信長軍とローマ軍は戦争したらどっちが強いの??at WHIS
信長軍とローマ軍は戦争したらどっちが強いの?? - 暇つぶし2ch350:世界@名無史さん
09/01/10 18:23:48 0
ま、戦術っつのは、そのときの成り行きをいかに相手よりうまく利用するか、だからね。
問題は戦略だろ。
時代と装備の違う軍隊を、同数でしかも戦場が決まっているなら、勝敗はあきらかだろうが。

351:世界@名無史さん
09/01/10 18:28:34 0
馬鹿がポーランドスレまで立てたな。
いくつでも立てるなこの馬鹿。

352:世界@名無史さん
09/01/10 22:54:51 0
そのうち「信長軍と在日米軍は戦争したらどっちが強いの??」ってスレでも立てるんじゃないか?

353:世界@名無史さん
09/01/10 23:18:20 0
信長軍と自衛隊、にはならないか

354:世界@名無史さん
09/01/11 05:18:06 0
情報の伝達が非常に難しいから、戦争開始前に作戦を立てても
あとは、状況次第になりやすいだろう。名将の場合、まわりが
名将の周辺の部隊の動きに合わせるだろうから、名将の兵の
運用能力が高いのではなくて、自動的に合わせてしまうんだろうな。

355:世界@名無史さん
09/01/11 08:56:20 0
>>354の考える「名将」とはなにか?

356:世界@名無史さん
09/01/12 21:37:31 0
354の文から見ると

第一に魅力
第二に統率力
第三に知力

なんだ旬(+草冠)或じゃないか

357:世界@名無史さん
09/01/12 22:02:33 0
一番興味があるのは信長が南欧&西欧を支配したらどんな政治をするかと
いうこと。ロシアのタタールのくびきみたいになるのかな。歴史の教科書には
どういうふうにのるか興味がある。

358:世界@名無史さん
09/01/13 18:45:41 O
カトリック、イスラム、ギリシア聖教がごちゃまぜな所でしょ
で日本の宗教観で上手くいくのかな?

359:世界@名無史さん
09/01/14 16:20:02 O
モンゴルのほうがましか

360:世界@名無史さん
09/01/14 21:36:53 0
曹操vs織田信長vsカエサルvsナポレオンvsフリードリヒ大王vsグスタフアドルフvsアレクサンドロス
スレリンク(warhis板)

361:世界@名無史さん
09/03/11 00:26:46 0
age

362:世界@名無史さん
09/03/11 01:01:27 0
なんだか意見がここでも真っ二つに分かれてるぞ。

URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)

363:世界@名無史さん
09/03/11 16:15:19 0
age

364:世界@名無史さん
09/03/12 17:07:07 0
age

365:しゃあ ◆kOj48Fh3IE
09/03/13 22:26:28 0
策源を、史実通り
ローマ軍:ローマ市、信長:安土城
として
中央アジアあたりで会戦という設定なら、いい勝負かローマの勝
じゃね?


366:世界@名無史さん
09/03/13 22:45:17 0
どっちも中央アジアまでくるまでに補給がのびきってろくに戦えないでFA

367:世界@名無史さん
09/03/14 06:59:15 0
1位…真田幸村 21532票
2位…伊達政宗 19438票
3位…上杉謙信 17254票

Yahoo!惚れて候!戦国武将人気投票結果
URLリンク(weekly.yahoo.co.jp)

368:世界@名無史さん
09/03/14 22:19:16 0
>>315
多分それは塙団右衛門の印象が強かったんだろう

369:しゃあ ◆kOj48Fh3IE
09/03/27 19:35:58 0
>>366
アレクサンダー・マケドニアは、エーペイロスからインダス川河畔までの補給線を維持した。
つか、戦争は補給じゃね?


370:世界@名無史さん
09/05/15 20:05:28 O
秀吉の城攻めの時の土木工事はカエサルを彷彿とさせるな

371:世界@名無史さん
09/05/16 00:40:36 0
逆に同年代のヨーロッパ諸国に信長軍が勝てるかっていう。
明らかにムリっていう。
鉄砲持ってる奴らが1000年位も昔の人間に勝って凄~いw
とかアホかっていう。

372:世界@名無史さん
09/05/17 08:58:14 0
信長厨は飽きてゲーム板に帰ったのか

373:世界@名無史さん
09/05/19 00:15:43 0
「紀效新書」1595年 戚継光
「これは日本のサムライが明に攻めて来た時に初めてわかったことである。
彼らは舞うように跳び回り、前方への突進は光が閃くようで我ら明の兵は
恐れおののくのみだった。 日本人はよく躍動し、一息で一丈(約3m)も
飛び込んできて、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間隔があっても攻撃される。
我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎて、(サムライと)遭遇すれば皆両断されて殺される。
これは彼らの武器が鋭利であり、両手で振れる強力で重い刀を自在に用いているためである」

「揮刀如神」 明末期 
「日本のサムライの剣術はまるで神の如しだ。 我々の兵士(明兵)はサムライを見れば皆身が
すくみ逃げ腰になる。 剣術に優れたサムライだが剣術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。
弓の扱いも我が弓兵と互角、その他あらゆる兵科と比べても不足が見つからない。
本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、 子供の頃から武術を鍛えられ始め、
壮年にいたれば手に負えなくなる」

「単刀法選」 程宗猷 1621年
「日本剣術は神秘的だ。左右への跳躍が凄まじく誰にも予測できない。
そのため長技(槍)を使っても毎回刀に負けてしまう」

「広東新語・語器」 屈大均(1630~95)
 「日本人が全力で動く時風のように漂って動く。 常に寡兵で陣に入って来て、
大勢の兵士でも抵抗できない。 その刀の使い方は、長い方で構え守り、短い方で止めを刺す。
しゃがんでいるかの如く低く移動し、決して退かない。 相手が何人いようと対応する、島の中の絶技である」

「大君の都」 Rutherford Alcock 1863年
「彼ら(サムライ)は、相当に熟達した刀の使い手である。小さい方の刀を使うときは、
二度突く必要は無い。たったの一突きで相手に致命傷を与える。大きいほうの刀を使うと、
ただの一振りで相手の四肢を切り捨ててしまう」

374:世界@名無史さん
09/05/20 00:53:42 0
ローマのような土人軍が信長様に勝てるはず無いじゃないか

375:世界@名無史さん
09/05/20 10:23:15 0
一揆なんかは信長に勝ちまくってるけどな

376:世界@名無史さん
09/05/22 17:14:10 0
自分が倒した相手を単なる雑魚だったって言ったら恩賞減っちゃうじゃん
強大な敵であったって言ったほうが自分の評価は上がる

377:世界@名無史さん
09/06/18 10:54:54 0
織田夢謀丸様軍の方が世界最強であることは実証済みでつ

378:世界@名無史さん
09/06/30 00:17:32 0
t

379:世界@名無史さん
09/06/30 09:35:27 O
>>371
> 鉄砲持ってる奴らが1000年位も昔の人間に勝って凄~いw
> とかアホかっていう。
同感
そこまでしないと持ち上げられないヘタレなのかと。
信長儲はどこまで信長を馬鹿にすれば気が済むのか。


半村良のように、軍としての最小限の戦闘力で昔の軍にどこまで渡り合えるか
なら面白いんだけどな。

380:世界@名無史さん
09/06/30 22:33:23 0
       Heiliges Römisches Reich


381:世界@名無史さん
09/07/01 21:44:41 0
このスレになんかデジャブーを感じると思ったら
トリビアの泉でやってた重機関銃VS日本刀の実験だ。
もちろん日本刀が米軍のブローニングM2の弾で粉々に砕かれたけど、
だからどうだっていう

382:世界@名無史さん
09/07/02 17:21:32 0
信長一人で撃滅できる

383:世界@名無史さん
09/07/03 22:02:42 0
鉄砲がなければともかく、
鉄砲があれば織田軍の大勝利だろう。
比べること自体意味がないが。

384:世界@名無史さん
09/08/06 11:11:46 O
霧の中でいきなり遭遇したりして鉄砲・弓使えなかったら
信長軍大敗だろ。戦国期になって「槍を長くしたら有利」って得意になってる連中だぞ。

385:世界@名無史さん
09/08/06 15:37:14 0
ヌルハチが指揮官だったら大坂夏の陣は勝てた

386:世界@名無史さん
09/08/06 18:28:00 0
サルフの戦い見たいにか?

387:世界@名無史さん
09/08/06 21:50:16 0
霧の中でいきなり遭遇したら戦列組めないローマ軍の惨敗だろ
トイトブルクを知らんのか?

388:世界@名無史さん
09/08/06 22:38:34 0
>>387
霧の中で遭遇したら、ローマ軍だけ陣形崩れてて
信長軍はカチッと陣形固めてるの?

389:世界@名無史さん
09/08/07 20:16:14 0
戦闘展開の速度の違いだよ
そんなこともわからないのか?

