06/12/24 22:21:40 O
2もらうね、1543種子島
3:世界@名無史さん
06/12/25 02:08:26 0
ウダガー先生曰く
「火縄銃のネジなんて野鍛冶でも難なく作れんだよ!」
「日本の火縄銃は元々東南アジア製のコピーに過ぎない!」
「砲煙を消すには女のシャレコウベの粉末を火薬に混ぜろ!」
「現存している大友国崩砲や津和野神社の砲は全て日本製!」
「砲術なんて曲芸と同じで槍弓刀の武芸と並び称されるものではない!」
4:世界@名無史さん
06/12/25 03:38:02 0
板名をご覧ください。
5:世界@名無史さん
06/12/25 14:36:47 0
三十年戦争の時の大砲ってどんなの?
6:世界@名無史さん
06/12/25 18:35:18 0
スエーデン軍がそれまでの重砲でなく
より機動性の高い2ポンドだか4ポンドだかの
野砲を使って大戦果を上げたのが、
いわゆる30年戦争じゃなかったでしょうか?
野砲と言うものがこれ以後定着したという
話だったとと思いますが。
7:世界@名無史さん
06/12/25 19:28:39 0
軽攻城砲を野戦に転用することは百年戦争の頃から行われ、
既に野戦用の軽砲も登場している
スウェーデンのグスタフ・アドフルは大砲の軽量化に熱心だったが、
それはスウェーデンに限った話ではなく、ドイツやフランス、イタリアでも
盛んに模索されていた
スウェーデン軍が野戦砲兵の整備に熱心だったのは、歩兵により攻撃的な戦術的役割を
求めた代償に、低下した歩兵火力を補完しなければならないという事情があった
このため、柵車や皮革砲のような珍兵器が整備されたが、これらの珍兵器は結局は失敗に終わった
スウェーデンの努力は完全に成功したとは言い難い
砲兵戦力の増強は貧弱な大陸派遣軍の兵站を破壊して先端戦力と攻撃衝力を消耗させ、
王の晩年には歩兵は不十分な火力掩護の下で突撃を余儀なくされ、
歩兵の鈍重な攻撃速度を掩護するために騎兵は無謀に近い攻撃運動を要求されることになる
これが結局は文字通り王の命取りになった
8:世界@名無史さん
06/12/25 19:29:46 0
17世紀や18世紀の大砲の発火はどうして行ったの?
9:世界@名無史さん
06/12/25 19:31:52 0
ヨーロッパでは重砲はイタリア戦争末期にはほとんど姿を消している
峻厳なイタリアの山間道を機動するためには軽量な砲の整備が必須だった
三十年戦争の頃には重砲は新造されなくなっている
10:世界@名無史さん
06/12/25 19:33:55 0
>発火はどうして行ったの?
火縄を持って火口まで歩いていって着火
11:世界@名無史さん
06/12/25 20:30:36 0
当時の歩兵はどういう銃器で武装していたんでしょう。
まだフリントロックにはなっていないと思うんです。
そうすると火縄銃になるんでしょうね。
まだまだ槍兵や弓兵等が幅を利かせていたのでしょうか?
12:世界@名無史さん
06/12/25 23:20:58 0
>>5
どうもこうもうない、ナポレオン戦争時とあまり変わりない二輪砲架。
ただ、規格化が不十分・美しいレリーフが施されている・重砲は車輪が砲に比べ小さいといった違いはある。
>>6
スウェーデンの軽砲は3ポンド砲。
ちなみに西欧で大砲はクレッシーの戦いで初めて投入された。初め、大砲は野戦用だったわけだ。
>>7
グスタフ・アドルフは軽砲とともに重砲も併用しているね。
>>11
弓兵は、中世末期にはもうイギリスぐらいしか運用してないよ。その長弓兵も、ばら戦争で多くを失われて
銃兵と砲兵に取って代わられている。
槍兵は、17世紀後半のフランスで着剣したまま弾の装填ができるソケット式銃剣が発明されるまでは現役。
テルシオもグスタフ・アドルフの軍もパイク兵と銃兵の組み合わせ。
13:世界@名無史さん
06/12/26 00:11:36 0
記録に残る大砲のデビュー戦は1331年のチヴィダーレ攻城戦
1346年のクレーシー戦ではイングランド軍が牽引砲3門を投入しているが
目立った働きは残っていない
三十年戦争のスウェーデン軍は大砲の調達に手段を問わなかった
主力は新造の軽砲だったが、中には旧式の大口径重砲も含まれていた
こうした旧式重砲は主に攻城戦で使われたが、状況に応じて野戦にも
投入されている
イングランドの長弓兵の衰退は、羊毛業の勃興に因るところが最も大きい
百年戦争当時、イングランドは軍事的産業的後進国で、
農民の次男以下は嫡男の使用人になるか、大陸派遣軍に従軍する以外に
選択権はほとんどなかった
百年戦争後の羊毛業の進展がこうした余剰労働力を吸収したため、
長く過酷な訓練を要する長弓兵の供給源を断つことになった
14:世界@名無史さん
06/12/26 01:57:56 0
歴史群像12月号
URLリンク(www.gakken.co.jp)
第3特集
北大西洋の波涛に破れた「無敵艦隊」
【真実のアルマダ海戦】
ここにアルマダ海戦時の絵が載ってるんだが
その絵では、長弓兵が描かれてるんだな。
1588年時点でまだ長弓兵が戦いに参加してたようだ。
15:世界@名無史さん
06/12/26 06:24:22 0
清教徒革命あたりか? 完全に消えたのは
16:世界@名無史さん
06/12/26 08:36:19 0
編制兵科としての弓兵はシャルル7世の兵制改革が最後
17:世界@名無史さん
06/12/26 14:48:42 0
槍兵自体は、WWⅠ時まで列強国では
まだ制式採用されて実戦投入されていたんだよな。
18:世界@名無史さん
06/12/26 20:26:21 0
このころ(18世紀くらいまでか)の砲弾は、爆発しないものが主流だったんですよね。
ひとりの兵士にあたって、やっとひとり殺すということしかできなかったのでは?
ですので、そういう大砲を野戦に使うというのはピンとこないんです。
城や船を破壊するために発射するならわかります。
でも、兵の集団相手に撃っても、爆発しないのならば、あまり効果的な兵器ではなかったのではないでしょうか。
19:世界@名無史さん
06/12/26 20:39:25 0
弓もイギリスでは、清教徒革命の時まで使われていたようだが。
20:世界@名無史さん
06/12/26 20:46:45 0
>18さん
私もずっとそう思っていたんですよ。
同じような内容で質問したことがあったんですが
要するに当時のヨーロッパの歩兵戦術が
密集歩兵の方陣みたいなものだったんで
そういった方陣にほころびを作るには有効だったみたいです。
方陣を維持しつつ動く歩兵は速度も遅いから命中しやすいし、
方陣同士がぶつかりあったり、騎兵が方陣に襲い掛かったりしたとき
ほころびの部分から崩れていくのでしょうね。
日本には大砲の代わりに敵の陣形をほころびさせる
一番槍というのがありましたよね。
あれ、そうすると日本軍の肉弾重視と言うのは
戦国時代からのものなのかな?
21:世界@名無史さん
06/12/26 21:02:55 0
18世紀には方陣は騎兵に対する防御隊形で通常は横隊ではないか。
フランス革命軍・ナポレオン軍は縦隊を多用したが。
22:世界@名無史さん
06/12/26 21:05:11 0
>>20
いちょう戦国期それ以前でも突入前に弓で射撃戦してるつかそれが主力
日本軍は肉弾重視なんかしてない、軍刀持ってるからそういいうイメージが
あるのでは、あとは後半補給切れで弾が少なかったっーのもある
23:世界@名無史さん
06/12/26 21:10:28 0
ここで長文垂れ流してないで本を読め
24:世界@名無史さん
06/12/26 21:12:29 0
でも司馬遼太郎は却下ね。
25:世界@名無史さん
06/12/26 21:26:15 0
>>22
主力はあくまで長柄だよ。
弓じゃ戦闘の決を取れない。
26:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
06/12/26 22:12:18 0
12~16世紀の戦闘を見るに、①まずは楯や藁をつんだものを挟んで矢を
放ちあい(地方領主の小競り合いだとここで収まる)、②その後、敵陣の崩
れたところへ馬に乗った者+従者が駆け込み、乱戦となるもの。
一番鑓というのは、乱戦後の話。「敵の陣形をほころびさせる」ものではあ
りません。前者は騎乗者の持鑓、後者は足軽の数鑓の役割でしょう。
>弓じゃ戦闘の決を取れない。
戦闘の決というのは、②の状態に入った場合問題になるものですね。
なお、鑓(やり)自体の出現は、鎌倉時代末期のことです。
槍(ほこ)は長柄の武器全体を指したもので、江戸時代以前には、特に鑓が
長柄の武器だということを強調する場合でなければ、ヤリを示すのに槍とい
う字は使用されていません。
もっとも、戦国期を経験した大名たちが、家中にまずは矢と鉄放で攻撃し、
しかる後に鑓の衆、長刀の衆、刀の衆などで攻撃せよと言っているあたり、
守らずに個人の手柄目当てでさっさと切り込もうとする者も多かった模様。
矢に印をつけることは、ほとんどやっていなかったようです。
近世に戦闘のイメージが刀槍で捉えられたのも、手柄と結びついていたから
ではないかという説があります。
27:世界@名無史さん
06/12/27 02:05:53 0
エスピンガルーダ
28:世界@名無史さん
06/12/27 02:07:38 0
アーキバス
29:世界@名無史さん
06/12/27 16:18:12 0
日本の話になってしまったけど、
1631年にブライテンフェルトの戦いで
グスタフ=アドルフが神聖ローマの
スペイン方陣を破るまでの100年以上の間
スペイン方陣(テルシオ)は一世を風靡したように
聞いています。横隊が主流になるのは17世紀からじゃ
ありませんか?
30:世界@名無史さん
06/12/27 16:44:00 0
槍の宝蔵院も実は鑓ってこと?
31:世界@名無史さん
06/12/28 08:34:19 0
>>21
横隊相手でもいいんだ。密集横隊のぶつかりあいってのは一箇所が崩れればそこからボロボロと戦列が崩壊するから。
だからローマ軍団・日本の長槍隊・スイスのパイク兵・ドイツのランツクネヒト、みんな厳しい規律を持っていた。
つまり敵の隊列に確実に向こうまで穴を空けられる鉄球弾には、殺傷できる人数以上に大きな効果があった。
32:世界@名無史さん
06/12/28 08:37:05 0
>>10
火打石で発火しないの?銃はそうなのに。
歯輪式でもないの?
33:世界@名無史さん
06/12/28 09:36:11 0
正確に狙って撃つわけでもないからタッチロックで十分。
34:世界@名無史さん
06/12/28 21:28:21 0
>>30
ソロプレイ向き槍
35:世界@名無史さん
06/12/29 03:04:15 0
>>18
炸裂弾が普及する以前の鉄球弾でも威力は相当なもん
大雑把に言うと、ボウリングの玉が時速百キロですっ飛んでくるようなもの
人間の体なんて簡単に突き抜けるし、速度が落ちても足ぐらいならもぎ取れる
鉄球は地面に落ちてもバウンドしたり転がったりするんで、そう簡単には止まらないし
で、殺せなくても負傷させればその兵は戦力とならないので、十分威力があった
あとは>>20の言うとおり、密集隊形が崩せればそれでよし
「パトリオット」って映画見ると視覚的にわかりやすいかと
アメリカ独立戦争の話だから、18世紀だけどね
36:世界@名無史さん
06/12/29 09:18:23 0
16~17世紀ごろのヨーロッパが舞台で、パイク兵やマッチロック銃兵が出てきて
戦う場面のある映画ってないですかね?
37:世界@名無史さん
06/12/29 09:20:01 0
>>36
エリザベスは?
38:世界@名無史さん
06/12/29 09:43:06 0
あの映画、戦場で死体が転がってるだけだもんなあ
39:世界@名無史さん
06/12/29 09:46:18 0
>>37-38
98年の作品ですか? 観てみます
サンクス
40:世界@名無史さん
06/12/29 20:46:26 0
>>36
『ジョヴァンニ』
URLリンク(movie.goo.ne.jp)
DVD化はされてないんだよなー・・・
41:世界@名無史さん
06/12/30 02:02:10 0
映画「もののけ姫」で出てきた
薬室カートリッジタイプの後装銃は炸裂タイプの弾丸使ってましたね。
ああいうものって史実では明代の中国にあったのでしょうか?
ある解説だと、明代の武器百科である「神器譜」に“震天雷”なる
時限発火装置が出ており、それが原型になったとか。
42:世界@名無史さん
06/12/30 02:35:26 0
>>41
上・・・無い
下・・・詳しくはしらんが、当時の技術や火薬の質では発火弾の小型化が
出来ない、撃ち出しに耐えれる強度が出せない、発火タイミングのコントロールが
不安定、等でアイディア兵器としてはあったかもしんない程度のもんじゃねぇかな
43:世界@名無史さん
06/12/30 09:19:41 0
>薬室カートリッジタイプの後装銃
子母銃か?
44:世界@名無史さん
06/12/30 22:06:24 0
震天雷は宋や金の時代から使われている。銃というより爆弾。
元寇に出てくる「てつはう」もその手のもの。
45:世界@名無史さん
06/12/31 01:46:23 0
>>44
大河ドラマ「北条時宗」では博多湾に襲来した元の軍船から
カタパルト式の発射装置で一気に数百発ぐらい飛ばしてましたね。
で、見たことも無いない超兵器に恐怖する日本軍。
あと棒の先に付けた筒状の銃器らしき物を持った蒙古兵が合図と伴に三列に順番に
撃ってました、あれこそ、もののけ姫に出てきた銃器と同類だと思われます。
当たった弾は雑兵の胴丸鎧を貫通して家屋の壁を破壊する程の威力でした。
46:世界@名無史さん
06/12/31 01:51:19 0
>>36
「ファイアー&ソード」17世紀ポーランドが舞台。
ちょっと古いけど「クロムウェル」も良かった。
47:世界@名無史さん
06/12/31 21:27:05 0
>>45
>棒の先に付けた筒状の銃器
指火式の銅銃だろうか。
朝鮮では秀吉と戦ったときもまだ使ってた(鹵獲品が靖国かどっかにあったはず)。
たしか現存する最も古いものが14世紀後半なので、元寇に使われてたかどうかは・・・
>>46
ポーランドってパイク兵使ってたんですか?
48:世界@名無史さん
07/01/02 15:32:12 0
つーか大河ドラマって時点でな。
49:世界@名無史さん
07/01/02 17:14:57 0
始まりはそんなもん
50:世界@名無史さん
07/01/02 17:50:31 0
だが、ここでその話を持ち出されても困る。
51:世界@名無史さん
07/01/02 17:54:19 0
恥の書き捨てが効くここでええがな、下手にリアル馬鹿晒して虐められたらどうするよ
52:世界@名無史さん
07/01/02 21:25:44 0
知らんがな。
53:18
07/01/02 22:26:37 0
>>35
ありがとうございます。
54:世界@名無史さん
07/01/03 13:04:16 0
ポーランドには馬上からマスケット銃を撃つ部隊がいたらしいが
55:世界@名無史さん
07/01/03 15:39:04 0
>54
時代にもよるがそれって竜騎兵では?
56:世界@名無史さん
07/01/04 02:51:41 0
ポーランドのはよく知らないけど
竜騎兵は下馬して戦うのでは?
57:世界@名無史さん
07/01/05 01:07:06 0
その通りだが、別に騎乗中には長銃を撃つことは不可能という技術的限界が
あったわけじゃあるまいし、地域や状況次第でそういう運用もされたろう。
手元の資料では、騎乗中に撃つ長銃であるカービン銃の存在が17世紀に
確認できる(たぶんもっと古く遡れる)
58:世界@名無史さん
07/01/06 00:49:46 0
初期と末期は下馬銃撃を前提にしていたが
中期は騎乗射撃→抜刀攻撃 だったんじゃないかな
59:世界@名無史さん
07/01/06 03:32:07 0
そらピストル騎兵じゃないかい?
60:世界@名無史さん
07/01/06 10:22:32 0
騎乗歩兵みたいなことは中世からやってたんじゃないですか。
百年戦争の時のロングボウ兵も戦場まで馬で移動する例があったとか。
61:世界@名無史さん
07/01/06 13:46:21 0
>>57
カービン銃で長銃とはこれ如何に
62:世界@名無史さん
07/01/06 18:25:24 0
騎乗歩兵は古代からあるよ
63:世界@名無史さん
07/01/06 18:27:02 0
イングランドの長弓兵は武装自弁だから経済的に余裕のある兵は
騎乗したり荷物運搬用の馬や荷車まで持ってたし
64:世界@名無史さん
07/01/06 18:59:22 0
ポワティエのときの黒太子の軍はほとんどが騎馬だった
(重騎兵&弓兵)って話だし、そんな感じで機動力が高かったから
騎行戦術もうまくできたってことなのか
65:世界@名無史さん
07/01/06 21:26:07 0
イングランド長弓兵のほとんどは貧乏な小作農階層の出身だから、
ほとんどの兵は徒歩だったんじゃない?
中には馬を持ってた裕福な弓兵もいたけど少数派でしょう
66:世界@名無史さん
07/01/07 01:07:01 0
>>65
独立自営農民、ヨーマンだよ。
どこから小作農って聞いたの?
67:世界@名無史さん
07/01/07 06:13:47 0
ヨーマンはイングランドの封建制解体の過程で出現
ちょっと時期がズレてるね、残念
どこからヨーマンって聞いたの?
68:世界@名無史さん
07/01/07 12:10:02 0
14世紀後半からの成立だから別に間違いじゃないと思うけど。
クレシーの長弓兵はウェールズの自由農民でしょ。
小作農説を開陳してくれ。
69:世界@名無史さん
07/01/07 12:34:49 0
イングランドの弓兵は対スコットランド戦役の頃からいるぞ。
ちょっと時期が合ってないな。
70:世界@名無史さん
07/01/07 13:13:40 0
弓兵じゃなくてヨーマンの話ね>14世紀後半頃登場
71:世界@名無史さん
07/01/16 11:20:04 0
>>56
16世紀17世紀にドラグーンと呼ばれていたのは銃で武装した乗馬歩兵
16世紀後半の騎兵は主に胸甲騎兵と火縄銃騎兵とに2通りに区別されてた
胸甲騎兵ってのは19世紀のとは異なり全身鎧を着てピストルで武装した重騎兵の事
火縄銃騎兵は胸甲騎兵より軽装で小銃を持った騎兵で上の攻撃騎兵の火力支援をした
有名なグスタフ・アドルフの騎兵は軽装の騎兵にピストルを持たせた攻撃騎兵で
胸甲騎兵より軽装だけど火縄銃騎兵とも運用が違うのでレイター(ライダー)とか呼ばれた
この後フランス・ルイ15世の時に近代的な軍編成がなされて
そこで重騎兵が消滅し騎兵は全て軽騎兵になる(当時の認識は重騎兵=全身鎧)
ここらからみんなが良く知るユサールや胸甲騎兵やカラビニエが登場してきて
同時にドラグーンももっぱら騎兵として扱われるようになる(国によって運用法はバラバラだけど)
ちなみに、実は騎兵の運用は昔から殆んど変わってなくって
ピストルや格闘で敵に攻め入る攻撃騎兵と火力支援や追撃を行う騎兵の運用が基本だった
(槍騎兵やユサールとかはもっと特別だったけど)
72:世界@名無史さん
07/01/16 15:42:35 0
薔薇戦争で貴族が没落してヨーマンが台頭。
権利保障の引き換えに軍役を負った。
ロンドンの近衛兵もヨーマン。
英国王が弓を振興して長弓兵が育成された。
馬を弓で足止めしたり戦意を挫き、徒歩のメンアットアームズが
落馬したり混乱した騎士に殺到して止めをさした。
フランス騎士はメンアットアームズに対抗して馬を下りて戦った。
百年戦争でフランスが巻き返したのは無知な小娘がルールを破ったから。
(この点でジャンヌダルクは源義経とかぶる。)
73:世界@名無史さん
07/01/18 10:04:06 0
リッターとレイターってどっちも英語のRiderと同系統の言葉だったと思うが
どうして2つに分かれたのか
74:世界@名無史さん
07/01/19 01:49:12 0
下馬騎士は武器何持って戦ったの?
75:世界@名無史さん
07/01/19 20:56:35 0
>>74
剣やハルバード
76:世界@名無史さん
07/01/20 00:49:07 0
じゃ唯の歩兵だね。
77:世界@名無史さん
07/01/23 13:07:05 0
>>73
リッターって良く知らないんだが
英Reider独Reiter蘭Ryuter
だったと思う
どれもその後に定義が曖昧になってhorsemanと同程度の意味になってしまうんだが
その過程で国や地域によって色んな意味が登場して消えてったんだと思う
日本語のキャノンは英語ではGunに相当するモノだったりとか、そういう言葉の意味の変化じゃない?
78:世界@名無史さん
07/01/23 13:27:25 0
たしか騎士がRitterで
ピストル騎兵がReiter
79:世界@名無史さん
07/02/27 22:14:41 0
月例装弾に上がりました。
80:世界@名無史さん
07/02/28 09:03:25 O
ちなみに明治維新の前の日本にも一時期、竜騎兵に相当する兵種が伊達家等にありましたが大阪の陣で役に立たなかったので解体されました。
81:世界@名無史さん
07/03/02 09:23:06 0
中世にインド洋からアラブ商人が香辛料などの買い付けにきてたらしい。
82:81
07/03/02 09:23:51 0
すいません誤爆です
83:世界@名無史さん
07/03/02 10:02:17 0
>>80
伊達家の鉄砲騎馬隊かな?
長槍に負けたんだっけ
84:世界@名無史さん
07/03/02 11:00:49 0
>>80
強そうなイメージがあるけど何故、勝てなかったのかね?
85:世界@名無史さん
07/03/02 11:23:58 0
用兵が下手だった じゃろ
86:世界@名無史さん
07/03/02 11:25:13 0
>>83
URLリンク(salad.2ch.net)
あたりが参考になるのかな?
講談だと、大阪夏の陣で伊達の鉄砲騎馬隊が真田信繁を相手にしたとき、
鉄砲の一斉射の際に信繁隊は伏せていて、その後肉薄・乱戦に持ち込み
無力化したということになっているけど。
87:世界@名無史さん
07/03/02 16:14:50 0
馬に乗ってるときは図体がでかいから不利
降りて戦っても騎兵銃じゃ不利
そんな感じでは
88:世界@名無史さん
07/03/02 16:19:41 0
馬上で装填とかかなり無理があるし
一発目やり過ごされたら尻尾巻いて逃げるしかねえんじゃないの
89:世界@名無史さん
07/03/03 10:16:34 0
逆に言うと一撃離脱に徹するドクトリンが確立されてたらいいけど
それなしに騎兵銃隊つくってもコストの無駄だったってことよね。
接近戦なら数の多い歩兵のが優位なんだし。
90:世界@名無史さん
07/03/03 12:02:25 0
後のカラコールである
91:世界@名無史さん
07/03/03 16:45:39 0
ただし歩兵でも銃兵には抜刀突撃すべし
92:世界@名無史さん
07/03/06 14:14:18 0
パーニーパットの戦いではアフガンの騎馬鉄砲隊とラクダ砲隊が大活躍
93:世界@名無史さん
07/03/06 15:24:14 0
第何次のパーニーパットだ?
