあるんだね。
でも結果に結びついてないんだから無駄なことに時間使ってたわけだ。

戦争の効率でも 武士>>>騎士 が確定しました。

581:世界@名無史さん
09/02/20 00:57:13 0
>>578
オスマントルコにウィーン包囲されて
壁の中で震えるしかなかった雑魚騎士と
外地で明と世界最先端の兵器を使ったタイマンを繰り広げていた武士

武士>>>>>>騎士

証明終了。

582:世界@名無史さん
09/02/20 01:00:15 0
>>574
日本人傭兵に頼った理由は、ヨーロッパ人の傭兵が雑魚すぎたから。
ルソンのスペイン領事も「日本に攻めてこられらたら占領されます」
とスペイン国王に明言している。

583:世界@名無史さん
09/02/20 02:17:02 O
>>576
日本もやってたスリングの投石は習得するのはムズいが、
飛距離威力ともに少なくとも単弓より上だよ。
飛距離長いから弓兵の後ろに投石部隊いたりする


あと脇を狙うのはムズいから防御における選択と集中をやったんでしよ

584:世界@名無史さん
09/02/20 08:46:30 0
>>572
日本が、結局本土から遠くに遠征しかつ恒久的領土を得られなかったのは
それが大きな要因かもしれん。
個として武士は強いだろうが、それはつまり戦術が優れているのであって
それらを指揮し統率する者たちがお粗末といえる。
それは戦略あるいは経略であって、領土拡大には欠かせない。

日本は、「兵士は強いが、地位があがると無能になる」という不文律を
先の大戦のとき、列強に指摘されていた。


585:世界@名無史さん
09/02/20 09:21:02 0
格闘技とか見てると日本人選手はしょぼいんだが。
殺し合いだと凄いパワーうpするのか?
それとも戦後以前は化け物だったの?

586:世界@名無史さん
09/02/20 09:23:49 0
今の日本に武士の魂があるとでも?

587:世界@名無史さん
09/02/20 09:29:52 0
ブラジルの格闘家に銃で襲われたらどうする?とインタビューで聞かれた時
こっちも銃で対抗する、て言ってたよ

個人の膂力の強さや体格の差なんて刃物と飛び道具の世界じゃさして意味はない

588:世界@名無史さん
09/02/20 09:33:39 O
装飾槍騎兵<<長弓
そして武士は弓の名手であり、騎士はランスチャージしか知らない突撃馬鹿。

後、当時の武装商船には多くの騎士が乗っていた。あいつ等、その位しか仕事無かったんでね。

騎士に勝ち目はネーヨw

589:世界@名無史さん
09/02/20 09:36:17 O
間違えた

装甲槍騎兵<<長弓




590:世界@名無史さん
09/02/20 10:08:12 0
>日本は、「兵士は強いが、地位があがると無能になる」という不文律を先の大戦のとき、列強に指摘されていた。

近代戦の軍人で地位の低いときは有能だったのに地位が上がって無能と評される例って
ロンメルいがい思いつかんのだが日本の軍人だと誰なの?

あ、結果論での評を聞いているんじゃないよ。

591:世界@名無史さん
09/02/20 10:13:42 0
なんで一気にスレ伸びてんだよw

592:世界@名無史さん
09/02/20 11:33:19 P
>近代戦の軍人で地位の低いときは有能だったのに地位が上がって無能と評される例って
>ロンメルいがい思いつかんのだが日本の軍人だと誰なの?

ピーターの法則ってやつでしょ。
「人間は能力の極限まで出世する(ので無能な上官になる)」

で、ジューコフが「日本の兵隊は勇敢だが将校は無能だ」って言った話だろ

593:世界@名無史さん
09/02/20 11:47:19 0
なんだ「陸軍=悪、海軍=善」という戦後半世紀はこびった図式の流れか(苦笑

最近じゃピーターの法則はそういう解釈なのか?>592

594:世界@名無史さん
09/02/20 12:06:08 O
というか、このスレに近代関係無いし。

やるんなら、日本武将と騎士の将軍を比べようぜ。

595:世界@名無史さん
09/02/20 12:14:15 0
>>574
アルマダの海戦では、インド洋や大西洋で貿易に従事していた武装商船が、そのままスペイン艦隊の主戦力じゃん。
よって東南アジアにおける日本人傭兵の勝利は、そのままヨーロッパの騎士との対決にも当てはまる。