390:世界@名無史さん
09/08/08 00:20:09 0
日本は陣形なんかくまないで散兵だし

391:世界@名無史さん
09/08/08 23:33:46 O
日本は漆器とか献上してローマに見逃してもらえ。
あと梅干し送って「我が国は梅の実がこんなにシワシワに干上がるぐらいに
貴国から遠く離れて無害です」って証明しろ。

392:世界@名無史さん
09/08/09 00:24:59 0
>>391
それじゃあカトーも困るだろうなw
演説の最後が必ず「されどジャパニカは滅ぼすべからず」に
なりそうだw

393:世界@名無史さん
09/08/11 11:43:43 0
>>391
代わりに曹操が「東に行けば、大きな梅の木があるぞ」って攻めてくる

394:世界@名無史さん
09/08/11 23:16:16 O
魏軍VS日本赤軍

395:世界@名無史さん
09/08/12 13:25:54 0
ローマ軍VS同時代の日本人

396:世界@名無史さん
09/08/12 23:20:15 O
「ひみこさま~!」って叫びながら逃げまどうだけ

397:世界@名無史さん
09/08/12 23:29:52 0
いくらプラエトリアンが古代最強といえど
白兵+50もちのサムライにかてるわけないだろ

398:世界@名無史さん
09/08/13 00:20:28 0
核が出ててくるまで
日本の軍隊にはどこの国も勝てねーよ

399:世界@名無史さん
09/08/13 15:05:46 0
信長信者って何で馬鹿しかいないの?

400:世界@名無史さん
09/08/13 22:35:32 O
ローマ兵と言えども在日朝鮮人には勝てないよw

401:世界@名無史さん
09/08/14 02:09:19 0
>>400の豪快なすべりっぷりには勝てる気がしない

402:世界@名無史さん
09/08/19 16:56:10 0
>>401
そっとしてあげろよw

403:世界@名無史さん
09/09/14 00:49:17 O
信長軍は世界最強だよ

404:世界@名無史さん
09/09/14 08:38:00 O
その割には負け戦が多いな(笑)

405:世界@名無史さん
09/09/14 08:50:00 O
バリスタやカタパルトは日本の戦国クラス相手なら威力発揮しそうだ

406:世界@名無史さん
09/09/15 09:10:34 0
信長以外の日本軍とだったら、
ローマ軍に分があったかもね。
ただし、鉄砲普及以前だけど。

武器の性能自体は、鉄砲を除くと大して差がないし、
組織力の点では、室町末期の日本の諸大名の軍隊より
共和制末期から帝政中期にかけてのローマ軍の方が
勝っていると思う。

407:世界@名無史さん
09/09/15 14:17:05 O
君らは鐙の登場とそれによる影響なんて考えてもないだろ。
まあどの映画、再現映像でも鐙使ってるからしかたないけど、
逆にテレビ程度でしか歴史を知らないのがマルワカリ。

408:世界@名無史さん
09/09/15 15:34:32 O
ローマはとにかく遠距離戦に弱いからなあ。騎兵も他国と比べ脆い。
信じられないことに有力な弓兵部隊が無かった。持てなかつ

409:世界@名無史さん
09/09/16 01:03:23 0
信長軍と在日米軍は戦争したらどっちが強いんだ?

410:世界@名無史さん
09/09/16 07:49:41 0
占領されてる時点で日本=信長の負け

411:世界@名無史さん
09/09/16 14:12:01 0
スレ違い

412:世界@名無史さん
09/09/17 10:14:48 0
>>408
純粋なローマの兵は歩兵(と少数の騎兵)のみだけど、
例えば帝国期なんかはそれ+征服部族の騎兵やら弓兵やらが付いてくる。

まぁ馬も弓もそれなりに訓練が要るから自前でやるよりそうする方が簡単だったんだろう。

413:世界@名無史さん
09/09/17 11:25:57 O
補助を属国兵に依存してるからなあ、後期はレギオンもだけど。

414:世界@名無史さん
09/09/18 18:53:22 0
普通にローマが勝つだろ。
ハンニバルやウェルキンゲトリクスやパコルスやゼノビアみたいに
最初はなんこか勝てるかもしれんけど、すぐに対策たてられて終わり。

415:世界@名無史さん
09/09/18 20:00:29 O
でも東方民族には最後まで負け続けた

416:世界@名無史さん
09/09/18 21:37:27 O
鐙のない古代騎馬隊は中世以降のソレの前には歯が立たない。
ローマ<モンゴル
銃火機の発達により中世騎馬隊はその威力を限定されてしまった
モンゴル<大陸軍

ただしあくまで同兵力での会戦の話

ローマもブリテンに、モンゴルも日本に苦戦したけどそれをもって
ブリテン>ローマ
とか
日本>モンゴル
なんて言わないしね。

つか千年も前の軍と比べて信長軍が強い! なんてイミ不明なんだが

417:世界@名無史さん
09/09/18 22:28:00 O
暴走族ならローマにもモンゴルにも勝てそうだな。

418:世界@名無史さん
09/09/18 23:35:29 0
そもそも歩兵が密集して肉弾突撃してくる連中に勝つための軍隊と
離れた所から弓と投石で戦う軍隊比較してどうしたいのかもわからん。

419:世界@名無史さん
09/09/19 01:24:33 O
鐙が無くてもローマ・ケルト・ゲルマンの騎兵は特殊な鞍のおかげで騎馬突撃は出来てた。


420:世界@名無史さん
09/09/19 09:03:56 O
ようするに>>1が信長とカエサルくらいしか歴史を知らんからだろう。

421:世界@名無史さん
09/09/19 20:15:32 0
これが同時代の中華対ローマならクロスボウとステップ騎兵を持つ
中華が圧勝なんだが

422:世界@名無史さん
09/09/19 23:50:31 O
現代の中華なら核の20発くらい撃ち込みたい

423:世界@名無史さん
09/10/30 01:56:25 O
信長は最強だから不可能はないよ

424:世界@名無史さん
09/10/30 12:35:07 O
>>423
信長を討ちとった光秀
信長を打ち破った謙信
信長を翻弄した義昭と正親町天皇
信長より強いのは同時代でまだまだいるんだけど(笑)

425:世界@名無史さん
09/10/30 19:13:08 O
千五百年以上も前の軍との勝ち負けを論じられるなんて……
信長軍をどこまで弱いと思ってるのか(涙)

426:世界@名無史さん
09/11/02 22:01:15 O
>>421
何故か知らんが昔の中国って軍事的には弱いイメージ
百人のローマ兵に千人の中国兵が好き勝手蹂躙される様子が浮かぶ

427:世界@名無史さん
09/11/23 20:26:45 0
北宋の兵は数が多くても弱く、特にその半分を占める禁兵(皇帝の直属兵)は、
都会暮らしが長いため時代が下るほど弱くなっていった。
一方地方や辺境では、地方共同体が防衛のために軍事教練を奨励され、
郷兵という民兵集団が形成されていった。彼らは1兵で禁兵の3人に相当するといわれ、
異民族は敵軍に禁兵が多いと喜び、郷兵が多いと警戒態勢をとったという。

428:世界@名無史さん
09/11/24 00:07:19 0
やっぱり実際に戦ったら、組織的機動が得意なローマ軍に信長が包囲殲滅戦法で全滅する
シーンが目に浮かぶ悪寒。

429:世界@名無史さん
09/11/24 01:36:40 0
まさにドンキホーテの発想だな

430:世界@名無史さん
09/11/24 15:41:58 0
この手の「どっちが強い」であり得そうなのは、16世紀末に秀吉がルソン攻めしてスペイン軍と戦うぐらいかな
似たようなもんだと思うけど

431:世界@名無史さん
09/11/24 21:29:41 0
日本製の大筒では洋式のイントラムロスには歯が立たないと思うが
まあ食料弾薬が尽きれば開城か

432:世界@名無史さん
09/11/24 21:44:33 0
そこまで行く船が無い

433:世界@名無史さん
09/11/29 14:46:52 0
まずこれでも見て研究してみよう。

古代ローマ軍の歴史。↓
URLリンク(www.nicovideo.jp)

434:世界@名無史さん
09/11/30 16:29:36 0
>>1
西洋>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>東洋

なので、

ローマ軍の方が強いよ。

435:世界@名無史さん
09/12/11 06:11:28 0
ローマと邪馬台国ってどっちが優れてたの?