94:世界@名無史さん
07/03/08 21:08:49 0
>17
まじかよ
95:世界@名無史さん
07/03/09 20:42:05 0
チハの主砲が駄目駄目な件について
96:世界@名無史さん
07/03/09 20:59:55 0
チハたんなめんなよ
97:世界@名無史さん
07/03/09 21:23:46 0
日本で抱え大筒はいつごろから使用されてるんですか?
98:世界@名無史さん
07/03/09 21:37:50 0
>>93
第三次
>>94
多分こういうのか
URLリンク(www.greatwardifferent.com)
99:世界@名無史さん
07/03/09 21:45:58 0
WW1の時点では当時の列強ってそんな具合だったのかと驚くけど、
WW2のポーランドの騎兵になると完全に笑い話と化すな…
100:世界@名無史さん
07/03/10 00:18:24 0
WW2後の騎兵だが。
URLリンク(www2.ttcn.ne.jp)
101:世界@名無史さん
07/03/10 01:06:17 0
1918年なのに槍持ってるよ。
でも徒歩の槍兵じゃないから安心した。
102:世界@名無史さん
07/03/10 01:12:12 0
ドイツもだいぶ馬に頼ってたわけだが
103:世界@名無史さん
07/03/10 01:14:06 0
ソビエトにもプジョンヌイとかおったな
104:世界@名無史さん
07/03/10 01:26:02 0
自動車化、機械化歩兵持てたのはアメリカだけだし
105:世界@名無史さん
07/03/10 03:22:51 0
日露戦争のコサック騎兵も槍持ってたな
106:世界@名無史さん
07/03/10 03:36:34 0
第二次大戦まで槍を武器にしていた国に萌えるスレ
URLリンク(choco.2ch.net)
107:世界@名無史さん
07/03/17 22:03:04 0
日本にはB-29も撃墜できる竹槍という・・・
108:世界@名無史さん
07/03/22 09:56:36 0
プレートアーマーを至近距離からマスケット等で撃ったらどういう風なダメージになるんでしょうか
空き缶を撃った時のように割れるんだろうか
109:世界@名無史さん
07/03/29 15:51:06 0
「至近距離」ってのがどれくらいの距離かにもよるが、弾を込めてる間に返り討ちにあうと思われ。
110:世界@名無史さん
07/03/29 18:18:15 0
弾痕の形を聞いてるんだろ。
111:世界@名無史さん
07/03/29 19:47:18 0
貫通時に割れた弾丸と鎧の破片が食い込んでえらいことになると思われ
112:世界@名無史さん
07/04/01 02:05:49 0
欧州に鉄砲が伝来したのはいつですか?
113:世界@名無史さん
07/04/01 03:52:06 0
伝来も何も、発祥の地のひとつだよ
114:世界@名無史さん
07/04/01 06:07:49 0
え?鉄砲ってオスマン帝国が最初じゃないの?
115:世界@名無史さん
07/04/01 09:17:15 0
オスマン・ベイが活動を始める以前から「火薬で発射体を飛ばす筒型の兵器」は
中国、ヨーロッパ、イスラム圏の一部に既にあったようだ。
116:世界@名無史さん
07/04/01 13:11:29 0
支那と欧州とどっちが早かったですか?
117:世界@名無史さん
07/04/01 13:32:55 0
>>115
知っている限りでは、中国では12世紀の史料にそれらしき記述が散見される程度。
ヨーロッパでは13世紀のロジャー・ベーコンの著書に火薬の製法らしきものは書いてあるようだが
火砲があったかどうかは怪しい。
118:世界@名無史さん
07/04/01 17:38:12 0
>>114
13世紀にマグリブ(北アフリカ西部)で大砲が発明されて、
それがマグリブやイベリア・ドイツ・イタリア等で発展したのが
タッチホール式のハンドガンと聞き及んでいる。
マグリブではその東のようにギリシア火の原料が採れなかった
からこの手の兵器が発達したのだろう、とも。
>>116
13世紀のほぼ同時期に、マグリブで大砲が、元で金属製の
手持ち銃が発明されている。
119:世界@名無史さん
07/04/02 23:27:31 0
モンゴル帝国はもしかして鉄砲で世界制覇したんじゃ・・?
120:世界@名無史さん
07/04/03 00:06:58 0
東洋にも鉄砲はあったが、金属加工精度が高くないと、爆発が漏れて効率的に
弾に伝えられないから、威力が低かったようだ。
種子島だって、底の部分の密閉方法を知るために娘をポルトガル人にやったという
伝説さえあるだろ?
そこがキモだったわけだ。
121:世界@名無史さん
07/04/03 02:43:47 0
>>119
東欧や中東でモンゴル軍がそんなものを使ったという記録はないが
122:世界@名無史さん
07/04/03 08:26:30 0
こんなかんじの銅手銃だな
URLリンク(www.geocities.jp)
123:世界@名無史さん
07/04/03 10:34:24 0
記録がない=事実もない
典型的な歴史クイズ王ですな
124:世界@名無史さん
07/04/03 13:20:30 0
記録がないのに事実はあったという電波よりはまだましとはいえる
125:世界@名無史さん
07/04/03 15:15:52 0
ディスカバリーチャンネルで以前、武器の歴史というような興味深いシリーズを
放送していて、ジョンキーガンが解説をしていた。
邦訳があるのか分からないけど、キーガンのA History of Warfareという
本を基にしているようだった。
邦訳では以下のような本が出ているようだけど、武器と戦争の歴史を解説した本
で一番良いものってどれかな?
戦争の科学―古代投石器からハイテク・軍事革命にいたる兵器と戦争の歴史 アーネスト・ヴォルクマン
戦争の世界史―技術と軍隊と社会 ウィリアム・H. マクニール
126:世界@名無史さん
07/04/03 15:21:23 0
>>120
その逸話はネジの原理が解らないからだったような
127:世界@名無史さん
07/04/03 21:25:59 0
>>125
上はハズレだった。下は18~19世紀あたりに特に力が入ってる。
128:世界@名無史さん
07/04/03 22:33:23 0
>>127
サンクス
129:世界@名無史さん
07/04/03 22:42:53 0
マクニールの本は読んで損はないだろう
中世末~近世の欧州だったら『火器の誕生とヨーロッパの戦争』とか
『大砲と帆船』とか『長篠合戦の世界史』かなぁ。
『長篠~』は日本の合戦についてかなり無茶なことが書いてある(長篠の三段撃ちとか
映画『影武者』が真実に近いとか)のが玉に瑕
130:世界@名無史さん
07/04/03 22:52:31 0
>>125
ジョン・キーガン『戦略の歴史―抹殺・征服技術の変遷 石器時代からサダム・フセインまで』
邦訳はこれかな
131:世界@名無史さん
07/04/17 09:26:39 0
アフガン人の火縄銃はイギリスのライフルより射程が長かったらしい。
132:世界@名無史さん
07/04/18 08:17:11 0
中の人の性能の差もあるんじゃね
アフガン人どもはやたら射撃が上手いらしいし
133:世界@名無史さん
07/04/18 12:59:07 0
>>131
ジェザイルな。ワトソン君が撃たれたんで有名。
昔Jezailで検索したらホームズ関係のページしか出てこなくて参った。
134:世界@名無史さん
07/05/09 12:35:01 0
ほしゅ
135:世界@名無史さん
07/05/17 21:33:51 0
ピストル騎兵のカラコール戦術が実際に使われた戦いってどんなのがありますか
136:世界@名無史さん
07/05/18 13:27:05 0
オスマン朝軍がハプスブルク側のレイターと最初に戦ったのが十六世紀末頃だったような
137:世界@名無史さん
07/05/20 12:35:04 0
カラコールが廃れた原因て何よ?
138:世界@名無史さん
07/05/20 12:53:32 0
>>137
ピストルだと歩兵の銃にアウトレンジされる
139:世界@名無史さん
07/05/21 09:39:03 0
なるほど、それは廃れますな
140:世界@名無史さん
07/05/28 13:54:30 0
>>119
>>121
中東では逆にマムルーク朝軍に使われた。
馬を驚かせる程度の効果しかなかったようだが。
141:世界@名無史さん
07/05/29 22:35:29 0
当時のモンゴル帝国は世界最高の技術力を持った帝国じゃなかったの?
その当時で既に欧州とメソポタミアに大砲を発明されていたとは・・
142:世界@名無史さん
07/05/30 09:17:29 0
モンケ汗あたりまでのモンゴル帝国だと攻城戦でも割と伝統的な
集団でロープを引いて発射する投石器を使ってたらしい。
金王朝では「震天雷」とかすでに使っていたけど、性能の高い
カウンターウェイト式の投石器なんかはフビライ汗がイスラム圏から
中国に持ち込んでいる。
143:世界@名無史さん
07/05/30 15:49:33 0
銃に引き金があるのは弩の影響がありますか?
144:世界@名無史さん
07/05/31 01:46:40 0
>>143
銃のトリガーって元々サーペンティンというS字形の金具に火縄をとりつけてたものだけど
中世ヨーロッパのクロスボウのトリガーは似ても似つかない形だったと思います。
掴むようにして引く。
145:世界@名無史さん
07/05/31 22:11:31 0
ということは結局銃は白人国家が無から作り上げた兵器なのか。白人の頭脳すげー!!
146:世界@名無史さん
07/05/31 22:17:26 0
>>145
>>144をどう読んだらそういう結論が出てくるんだ?
147:世界@名無史さん
07/05/31 22:36:28 0
なぜ当時最高の軍事技術を持っていたイスラム帝国はモンゴル帝国にあっさり負けたのだろうか?
148:世界@名無史さん
07/05/31 22:57:47 0
ジャラールとか踏ん張ってたじゃん
あっさり、なのか?
149:世界@名無史さん
07/05/31 23:03:24 0
>>147
「軍事技術」がどういった分野を指して言ってるのかよく分からないが
マムルーク朝はモンゴルの侵攻をほとんどすべて撃退したし
ホラズムもジャラールアッディーンがアフガンで軍勢を立て直してから
テムジン直属の精鋭に敗れるまでモンゴル軍を苦戦させているが。
150:世界@名無史さん
07/05/31 23:09:31 0
モンゴル騎兵は攻城が不得意なのに、なんであんなに楽に落とせたんだろ?
正確に言うとどうしてあんなに簡単に最高の軍事技術者を獲得できたんだろ?
地元の帝国と対立している国家を味方につけたのかな?
151:世界@名無史さん
07/05/31 23:23:46 0
金朝とかだとモンゴルに寝返った連中がかなり多い。
軍馬を管理してた契丹人軍団が牧場ごとチンギスの配下になったり。
152:世界@名無史さん
07/05/31 23:43:19 0
そんなことを聞いているんじゃないよ、なぜ寝返ったか、ということさ。
というかモンゴル帝国が銃を使っていたらおもしろかろうなあ。。
153:世界@名無史さん
07/05/31 23:54:56 0
そうだな、
オマイもオレもキミもボクも、存在していないだろうがな
154:世界@名無史さん
07/06/01 00:08:38 0
>なぜ寝返ったか
モンゴル帝国の方が将来性がありそうだったから。
もしくは、気がついたらもう捕虜になっていた。
モンゴル騎兵が弩を使わなかった理由を考えれば
なぜ銃を使わなかったかは自ずと分かるだろう。
155:世界@名無史さん
07/06/01 00:16:11 0
だが
コサック騎兵も日本騎兵も銃を使ってるぞ
156:世界@名無史さん
07/06/01 00:54:43 0
最初期の銃はトリガーすらなく装填にも発射にも手間がかかり、命中率も低かった。
それに対しステップ遊牧民の扱いなれた弓矢は軽快で命中率も高く、近距離なら装甲を貫く
威力もあり、また銃や弩よりも速いペースで連続して発射することができた。
銃火器が発達したのは西欧や中国などの歩兵用の武器としてであり、明王朝では
騎兵が三眼銃などを用いていたが、それによってモンゴルや満州人に対し優位に立てた
わけではなかった。
オスマン朝やモスクワ大公国など「火薬帝国」と呼ばれる国々でも火器はエリート歩兵が
使用し、騎兵は弓矢や刀槍などで戦った。
モンゴルが銃火器を主要武器にするなら歩兵中心の軍制に切り替えなければならなかった
だろうが、そうすればあれほどの広大な領土を征服するのは不可能だっただろう。
157:世界@名無史さん
07/06/01 02:31:43 0
寝返る理由なんて古今東西「そのほうが利益になる」からだろ。
もちろん利益には生存も含まれる。
158:世界@名無史さん
07/06/01 06:40:40 0
遊牧民やコサックの間で小銃がメインウェポンになったのは
後装式ライフルあたりまで進化してからかな?
キルギスの「マナス」叙事詩なんかを見ると
蒙古弓と火縄銃を併用してる感じだったけど
159:世界@名無史さん
07/06/01 08:27:59 0
>キルギスの「マナス」叙事詩
KWSK
160:世界@名無史さん
07/06/01 19:23:58 0
>>159
東洋文庫で少年篇、青年篇、壮年篇が邦訳されてる。
まともな図書館へ行けば見つかると思う。
遊牧民戦士の生活や戦闘のディティールが結構面白い。
161:世界@名無史さん
07/06/04 22:10:51 0
17~18世紀のジューンガル部は銃・大砲、弓矢、槍といった順番で攻撃してたらしいが
火縄銃を扱うのはブハラ人などの傭兵だったようだ。
ちなみにラクダを寝かせて濡れたフェルトをかぶせたのを遮蔽物にしていたという。
162:世界@名無史さん
07/06/05 16:27:35 O
銃火器が威力故に戦場の主役になったと思ってる奴が多いな。
銃が弓に対して純粋に威力や精度で優位にたち始めるのはマスケット銃の登場以後あたりからで、完全に優位になるのはライフル銃が登場してから。
なのに何故、銃が戦場の主役になれたかと言えば誰でも扱えて、弩に比べれば構造も単純だし、
大量に揃えやすいから。
威力でいえば16世紀から17世紀に入っても最強は面制圧のできる長弓だけど、長弓兵を
育成するのは何十年も掛るから、損耗に弱いし、軍の規模を拡大できない。
例えばイングランドで銃が普及したのは百年戦争や薔薇戦争で虎の子の長弓兵を大量に失い補充できなくなったからで
威力故じゃないし、戦国末期、世界で一番銃を保有してたはずの日本でも弓兵は火縄銃兵と併用されてる。
ついでに槍について言えば槍兵が廃ったのは専門兵科として設けなくても、銃剣の発明により
銃兵がその役割を果たせるようになったからだよ。
事実、第ニ次大戦でも結局最後は着剣して槍にしたライフルを持っての突撃だし。
白兵戦において槍や斧の類が主役じゃなくなるのは突撃銃の普及以後でないかい?
163:世界@名無史さん
07/06/05 20:48:31 0
さて、どこから突っ込もうか。
164:世界@名無史さん
07/06/06 00:22:46 0
>事実、第ニ次大戦でも結局最後は着剣して槍にしたライフルを持っての突撃だし。
アメリカ軍が着剣して槍にしたライフルを持っての突撃したのは、どこの戦いでつか
165:世界@名無史さん
07/06/06 14:04:02 0
イングランドだとヘンリー8世の頃はまだ銃の導入は部分的だったのでは。
>戦国末期、世界で一番銃を保有してたはずの日本でも
↓こんな話もありますね。
310 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2007/04/11(水) 09:44:51 0
秀吉が刀狩令によって兵農分離を進めていた頃
トルコでは内乱の影響で民間に兵器が流出し
その辺の盗賊や農民まで火縄銃で武装していた。
よって秀吉>>>>>>>>トルコのスルタン
166:世界@名無史さん
07/06/06 14:55:06 0
日本だって刀狩以降江戸時代になってもそこらの猟師が普通に鉄砲持ってたわけだが。
167:世界@名無史さん
07/06/06 15:57:21 0
>>164
陣地を掃討するには白兵戦しかないから
沖縄でもフィリピンでも普通にやってた
168:世界@名無史さん
07/06/07 01:06:04 0
兵農分離ならオスマン帝国の方がよっぽど早いような気がするが・・・
169:世界@名無史さん
07/06/07 17:33:31 0
大砲の原型を世界で最初に作った支那帝国は
結局石火矢以降はまったく発展しなかったのかな?
170:世界@名無史さん
07/06/07 18:17:06 0
石火矢は西洋伝来の日本の大砲だろう、常識的に考えて…
171:世界@名無史さん
07/06/07 21:13:02 0
スペインやポルトガルがやって来る前にどこまで発達したか、という事でいうと
銃器は指火式銅銃、大砲は前装式青銅砲。
銃は銃身を複数付けて連発できるものもあった。
172:世界@名無史さん
07/06/08 09:35:50 0
>166
猟師の場合何かしらの許可制がありそうな気がする。
詳しい人はいませんかね?
173:世界@名無史さん
07/06/08 10:05:36 0
ちょっと逸れるんだが むかしハイランダーチャージと言って
ハイランダーの両手剣戦士が遠くから鉄砲を狙撃気味に撃ちかけて
↓
慌てたイギリス兵の応射を伏せてかわして
↓
装填に手間取るイギリス兵に走りよってクレイモアで攻撃
↓
イギリス兵はレイピアで応戦するもクレイモアでなます斬りにされる
・・・と言うゲリラ戦術があったらしいんだが これが銃剣の登場でできなくなったそうだ
そこで疑問なのが 銃剣ってそんなに強いの?レイピアみたいに折れないから?クレイモアってそんなに長くも無いように思うんですが
174:世界@名無史さん
07/06/08 10:17:18 0
それ、持ち替えるタイムロスが無くなるからと思ってたけど
でも考えてみたら高地人も持ち替えてるんだな
175:世界@名無史さん
07/06/08 11:39:50 0
突撃して敵が銃持ったままなら大成功、敵が銃から剣に持ち替えてくれても大成功
ゲリラ戦術ってそういうもんじゃねーの?
176:世界@名無史さん
07/06/08 11:47:05 0
>>173
俺もうろ覚えなんだが……
まず、銃剣がない時代の歩兵は銃兵と槍兵の混成だった。
んでハイランダーチャージしてくる奴らをパイク兵とかが迎え撃つわけだが、クレイモアがこのパイクの穂先を切り落とした。小盾にわざと突き刺させて封じたりしてな。
そうして槍兵が無力化されると、銃兵の白兵戦力など知れているわけだ。→ハイランダーツヨスー
……という流れだったのが、銃剣だと基本的に穂先を切り落として無力化、ということができない。
射撃からそのまま格闘戦に移行できるというリアクションタイムの向上もある。
それに全軍を銃兵だけで編成できるようになったことで、全体での火力向上も大きい……
といった当たりじゃないかと思っているが、どうだったのかね。
あとカンバーランド公は、ハイランダーが剣を振り上げた間に銃剣で脇腹を刺せ、という訓練を施して、スコットランド軍を破ったとか。
177:世界@名無史さん
07/06/08 13:44:01 0
ドイツのランツクネヒトなんかだと剣術の免許をもった人が2倍の給料で雇われて
最前列でツヴァイハンダーを振り回して敵のパイクを切り払ってたらしいが
何か影響関係でもあったんですかね。
178:世界@名無史さん
07/06/08 16:43:04 0
いやーなるほどパイクマンとマスケッティアに兵科が分かれてたと考えると納得行きますねぇ
レイピアは刀より重いしクレイモアもそんなに超重量って訳じゃないし疑問に思ってたんですよ
・・・16Cのスコットランドに手投げ弾でもあればまた違ったんだろうなぁ
179:世界@名無史さん
07/06/08 19:20:32 0
>177
武器を持参してきたら2倍の給金という話は聴いたことがあるな。
ディスカバリーだと銃剣でも盾で封じられたとあった。
でも>176最後の二行のやつで対抗できた。
180:世界@名無史さん
07/06/09 02:35:45 0
十字軍時代にはナフトゥーンとかいう火薬で発火する火炎瓶を
投擲する部隊がいたらしいが、その後あまり聞かないような
181:世界@名無史さん
07/06/09 09:48:57 0
この前ディスカバリーで大航海時代の大砲で死傷するのは船の破片で死傷する方が砲弾で死傷するより多いか?
をやってたけど・・・10センチの鉄球弾は船ふち抜いてさらに人間4,5人ぶち抜く威力だけどそのときの破片はほとんど人体に刺さらないとかやってた
182:世界@名無史さん
07/06/09 11:04:19 0
>>179
銃剣と槍との間に、脇腹を突く戦法を実施する上でどのような違いがあったのか気になる。
擲弾兵の歴史が知りたい。
いや、黒色薬の安定性(携帯性)とか保存性(コスト)に威力とかいろんな問題とかあったんだろうけど、
それでもマスケット銃兵の基本が密集横隊なら、うまく隊列へ投げ込めればかなりの戦果が期待できたのではないか。
もし雷管やマッチが登場し、しかもミニエー銃や後装ライフル銃が登場する前の端境期なら、
発火もお手軽な新型擲弾が、銃兵の横隊を野戦で蹴散らす場面を見ることもできたのだろうか?
183:世界@名無史さん
07/06/09 13:35:58 0
>>182
間合いじゃない?>槍と銃剣
クレイモアを大きく振りかぶって回す距離だと、
槍衾を形成するための長い槍だと振り回せる距離じゃないが
銃剣だったら可能だったとか
184:世界@名無史さん
07/06/09 21:24:57 0
>>177
いわゆる倍給兵だが、実際の給料は文字通り二倍ではなく、1.5倍程度。
185:世界@名無史さん
07/06/21 20:42:49 0
URLリンク(www.jiji.com)
2007/06/21-09:44 米大陸最古の「銃の犠牲者」=インカ住民遺骨に弾丸貫通の跡
【ワシントン20日時事】米ナショナル・ジオグラフィック協会によると、
ペルーの首都リマ郊外にある16世紀前半の集団墓地から、頭部に貫通銃創のある遺骨が見つかった。
ピサロ隊長率いるスペイン征服軍に滅ぼされたインカ帝国の住民とみられ、
発掘調査に当たっているペルーの考古学者らは「銃撃による米大陸最古の犠牲者」としている。
この遺骨は、約470年前に作られたとみられる集団墓地で見つかった。
詳細な解剖学的鑑定の結果、頭蓋(ずがい)骨にできた穴の周辺から微量の鉄分が検出された。
スペイン征服軍が携行していた当時最新鋭のマスケット銃は鉄製の弾丸を使っており、
調査チームは「銃で頭部を撃ち抜かれた」と結論付けた。弾丸は後頭部から前頭部を貫通していた。
186:世界@名無史さん
07/06/21 21:30:46 0
逃げる奴を後ろから撃ったな(´・ω・`)
187:世界@名無史さん
07/06/21 23:58:09 0
撃った奴も500年後にバレて誹られるとは思って無かっただろう
188:世界@名無史さん
07/06/22 01:24:48 0
新大陸で貴重な銃弾をそんな相手に使ってよかったのか?
189:世界@名無史さん
07/06/22 03:32:35 0
敗走する敵を攻撃して戦果拡大するのはいつの時代も基本中の基本だろ
190:世界@名無史さん
07/06/22 07:10:54 0
ろくな装備もない原住民が背を向けてるのをわざわざ大筒で撃たなくても・・・と思った
191:世界@名無史さん
07/06/22 10:59:05 0
アステカだったか忘れたがコルテスのレイピアと鉄砲に立ち向かったのは木の棍棒ととがってない槍で戦争したんだよな
まあ、彼らの戦争とはスポーツみたいなものでめったに殺さないのがルールだったらしいが
もちろんコルちゃんはガンガン撃ってる
192:世界@名無史さん
07/06/22 15:00:25 0
平和主義とかじゃなくて、協同体の生産性が闘争の方法を決めるのね。
193:世界@名無史さん
07/06/22 20:50:07 0
アステカの場合、戦争はああだったとはいえ、他部族からとんでもない数のいけにえを
ささげていたわけだしね。いえにえを得るために戦争していたようなもの。
194:世界@名無史さん
07/06/22 21:40:05 0
>>191
黒曜石の刃を埋め込んだ棒は馬の首をはねるくらいの切れ味はあったらしいが
195:世界@名無史さん
07/06/22 22:49:47 0
>>189
この場合は何の得も無い
196:世界@名無史さん
07/06/23 00:19:23 0
>>191
一番の違いは騎馬の使用だよ。化け物だと思われたという。
しかし最大の脅威は不潔なヨーロッパ人がもちこんだ天然痘・コレラ・赤痢かな。
197:世界@名無史さん
07/06/23 01:41:21 0
>>196
インフルエンザモナー。
天然痘・コレラ・赤痢よりも影響が大きいんじゃないかという説もある。
198:世界@名無史さん
07/06/23 12:16:44 0
>>195
冷静に考えればそうなんだが、当時の軍人のサガだよ。
追える敵は追えって訓練されてるから。
199:世界@名無史さん
07/06/23 14:51:26 0
>>194
石器の切れ味は、驚くほど高い。金属器と遜色が無い事が研究の結果判っている。
じゃあ問題は何?となるわけだが、そのものズバリ砕けやすい、即ち衝撃に弱いって事。
割れる、折れるなどが粘りのある金属器に比べて格段に陥りやすい。
つまりそういうこと。
200:世界@名無史さん
07/06/23 18:30:25 0
なあにセラミックス包丁と同じと言えばそれですむ
201:世界@名無史さん
07/06/23 18:53:50 0
>>199
藤子Fの漫画(TPぼん)にも出てきたな、
黒曜石の槍の貫通力はヘタな鉄器のそれ以上って
202:世界@名無史さん
07/06/23 23:10:31 0
アステカ征服のときは大砲が足りなくて投石機まで作ったらしい。
203:世界@名無史さん
07/06/24 01:44:20 0
>>201
しかし見所は水浴びシーン
204:杜生さん
07/06/24 19:03:52 0
黒曜石の鏃の凄まじい破壊力は宮崎駿監督の映画「もののけ姫」で実証済みです。
数百メルテの遠方の騎乗から射て、騎兵の首を刎ねる威力があります。
また巨大な猪神をも一矢で倒すほどの恐るべき破壊力があります。
205:世界@名無史さん
07/06/25 08:37:34 0
>>198
マスケット銃兵も追撃ってするんですか?
206:世界@名無史さん
07/06/25 21:17:24 0
>>205
竜騎兵でもいたんじゃね?
207:世界@名無史さん
07/06/26 01:14:03 0
グスタフ・アドルフのマスケット銃兵は一斉射撃した後
白兵戦に移ったらしいけど。
銃の台尻で殴ったり剣で切りかかったりした。
208:世界@名無史さん
07/06/26 16:02:36 0
↑それって普通の戦法では?
209:世界@名無史さん
07/06/26 16:22:25 0
「初期の銃剣は柄を銃口に差し込み用いたため、当時主流であった前装式長銃では、次弾が装填できなかった。
その後、後装式長銃が発明されたのと同時期に、銃口の下部に銃剣設置用の器具が取り付けられ始めた。」
URLリンク(ja.wikipedia.org)
いずれにせよマスケット銃の頃は銃剣戦闘は一般的じゃなかったんだね
210:世界@名無史さん
07/06/26 16:38:03 0
アメリカ独立戦争やナポレオンを扱った映画やドラマを見てると、
密集体形の歩兵が敵陣ギリギリまで黙々と前進する場面が出てくるが、
あれって最前列の兵士は完全に敵の標的だな。
敵陣からの発砲で先頭がバタバタ倒れても、なお黙々と前進する兵士は
ヤクでも打たれてたのか?w
211:世界@名無史さん
07/06/26 16:39:06 0
装着したまま発砲できるソケット式の銃剣を考案したのは
ヴォーバンとも言われてるから、その時代だろう
17世紀後半
212:世界@名無史さん
07/06/26 16:57:29 0
>210
南北戦争の弾除け歩兵はいわゆる黒人奴隷 武器も槍しか持ってない
ナポレオン時代は自由市民と傭兵の戦いだから良く分からんが
当時は連射も3発くらいしかできないし吶喊突撃の間合いでも計ってるんじゃ
213:世界@名無史さん
07/06/26 18:01:59 O
>>209
「マスケットの頃は、、、」
を
「マッチロックの頃は、、、」
に変えたら正しい。
17世紀後半から終わりまでに急にピッチで普及し槍手を駆逐した。その頃はマッチロックからフリントロックへの移行時期でもある。
214:世界@名無史さん
07/06/26 18:41:38 0
>>210
その頃はまだ良かったが、機関銃が出現した第一次大戦になっても
突撃を繰り返した馬鹿な(イギリス?の)指揮官がいたため、膨大な犠牲者が出た。
215:世界@名無史さん
07/06/26 20:06:58 0
>>210
プロイセンとかだと敵よりも士官の鞭が怖くて隊列を崩さなかったとか。
ナポレオン戦争なら、多分教科書で言うナショナリズムの高揚ってやつなんじゃね?
まぁ実際当時の銃は距離が遠かったり数が少ないと余り効果が無かったらしいから、
撃たれてもビクビクするよりも堂々と距離を詰めて一斉射撃した方が生き残る確率は
高かったのかも知れない。
だがグレイプショットだけは勘弁な。
216:世界@名無史さん
07/06/26 20:10:21 0
>>212
>南北戦争の弾除け歩兵はいわゆる黒人奴隷 武器も槍しか持ってない
あやまれ! 54連隊とショー大佐あやまれ!(AA略
217:世界@名無史さん
07/06/26 21:14:36 0
マスケット銃じゃ200人の中隊同士が100mで打ち合って
弾で死ぬのはお互いに1人か2人とかってどっかで聞いたような。
そんなんだから、マスケット銃兵同士の戦闘っては度胸試しなんだね。
びびってくずれたら負け。だから兵士同志でびびる奴はバカにされるし排斥される。
そいつが崩れたせいで隊が敗走すれば自分の身が危ないから。
当然、士官もそれはわかってるからびびって前に進めないような奴は
敵前逃亡として即時銃殺もありだったろう。
218:世界@名無史さん
07/06/26 21:56:46 0
南北戦争ではライフル銃になっても同じ戦術をとったので、死にまくり…
219:世界@名無史さん
07/06/26 22:12:14 0
映画パトリオットもそんな感じだったよな。
220:世界@名無史さん
07/06/26 23:09:46 0
アメリカ側は指揮官をライフルで狙撃しまくったんだが
これは英国軍としてはルール違反ということで抗議を
したりしてるな。
>>212
URLリンク(www.asahi-net.or.jp)
221:世界@名無史さん
07/06/27 06:11:34 0
>>214
イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリア、ロシア、オスマン、その他の指揮官たちだ。
>>215
隊列から外れたら士官に射殺される
その時代の野戦で一番危険なのは、隊列の歩調を整えるための軍楽隊
222:世界@名無史さん
07/06/27 07:38:52 0
んで、軍楽隊がなくなった後だと、突撃ラッパを吹くヤシが
ものすごく危険だったはず。
なので、日清戦争の「死んでもラッパを離しませんでした」
っていうのが美談として語られる。
223:世界@名無史さん
07/06/27 08:22:37 0
まあ徴募兵とはいっても無理やり集められてきた農民とか
略奪・強姦だけが楽しみの無頼漢などの寄せ集め集団に戦争を
やらせるわけだからあの方法しかなかったんだろうな。
もっとも、一斉射撃とはいっても、実際に発砲していたのは二割くらいで
あとは撃ってるふりをしていたという調査結果もある。
最大23回も装填されっぱなしで発砲されてない銃も見つかっている
224:世界@名無史さん
07/06/27 09:40:36 0
ナポレオン時代のある武官が敵の死体から計算した数字によると
実戦で100VS100で撃ちあって一回の斉射あたり致死率は3%程度
弾道学知ってる猟兵とかにライフルで狙撃させて100メートル先の騎兵大の的に命中するのが50%程度
しかも現場の歩兵は暴発が怖くて火薬を少なく装填したりしていたので・・・
つまり元々かなり精度悪い銃に半端に火薬積めて敵の方向に適当に筒向けて遠くから撃つから まあ、全然あたらないと・・・
225:世界@名無史さん
07/06/27 12:40:57 0
家康も若い頃銃で撃たれたみたいだけど、伝統的な鎧で弾を食い止められたらしいな。
226:世界@名無史さん
07/06/27 22:04:29 0
ナポレオン時代って18世紀ですよね?その当時ですら銃の性能はそんなものだったのですか・・
227:世界@名無史さん
07/06/28 00:54:06 0
ミニエの原理が発明されて以降の進化が異常すぎるんだよ。
228:世界@名無史さん
07/06/28 01:54:17 0
>>226
点火方式はマッチロック(火縄)からフリントロック(火打ち石)にかわっただけ。
利点は火縄を携帯しなくて良くなったくらいで、フリントロックによる点火は火縄より信頼性が低いから不発率は上がっている。
平滑の先ごめ銃身と鉛の円弾はおなじだから射程や命中率も進歩なし、むしろフリントロックは強いスプリングで
火打ち石を鉄に激突させて火花を生じ着火するので、その際の衝撃が精密射撃には不利。
反面発射速度はペーパーカートリッジ(一射撃分の弾丸、火薬を紙で包んだもの)の考案により向上している。
229:世界@名無史さん
07/06/28 02:02:18 0
となると長篠の戦いは一体・・・種子島500丁だっけ?
230:世界@名無史さん
07/06/28 02:10:21 0
>>226
19世紀にめちゃくちゃ進んで、20世紀初頭以降は全然進んでいないともいえる。
なんせ、軍の制式拳銃はWW1の頃からほとんど変わっていなかったりするわけだし。
231:世界@名無史さん
07/06/28 02:37:54 0
性能的には変わってない。製造コストや素材は向上してるけど。
232:世界@名無史さん
07/06/28 08:36:44 0
フリントロック銃は東アジアでは普及しなかったんでしょうか
233:世界@名無史さん
07/06/28 09:42:17 0
>>230
いや軍が使うのは基本的に小銃だろ。拳銃はあくまでサブウェポン。
こっちもボルトアクション式以降は機構的な進化はフルオートぐらいだが。
むしろアサルトライフルなんか威力よりは取り回しのよさのほうが重視されてるな。
他に20世紀以降にできたカテゴリとしては短機関銃とかPDWとかあるな。
あとまあ弾丸なんかもいろいろと改良されて体内で横転して威力を上げるようなのもあるし。
234:世界@名無史さん
07/06/28 10:52:51 0
>>233
機関銃だって重機関銃はブローニングM2から70年進化してないし。
235:世界@名無史さん
07/06/28 12:46:37 0
>>233
230じゃないけれど、
サブウェポンで用途が限定的だから進化が止まったんじゃ無いか?
小銃はWWⅡでブローバックを取り入れたり、
それ以降も口径の思考錯誤があったり結構変化してる。
それもAK74あたりが最終進化形のように思うけどな。
そのうちに火薬以外のモノを使う銃が出てきて、
ブレイクスルーするんだろうな。
236:世界@名無史さん
07/06/28 15:23:34 0
そういやイギリスかどこかが液体火薬使う銃を使ってたはずだが普及したと言う話を聞かないのはなぜでしょう?故障が多いから?カートリッジが携帯に向かないから?
