09/02/24 05:42:03 0
あと、1点目
参考資料: スウェーデンの記者、ディトリィェブ・フェルデュラー 宇野正美著「見えざる帝国」より
「1959年、映画『アンネの日記』が作られた時、アンネが住んでいたというアムステルダムの原型(オリジナル)の建物を、
日記に書いてある様に改装しても良いと言われたという。これでは否応なしにこの日記に対する疑問が湧いて来るではないか。
又、この日記は自己矛盾及び文学的表現に満ちており、とても13歳の少女が個人の日記として書いたとは思えない。
しかもどうして13歳の少女がフランク家の歴史についてその日記の初めでまず語り、すぐ後にドイツに於ける反ユダヤについて
語っているのか。彼女の本文の中で『オランダ風の梯子階段』と書いているが、彼女はオランダしか育っていない筈であるのに、
どうしてその梯子階段がオランダ独特の物と分るというのだろうか。彼女はどこの国にも行った事はないのである」
これと、2点目
「アンネの日記の4巻はボールペンが使用されている。
しかし、ボールペンは1951年以後に使われるようになったものだ。
1945年に死んだ人間がボールペンで本を書けるわけがない
ボールペンを使って書かれたアンネの日記第4巻と、それ以前の1,2,3巻が同じ筆跡ということは・・・・」
「日記の作者はアンネじゃない?」
「その可能性が出てくるな。
となると、考えられる可能性は二つ。
一つはアンネは戦後まで生き延び、戦後になって日記を書いた。
もう一つは別人がアンネを語って書いたということになる。
では誰が書いたか?というと、これもわかっているんだ。
アンネの日記の真の作者、それはユダヤ系アメリカ人作家メイヤー・レビンだ」