07/10/03 09:09:20 0
>>206
実際には農村部は含まれないのが現状。
そんな実例は僅か。
そもそも城壁を移動、修築するのは高コストであり、
都市域を制限する意味が合いもあるので、
特に欧州では余程の軍事上要衝で都市城壁が要求される場合でなければ、
城壁は廃れて行ったりしている。
秀吉の都市計画と総構との関連性は全くない。
当時として象徴として考えられていた傾向を示すものもない。
軍事上要衝であれば、洛中では寺院を要塞化すれば済むもので、
大坂など台地など高台を利用して総構を建造したり、
東京のように川や運河を利用して堀で総構を建造できる余地は少ない。
事実、江戸時代の二条城もさほど軍事面を考慮した縄張りになっていない。
>富を握る都市民として、防御本能が働いて心理的に抵抗するのは当然のこと。
都市民が防御本能働いたからといって、総構とはならない。
堺のように環濠が施されていて総構にはなっているが、
補助的なもので、軍事的な後ろ盾を常に考えておかなければならない。
堺ならば、三好氏など。
都市民の真骨頂はそういった後ろ盾を財力を駆使して生き延びた権謀術数。