07/10/01 23:57:25 0
>御土居の囲む範囲は当時の市街地に比べ極めて広く、西部や北部においては第2次世界大戦後まで農地が広が
>っていた場所すらある。このため御土居の全長は長くなり、防衛に必要な兵力が多くなる。
中国の北京城や唐代の長安城の城壁範囲はもっと広いが、城壁が防御目的であったことは確実である。よって北京城より狭い京都御土居の範囲が広いといって防御機能を否定する意見には妥当性がない。
各地の城下町の惣構内部で第2次世界大戦後まで農地が広がっていた例があり、
京都の御土居がそれらの例と同様に農地が広がっていても特に不自然なことではない。
豊臣時代、特に聚楽第が存在した時期は洛中に大量の兵力が存在しており、広い京都の御土居を守備することは可能である。