596:世界@名無史さん
09/02/20 16:27:10 0
李舜臣>日本人>欧米人でFA

597:世界@名無史さん
09/02/20 16:57:48 0
日本は「過去」は西欧より強かったが「今」は欧米の奴隷だから。

598:世界@名無史さん
09/02/20 17:46:08 0
欧米の経済を握り締めているなんて随分と凄い”奴隷”がいたもんだなw

599:世界@名無史さん
09/02/20 18:09:04 O
ローマに仕えるギリシャ人奴隷みたいなもんで、たとえ奴隷が主人より優れてても、
主人はいざとなったら経済のルールを変えるだけだから無問題

600:世界@名無史さん
09/02/20 18:10:54 0
>>598
じゃあそれを武器に優先権を主張してみれば?
できないだろう?
握らされているだけだからなw

601:世界@名無史さん
09/02/20 18:18:12 0
お互い武器握って角付きあわせてんだから、握らされるも何もないわなw

まぁ確かに隣が銃持ったらこちらも銃持つってのは見方によっては「握らされてる」には違いないがw

602:世界@名無史さん
09/02/20 18:28:24 O
とりあえず、騎士が武士に完敗したからって、悔し紛れに現代持ち出す馬鹿を相手にするのは止めよう。

悔しかったら騎士が優れている事例でも挙げるんだなw

603:世界@名無史さん
09/02/20 19:13:50 0
近代においてドイツ貴族のユンカーは精鋭ドイツ軍の中核を担っていた。
日露戦争においてロシア相手に旧士族の将校を根幹とする日本軍は苦戦したが、
第一次大戦においてプロイセン・ドイツ軍はタンネンベルクの戦いでロシア軍を壊滅させ、
ウクライナの大半を占領した。
近代のユンカーからなるプロイセンドイツ軍をそのままヨーロッパ騎士の実力にあてはめるのは無理かもしれないが、
ドイツ陸軍と日本陸軍を比較することで騎士と武士の比較の参考にはなると思う。




604:世界@名無史さん
09/02/20 20:14:58 O
ならねぇよ!w

取りあえず、武士と騎士の比較に近代やら現代やらを出すのは止めてくれ。

どっちも没落した後の話なんだから、意味無いの!

だから、WW1も駄目だし日露戦争も駄目!

最低でも、近世までだろ。

605:世界@名無史さん
09/02/20 21:13:33 0
日本の武士の装備を鑑みると、騎士のランスチャージが発動すれば、
もろくも粉砕されるほかないと思う。
サラセン人の軍隊ですらランスチャージには手を焼いた、というか一端突撃体制に持ち込まれれ
ばもうどうにもならなかった。
日本の武士は馬上で槍を使えないし、盾もないし、着てる鎧は皮革製だし、近接戦闘で
騎士に勝てる要素は皆無だね。乗ってる馬まで小さいし。

606:世界@名無史さん
09/02/20 21:17:04 0
小さい蒙古馬の鎧も無く皮充てぐらいの軽装備のモンゴル軍にフルボッコだったドイツ騎士団について。


607:世界@名無史さん
09/02/20 21:39:33 0
>>606
ワールシュタットの戦いを記録したポーランドの年代記あたりで、
モンゴル軍はほとんど鎧もつけて無かったとか出て来るのだろうか?

608:世界@名無史さん
09/02/20 22:25:10 0
ランスチャージなんて雑魚ぞろいの暗黒時代の中世でしか通用しないよ

鎌倉武士やモンゴル軍のような先進国の兵隊にかかれば
散開して簡単にかわしてその後矢を好き放題打ち込んで終了。

609:世界@名無史さん
09/02/20 22:41:07 O
ランスチャージに武士が耐えれるかより、和弓の連射に騎士が耐えれるかを考えよう。

610:世界@名無史さん
09/02/20 23:05:13 0
イングランドのパートタイム長弓兵ごときに惨敗した騎士。

イングランド長弓兵より射程の長い2mクラスの大弓を騎乗して使いこなす上
接近戦もどんと来い。武士相手に退こうが進もうが切り殺されるだけ。

まさにコンプリートファイター。騎士ごとき勝てる相手ではない。

611:世界@名無史さん
09/02/20 23:09:05 P
和弓って洋弓より威力や連射速度や射程が優れてるの?

612:世界@名無史さん
09/02/20 23:19:56 0
和弓のほうが張力が弱いので連射がきく。
しかも射程も優れている。二つは矛盾しているようだが理由がある。

和弓は肩口まで引くが、洋弓はアゴまでしか引かない。

肩口まで引くと広背筋がたるんでしまって力が使えなくなる。
だからそれに合わせて張力も弱い。
その代わり矢が弦から離れるまでの時間が長い。
その上和弓の技法、「返し」によってその時間がさらに延びている。
だから張力を、矢の運動エネルギーに最大限変換することができる。

このため、習熟には時間がかかるが、和弓のほうが洋弓より威力が大きくなる。


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch