08/06/05 23:43:23 0
宇垣一成日記
昭和16年10月16日
日米国交調整に対する意見の対立によりて、近衛内閣は総辞職せり。近衛木戸一派は君国本意よりも、
自己の鬱憤を晴らす感情に捕はれ、やけくそ式、捨鉢的に相手の東条を推挙したりと伝へらる。
聞捨て難き噂である。国歩を誤らずんば仕合せ也。重臣会議も三時間余に亙り相当に揉めたるが如し。
昭和16年10月17日
清浦圭吾伯、重臣会議直後の感想として、相当会議は揉めたが、陸軍にやらせというふ説と宇垣説とであったが、
採決はなさずして聖断を仰ぐ事にしたり。
会議の空気より見れば、多少の経緯はありても結局宇垣説に落ち着くと述べたるを伝聞せり。
然るに前説を主張するは木戸氏なりとの事なれば、復奏を受け持つ彼れとして、両主張を公平に上聞したるや否や
思ひ半ば過ぐるものありて、結局前説を御採納あらせらるべきであると余は忖度しありしが、果たして的中したり。
木戸はどうして東条にしたのか、当時の危機を切り抜けることができるのは宇垣しかいなかったのに。