アーサー王は女の子!at WHIS
アーサー王は女の子! - 暇つぶし2ch108:世界@名無史さん
09/05/04 00:34:00 0
>>106
そりゃ実在の玄奘はたった一人でファンタジーでは無い世界を旅した人だからなー。
物語の三蔵法師とはえらい違いだわな。

109:世界@名無史さん
09/05/04 00:52:18 0
>>106
藤子F先生のTPぼんでも玄奘三蔵の話しが出てやっぱりごっつい人だったよ

110:世界@名無史さん
09/05/04 19:48:10 0
>>107
個人的には後光厳院が女の子というネタがそろそろ出てくると思うのだが

111:世界@名無史さん
09/05/04 20:42:09 0
むしろ広義門院は男の子by足利義詮

112:世界@名無史さん
09/05/04 20:57:46 0
拾い物だが藤原つながりで。

URLリンク(dokan.sakura.ne.jp)
俵藤太物語

この後魔王を討伐

113:世界@名無史さん
09/05/05 14:13:49 0
ただ読者がオンナと若い男が多いから、
美少女キャラのほうが受けるのだろうが、
それでは世界観を歪めることになる。

114:世界@名無史さん
09/05/06 08:34:36 0
それを言ったら時代劇や時代小説なんて世界観を結構歪めまくりだぞ

115:世界@名無史さん
09/05/19 18:45:59 0
そもそも史実で「女の騎士」ってのはありだったのだろうか。


116:世界@名無史さん
09/05/19 23:11:58 0
>>115
有名なのはイングランドのフィリッパ王妃

117::
09/05/21 20:01:13 0
ザブングルは男の子!

118:世界@名無史さん
09/05/25 23:06:24 0
>>116
それは微妙でね? ガーター勲章の受勲ってことなら、
昭和天皇でも騎士になってしまう・・・


119:世界@名無史さん
09/05/27 02:30:37 0
>>118
受勲者でもあるけど、実際に騎士団員として名を連ねてる。

120:世界@名無史さん
09/06/01 18:56:42 0
ちかごろ邪馬台国畿内説が優勢になってきたが、
そうなると卑弥呼と壹与もヤマト王権の女王ってことになる。
欠史八代の天皇のうち誰かと誰かが女の子でも不思議ではないな。


121:世界@名無史さん
09/06/06 19:19:40 0
ヤマトタケルは女の子!

122:世界@名無史さん
09/06/06 21:10:28 0

類似スレで、ちょっと位置づけがアーサー王に似てるよね
という話しをしたが。

まあ、女の子に化けたとかあったから…と妄想w

123:世界@名無史さん
09/06/08 03:21:07 0
時代的にはフランクのクローヴィス大王・東ゴートのテオドリック大王・倭国の継体大王の頃か

124:世界@名無史さん
09/06/08 19:28:27 0
徳川綱吉は女の子!
柳沢吉保は愛人。

125:世界@名無史さん
09/07/02 07:39:04 0
史的なアーサー王は、ルキウス・アルトリウス・カストゥスではなく
アンブロシウス・アウレリアヌスが投影されている。

ルキウス・アルトリウス・カストゥスは2世紀の人物で、ブリタニア駐留の
軍団長、軍務終了後にはイタリアかダルマチアに帰国しているのでアーサー王の時代と合わない。

ただ、ルキウスの一部のエピソードは投影されているようで、サルマティア人
が彼の軍団に多数所属している事からオセットのナルト叙情詩とアーサー王伝説
が類似している事もその理由の一つ。

アンブロシウス・アウレリアヌスは現実に居た人物で、ブリタニア人(ケルト人)
ではなく、ローマ貴族である。

407年にブリタニア駐屯のローマの軍団長がコンスタンティヌス3世として
ローマ皇帝を僭称し、残軍を率いてブリタンニアを離れ、南下した。
この時にブリタニアでのローマの支配は終焉を迎えた。

このコンスタンティヌス3世の親戚、もしかして息子がアンブロシウス・アウレリアヌスでは無いか言われる。

126:世界@名無史さん
09/07/02 17:47:13 0
5世紀に西ローマ帝国はゲルマン人大移動により領土を侵食され事実上
イタリア半島とアドリア海沿岸部のみが西ローマ帝国の領土として機能
していた。
しかしいくつかの孤立地帯において西ローマ帝国の支配が続いた
執政官シアグリウス支配下のガリア北西部やアウレリウス・アンブロシウス
支配下のブリタニアなどである。