237:世界@名無史さん
07/06/28 16:48:41 0
支那の金の使う大砲はどんな感じだったんですか?史上初の火薬を使った兵器ですよね
238:世界@名無史さん
07/06/28 18:09:47 0
>>235
自動小銃にしても確かにAK74あたりで最終進化形だけど、
AK47やその元ネタのStG44の時点でほぼ完成しているとみても間違いないかと。
口径の変移はあるけど、本質的なことではないし。
まあ、1940年代は20世紀初頭とはとてもいえないけどね。
239:世界@名無史さん
07/06/28 18:55:32 0
ドイツH&K社がケースレス弾(薬莢のない弾丸)を使うH&K G11 を1989年に
開発したけどコストが高い、火薬が剥き出しなので湿気に弱い、薬室が
過熱状態だと装填直後に発火するといったような欠点を最後まで克服できず
結局ポシャってる。
240:世界@名無史さん
07/06/28 21:05:03 0
>>237
聞いたこと無いな。"砲"(いわゆる投石機)か震天雷の間違いじゃない?
241:世界@名無史さん
07/06/29 09:13:50 0
元末にはあったようだがそれ以前は知らない
242:世界@名無史さん
07/06/29 09:53:09 0
宋のころにロケット兵器があったろ
あと竹の銃身に石と火薬詰めて発射するやつとか
243:世界@名無史さん
07/06/29 11:23:35 0
突火槍のことだと思う
ヒストリーチャンネル「撃つためのデザイン:東洋の銃」にでてくる
最初は焼夷兵器として使われ、火せん(原始的なロケット)や炸裂弾が発明される頃に
突火槍(竹筒に火薬と石や鉛ダマを入れてとばす)が使われるようになった。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
244:世界@名無史さん
07/06/29 17:25:46 0
アヘン戦争のイギリス人が 清のロケット弾は2発に一発がは自分達の方に戻って行っていた
とか何とか書いてるけど 8割くらい誇張としても大して怖く無かったみたいだね
245:世界@名無史さん
07/06/29 18:17:24 0
17世紀そのままの兵器対最新式の高性能榴弾砲(砲弾が炸裂、人馬を殺傷する)では
ハナから勝負にならんわな
246:世界@名無史さん
07/06/29 18:43:55 0
>>245
>最新式の高性能榴弾砲(砲弾が炸裂、人馬を殺傷する)
アヘン戦争では未だ使われてなかったはず。
247:たくあん
07/06/29 19:03:54 0
スナイパーライフル(狙撃銃)はレオナルド・ダ・ヴィンチが始めに発明したらしいです
彼は教皇軍の軍事総監督に就任していた頃、精度を高めた歩兵銃に小型の望遠鏡を取り付け、それを用いて城壁から敵兵を狙撃していたそうですね。
248:245
07/06/29 19:32:14 0
>>246 そうなの?
もっとも こっちはみなもと太郎の歴史大河マンガ「風雲児たち」で読んだだけ
なんで自信ないが(取材はしているんだろうが)
URLリンク(www.asahi-net.or.jp)
249:世界@名無史さん
07/06/29 19:33:57 0
>>246
どれのことを言ってるんだ。
250:245
07/06/29 19:57:20 0
(榴弾砲が)アヘン戦争では未だ使われてなかったはず。>
風雲児たちの描写では・・・
秋帆は遠山金四郎と一献を傾ける。「問題は榴弾砲です。これは大砲そのものより、弾丸が問題です。弾丸がこれまでの鉄玉と違い、
爆裂弾となっているのです」「なに。爆裂弾なんかにしたら、大砲がまず爆発するだろうに」「それを改良したから、新兵器バいうたい」
「大砲とは城壁を打ち砕いたり、家事を起こすのが目的で、人間を殺す兵器じゃなかったんだが」「これまで直撃弾をくらって死ぬのは
よっぽど運の悪いやつでした。榴弾砲の出現で戦争そのものが変わりました。ですからアヘン戦争で、イギリスが劇的に大勝利するのは当然なのです」
251:世界@名無史さん
07/06/29 21:22:06 0
とりあえず URLリンク(en.wikipedia.org) を読めば?
252:世界@名無史さん
07/06/29 22:33:13 0
現代の大砲・砲弾ならここが詳しい
URLリンク(sus3041.web.infoseek.co.jp)
ただ発達史とかが載ってるサイトがあまりないんだよな
253:世界@名無史さん
07/06/30 01:25:41 0
「世界銃砲史」に、文禄の役だか慶長の役だかで日本軍が立て篭もった城に
爆裂砲弾が撃ち込まれて、「変な弾が落ちてきた」と集まってきたところで
ドカーンといって大勢が死んだとかいう話が載ってたような。
254:世界@名無史さん
07/06/30 05:51:04 0
>>250
小説や漫画を話のタネにするんならともかく、典拠にするようじゃ鼻で笑われても仕方ないぞ。
>>253
ということは、わざわざ怪しむような形状だったってことだよな。
焙烙火矢ってのもあるから、榴弾というものを想像できなかったので引っかかったとも考えがたい。
万人敵(木枠に入った焼夷弾)か何かか?
255:世界@名無史さん
07/06/30 06:43:00 0
「風雲児たち」に限ってはソースにする価値は十分あるかと
256:世界@名無史さん
07/06/30 17:29:53 0
やっぱモンゴル帝国は騎兵で世界最大の帝国を築いたんじゃないんだよ。
火薬によって、あの広大な版図を得たんだよ。
257:世界@名無史さん
07/07/01 08:58:54 0
>>256
根拠は?
258:世界@名無史さん
07/07/02 22:07:45 0
騎兵と強力な複合弓程度で世界最大の帝国を築けるわけがない。
何らかの戦術の大転換があったに違いない。
それは馬を複数操るとか、情報戦と得意としたといような過去にあった戦術の強化や延長程度じゃ済まされない
ものすごい大変化があったと思うから。
現在は欧州中心史観によってモンゴル帝国は過小評価されているから、
そういった研究が軽んじられ、見つからないだけなのかもしれない。
要するに史実的な根拠はない。
259:世界@名無史さん
07/07/02 23:28:06 0
そうか?今のモンゴル帝国の評価は妥当だと思うけど
軍事力や、経済の繁栄は5だとしても
文化面の評価が赤点だから
今の評価で妥当だよ
軍隊を駐留してる地域も勢力圏として版図に加えれば
人口、領土、軍事力、技術、学問、文化面も含めて
総合的に見るとアメリカ帝國が史上最強
260:世界@名無史さん
07/07/02 23:39:38 0
反論は認めないそうですよ。
>要するに史実的な根拠はない。
261:世界@名無史さん
07/07/03 01:43:01 0
さあこれから教科書丸暗記のクイズ王が薀蓄たれますよ
262:世界@名無史さん
07/07/03 01:49:38 0
とりあえずモンゴルスレいっぱいあるからそっちで頼む
263:世界@名無史さん
07/07/03 03:10:06 0
昨年、佐倉の歴博でやった鉄砲展で、
長さ10mぐらいある、朝鮮出兵時に使われたという大火縄銃見た人いますか?
264:世界@名無史さん
07/07/03 04:18:28 0
>騎兵と強力な複合弓程度で世界最大の帝国を築けるわけがない
思い込み
モンゴルというか騎馬民族の「軍事国家」ぶりは凄いよ
征服をするために生まれてきたんじゃないかと思うほどだ。
騎馬民族=戦闘民族
まともにやったら普通の国家が勝てるわけがない。
しかし騎馬民族はまとまりがなく抗争を繰り返していた
265:世界@名無史さん
07/07/03 06:47:16 0
そんなに軍事力がすごいならモンゴル以前に世界はすべて騎馬民族になってるな。
266:世界@名無史さん
07/07/03 07:14:40 0
「あぶみ」の普及によって騎兵の戦闘力が質量ともに向上したところに
大規模な歩兵を動員できる帝国の衰退期が重なった結果
少人数でも多くの地域を制圧できる「騎兵の時代」がやってきた。
その後、欧州は長柄兵器と飛び道具の組み合わせによる
歩兵の対騎兵戦術が再確立することで騎兵の猛威は一段落するが
イングランドの長弓兵みたいな特殊訓練が必要でない
「銃」の普及こそがそれを確定させたんだと思うが
267:世界@名無史さん
07/07/03 10:06:12 0
>>265
最後の行を無視するなと
268:世界@名無史さん
07/07/03 10:27:27 0
コストパフォーマンスの悪さで騎士みたいな重装騎兵は近世にはすたれたが、
騎兵自体は塹壕と機関砲に止めを刺された日露戦争~第一次世界大戦までは
重要な戦力だったがな。
269:世界@名無史さん
07/07/03 11:16:29 0
むしろ機動と打撃に必要とされた馬の能力が、機械力で代替できるようになった事の方が大きいのでは?
270:世界@名無史さん
07/07/03 16:05:36 0
>>269
騎兵といっても重騎兵と軽騎兵じゃ役割も戦術も違うからねえ
機甲戦術はまた別でしょ
271:世界@名無史さん
07/07/03 18:21:17 0
>>266
>「あぶみ」の普及によって騎兵の戦闘力が質量ともに向上したところに
>大規模な歩兵を動員できる帝国の衰退期が重なった結果
後漢も西ローマも鐙の普及前に滅んでますが。
「帝国が滅んだ後、鐙が普及した結果…」とでもすべきだろう。
>>268
>コストパフォーマンスの悪さで騎士みたいな重装騎兵は近世にはすたれたが、
それよりより、鎧が銃の前に無力になったからという方が大きいだろう。
コストが高いのは昔も同じだったのだから。
コスト面での変遷なら魏晋南北朝の重騎兵から唐の軽騎兵の方がいいモデルになる。
>>270
WWIの頃にはもう重騎兵も軽騎兵もないだろ。
272:世界@名無史さん
07/07/03 19:48:53 0
>>258
>現在は欧州中心史観によってモンゴル帝国は過小評価されているから、
>そういった研究が軽んじられ、見つからないだけなのかもしれない。
モンゴル帝国マンセーの杉山正明でさえ戦術の大転換があったなんて書いてないが
>>265
>そんなに軍事力がすごいならモンゴル以前に世界はすべて騎馬民族になってるな。
内陸アジアのステップ地帯でないとあんな大量の馬を用意するのは無理だ。
というか君は銃火器のどの辺が弓矢より優れていたと思ってるわけ?
273:世界@名無史さん
07/07/03 20:13:58 0
ヨーロッパの重騎兵衰退の直接原因はピストル騎兵だよね?