436:世界@名無史さん
09/12/11 13:28:14 0
狭い国土で最大1500万の人口ながらも、男の多くは屯田兵
戦争の日々だから経験としての兵士の質は日本歴史史上最高の戦国時代
その覇者寸前までいった信長軍
ほぼ同等の武器と強さを持つ群雄割拠の戦上手がいる中を勝ち抜き
軍僧を叩き潰し、権謀術数を用いる懐のある朝廷を尻に敷いていた

仮に内乱記ローマのカエサル軍に鉄砲と鐙があったとする
北の森は野蛮で獰猛なケルトがいるが、鉄砲鐙がなくても武器自体が違う
東はアラブだが、騎兵なんぞは単なる貴族のお飾り用に過ぎない
南のエジプトは闘いは求めず新たな偶像として崇めただけ
結局200年遡る二次ポエニ戦役と年上の義理の息子、ポンペイウスとの内戦のみが次元の高い本格的な戦闘
人数差の大きいヴェルティンジェトリクス戦も、戦略以上に武器の差で勝った意味合いが大きい

互いに狂信的な軍勢を持っていたし抜きん出たカリスマ性がある
でも要は人数と対等な軍勢なら、質量共に豊富な戦経験を持つ信長軍が勝つ

技術的に考えても、飛び道具以外は最強と言われる日本刀を持ち
職業よりも身分意識として一兵卒に至るまで死生観といった美学を持つ侍
彼らに鉄砲を持たせ、しかも鐙があって両手を使える騎兵を有する信長が勝って当然
個人的にはローマ史のほうがスケール感があって好きだけどねぇ

437:世界@名無史さん
09/12/11 17:40:59 0
ワ―スゴイナー
サスガノブナガサマ
センネンマエイジョウマエノローマグン二カテルナンテ
スゴイナアアコガレチャウナア

438:世界@名無史さん
09/12/11 19:03:08 0
>鐙があって両手を使える騎兵を有する信長が勝って当然

戦国時代においてローマ的な意味での「騎兵」は存在しない件
騎馬武士のほとんどが下馬戦闘していて
両手を使って騎馬戦闘するものも稀なら
騎馬武士が数千単位で集まって作戦行動する事もありえない件

439:世界@名無史さん
09/12/11 20:11:51 O
日本刀は戦闘用の武器じゃないよ
それに信長は戦下手だったし

440:世界@名無史さん
09/12/11 20:51:57 0
信長は戦上手というよりむしろ負けても負けても戦略を立て直し物量を用意して圧殺するタイプ

441:世界@名無史さん
10/03/28 10:11:00 0
これは稀に見るクソスレ。
ageておきますね。

442:世界@名無史さん
10/03/28 17:54:17 0
もうすぐサタンがあらわれる。
サタンは、キリストそっくりな姿をしている。
最初のうちは、平和の使者としてふるまい
ノーベル平和賞を受賞する。
ヨーロッパ連合の軍事総統にえらばれ、権力の座につく。

権力をもったとたん、恐怖政治をしき、
全人類に「獣の数字」をつけ、コンピューターで
全人類を奴隷化する。
宗教戦争をひきおこし、ユダヤとイスラムの全面戦争を画策する。
悪魔の軍団(ニセ救世主の十字軍)を組織し、
世界を征服する。
世界中の都市で死体の山ができる。

ヨーロッパ連合が、中国を侵略し、
かつてなかった戦争をひきおこす。
自ら救世主を名のる男を警戒しなさい。



443:世界@名無史さん
10/03/28 18:30:29 0
日本刀は戦闘用


長刀解
此自倭犯中國始有之。
彼以此跳舞、光閃而前、我兵已奪氣矣。
倭善躍、一迸足則丈餘、刀長五尺、則丈五尺矣。
我兵短器難接、長器不捷、遭之者身多兩斷、縁器利而雙手使、用力重故也。
今如獨用則無衛、惟鳥銃手賊遠發銃、賊至近身再無他器可以攻刺、
如兼殺器則銃重藥子又多、勢所不能、惟此刀輕而且長、以備臨身棄銃用此。
況有殺手當鋒、故用長刀備之耳。


戚継光 「紀効新書・長刀解」
此は日本人が我が国に攻めてきた時初めてわかったことである。
彼らは舞うような歩法を用い、前方への突進力は光が閃くようで我ら明の兵は気を奪われるのみだった。
日本人はよく躍動し、一度動き出せば丈あまり、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間合でも攻撃される。
我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎ、遭遇すればみな両断されて殺される。
これは彼らの武器が鋭利であり、さらに両手で振れるため強力で重い刀を自在に用いているためである。
こちらもただやられてばかりではない。
武士には遠くからの鳥銃が有効である。
だが武士は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる
兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い
その勢いを止められない
武士の刀捌きは軽くて長く
接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。
われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。
それゆえ我々も日本式の長い刀を備えるべきだ。

444:世界@名無史さん
10/03/28 18:33:45 0
日本刀は戦闘用

刀で戦ってる。
 ↓
其中に心ある者どもはだかになり、抜刀ばかりにて七・八百ばかり切て懸り、伐り崩し、御一門を初め奉り歴々数多討死。小口へ相働留守のこやこやへ乱れ入り、思程支度仕候て、それより川を越し多芸山・北伊勢口へちりちりに罷退き、大坂へ迯入るなり。
(『信長公記』伊勢長嶋一揆成敗の記述)


馬上で戦ってる。
 ↓
西は賀鳥口、佐久間右衛門、柴田修理亮、稲葉伊予守、同右京助、蜂屋兵庫頭。松の木の渡り、一揆相支へ候を、どつと川を乗り渡し、馬上より数多切り捨て候なり。
(『信長公記』伊勢長嶋一揆成敗の記述)

445:世界@名無史さん
10/03/28 21:16:49 0
>>444
甲陽軍鑑
「一備の中に馬に乗って戦うのは大将と主だった7、8人だけ。
残りは皆馬を下り、後ろに引かせて槍を取り徒歩で戦った。
馬を並べて突進したとかいうのは武道を知らない者の言葉。」

446:世界@名無史さん
10/03/29 03:42:13 0
いまどき甲陽軍鑑もってくるとか自爆もいいところだな

447:世界@名無史さん
10/03/29 07:06:46 0
いまどき甲陽軍鑑が見直されてる事すら知らないで自爆とかいうのは赤っ恥もいいところだな

448:世界@名無史さん
10/03/29 11:40:59 0
ありゃ山カンの息子の作った広告用のフリーペーパーだろ

449:世界@名無史さん
10/03/29 11:49:10 0
というか信長配下が騎馬でも馬上打ち物をしていたかどうかの話なのに
甲陽軍鑑持ち出しても根拠になってないよね
そもそも馬上打ち物は鎌倉時代を最盛期に応仁の乱を挟み徐々に減少していったのであって、ある日を境にいきなり無くなったわけじゃないのにw


信長公記では多数騎馬戦についての記述がある
・松の木の渡り、一揆相支へ侯を、焜と川を乗り渡し、馬上よりゆめ切り拾て侯な
・家康、滝川陣取りの前に馬防ぎの為め、柵を付けさせられ
・三番に、西上野の小幡一党、赤武者にて、入れ替へ懸かり来たる。関東衆、馬上の功老にて、是れ又、馬入るべき行にて、推し太鼓を打ちて、懸かり来たる
・西は賀鳥口、佐久間右衛門、柴田修理亮、稲葉伊予守、同右京助、蜂屋兵庫頭。松の木の渡り、一揆相支へ候を、どつと川を乗り渡し、馬上より数多切り捨て候なり。

等々

450:世界@名無史さん
10/03/29 17:20:24 0
甲陽軍鑑は近世初頭の戦術行動が書かれていると見るべき
その頃には下馬戦闘が主流だったようで

451:世界@名無史さん
10/03/29 17:25:59 0
戦国時代の騎馬武者も当初は騎乗突撃をもって敵陣に突入していた様だね

しかし足軽の増大とそいつらを使った対騎馬隊戦法が確立されていく過程で
(騎馬武者に対する長槍による槍衾、鉄砲隊による射撃は双方とも馬を狙う事が肝要とされている)、
先ず西国から、後には全国的に馬から降りて徒歩で戦う比率が増えていった。
ま、こういう流れは西洋でもおこってるしな

つまり、騎馬武者が強かったからこそ騎馬武者対策が異様に発達、結果馬上打ち物が減っていった。

452:世界@名無史さん
10/03/30 04:05:07 0
じゃ少なくとも信長は騎兵突撃使ってたってことね

453:世界@名無史さん
10/03/30 14:38:23 0
姉川合戦図屏風も騎馬武者だらけ

454:世界@名無史さん
10/03/31 13:38:23 0
訓練していない? その形跡も見当たらない?
『信長公記』巻14にこういう記述がある。
信長の天正9年の都での馬揃え
(軍事パレード)のあとの、騎馬用兵を公卿たちに披露したときの記事だ。

(現代語訳は佐々木)
「最初は十五騎ひと組として、ひと組ずつ馬場に入れたけれども、
広い場所なので、次は三組四組づつひとつにして、
入れ違い入れ違いで隙間なく馬を動かして、べつの馬にぶち当たらぬように
馬場の中を縦横無尽に乗り回した…」
これは、騎馬の指揮官クラスだけを集めたという話ではないだろう。
独立した騎馬武者部隊として、信長の指揮のもとに動いている部隊の、
馬術の披露の場面、と読める。

この描写に、わたしはウィーンのスペイン乗馬学校の馬術や
フランス国立乗馬学校の騎兵の演練の様子を連想してしまう。

これほどまでに精緻に馬を動かすことのできた独立騎馬武者部隊(お家選抜かも
しれない)があったのに、でもそれは戦場では使われなかった?
そんなことはあるまい。

天下城ノート

455:世界@名無史さん
10/03/31 17:54:59 0
寛永時の「江戸図屏風」にも「鞭打」という騎乗戦闘訓練の様子が描かれている

URLリンク(www.rekihaku.ac.jp)
URLリンク(www.rekihaku.ac.jp)

456:世界@名無史さん
10/04/02 15:34:24 0
日本国民は勇敢で絶えず軍事訓練をしている。
したがって日本を征服しても益はないが、スペインが支那に進出するときのよい足場になるので、日本を重視する必要がある。
私が、ここで陛下に断言できることは、迅速に遠征するならば、シナを簡単に征服できるということである。
そして、このことを一層容易に運ぶには、シナの近くにいる日本人が、すすんでこれに加わると思えるのである。
日本人は、シナ人に対して非常に効果的である。

スペインの宣教師バリニャーノ

457:世界@名無史さん
10/04/09 19:42:21 0
>>448
今時そんなこと言ってるとか明治時代から頭とまってんのか?
山本勘助の息子が軍鑑書いたなんて今時信じてる奴がいるのかも疑問だ
明治時代に教授の一人がろくに研究もせずにさらっと述べた言葉を真に受けてるようだが
結局最近の研究では軍鑑を書いた山本勘助の息子なんてどこを探しても出てこない事がわかってる
もともと山本勘助は軍鑑に登場する数多の登場人物の一人にすぎず
軍鑑を読んでみればわかるが、コマーシャルペーパーとか言われるほどの大きな扱いはされてない
武田が滅亡して軍鑑が終わる20年以上前に死んでるから、登場シーンも限りがあるし
最後も作戦を見破られて死ぬなど、コマーシャルペーパーというには無理ありすぎだ

458:世界@名無史さん
10/04/09 19:47:41 0
>>449
なるだろ
甲陽軍鑑は武田領国だけでなく、他の国の戦い方ものってるからな
つーか、お前バカか?
甲陽軍鑑の>>445の記述は
「一備の中に馬に乗って戦うのは大将と主だった7、8人だけ。
残りは皆馬を下り、後ろに引かせて槍を取り徒歩で戦った。
馬を並べて突進したとかいうのは武道を知らない者の言葉。」
であって、全ての武士が降りて戦ってるなんてどこにも書いてないだろうが
大将と主だった者7、8人は普通に馬の上で戦ってるわけで
>・西は賀鳥口、佐久間右衛門、柴田修理亮、稲葉伊予守、同右京助、蜂屋兵庫頭。
>松の木の渡り、一揆相支へ候を、どつと川を乗り渡し、馬上より数多切り捨て候なり。
この記述で馬上で戦ってるのは普通に一隊の大将やそれに準ずる主だった者達だろ
こんな記述持ってきて軍鑑と違うとか
否定する根拠にそもそもなってないだろ

459:世界@名無史さん
10/04/09 19:52:59 0
>>452
主だった一部の者だけな
他の国と同様にな
>>454
わかっとらんな
「馬に乗って戦ったのは主だった7、8人」であって
他の連中が馬を移動手段としても利用しなかったとは全く関係ないぞ
軍鑑にも「残りは皆馬を下り、後ろに引かせて徒歩で戦った」とあるように
士分の者なら皆移動手段として馬を使っていたろうし、馬術の心得もあった
そのパレードは戦闘を想定してないお披露目であるばかりか、
士分の者達を一堂に集めて行われたものだ
実際の戦場ではこれら士分の者達は各部隊に分散してしまうので
ローマ軍のように数千単位で騎兵部隊が構成される事はありえない
実際信長がローマ軍のように歩兵と騎兵をわけ、騎兵を機動的に使って戦った戦いなんてありはしない

460:世界@名無史さん
10/04/09 20:06:37 0
そして馬上における軍事訓練についてだが、
軍鑑には武田領国以外の国、里見氏に仕えた豪傑正木大膳のエピソードが紹介されている
それによれば正木は小さい頃、馬術の訓練で片手乗りの練習ばかりしていた
それを師匠が見とがめて「片手乗りなんて巧者がやるもの。練習も少ないうちにそんな事をするな」
といったところ正木は答えて「大将ともなれば馬から降りて槍をあわせて戦う場面は少ない。
馬上から指揮を執る場合が多いのだから、馬上からの戦いに備えて片手綱を訓練しているのです」と答え
馬上の戦闘訓練を積んでいき、馬上での戦闘技術では非常に優れた人物となった、と。
正木の年齢から見ても、既に東国では早くから下馬戦闘が多かった事がわかるな

461:世界@名無史さん
10/04/09 20:28:05 0
軍鑑は近世の戦闘教本ですから、実際の武田家がそうだったと考えない方が良い

462:世界@名無史さん
10/04/09 20:42:20 0
>>461
軍鑑は近世の戦闘狂奔とかどこの世界かとry
軍鑑は文体からして口述筆記を元にしている事、
戦国時代に使われていた甲斐の古語がふんだんに使われている事から
どう見ても戦国時代をリアルに生きていた人間の証言が元になっているのは明白
近年では風俗面などからも普通に参考にされてる

463:世界@名無史さん
10/04/09 21:04:08 0
>>462
元亀天正と慶長元和の戦闘法が異なってたのは間違いないでしょうし、その意味において
当時はまだ実学的軍学であった小幡軍学が前者の戦闘法を教えてるなんて事はしない

464:世界@名無史さん
10/04/09 21:16:50 0
>>463
いやだからね…
小幡は甲陽軍鑑を基本的にそのまま踏襲しようとした
その事は所々に「この末は切れていて読めません」という注意書きがある事から
前に原本が存在していた事は明らか
元亀天正と慶長の戦い方が違うというのは確かにそうだろう
ただそれは家康が大阪の陣の時に「平和が長かったから戦を知ってる奴が少ない」とか嘆いたり
大阪の陣に参戦した上杉家の家臣が「昔の戦いに比べれば今の戦いは子供の石合戦だ」と言ったり
戦国時代の生き残りが大阪の陣を評して「昔と違って今は鉄砲で遠くから少数の敵を撃って、動けなくなった所を皆で首を取りに行く。
世間も随分品がさがったものだ」と嘆いたりしたように、実戦派がいなくなって
戦い自体が変質していた事に原因がある
甲州流の戦い方は小幡を待つまでもなく、家康が家の基本軍法にしているように
きわめて実践的だった
井伊なんか武田の戦い方そのものを取り入れて大阪の陣でも活躍し
明治まで継承されてる
小幡を待たずとも、甲州流の戦い方は普通に通用していた

465:世界@名無史さん
10/04/09 21:31:59 0
>>464
元亀天正と慶長元和の戦闘法は大きくうよ
先ず足軽の主力が槍から鉄砲に替わっている
甲州流では長柄は飾りだといっているが、そうならば鉄砲が少ない頃に
主力であった槍足軽は文字通りの無用の長物となる

また別の甲州流には騎馬突撃を記したものがあるという(井伊軍志)
兵の惰弱で戦術が替ったと言うのは違う

466:世界@名無史さん
10/04/09 21:39:13 0
>>465
武田はもともと鉄砲を重視してる
一次資料からでも信玄が「鉄砲を用意しろ」と命じてる書状がある事や
和田城で鉄砲を大量に配備して上杉勢を防いだ事、
信濃で三百の鉄砲を城に配備して敵を防いだ事、
などでわかる
それから武田の槍は時代が下るごとに
長槍から取り回しの楽で小回りが利く持ち槍が重視されて行き
その比率が変化していく事が軍役書状でもわかる

どんな記述か知らないが
軍鑑で何度も紹介されてるように「大将と主だった7、8人」は騎馬で戦っている
甲陽軍鑑では騎馬戦闘を全否定してるわけじゃないと何度も言ってるだろ
だから騎馬突撃や騎馬戦闘があったって全然不自然じゃない

467:世界@名無史さん
10/04/09 21:55:14 0
>>466
鉄砲はあるけど比率的に主力ではない
鉄砲1に対して3位
慶長元和では鉄砲の比率は槍と同数から二倍に達している
比率的にこれだけ変われば戦術も異なる

なお槍については近世では長柄と持槍は明確に区別されている

騎馬については「大将と主だった7、8人」というのは組頭といった
者達のことで5~600人の内、騎馬50で7、8人というのは侍大将、
足軽大将、武者奉行、槍奉行、旗奉行等の指揮官を指している

468:世界@名無史さん
10/04/09 21:59:49 0
>>467
主力なんて誰がいったか
大阪陣の伊達のだけをもってこられてもな

だから武田家でも長槍が消滅したわけじゃなくて
持ち槍の比率が上昇していっただけの話

だから上であげられてる信長公記の
>・西は賀鳥口、佐久間右衛門、柴田修理亮、稲葉伊予守、同右京助、蜂屋兵庫頭。
>松の木の渡り、一揆相支へ候を、どつと川を乗り渡し、馬上より数多切り捨て候なり。
なんてので馬上で戦ってる連中は明確に指揮官クラスの連中だろ
名前みればはっきりわかる

469:世界@名無史さん
10/04/09 22:03:46 0
つーかもともと騎馬戦闘の話なのにな

470:世界@名無史さん
10/04/09 22:20:17 0
>>468
近世大名の陣立ては完全に鉄砲が槍の二倍装備されている
例:朝鮮役

持槍をもっている者は隊列戦闘を行う足軽なのか、それとも
主人に付く従者なのかによって別個の論になる

指揮官「だけ」が騎馬で戦闘してもそれは騎馬突撃や騎馬戦闘
とは言わない

471:世界@名無史さん
10/04/09 22:30:58 0
>>470
中身出してみ
それから長槍が無用とかいうのは軍鑑のどこなのか示してみ
訳文で全品持ってるから何品にあるか示されれば調べられる

