09/02/11 16:07:59 0
>>564
チンギス・カンとボルテの間には4男5女生まれたことが『集史』なんかに記録に残されてるが、
このうち4男は周知のとおりジョチ、チャガタイ、オゴデイ、トルイの4人。
残りの5女の方は長女コジン・ベキ(コアジン・ベキ)、次女チチェゲン、三女アラカイ・ベキ、
四女トマルン、五女アルタルンの5人になる。
『集史』ジョチ・ハン紀によると、冒頭で
「ジョチ・ハンは、彼よりも年長であったところのコジン・ベキという名前の姉妹のお一人を除くと、
チンギス・ハンの最年長の子供であった」と出て来る。
(要するにコジン・ベキとジョチは姉と弟だったということ)
コジン・ベキないしコアジン・ベキという人物はチンギスの娘としては最年長だった訳だが、
主な漢字文献でも『元朝秘史』では豁真別乞、『元史』では火臣別吉、『聖武親征録』では
火阿真伯姫などとして出て来る。
後のチンギス・カンことテムジンがケレイト王国のオン・ハンと蜜月時代の末期に、現状の
同盟関係をさらに強化するためテムジンの子供たちとオン・ハンの子供や孫を交換婚する計画があった。
オンハンの長男にイラカ・セングムという人物がいるが、この時、テムジン側はジョチとこのセングムの
妹のチャウル・ベキとを娶らせ、その交換にセングムの息子のトサカをテムジンの娘のひとりとを
娶らせることを望んでいたが、セングムが(『元朝秘史』は「尊大にも」とわざわざ書くが)テムジン側は
ケレイト王家より格下であるのにこの婚約で後々自分達を臣従させるに違いない(意訳)、と激しく反発して
ご破算にさせたらしい。
これがケレイト王国とテムジン勢が対立する端緒になったのだが、この時セングムの息子のトサカに
娶らせようとしたテムジンの娘が上述のコジン・ベキで、この交換婚計画の破約が両家の対立の原因になった
というエピソードは『集史』や『元史』太祖本紀、『元朝秘史』巻五など主な資料に皆記録されている。