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プチャーチンは、長崎での交渉の中で、樺太最南部のアニワ湾周辺を日本の領土とし、
それ以外をロシア領とすることを提案した。
日本側はそれに対して、北緯50度の線で日露の国境とすること主張した。
交渉が下田に移る直前、川路聖謨は老中にあてた書簡の中で次のように説明している。
―日本の会所ができているのはアニワ湾周辺だけで、それより奥地へは探険家が入った程度である。
長崎では北緯50度で分けるとの案を出したが、どこで分けるかの定見は無い。
不毛の樺太を棄てても一向に差し障り無い。―