だから長槍も存在していて持ち槍も存在してるだけ
軍役で実際に指示されてるのにどう違うのやら

言うだろ
実際に上で馬上戦闘の根拠とか言って出された公記の記述では
明確に馬上で戦ってるとして名前があげられてるのは織田の武将達
軍鑑でも正木の個人戦闘を持って馬上戦闘としている

472:世界@名無史さん
10/04/09 22:47:19 0
>>471
「日本戦史 朝鮮役」
「甲陽軍鑑抜書」

あなたがそう思うんならそうなんでしょうな

473:世界@名無史さん
10/04/09 22:50:56 0
>>472
書名だけあげられても中身がさっぱりわからん
軍鑑でも何品の話かわかれば一発なんだけどな
なんとかそれだけでもわからんか?
こっちも確認してみたいんで

474:世界@名無史さん
10/04/09 22:58:21 0
URLリンク(www.amazon.co.jp)

475:世界@名無史さん
10/04/09 23:00:58 0
だからこんなもん出さなくても
軍鑑の第何品にあるのかさえ書いてくれればそれで一発なんだって
後はこっちで確認できるんだから

476:世界@名無史さん
10/04/09 23:06:29 0
甲陽軍鑑抜書は甲陽軍鑑とは別の甲州流兵書だよ

477:世界@名無史さん
10/04/09 23:27:29 0
>>476
それいつ成立?
軍鑑と違う後世の作品なら
比較自体に意味がなかろ

478:世界@名無史さん
10/04/09 23:33:37 0
>>477
後、だけど甲州流導入後の徳川家軍制を、大名だか旗本から写させてもらったとかあるから
そういう史料を基に再構成したと言う点では甲陽軍鑑と同列かと
ちなみに著者は同じ小幡勘兵衛

479:世界@名無史さん
10/04/09 23:36:48 0
>>478
だから軍鑑の著者は小幡じゃないって何度も言ってるのに…
軍鑑に関してはもともと原本があってそれを小幡が出しただけ
小幡が自分で後で作ったのなら違うものだろう

480:世界@名無史さん
10/04/09 23:42:03 0
>>479
あなたがそう結論付けちゃっているのなら、どうぞ御勝手に

481:世界@名無史さん
10/04/09 23:43:17 0
>>479
あなたがそう結論付けちゃっているのなら、どうぞ御勝手に

482:世界@名無史さん
10/04/09 23:44:56 0
>>480 >>481
2重レスとかわけわからんな

483:世界@名無史さん
10/04/11 05:24:29 0
雑兵物語より

「今こそ戦の勝負の分かれ目だと攻めかかり、せめぎ合いをしていると
味方の東国の武士で乗馬の上手な者たちが、今日の戦場は平地で馬での戦に向いているし、
敵味方がもみ合っているのでちょうどいい頃合いだと見計らって、二番手の槍勝負には参加しないで
乗馬の上手が30人ほどの騎馬隊を作り、様々な武器を持った30騎がいっぺんに
敵部隊の右側から突っ込んだ。

敵も左側からの攻撃なら少しは抵抗が出来たのだろうが、右側から馬で攻められたのでは
何の抵抗もできず、ただ騒ぎまわるばかりだった。
その上騎馬隊が攻めかかるとすぐ、一番手の部隊のうち手の開いている者達が
鉄砲で騎馬隊の攻撃を応援したので、敵はどうにも防ぐことが出来ず、味方は何の苦労もなく
敵を追い崩した。

西国では、近頃の戦はみんな馬を降りての攻め合いばかりで、馬に乗っての戦というのを
長い間やっておらず、東国の武士と違って乗馬で戦うのに慣れていないので、
騎馬隊に攻められたときどう防げばいいのかと言う心がけが無かったのだろう。」

↑要するに同じ日本でも集団騎馬戦を多用した地域と、馬の不足から騎馬戦が出来なかった地域があり
戦国時代全般でいえば集団騎馬戦はまだまだ現役だったってことだな


484:世界@名無史さん
10/04/11 15:06:27 0
『日本史』豊臣秀吉篇第三八章(第三部四九章)
「アゴスチイノが朝鮮の都に入るに先立って生じたこと」
天草のドン・ジョアンは(戦闘)当日、何ぴとにも劣らぬ働きぶりを示した。
彼はアゴスチイノの眼前で極めて凜々しく勇敢に戦い、
自分の乗馬が殪されると、すかさずに率いていた代馬にまたがって奮戦した。

485:世界@名無史さん
10/04/11 15:36:49 0
というか馬はどうあれ
刀剣による戦闘が頻発していたことが確認できればそれでいいんじゃね?

486:世界@名無史さん
10/04/11 15:48:12 O
確認できてないでしょ
野太刀とか一揆衆とかの特殊例だけで。

487:世界@名無史さん
10/04/12 10:11:13 0
特殊例多すぎだなw

『日本史』西九州編第五三章(第二部五二章)
「野戦が行われ、隆信が戦死し、その軍勢が壊滅した次第」
彼我の戦備は極度にちぐはぐであった。
すなわち隆信勢は多数の鉄砲を有していたが弓の数は少なく、
長槍と短い太刀を持っていたのに反し、
薩摩勢は鉄砲の数が少なかったが多くの弓を持ち、短い槍と非常に長い太刀を備えていた。
そして戦闘が開始された。
それは熾烈をきわめ、両軍とも槍を構える暇もなく、
手当たり次第に刀で相手の槍を切り払った。

日本人は刀に手を掛くれば必ず傷を附け、
刀は甚だ重く、剃刀のごとく鋭く、
両手をもってこれを扱ふゆえに、
一撃をもって人を殺しまたは腕を断つを常とせり
パードレ・フランシスコ・カリヤン

人口二十萬の市多く、都の市は八十萬を超えたり。
此等の住民若しイスパニヤ土人の如く野蠻ならば恐るゝに足らざれども、
彼等は長銃を有し最も熟練せる兵士の如く巧妙に之を用ふ。
又弓、矢、鎗、及びカタナ(cathanas)と稱する劍及び短劍を有す。
而してイスパニヤ人と同じく勇敢なるのみならず
議論及び理解の能力に於ても之に劣ることなし。
ドン・ロドリゴ『日本見聞録』

邸館または田野において戦があると市民はそれを見物している。
戦争では双方まず矢を放ち、更に近づいて槍を用い、最後に刀剣を交えて戦う。
パードレ・ガスパル・ビレラ

488:世界@名無史さん
10/04/13 03:54:55 0
ノダチっていうか長尺の日本刀自体が
まだまだ珍しくなかった時代だしな

489:世界@名無史さん
10/04/17 01:03:45 0
日本刀は戦闘用


「揮刀如神」
「日本の武士の刀術はまるで神の如しだ。
我々の明兵は武士を見れば皆身がすくみ逃げ腰になる。
刀術に優れた武士だが刀術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。
弓の扱いも我が弓兵と互角、そのほかあらゆる兵科と比べて不足が見つからない。
本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、
子供の頃から剣術を鍛えられ始め、壮年にいたれば手に負えなくなる。
それゆえ接近戦は日本の武士に一方的に有利で明兵では相手にならない。
日本人を有効的に殺せるのは火器のみである。
であるにも拘らず、多くの鳥銃を擁している場合でも勝てないのは外でもない。
日本人は戦いに臨んで命を忘れるが、我が明兵は戦いに臨んで恐れて逃げるため、
その鉛子は地に堕ち、あるいは薬線が法なく、手震え、目眩み、天を仰いで空しく発射する為である。」

490:世界@名無史さん
10/04/25 14:04:14 0
日本刀は戦闘用

刀で戦ってる。
 ↓
其中に心ある者どもはだかになり、抜刀ばかりにて七・八百ばかり切て懸り、伐り崩し、御一門を初め奉り歴々数多討死。小口へ相働留守のこやこやへ乱れ入り、思程支度仕候て、それより川を越し多芸山・北伊勢口へちりちりに罷退き、大坂へ迯入るなり。
(『信長公記』伊勢長嶋一揆成敗の記述)


馬上で戦ってる。
 ↓
西は賀鳥口、佐久間右衛門、柴田修理亮、稲葉伊予守、同右京助、蜂屋兵庫頭。松の木の渡り、一揆相支へ候を、どつと川を乗り渡し、馬上より数多切り捨て候なり。
(『信長公記』伊勢長嶋一揆成敗の記述)

491:世界@名無史さん
10/05/15 13:33:46 0
刀使ってるなw

492:世界@名無史さん
10/05/20 02:54:25 0
刀で戦ってる。
 ↓
朝鮮人は頭上に振りかざされる日本人の太刀の威力に対抗できず、ついに征服された。
ルイス・フロイス「日本史」

日本軍は極めて計画的に行動し、鉄砲に加え、太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼のようにして先を争って遁走した。
ルイス・フロイス「日本史」

493:世界@名無史さん
10/05/24 00:54:13 0
ルイス・フロイス
『日本史』西九州編第二六章(第一部一〇〇章)
「深堀が長崎を襲った次第、および彼の敗北と、戦闘におけるその不運な結果について」
・かの老人とその息子たちと養子は、激しい戦闘心に燃え、槍を刀に代え、
 いとも巧妙に、かつ激しく戦ったので、敵は誰しも皆驚嘆し、大いに苦境に陥った。

