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アメリカの中国専門家たちは、毛沢東が死んだとき、
「毛沢東の遺産と革命精神は永遠に生き残るだろう、中国の政治的特質と中国人の
平等な暮らしぶりは、私が目撃したときのままの姿で残っていくと思う」
と書いた。
それから数年も経たないうちに、アメリカの作家たちは、毛沢東主義を捨てていく
中国の姿を得意げに描くようになった。
日本のアラブ・イスラーム研究者は、近代化論が日本の論壇で支配的だった時期には
「近代はイスラームにはじまる」とか「近代的社会契約思想も実はイスラームが最初」
などと論じていた。しかしポストモダン思想が流行すると、突如「イスラームこそ
ポストモダン的」ということになった。発展途上国の民主化が政治学の中心課題に
なると、「イスラーム的民主主義の可能性」が喧伝され、国際化・グローバル化に
乗り遅れるな、という掛け声が高まると「イスラームのグローバル性」がことさらに
強調された。しかし反グローバル化の感情が姿をあらわすと、「イスラームこそ
アメリカ中心のグローバル化へのアンチテーゼ」とこたえてみせる。
欧米でも日本でも、地域研究者にはなぜこういうおかしなのが多いんだろうか?