スターリン政権下かヒトラー政権下どっち住みたい?at WHIS
スターリン政権下かヒトラー政権下どっち住みたい? - 暇つぶし2ch770:世界@名無史さん
09/02/26 03:40:36 0
返答が遅れて済まない。
>>755-758
答えてくれて有難う。
>>758
初めて日記を書き始めた最初の日付は、1942年7月9日では無く、彼女の十三才の誕生日である1942年 6月12日ですね。
よって、左:1942年 6月12日のアンネの筆跡 は手紙ではなく日記です。済みません。

なるほどねぇ・・・。かなり信憑性が有るわけか・・・。

ただまだ引っ掛かる。1点目の、
参考資料: スウェーデンの記者、ディトリィェブ・フェルデュラー 宇野正美著「見えざる帝国」より
「1959年、映画『アンネの日記』が作られた時、アンネが住んでいたというアムステルダムの原型(オリジナル)の建物を、
日記に書いてある様に改装しても良いと言われたという。これでは否応なしにこの日記に対する疑問が湧いて来るではないか。
3点目の、
ドイツの裁判では、そんな小さな紙切れ二枚の鑑定などしていません。「第四章」全部が、ボールペンで書かれているとなっている
のです。さらに、アンネの日記の初版は、1947年に出版されたものだから、ボールペンで書かれているわけがないと主張
されていますが、アンネの日記は最初から第4章までの全篇が出版されたわけではありません。 そもそもこのウィキペディアの
記述は出展が明らかではありません。ネット上で類似の情報を探しても何も引っ掛かってきません。

の部分だろう。3点目は、2枚なのか全部なのかどちらが正しいのか?

又、1942年4月27日付と29日付・10月10日付の三枚の手紙=アンネの筆記体、
日記1=日記2=日記3=ばらの用紙=同一人物の筆記体 にはなってもそこから、
日記1=日記2=日記3=ばらの用紙=手紙=アンネの筆記体 になるとはどうしても思えない。
素人目から観ても、別の人が書いた筆記体に見えるからな。

日記・ばらの用紙を基準として、
日記・ばらの用紙≠「ばらの用紙」のフォルダーに収められた,2枚のばらの紙片=ドロテア・オッケルマン
日記・ばらの用紙≠修正は、一連の文章上の訂正と,綴りのミスの訂正から成っている=オットー・フランク
と別の人が書いたものと判断してるのに、
日記・ばらの用紙と、手紙の時では同一人物が書いたものとどうして判断できるんだ?
素人目から観ても、別の人の筆記体に見えるのにな。


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