クラウディウス帝の遠征により西暦43年からブリタニアには4個のローマ
軍団が駐留し、現地の治安維持や蛮族の侵入を防いでいた。ちなみに1個の
ローマ軍団の定員は約1万人であり、ブリタニアにはローマ軍が総勢4万人
駐留していた事になる。
また、現在のイングランド南部を中心に住民のローマ化が進み、ローマ人と
ケルト人の混血も進んだ。

4世紀に入ると、ブリタンニアは西部からのアイルランド人と東部からサクソン人
の攻撃にさらされるようになった。いわゆるゲルマン民族大移動である。
当然治安も乱れ、ローマ人の活動は次第に低調になっていったが、ブリタニア
駐留の4個のローマ軍団が有効に機能し異民族の侵入は撃退された。

しかし383年、グラティアヌス帝に対しブリタニア駐留軍団長マクシムスが
2個軍団で挙兵し、ガリアに進軍を開始した。グラティアヌス帝は敗走戦死
したものの、ローマ帝国最後の皇帝テオドシウスによりマクシムスの反乱は鎮圧された

これでブリタニア駐留のローマ軍団は2個軍団となり、兵力は減少し再び
アイルランド人やゲルマン人の侵入が始まった。

このような状況でアーサー王の伝説は作り上げられた。

127:世界@名無史さん
09/07/03 03:36:00 0
383年、グラティアヌス帝に対し反乱を起こしたマクシムスの肩書きは、
軍団長ではなくブリタニア総督のようです。

この反乱でブリタニア駐留のローマ軍団は2個に減り、再びアイルランド人や
ゲルマン人の侵入が始ます。しかし、兵力が減っていても、軍団は存在機能し
サクソン人がブリタニア本土に植民する事態にまでは至りませんでした。

また、383年に2個のローマ軍団は、ブリタニアを離れた時に
“バドリアヌスの長城”も放棄されたのかまでは不明です。
残り2個軍団のうち1個軍団は“バドリアヌスの長城”に配置したまま
なのか、それとも放棄してブリタニア南部の防衛だけに留めたのか
記録が無いので良く分からないのが現実です。

しかし、正規軍がブリタニアから減少したことで、ブリタニアでは補助軍
の存在が大きくなった。元々正規軍団は要塞を構え、各方面の辺境を守備
するとともに属州領内部を監視していたた。領土内では従属させた各部族
をそのままローマ式の行政単位(キウィタス)に改変し税を課していた。

128:世界@名無史さん
09/07/03 03:38:49 0
そして一方で、従順な部族の権利は実質的に温存され、また、ローマ軍団
に協力した隷属部族(イケニ族、アトレバテス族、レグニ族など)は一時的
に独立が許された。しかし、男子王血統が途絶えると強制的にローマ領に
併合された。

このような武断的なケルト人への支配も、ローマ軍団の撤退により弱体化し、
グラティアヌス帝征服以前の部族支配が復活し始める。

その背景としてローマ軍団に協力したケルト人部族は、ローマとの同盟部族
という事でローマ軍団の補助軍とされた事にある。
補助軍とは、治安の維持や正規軍の後方援助、徴税などの行政事務の補助を
行うローマ軍の予備軍である。またその構成員は現地のケルト人だけではな
く、退役したローマ軍人やその家族も含めれていた。
ローマ軍団の兵士だけでなく上級将校将官クラスの人物でも、ケルト人との
結婚等で現地に土着したケースが多く、その場合には、退役後にも継続して
補助軍構成員となり、またその家族も補助軍の構成員となった。

ブリタニアから正規軍のローマ軍団が減少すると、これらのケルト人同盟部族や
ローマ退役軍人が中心構成員となるローマ補助軍がブリタニアの軍事力の中心となる。

おそらくアーサー王伝説のモデルとなるアンブロシウス・アウレリアヌスは、
このブリタニアのローマ補助軍の指揮官であろうと予測される。


最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch