09/02/13 04:00:58 0
>>571の続き。
オン・ハンはどうも統治能力がいまいちだったようで、父クルチャスク・ブイルクが没した後
ケレイト王位を継いだが、即位した途端、兄弟親族を殺しまくっていてそれが原因で叛乱を起こされ、
二回も国を追い出されている。(この頃はまだトオリル・ハンと呼ばれていた)
最初、叔父のグル・ハンに追い出された後、テムジンの父イェスゲイを頼って勢力を盛り返し、
グル・ハンは逃亡して再びケレイト王に復位した。
ところが、また兄弟を殺そうとしたため弟のエルケ・カラが離叛してナイマン勢の援軍を招いて
オン・ハンはほうほうの体で逃げ出し、ウイグルや西夏、西遼などの諸国を放浪せざるを得なかった
という。最後にテムジンが勢力を盛り上げていると聞いて、彼の父イェスゲイとの旧交を頼りテムジンの
幕営地へ着の身着のままでたどり着いたそうだ。その時はほんの数頭の家畜とわずかな供回りしか
居なかったというボロボロの状態だったそうだ。
テムジンは下にも置かず鄭重に歓待し、オン・ハンと義理の父子関係を結び、アンダの盟約を交わした
という。ちなみにこの話は『元朝秘史』巻五にみならず『元史』太祖本紀、『聖武親征録』、『集史』
チンギス・ハン紀など主要な資料にはみな載っている重要なエピソードなんだが、何故かあまり
認知度が低いような感じがする。
(『元史』太祖本紀では「汪罕走河西・回鶻・回回三国、奔契丹」とあり、『集史』チンギス・ハン紀でも
同様に「オン・ハンは3つくにを巡り、トルキスターンの帝王であるカラキタイのグル・ハンに避難し、
そのくににはウイグルとタングートの諸都市へも放浪した」と出て来てオン・ハンが放浪した先は、
ウイグルや西夏へ行った他に、西遼へ亡命していたこと分かる。ちなみに「河西」とは黄河の屈曲部、
オルドス地方の黄河西岸地域ことを指す「河西地方」のことで、要は西夏のこと。)
勿論、映画では全く出て来ず、オン・ハンははじめから悠然といかにも帝王然とした雰囲気を漂わせて
いるけれど。主な資料で若い頃のテムジンや誰かが捕われたり、西夏が関わるエピソードはこれくらいだろうか。