09/02/11 16:09:44 0
>>567の続き。
テムジン親子はオン・ハンの弟のジャガ・ガンボの娘たちとも政略結婚を行っているが、この時の
ものはケレイト王家の後継者の血筋と交換婚をしようというもので、そこで長男のジョチと長女の
コアジン・ベキが対象になっていることからも、ジャガ・ガンボの時よりもさらに重要な政略結婚
だったことが伺える。
(このジャガ・ガンボの娘たちとの婚姻で、ソルコクタニ・ベキはトルイへ嫁いでいる)
『元史』諸公主表と『集史』チンギス・ハン紀、コンギラト部族の枝族のひとつイキレス部族誌などに
よると、コアジン・ベキはその後イキレス部族のブトゥ・キュレゲンに与えたそうだ。
『集史』コンギラト部族誌の説明によると、このブトゥ・キュレゲンは「チンギス・ハンの母親の兄弟」
だったらしく(ホエルンはイキレス部族と分岐を同じくするオルクヌウト部族出身のはずだがそこは謎)、
『元史』諸公主表によると元々ブトゥ・キュレゲンはチンギスの四女トマルンと結婚していてコアジンは
その後添えで降嫁されたらしい。またブトゥとコアジンの間にはホウラダイ・キュレゲンとダルキ・
キュレゲンという息子が居たらしく、ブトゥははじめチンギスのケシク(侍衛集団)を務めたあと
トルイの左翼の千戸長となり、息子のダルキはモンケ、クビライの時代に幕僚として活躍したらしい。
『集史』や『元史』などのモンゴル帝国時代関連の主要資料では、チンギス・カン家の王族たちが
どういう順序で生まれたのか、息子たちごとや娘たちごとならば分かるが、いつ何年頃に生まれたのか
明確な記述がない場合も多く、兄弟と姉妹を比べた時、誰が誰にとって姉で弟で兄で妹だったのかは
なかなか判別出来ない。上の『集史』ジョチ・ハン紀の記述はそういう意味で貴重な情報のひとつ。