08/04/12 21:31:00 0
明の正徳五(1510)年、悪宦官として名高い劉瑾は、謀反のかどで凌遅の刑に処された。
以下はそれを見聞した張文麟の記録である。
劉瑾はすでに肉を削がれ始めていた。執刀回数は3357刀、10刀ごとに息を入れ、一喝して正気に戻す。
第1日目は親指から手の甲、胸の左右へと357刀肉を削ぎ取った。
最初の一刀には多少の出血があったが、二刀目からは出血が無い。
恐怖で血が下腹部や脹ら脛に溜まり、削ぎ終わってから胸を開けば一挙に噴き出すという。
夜になり、劉瑾は監獄に護送され、そこでなお二椀の粥を食べたという。
賊のしぶとさ、かくのごとし。
翌日は城内の東に場所が移された。
昨日劉が宮中の秘密を暴露したため、今日は口に胡桃の殻が押し込まれている。
劉瑾は十数刀肉を削がれたところで気絶した。
やがて日が昇り、監督官が屍を解体する、と宣言した。
劉瑾の被害者たちが削がれた肉の山に殺到した。その肉で殺された者の冥福を祈るためである。
屍の胸に斧が振り下ろされ、血や肉が数丈も飛び散った・・・
被害者やその遺族たちは劉の肉片を生で食べ、恨みを晴らした、という。