『日本史』西九州編第五三章(第二部五二章)
「野戦が行われ、隆信が戦死し、その軍勢が壊滅した次第」
・彼我の戦備は極度にちぐはぐであった。すなわち隆信勢は多数の鉄砲を
有していたが弓の数は少なく、長槍と短い太刀を持っていたのに反し、
薩摩勢は鉄砲の数が少なかったが多くの弓を持ち、短い槍と非常に
長い太刀を備えていた。
・そして戦闘が開始された。それは熾烈をきわめ、両軍とも槍を構える暇もなく、
手当たり次第に(刀で)相手の槍を切り払った。薩摩勢は、敵の槍など
眼中にないかのように、その(真只)中に身を投じ、鉄砲も弾を込める
間がないので射つのをやめてしまった。


494:世界@名無史さん
10/05/24 00:55:08 0
ルイス・フロイス
『日本史』豊臣秀吉篇第五章(第二部六七章)
「(羽柴)筑前殿が根来衆と呼ばれる仏僧ら、および雑賀の仏僧らに対して行った戦争について」
・兵士たちは槍を用いて(城に)登り、ここでも羽柴軍に多数の死者が出たが、ごく短時間にして
(羽柴勢の)侵入するところとなり、生命あるものは人間と動物の別なく何一つ助からず、
すべてことごとく火と刀をもって滅ぼされてしまった。

豊後篇第七〇章(第二部八七章)
「豊後の最後の破壊、および本年当初の出来事について」
・土佐の鉄砲隊は味方から全面的に期待をかけられていながら鉄砲を発射する
時間も場所もないほどであった。というのは、薩摩軍は太刀をふりかざし
弓をもって、猛烈な勢いで来襲し、鉄砲など目にもくれなかったからである。

西九州篇第九一章(第三部六章)
「天草、志岐のこと、及び本渡城の破壊、同所における三百人のキリシタン婦人の英雄的で
永久に記憶すべき行為について」
・彼らにしてみれば、すでに(敵方の)男たちを征服しているのに今さら(その生残りの)
婦女子に敗北を喫するようなはなはだしい不名誉にとうてい堪えることができなかったから、
彼らは恐るべき勢いをもってその場で猛攻撃を加えた。三百人いた婦人たちのうち、生存者は
二人だけで、しかも重傷であった。こうして彼女たち全員が刀で殺され、戦場に身を曝した。

495:世界@名無史さん
10/05/24 00:56:53 0
『懲毖録』
・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。

496:世界@名無史さん
10/05/24 00:58:19 0
◇和種馬の体力
和種馬はその小柄な体型から甲冑武者を乗せるとよたよたとしか走れない、と誤解されていますが、
約3.5kmをノンストップで速歩、駈歩で問題なく走り続けられることを確めました。
機会があれば何処まで走り続けられるか確認してみたいと思います。

URLリンク(www.marvellouswings.com)


497:世界@名無史さん
10/05/27 07:45:29 0
柳成竜『懲毖録』(朴鐘鳴・訳 平凡社)

・日が暮れ、賊は、(白)光彦らの緊張がやや緩んだのを見て、白刃をきらめかせて
大声をあげて突進して来た。光彦らは、あわてて馬を探して逃げようとしたが、間に合わず、
みな賊に殺されてしまった。諸軍はこれを聞いて恐れおののいた。

・翌日、賊はわが軍が怯えきっているのを察知し、数人が刃を揮って勇を誇示しながら
突進して来た。三道の軍はこれを見て総潰れになり、その声は山崩れのようであった。
打ち棄てられた無数の軍事資材や器械が路を塞いで、人が歩行できぬほどであった。

・まだ川に身を投じていなかった者には、賊が後ろから長刀を奮って切りかかったが、
みな這いつくばって刃を受け、敢えて抵抗する者もなかった。
 (金)命元と(韓)応寅とは、川の北から遥かにこれを眺め、気力を喪失してしまった。

・わが軍は、賊がまだ山の下にいると思っていたのに、突然一発の砲声が響き、
四方面から大声で呼ばわりながらとび出してくるのがみな賊兵であったので、
仰天して総崩れとなった。将士たちは、賊のいない処に向けて奔走したところ、
ことごとく泥沢の中に落ち込んでしまった。賊が追いついて、まるで草を刈るように
斬り倒し、死者は数しれなかった。

・水際を行ったり来たりしている者は、あるいは一、二名、あるいは三、四名ずつ、
大剣を肩にしていて、それに日光が反射してきらきらと電のように閃いていた。

・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。

・倭兵は、城外にあって二重、三重にとり囲み、それぞれ要路を守り、長刀を奮って、
やたらと切りつけた。明国軍は、首を垂れて刃を受けるのみであった。たまたま月が
明るく、脱出できた者は何人もいなかった。

498:世界@名無史さん
10/05/27 11:37:55 0
ここまでくると刀を使わなかった、という説の方が疑わしいwww

499:世界@名無史さん
10/05/27 15:20:36 0
上記からの結論を導き出せば、信長軍と古代ローマ軍団が戦闘をすれば
古代ローマ軍の方が圧倒的に強いということになるな。

古代ローマ軍が使っていたグラディウスは日本刀と同じ折り返し鍛錬で製造されて
多数の層で構成された均質で強靭な鋼で出来ている。
これはすべてローマの国立製造所で製作された品質の高い物であった。
一方の信長軍が使っていた日本刀で本当に品質の高い物は身分の高い武士たちだけで
足軽・雑兵の使っていた刀はバッタ物がほとんど。

前にグラディエーターなど日本刀でポキポキ折られると無知にも書いた香具師がいたが
これは逆に近く、心金が柔らかい日本刀はグラディエーターに強打されると
グニャリと折れ曲がってしまっていたかもしれん。

それと数々の実験結果から接近戦では短い片手剣のほうが長い両手剣より圧倒的に有利であること。
盾を持った相手には持たない方は勝ち目が無いことが実証されている。

それとほとんど素人に近い雑兵で構成された信長軍に対して、長い実践さながらの
厳しい訓練を日常からやっている古代ローマ軍の兵士のほうが質が圧倒的に違う。

ほかにも古代ローマ軍が大小のバリスタや投石機や攻城兵器を大量に揃えることも
可能なことを考えるとこの差は想像以上に大きい。

そして古代ローマ軍とは全員が高度な土木技術者にして作業員であったことも
この差を広げる。(古代ローマ街道を敷設したのはローマ軍兵士)

これからすると、どう考えても古代ローマ軍の方が信長軍よりも圧倒的に強いとの
結論は動かしようもない。


500:世界@名無史さん
10/05/27 17:36:27 P
985 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2009/12/02(水) 09:35:48 0
>>982
そんな小手先の話じゃないんだよ。
広大ローマの時代では弓矢の威力もお遊びみたいなものだから
重装歩兵のもつ大盾スクトゥムは無茶苦茶薄いわけ。
木製の2mmの薄板を3枚重ねて作っただけなんだからな。
あんだけ巨大なのに1kg~2kgという軽さなんだから矢に対する防護なんてほとんど考えられてない。
短槍を投げて貫通されたレベル。

長弓は鉄の矢尻なら鉄板で5mm、木の板で1cm~2cmくらいは普通に貫通できるんだから
話にならないんだよな。


こういう話が有るみたいだけど事実ならローマの方は最初の矢の雨でズタボロになるんじゃない?


501:世界@名無史さん
10/05/27 19:18:34 0
>それと数々の実験結果から接近戦では短い片手剣のほうが長い両手剣より圧倒的に有利であること。
>盾を持った相手には持たない方は勝ち目が無いことが実証されている。

実証どころか倭寇相手に盾持ちの中国朝鮮がぼろぼろですがな。
挙句倭刀のコピーまで装備する始末。

502:世界@名無史さん
10/05/27 20:02:30 0
だいたいそんな実験どこでやったんだ?数々のというからには色々上げられるんだろ?

503:世界@名無史さん
10/05/27 21:30:08 0
>盾を持った相手には持たない方は勝ち目が無いことが実証されている
「ガリア戦記」のケルト人とローマ軍団の戦いの事と思うが
それは集団戦術ありきの事で、個々の力量ではケルト人の方が強かったよ
つーかローマ軍の凄い所は「(戦略的に)負けなかった」ことで
単純な腕っ節に関しては同時代でもそんな凄い方ではない

504:世界@名無史さん
10/05/27 21:45:35 0
ダキア人のファルクスも脅威だったわけだし。

505:世界@名無史さん
10/05/28 07:58:51 0
両手剣のファルクスに腕をぶった切られたローマ兵士もいたようだな。

506:世界@名無史さん
10/05/28 10:42:04 0
歴史を振り返ってみて白兵戦で盾を使うってのは
そもそもが性能のいい鎧を用意できないときの代替なんだよね

かわいそうだが「鎧」に関して言えば日本どころか朝鮮以下の可能性すら高い
ちなみにそんな朝鮮の鎧は日本に対してどれぐらい有効だったか?

「日本人はよく刀槍を用ふ、我に堅甲なきがゆえに、敵するあたわず。
 さればよろしく厚鉄を用ひ、満身の甲を作り、兵士をしてこれをつらぬき、
 敵中に入らしむべしと。これに於いて取り敢えず、これが見本を製造して、
 これを試用したが、とてもその重きに堪えずして、これを廃した」(懲秘録)

うん、全然だめだったんだ。

盾に関しては上にもあるが
ローマの盾は携行性を重視したため、薄く、
戦国時代、よく用いられた打撃斬撃まで含んだ荒っぽい使い方を想定された和槍や
四尺前後の大太刀のような威力の高い武器への防御は初めから想定されてない。
矢に関してもそう。
日本で用いられた盾は強力な矢の威力に耐えるため分厚く重く、結果置盾にせざるを得なかったほど。

偽物のクッション付きの棒きれで怪我しないようやさしくぽこぽこ当てっこ遊びしただけでは一見盾は強そうにも見えるが、
種明かしをすれば「遊びでやってる限り誰も無茶してこないから」有効なように見えるというだけ。







507:世界@名無史さん
10/05/28 10:48:27 0
そもそも戦国時代の武士が白兵戦に突入する場合
ローマ軍が亀の子状態を維持できなくしてから、突入する

威力も精度も当時の最先端クラスの火縄銃をバンバン撃ちまくり
戦線がガタガタになったところに大太刀を突入させるだろう
密集隊形でこそ有効だった盾は、もはやただのデットウェイトでしかない

508:世界@名無史さん
10/05/28 10:59:14 0
古代ローマの短剣が折り返し鍛錬っていうソース何?

まあそれ以前に砂鉄から蹈鞴製鉄で作った日本の鋼と
古代ローマのるつぼでちゃっちゃっと仕上げた鋼では
素材の粘性が全然違うので、粗悪な安物ですら靭性では日本刀のほうが上回る可能性すらあるんでない?

509:世界@名無史さん
10/05/28 20:07:26 0
古代の歩兵って盾以外は足軽程度の防御だしね。その盾だって薄板なわけだし。

510:世界@名無史さん
10/05/29 03:22:36 0
それでも足軽は鉄製の陣笠かぶってるから
少なくとも飛翔物や上からの打撃に対しては
かなり固い守りなんだよね

511:世界@名無史さん
10/05/29 07:32:55 0
逆に言えば足軽が重装歩兵並みってことか。しかも足軽の槍はマケドニアのサリッサと同レベルの長さがあっても
竹を使っているから軽量で撓る、より優れた武器だし。

512:世界@名無史さん
10/05/29 10:25:47 0
>>508
精錬度合いが全く違うね

それに半分近くを占めるローマ属州の補助兵なんて、一部の騎兵を除いて
基本は軽装歩兵で皮か板
攻撃力も石投げに毛が生えたようなもんでしょ?
騎兵も鐙がないから、両手で大鉈振るうなんてことできないし

下手すれば同規模での対戦なら、火縄銃どころか騎兵がいなくても信長軍が勝てるんじゃない?
何もローマを卑下してる訳じゃなくて、単に時代の差

513:世界@名無史さん
10/05/29 23:19:11 0
戦国末期以降の足軽なんて鉄の陣笠に桶川胴や仏胴の具足。
カバーする部分は古代の重装歩兵に似ているけど、強度は格段に上。

514:世界@名無史さん
10/05/30 02:25:48 0
古代ローマと日本で比べるなら
わざわざ戦国時代にせず、律令制だったころか若しくは同時代で比べればいいのに
そうすりゃ議論するまでもなく古代ローマ軍のほうが強い

が、戦国時代と比べちゃ、これまた議論するまでもなく戦国武士のほうが強い



515:世界@名無史さん
10/05/30 12:27:30 0
>>505
ファルクスって内反り両手剣だけど刃渡り自体は二尺八寸ぐらいだよね?
ちょっとした同田貫クラスの質量かな?

516:世界@名無史さん
10/05/30 18:48:20 0
URLリンク(trajan.numizmat.net)
URLリンク(www.enciclopedia-dacica.ro)
上のを見ると柄の部分が長いようにみえるがね。

517:世界@名無史さん
10/05/30 19:00:05 0
じゃあ刃渡りはもっと短いのかな
見た目二尺3、4寸ぐらいかな

518:世界@名無史さん
10/05/30 22:33:03 0
あの内反りを使って盾の内側を攻撃する云々を聞いたことあるが
実際有効に使えるものなのだろうか?

519:世界@名無史さん
10/05/30 23:29:37 0
切れ味のいい剣を持っているだけであとは裸同然の蛮族軍をローマは恐れたのか。

520:世界@名無史さん
10/05/31 07:34:38 P
結局、同数なら火縄銃無しでも信長軍大幅優勢って結論で良い?


521:世界@名無史さん
10/05/31 11:57:39 0
>>518
それはインドのアレと間違えてないか?
ファルクス程度の反りではそういう効果は期待できないかと
むしろ盾を直接破壊しそうだが

>>520
いいよ

522:世界@名無史さん
10/05/31 19:10:39 0
>>521
いや、なんかローマの盾をかいくぐって云々が書かれていたから
何となく覚えてるのよ。

523:世界@名無史さん
10/06/01 16:06:53 0
まっすぐな武器でも盾をかいくぐって攻撃することは可能だからな


524:世界@名無史さん
10/06/02 11:39:23 0
新陰流外乃物百拾九ヶ条』馬上の事
・馬上にて、やりの持やう、おびにはさむやうすもあり。たづなをかけ候て、持やうもあり。
たづなをわいかけて持心持あり。色々あるべし。しかれども、この三つを用なり。
・馬上にてつく心持の事、てきのやり、馬のつらより三尺さきにて先をしかけ、うつといふ心持あり。
・のりかけてわがやりつよくもち、馬につかせる心持肝要也。
・下なるものをおいかけてつくも、せなかおびの上下やりさきあてがい、馬にてつかせたるよし。
・同、馬上にての心持、たがひにかたなにてかかつて来るものは、かかるものの左のかたへわり、
馬のつらをのりかくるやうに、心持専一なり。右の方へなる時は、あわする心持一つなり。
・下に刀にてゐるものきる心持、まづわをのりかけてまはしたるよし。右にゐるものをきらんとおもはば、
みぎのあぶみをふみはり、くらをすかしてきりたるよし。左にある時は、左をふみはり、是もくらを
すかし、すみのくらにてきりたるよし。

馬上の槍は「わがやりつよくもち」、つまり乗り手は保持することに専念し、「馬につかせる心持」
「馬にてつかせたる」とあるように馬を走らせる勢いで突くことが大事。

525:世界@名無史さん
10/06/03 05:41:06 0
信長軍が鉄砲隊抜きで勝てることはわかった
騎兵抜きでも勝つかも?な意見もある
ゴティクス以前か以後なのかはわからないが・・

なら、どのような状況と数差ならローマ軍が優勢になれるか?
ローマのどの時代の兵が最も戦闘能力が充実しているのか?

526:世界@名無史さん
10/06/03 07:48:42 0
2000年前の軍隊に夢見すぎだろ。鉄砲もないどころか鐙すらない時代なんだから。

527:世界@名無史さん
10/06/03 07:53:30 0
そもそも比較の対象として信長軍って同時代でも実はそんなに強くはなかったんでは?

信長が凄かったのは、弱兵の自軍でも絶対に勝てる状況になるまでは徹底的に戦闘を回避して、
朝略とかを駆使して120%勝てる状況になって初めて戦闘開始するってところに持って行く「外交力」っていうか
企画力っていうか。

ローマも、それに似たようなところがあって、ローマ軍自体が圧倒的に強いかと言うと、
実は怪しい。同時代でももっと強そうな「蛮族」が周辺に割拠してたような。

そういう外交力というか企画力はどっちの方が優れているのか?

528:世界@名無史さん
10/06/03 08:02:58 0
確かに大勢力を築くのに必要な要素として戦闘力が占める割合は大きくない。
もし大きく占めるなら真田真幸やら立花道雪が天下取ってる罠。

529:世界@名無史さん
10/06/03 08:19:00 O
実は産業革命前史最強はアレクサンドロス帝国軍ってのが専門家の見解らしい

18世紀のナポレオンのフランス軍とアレクサンドロスの紀元前3世紀マケドニア軍が戦えば
ナポレオン軍が敗れる可能性が高いという

この板のイギリスかぶれ(産業革命マンセー野郎)は実は正しいんじゃないかと最近思う

産業革命以前で最も豊かだったのは中世の中国だったらしいし

要するに産業革命以前は偉大な文明が各地で栄枯盛衰を繰り返していて
ここ100年のように世界的に爆発的持続成長なんてことはあり得なかった

我々の日本でいえば.
世界最強クラスだった戦国時代の日本とそれから300年たった幕末の日本が戦えば
戦国時代が勝つだろうな
要するに進歩がなかった

でも幕末から50年の産業革命を経た日露戦争時

530:世界@名無史さん
10/06/03 08:21:19 O
でも幕末から50年の産業革命を経た日露戦争時には戦力が異次元に進化している
つまり産業革命以前の信長軍とローマ軍の比較に1800年の相違というアドバンテージはほぼなさげである



531:世界@名無史さん
10/06/03 09:30:44 0
「らしい」ばかりのカキコだなwww
又聞きとかうろ覚えはもういいからその専門家の名前と論文を出せって。

532:世界@名無史さん
10/06/03 12:36:10 0
そういや>>499の実験って何よ?数々の実験が行われたらしいけど
どういうものなのかさっぱり具体的に出てこないね。

533:世界@名無史さん
10/06/03 14:20:15 0
>>532
>>506



534:世界@名無史さん
10/06/03 16:02:43 0
スポチャン?

535:世界@名無史さん
10/06/03 17:04:53 0
要するにそんな実験やってないんだろ
499は西洋コスプレイベントで怪我しないようにやってるエキシビジョン
に洗脳されちゃったかわいそうな子が一人いたってだけだろう

536:世界@名無史さん
10/06/03 17:33:42 0
つーかそういうのを自分で見てもいないただの西洋厨だろ

537:世界@名無史さん
10/06/03 17:36:42 O
>>527
亀田ですね

538:世界@名無史さん
10/06/03 19:47:15 0
数々の実験w
専門家wwww

いいから早く具体的に出せよ。

539:世界@名無史さん
10/06/04 03:41:52 0
>>529
射程(鉄・大砲)と鉄の精錬度(防御・攻撃力)と鐙
そもそもフランス軍なら鉄砲隊主軸にして白兵戦は避けるだろうな
長距離射程の大砲でポイントを破壊して、残りは鉄砲斉射で壊滅だよ
陽動すべき騎兵も、音と振動で肝心の馬が怯えてバラバラだろ

過去に便衣兵のゲリラ戦法でベトナムがアメリカを屈服させた例外はあるが、社会共産大国の支援があってのこと
核と長距離誘導弾抜きなら、自衛隊より戦慣れした世界大戦期の日本軍のほうが強いと言ってるようなもん

540:世界@名無史さん
10/06/04 11:23:22 O
マケドニア軍の戦術は長槍の密集戦術。
この陣形はピルムや投石機を使うローマ軍には通じなかった。
ナポレオンの十八番である大砲の集中運用で撃破出来る。
他にも側面や後方にユサールやウーランが突っ込んだだけで壊滅する。


541:世界@名無史さん
10/06/04 12:32:38 0
通じなかったってことはないだろうが互角かそれ以下だろうね。ローマと戦ったころと違い
アレクサンドロス時代には騎兵が充実していた云々の話もあるが上述のとおり
鐙もなければ軽装の騎兵だしな。信長の時代と比べることのほうがおかしい。

542:世界@名無史さん
10/06/04 22:03:14 0
>>529の専門家待ち

543:世界@名無史さん
10/06/05 01:49:47 O
アレキサンダーの騎兵隊の鞍の形がローマ軍が使用してたのと同一ならばいちよチャージは出来る。


544:世界@名無史さん
10/06/05 10:17:32 0
>>539
くわえて実はナポレオンは白兵戦もうまい
銃剣突撃を有効に利用した最初期の人間じゃないのか

545:世界@名無史さん
10/06/05 12:51:41 0
で、アレクサンドロス軍がナポレオン軍に勝てるとするトンデモ説は
誰が唱えたのよww

546:世界@名無史さん
10/06/05 14:35:44 0
火砲がなければ勝てるとかそういう仮定か?
それも変な話だが。

547:世界@名無史さん
10/06/05 14:43:33 O
火砲がどこまで含むかはわからんが、火縄銃やマスケットまで含むとしたらそれはナポレオンの時代の歩兵とは違う。
サリッサを使用したファランクス戦術なら側面や後方ががら空き。
そこを槍を構えたウーランが突っ込み崩したら騎兵に負ける。


548:世界@名無史さん
10/06/05 17:00:31 0
敵味方が銃装備前提だからこそあの軍装なのに、銃なしでマケドニア軍と戦ったらとか
おかしすぎるwww

549:世界@名無史さん
10/06/05 18:21:53 0
>>499
実験とかは知らんが、盾持ちが日本刀に負けてるぞ。


盾と剣を持って戦う我が軍(支那)に対して 日本の賊の攻撃は日本刀で二回か三回打ち付けられるだけだが、
往々にして防ぎきれない。 彼らの日本刀の刀法の巧妙さを推して知るべきである。 ”陣記” 何良臣

550:世界@名無史さん
10/06/05 22:02:02 0
日本刀が実戦に使われてないって人はどこ行った?

551:世界@名無史さん
10/06/09 11:15:57 0
スペインのあわてぶり

ルソン提督がスペイン王フェリペ2世に宛てた手紙
「コーチ支那、ここは1000人で征服できます。
カンボジア王国、ここは我ら(スペイン)の生活の面倒をみてくれています。
シャム、ここは1500人で征服できます。
いずれも偉大なスペインの旗を立てるのは容易ですが・・・・・
日本が攻めて来れば、ルソンは壊滅します。」

パステルス「日本スペイン交渉史」

552:世界@名無史さん
10/06/09 15:02:02 0
別スレだったかな?
秀吉のキリスト教についての外交書簡
道理に適っていて、大航海諸国が言質を取ろうにも取れないほどシンプルで強い
まぁいいブレーンを持ってたこともあるが、単なる人当たりの良い成金趣味の秀吉ではなく
やるべきことはやる強いトップの印象を強くした

要約すれば
・バテレン弾圧と布教者の処断については度々の禁止を要請したにも拘わらず布教を続けたから
・文化や習慣は互いに尊重し合うものである
・もし逆の立場で文化や思想的侵略を受ければ、貴国も不快だろう
・布教活動を続けるなら、今後はより一層断固とした態度を取るので覚悟のほどを

553:世界@名無史さん
10/06/15 03:37:34 0
鈴木某は長篠は起伏の多い地形だから騎馬戦なんて行われたはずがない、とか言うが、馬は平地でないと走れないというのが間違い。
例を挙げると西欧のコブと呼ばれるタイプの馬は比較的小柄だが、足が太く頑健で、急な坂道やぬかるみでも楽に動けるという。
URLリンク(www.mmjp.or.jp)
オプスレイ社の『中世フランスの軍隊』によれば、コブタイプは西欧騎士の乗馬としても使われていた。

日本には鵯越の逆落としという故事があるが、真偽はともかく、これも日本の在来種が山岳地帯に住む生き物だから生まれた話であろう。
サラブレッドではたとえフィクションでも思いつかなかったに違いない。

554:世界@名無史さん
10/06/15 13:42:29 0
馬は一本の蹄
岩場の踏ん張りが効かないから
草原やなだらかな丘陵の暮らしに特化した動物
これ以上進化の余地がない
特定の環境に適応進化したからこそ、ウマ目が衰退したことも頷ける

その前提があるから、それ用に訓練すれば相手の常識を覆せるかと
長篠は奇策としてじゃない?

山岳地帯は蹄は向かないね
或いは複数の蹄がないと移動すら困難だよ

555:世界@名無史さん
10/06/15 16:01:11 0
URLリンク(www21.tok2.com)

556:世界@名無史さん
10/06/15 17:16:24 0
まさに義経の逆落とし

557:世界@名無史さん
10/06/15 18:40:49 0
名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/28(月) 12:07:25 ID:NEOrfgEK
藤井の城郭研究の師である故鳥羽正雄博士の家に、
藤井は子どものころからよく遊びに行っていた。
そこで鳥羽博士から聞いた話がある。
鳥羽博士が、地方の山城の調査を頼まれて現地に行ったところ、
小型馬が用意されており、山の上へ馬で登って調査した、
と言うのである。
昭和30年代までは、山に登る道具として馬が認識されていたのである。

戦国時代の馬も同じだった。貴人は馬で山を登ったのだ。
山城は馬の存在があって始めて築城と運用が可能だったのである。
URLリンク(www.sengokushi.com)


558:世界@名無史さん
10/06/15 21:25:24 0
◇和種馬の体力
和種馬はその小柄な体型から甲冑武者を乗せるとよたよたとしか走れない、と誤解されていますが、
約3.5kmをノンストップで速歩、駈歩で問題なく走り続けられることを確めました。
機会があれば何処まで走り続けられるか確認してみたいと思います。

URLリンク(www.marvellouswings.com)

559:まし
10/06/15 21:28:19 O
>どっちつおい戦争

ok

“ワシ”>>URLリンク(aurasoul.mb2.jp)

560:世界@名無史さん
10/06/16 10:45:43 0
人工物の登坂ルートや獣道がある山登りと山岳地帯は根本的に違うよ
山登りの経験があるなら、登坂ルートを外れた時にどれだけ悪戦苦闘するかわかってる筈
ルートを外れたら泥濘に足を取られて、獣道でも草木が相当邪魔になる
まして上背のある馬は人より動きがとり辛くなる
そもそも馬に適した食い物すらない
日本みたいな多湿多雨だと特にそうで、草原や丘陵に居たほうが食い物にも困らない

複蹄の牛だと力は強いが移動効率が悪い
鹿や犬は荷役に不向き
だから馬を山と言うより坂道を登りやすいように改良したのかもね


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