274:世界@名無史さん
07/07/03 21:21:15 0
騎兵と複合弓なめんな。というかその程度で蹴散らされる世界状況だったんだよ。
中国ば南北分裂してる上に手ごわい方の金も文弱化してたころだし
ヨーロッパはまだ騎乗槍試合の延長みたいな戦争してたころだしな。
どっちかいうと、あの時代に指揮系統の確立できてたのが
モンゴル軍ぐらいだったという気がしてならんが。
たられば言い出すと、全盛期の宋とかイスラム帝国と
ぶつかってたら、あそこまで勢力伸びてなかっただろうけど。
275:世界@名無史さん
07/07/04 06:49:03 0
モンゴル帝国なんてたいしたことないよ。なんにも生み出していないし世界には
なんの影響も与えていない。それにくらべたら大航海時代以降の欧州のが100倍すごい。
白人はなにをやっても成功する最高の人種。
276:世界@名無史さん
07/07/04 07:39:39 0
>>なんにも生み出していないし世界にはなんの影響も与えていない。
ダウト
イスラーム圏の一部を攻略。いつものようにそこに住む人たちを利用して、交易路を開拓…
イスラーム圏からしてみると、モンゴルの力を利用して極東までの交易ルートの再構築をして
後々のアジア圏へのイスラームの浸透と交易による莫大な利益を生み出す遠因になっている。
モンゴル崩壊後も交易ルートは生き続ける結果となっている。
大航海時代は、イスラームが独占していた交易ルートを何とかしようとして起こったことなので
まぁ、大航海時代と同程度の影響はあったと見るべき。
古代から文明の中心地は中東だしね。ヨーロッパ圏に移ったのはほんの最近だよ。
277:世界@名無史さん
07/07/04 11:54:35 0
ビザンチンを欧州とみればそんなに最近でもない
278:世界@名無史さん
07/07/04 13:09:56 0
中東はモンゴル侵入以後むしろ衰退にむかっていくんだけどな
確かにヨーロッパから極東まで世界が広がったのは大きいことだが
中東はモンゴル侵入による不利益も大きいよ
絶え間ない遊牧民の侵入でメソポタミア地域はぼろぼろだし
モンゴルによって利益を得たのはむしろヨーロッパかもしれん
ちょうど12世紀を境にイスラム文化は停滞しはじめ
ヨーロッパは逆に発展していくからね
279:世界@名無史さん
07/07/04 13:32:26 0
オスマン帝国・・
280:世界@名無史さん
07/07/04 14:16:00 0
俺は中東と書いてるからオスマンは入らない
オスマンの中心部はギリシャとアナトリアで
ビザンツの後継国家だ
学問や技術方面に関してはずっとヨーロッパに頼ってたし
現にオスマン時代に偉大な学者は一人もいない
文化面で後世への影響はチューリップとトルコ風呂だけだ
イスラム文化の最盛期は9世紀から11世紀だよ
この時代の文化は独自性があるし後世への影響力が大きいからな
281:世界@名無史さん
07/07/04 14:25:55 0
>>278
従来はそのように言われていたけどな。
アッバース朝衰退の11世紀から近代西欧の影響が決定的になる18世紀までは
イスラーム圏の拡大と成熟期と言われている。
十字軍遠征や大航海時代そのものがイスラーム世界の富と文化に対する反応に他ならないと言われている。
>>276が書いてあるようにモンゴルの侵入がイスラームのアジア圏への拡大の原因となっている。
実際この時期はイベリア半島を除いてはイスラーム圏の拡大は続いている。
15世紀にはヨーロッパキリスト教圏と東アジア儒教地域、インド中部以南を除いて
ユーラシア全土がイスラーム圏と言ってよい状況下にあった。
そして16世紀には、イスラーム圏は第2のピークを迎えることになる。
インドのムガル帝国、イランのサファヴィー朝、そしてオスマン帝国。
ムガル帝国とサファヴィー朝はモンゴル系ハーン諸国から起こったものだし、
オスマン帝国のきっかけはモンゴルの侵入が元になっている。
従来まではモンゴルの侵入で大ダメージを受けたという説が多かったけど、
現在ではむしろ発展に寄与していると考えられている。
そもそも中東域は遊牧民達が多いし、民族の移動も頻繁だし、
イスラームは人や物、文化の流入に寛容だからして、あまりダメージは受けとらんのよ。
282:世界@名無史さん
07/07/04 14:48:13 0
>オスマンの中心部はギリシャとアナトリアでビザンツの後継国家だ
それをいったらビザンティンは古代ローマ帝国の片割れで、
ローマ帝国が支配するまではギリシャのアレキサンドロスの支配下で
その前はペルシャ帝国だ。
そしてイスラーム圏の文明はペルシャ帝国をはじめとする中東の交易・都市国家文明の直系だよ。
ローマ帝国時代も経済と文化の中心地は中東域だし、3世紀以降は政治的中心もここに移った。
ビザンティンが長続きしたのは中東文明のおかげ。
//
極端な見方をするとローマ帝国も中東の帝国、と見ることが出来る。
と、アラブ・イスラーム史専攻のある大学の教授が言うとった。
283:世界@名無史さん
07/07/04 14:57:57 0
はいはい君がどう言おうと
12世紀以後イスラム文化が衰退したのは確定的事実
有名なイスラム学者はだいたい9世紀から11世紀に集中していて
14世紀を最後にイスラム圏の偉大な学者は一人もいなくなる
逆に12世紀に西洋では12世紀ルネサンスや商業革命が起こり
14世紀に技術革新がはじまる
284:世界@名無史さん
07/07/04 14:58:52 0
ローマは地中海の帝國だよ
それにアナトリアやギリシャは中東とはいわない
285:世界@名無史さん
07/07/04 15:07:27 0
だからモンゴルの侵入でメソポタミアやシリアはダメージ受けて
その後この地域は政治的中心じゃない
現に中心は一時的にエジプト
その後アナトリアに移っただろう
遊牧民や十字軍のの侵入で中央部がダメージ受けたのは確かだろう
それとビザンツとオスマンは非常に良く似ている
まぁ当たり前だけど
どっちも軍事的、政治的に強国だったが
文化は単なる過去の継承でオリジナリティのあるものを全然生み出さない
スレ違いなのここまでにしておく
286:世界@名無史さん
07/07/04 16:05:30 0
>>281
バーナードルイスも本で同じようなこと書いていた。
ただしバグダッドだけは破壊されて元の繁栄を取り戻すことはなかった。
イラン南部も降伏したので破壊は免れた。
287:世界@名無史さん
07/07/04 16:40:11 0
>>インドのムガル帝国、イランのサファヴィー朝、そしてオスマン帝国。
ムガル帝国とサファヴィー朝
どれも後世に文化の影響がほとんどない国ばっかだな
富はあったかもしれないが学問がないからな
288:世界@名無史さん
07/07/04 18:54:19 O
絶対王政はヨーロッパのオスマン化だろ
289:世界@名無史さん
07/07/04 19:10:02 0
いいから、スレタイから完全に逸脱した話続けたいなら適切なスレに移動してやれ。
290:世界@名無史さん
07/07/04 22:22:52 0
>>なんにも生み出していないし世界にはなんの影響も与えていない。
信用通貨制度
現在の世界において商業行為はいまだに金と銀で決済されているんですかァ?
291:世界@名無史さん
07/07/04 22:41:13 0
イギリスの主力銃
エンフィールドP1853(1853年)
スナイドル・エンフィールド(1866年)
マルティニ・ヘンリー(1871年)
リー・メトフォード(1889年)
マガジン・リー・エンフィールド(1895年)
ショートマガジン・リー・エンフィールド(1903年)
リー・エンフィールドNo.1(1907年)
リー・エンフィールドNo.4(1941年)
L1A1(1950年前後)=ベルギー製FN-FAL
L85(1985年)
292:世界@名無史さん
07/07/05 02:04:45 0
>>290ウィキだと現在の信用制度はイギリスが起源となってたよ
293:世界@名無史さん
07/07/05 18:08:19 O
芝辻砲って鍛鉄て書いてあるには
ハンマーでぶったたいて作ったんだろうけど
こんなデカい筒状のものどうやって作ったの?
294:世界@名無史さん
07/07/05 20:33:08 0
ドイツの主力銃
ドライゼM41(1848年)
ドライゼM1862(1862年)
モーゼルM71(1871年)
モーゼルGew88(1888年)
モーゼルGew98(1898年)
モーゼルkar98(1935年)
↓西独の主力銃
G1(1950年代)=ベルギー製FN-FAL
H&K G3(1964年)
H&K G36(1995年)
フランスの主力銃
シャスポーM1866(1866年)
グラーM1874(1874年)
ルベルM1886(1886年)
ベルティエM1907/15M16(1916年)
MAS36(1936年、ただし主力銃となったのは第二次大戦後)
MAS49/54(1950年代)
FA-MAS(1977年)
295:世界@名無史さん
07/07/05 22:27:57 0
>>293
ほうとう麺のように平べったく細長い鉄板を、芯棒に何回も巻きつけて作ったとか。
鉄のバームクーヘンだな。
296:世界@名無史さん
07/07/06 01:53:22 0
お前らコレ知ってるか?
URLリンク(www.geocities.co.jp)
297:世界@名無史さん
07/07/06 03:01:03 0
支那すげえええええええええ!!!!!!
298:世界@名無史さん
07/07/06 09:55:41 0
>>295
火縄銃と同じ製法だな。
一本の鉄の円柱をくりぬいて砲身を作れるように
なったのは産業革命以後なんだろうな。
URLリンク(kiwat.com)
URLリンク(www.geocities.jp)
299:世界@名無史さん
07/07/06 18:55:54 O
>>295
ありがとう。なんとなくイメージできますた。
300:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
07/07/07 01:01:35 0
>>254
『懲毖録』に記されている「震天雷」のことでしょう。
日本兵が集まって見ていたところ、突然爆発したということも、この本に出ています。
古くは『金史』にその威力が記されていますが、蒙古襲来の際に使用された「てつはう」
というのもこれであったらしい。
『八幡愚童訓』や『太平記』に、鉄の玉が鞠のように転がってきたかと思うと、突然爆
発して周囲に火を撒き散らしたという記事があります。
『蒙古襲来絵詞』に描かれている爆発している鉄の玉は、江戸時代に書き加えられたも
のですが。
なお、『信長公記』には、毛利水軍がほうろくを使用したと書かれていますが、毛利側
の記録には登場しておらず、件の「鉄船」も、ほうろく対策だったのか疑われています。
301:世界@名無史さん
07/07/07 01:28:00 0
>>300
そりゃ焙烙弾を使ったのは毛利水軍じゃなくて村上水軍だからね。
302:世界@名無史さん
07/07/12 23:29:23 0
倭寇が明から火器を略奪したり輸入したりしたことはなかったんだろうか。
海賊ならば欲しいだろうに。
303:世界@名無史さん
07/07/13 03:03:45 0
とりあえず倭寇は無敵だったから火器とか不要だったんじゃね?
明の正規軍と戦争するわけじゃないしね。
恐らく偵察なり内通者の手引きで守備の薄い都市を襲ってたんだろうし。
平和的に取引できる場合は商人として経済活動してたらしいからね。
明が鎖国なんてしなければ倭寇も発生しなかったわけだ。
304:世界@名無史さん
07/07/13 08:38:59 0
>明が鎖国なんてしなければ
元末からすでに華北へ食糧を輸送する船を襲ってたらしい。
305:世界@名無史さん
07/07/13 11:19:35 0
882:2007/06/27(水) 04:23:00 ID:hRoquAxv0
高麗軍の将(都督使)「金方慶」率いる高麗軍は
戦略的に意味が無い対馬・壱岐に執着し、防備の薄いこの島々を攻め
膨大な非戦闘員を殺戮した。
島々におけるこの行為は遠征目的と何の関係もなく、
それにフビライは"百姓を殺すな"と命じていた。
この無用の残虐行為は主将の「金方慶」の性格、残虐無慈悲な朝鮮人の
民族性によるとの事である。
元軍は島民を見つけ次第、男子は斬殺し、女子は手の掌に穴を
あけて綱を通し船舷にぶらさげるなど残虐の限りをつくした。家屋は焼き
尽くされ、家畜の被害も甚大で、壱岐牛も一頭もいなくなった。」
「ムクリ・コクリ」が来る、と言うと泣く子も黙ると言われたほど、
その残虐な行為は壱岐・対馬・北九州の人達に恐怖感を植えつけています。
ムクリー蒙古―元、コクリー高麗のことです。「蒙古トハ異国ムクリノ事
也」(『沙汰未練書』)というようにムクリが通用していました。
高麗軍と闘った将士がことごとく
戦死すると、敵兵は住民を捕らえ暴虐の限りを尽くしたということです。
山に逃げ隠れ潜む住民の赤子の泣き声を聞いて、捜しまわり、捕ら
えては、ことごとく殺しました。中には、命惜しさに愛する我が子を刺
し殺して、逃げ隠れする者もあったと伝えられています。
捕らえられた妊婦は腹を裂かれ、中の赤子を掴み出されて殺されまし
た。意にそまぬ婦女子は手に孔をあけられ、縄を通してから、引きずり
回され、後、舷外に吊るされました。(新元史・鎮西要略・壱岐国史・元寇物語)
306:世界@名無史さん
07/07/13 12:21:24 0
>>304
それは方国珍などの海上勢力では?あと高麗人とか
307:世界@名無史さん
07/07/13 13:35:34 0
>>300
>『信長公記』には、毛利水軍がほうろくを使用したと書かれていますが
『信長公記』には、毛利水軍がほうろく火矢を使用したと書かれている。
なぜ“火矢”を消すんだ。
308:世界@名無史さん
07/07/13 15:22:01 O
仏郎機を持ち込んだのは倭冦です
309:世界@名無史さん
07/07/13 17:20:54 0
北条氏康が幼いころびびった銃は倭寇とかそっちのほう経由で入ってきたヤツじゃないのか?
310:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
07/07/13 21:07:05 0
>>301
所謂、織田水軍と毛利水軍というくくりの中の毛利です。
来島以外は、因島・能島ともに毛利に仕えていますし。児玉以下も。
>>307
参照した本の校訂者が桑田忠親先生だったのですが、「ほうろく、火矢」と
表記してあったので、気づくのが遅れてしまいました。
「投げ入れ」たということですし、一体になったものでしょう。
近世の記録では、ほうろく火矢とは、木筒ないしは鋳筒で撃つものとされて
いますが、ここでは、『能島家伝』にある、「常のほうろくにかきを付て用」
いるというもののようです。
能島家伝の内容が、どこまで遡れるのか分からないのですが。
>>309
鉄炮伝来について記した『鉄炮記』は、種子島でポルトガル人たちとの間に
立った明人は、「五峯」だったとしていますね。
「五峯」は、倭寇の元締めだった王直の別号ですが、同一人物かという点に
ついては、議論があります。
>北条氏康が幼いころ
浄心の記述のことでしょうか。それは信がおけるか分からないようですが、
『李朝実録』によれば、中宗の時代(16世紀初期)には、「倭船銃筒およ
び長箭を所有す」とあり、『明実録』によれば、洋式の銃が伝わったばかり
の1547年には、福建人が火砲を伝えていたそうです。
あまり記録がありませんが、東洋製の原始的な火砲でしょう。
ただ、倭寇や日本国内の水軍が、いち早く導入していたという決定的な記述
には、乏しいようです。
311:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
07/07/13 21:11:21 0
失礼、浄心が、中国製の「鉄炮」が小田原に伝来したと書いているのは、
氏康が生まれる5年前の永正7年(1510)の話でした。
312:世界@名無史さん
07/07/13 21:59:10 0
能島宗家も因島も毛利家に「仕えて」はいないよ。
独立した勢力だよ。
毛利水軍ってのは別に存在します。
ただ織田側から見れば毛利水軍という括りになるのかもね。
313:世界@名無史さん
07/07/13 23:25:43 0
支那が発明した大砲が巡り巡ってイギリスの最新式大砲となって支那を滅ぼすきっかけと
なるわけか。歴史ってのは皮肉だねえ。
314:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
07/07/13 23:36:33 0
>>312
いえ、江戸時代以降の現存する史料の所蔵先のことです。>300からそのつもりで。
地元を始めとした広島・愛媛県内にも相当あるようですが、村上や児玉の文書も『閥
閲録』に入っているのではないかと。170巻全て点検した訳ではなく、>300も
そういう結果が出たと読んだだけですが。
315:世界@名無史さん
07/07/14 21:43:42 0
カラシニコフ銃誕生60周年記念式典、考案者カラシニコフ氏あいさつ「戦争なければ農具を作ってた」
URLリンク(news.goo.ne.jp)
316:世界@名無史さん
07/07/14 23:53:43 0
>>314
失礼しました
317:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
07/07/15 00:18:57 0
いえ、私の言い方が悪かったですよ。
来島は『閥閲録』に含まれていそうにないのですから、史料の所蔵先として
も「毛利」という言い方は不適切でした(他は入りますが)。
「広義の毛利水軍の内、来島を除く大半の史料が現存する毛利家関係史料の
中には~と読んだ」と、最初に申し上げるべきでした。申し訳ない。
318:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
07/07/27 00:34:58 0
失礼。>>300の震天雷ですが、金のそれと李朝のそれとは別物であったよう
で、金のものは手投げ式であったのに対し、李朝のものは李長孫という者が
発明した発射式であったようです。
射出用と爆発用の二種類の点火を行って炸裂弾を射出するということは欧州
でも行われていましたが、その場合、射出用が不発であった時に砲の中で弾
が炸裂してしまう危険性がありました。
朝鮮のものは、射出用の点火を二箇所に分けて安全性を増しています。
319:世界@名無史さん
07/07/27 08:35:55 0
ほうらく火矢みたいなものだろうか
320:世界@名無史さん
07/07/27 22:39:11 0
元寇で使われた「てつはう」は回回砲で発射したんだろうな。
321:世界@名無史さん
07/07/27 22:48:15 0
カウンターウェイト式でなくても
従来型のロープで引いて飛ばす投石器で充分間に合ったのでは?
322:世界@名無史さん
07/07/27 23:18:28 0
>>320
あんなもん野戦で設置できるか!
323:世界@名無史さん
07/07/28 02:03:51 0
>>321
この辺をみると回回砲が使われてたと思われる。
『元史』世祖本紀
十七年秋七月
使征日本。命範文虎等招集避罪
附宋蒙古、回回等軍
十八年春正月
文虎又請馬二千給禿失忽思軍及回回砲匠
>>322
船に設置してたんじゃないの。
324:世界@名無史さん
07/07/28 03:11:54 0
>>323
>附宋蒙古、回回等軍
この「回回」ってウイグル人かムスリムのことだろ。
宋人やモンゴル人、西方などからも軍を集めたって意味だと思うが。
>文虎又請馬二千給禿失忽思軍及回回砲匠
回回砲"匠"だぜ。攻城戦になったとき現地で回回砲を作るつもりだったんだろ。
325:世界@名無史さん
07/07/28 08:37:48 0
ところで回回砲が火砲じゃなく投石器ってのはみなさんご存知ですよね・・・?
326:世界@名無史さん
07/07/28 09:36:04 0
ほうろくを投射すれば一応は火砲って事になるんじゃね
327:世界@名無史さん
07/07/28 12:58:37 0
火薬で飛んでいくのが火砲じゃないかい
室伏が焙烙飛ばしたら人間火砲でもういいけど
328:世界@名無史さん
07/07/28 14:25:38 0
>>322
マンジケルトの戦いは野戦だけど、東ローマ(ビザンチン)帝国は
移動に1200名もの人力が必要な巨大サイズの投石機(マンジャニーク)を使ったらしい。
329:世界@名無史さん
07/07/28 14:26:37 0
>>328のソース
URLリンク(www.k2.dion.ne.jp)
330:世界@名無史さん
07/07/28 16:21:48 0
>>328
それって野戦じゃなくて要塞攻略用に曳いていったやつだろ。
事実東ローマ軍は戦いの前にマンジケルトの要塞を落としている。
331:世界@名無史さん
07/07/28 18:08:48 0
>>327ワロタw
332:世界@名無史さん
07/07/28 18:10:59 0
>>327
弾薬が炸裂したら手榴弾でも砲かということになるからねぇ。
ちゃんと砲の定義というものがあるらしくて、
たとえばバズーカーは砲ではない。
底が塞がってないから、あれはただの筒になるらしい。
333:名無しさん@そうだ選挙に行こう
07/07/29 16:32:18 0
初めて機関銃を発明したのってフランスの技師だっけ?
それで残酷すぎるとかなんとかで王に怒られたとか。
334:名無しさん@そうだ選挙に行こう
07/07/29 18:47:15 0
現在の定義だと 砲は口径4センチ以上とか聞いたような・・・
>333 まあ信長様が鉄砲買い集めた時に近衛兵に銃持たせて銃士隊と呼んで満足してた国ですから
まあ、当時世界中で鉄砲を一番持っていた王様は信長様あたりだけどね
335:名無しさん@そうだ選挙に行こう
07/07/29 19:17:36 0
機関銃は1862年(文久2年)に、アメリカのリチャード・ジョーダン・ガトリングが、ガトリング砲発明
336:名無しさん@そうだ選挙に行こう
07/07/29 20:06:28 0
>近衛兵に銃持たせて銃士隊と呼んで満足してた
それってどこのオスマントルk
337:世界@名無史さん
07/07/29 20:44:56 0
日本に世界一鉄砲があったかもしれない(国別で考えれば)けど、
信長は、長篠の戦いでも1000丁強しかないけど。
338:世界@名無史さん
07/07/29 21:03:14 0
フランスの銃士隊が信長と同時代ってのも突っ込んだ方が・・・
339:世界@名無史さん
07/07/29 21:20:29 0
ごめ、銃士隊っていつごろだっけ?三銃士の話はルイ13世時代だったよな
340:世界@名無史さん
07/07/29 22:01:36 0
設立されたのが江戸時代初期で革命のちょっと前に解散されたはず
341:世界@名無史さん
07/07/29 23:14:57 0
>>335マシンガンの原型は?
342:世界@名無史さん
07/07/29 23:27:59 0
1890年代のホッチキスか?
原型ならもっと前か
343:世界@名無史さん
07/07/30 00:00:37 0
もしくは、1884年のイギリスのマキシム
344:世界@名無史さん
07/07/30 02:56:46 0
ガトリングじゃないの?
345:世界@名無史さん
07/07/30 08:44:25 0
ガトリングガンはマシンガンの原型ではあるが装填・発射・排莢の一連の動作を人力に
頼ってるのでいわゆる自動火器にはあたらない。
金属薬莢の開発改良、発射薬の無煙火薬化によって、反動利用式、ガス圧利用式の
自動火器が出現することになる。
346:世界@名無史さん
07/07/30 10:20:37 0
ニコ動に動画あがってた。
変わりゆく戦争兵器 マシンガン
URLリンク(www.nicovideo.jp)
URLリンク(www.nicovideo.jp)
URLリンク(www.nicovideo.jp)
347:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
07/08/04 23:07:14 0
>>319
>>320
少なくとも、日本側の史料には、投石器の描写はありませんね。
それによれば、てつはうというのは、宋代の火器同様、火薬を使っていても、
硫黄・木炭・硝石以外の不純物を混ぜることによって「延焼」させることを
目的としていたもので、後代の黒色火薬のように、「爆発」させていたので
はないようです。
飛んで来た玉が割れて、煙と炎が辺りを包み込んだらしい。
当然、この段階では、筒から爆発で撃ち出すという発想は浮かびません。
現存する最古の銃は、1298年製のものですから、すぐ後の時代ですが。
>>325
宋代の『武経総要』を見てみると、○○砲というのが山ほどでてきています
が、そろいもそろって似たような投石器ですね。
二人一組で放り投げる手砲もありました。
石に包むで砲。本来は筒状ではない武器、投石器のこと。
>>333
ルイ16世が1775年、デュー・ペロンが発明した一度に24発の弾を撃
ち出せる銃を見て、重臣たちと共に「悪党」呼ばわりした話のことですか。
348:世界@名無史さん
07/08/05 03:22:48 0
>>347
>少なくとも、日本側の史料には、投石器の描写はありませんね。
てつはうを手投げしたという記録も無い。
>「爆発」させていたのではないようです。
轟音で人馬が驚くんだから爆発してるだろ。
349:世界@名無史さん
07/08/05 07:03:15 0
爆燃という概念を推奨したいw
350:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
07/08/05 10:31:23 0
>轟音で人馬が驚くんだから
どの箇所のことですか。「暗く成し、成音闇高れば」でしょうか。
しかし、「太鼓を叩銅鑼を打ち、紙砲鉄砲ヲ放シ時を作る、其の声唱立さに、
日本の馬共驚て進退ならず」というように、馬を驚かせたのは、太鼓や銅鑼
の音、砲が飛んで割れる音、ときの声の総合だったのでしょう。
てつはうの実際の被害は、炎と煙であったようですし。
鉄砲・紙砲は、室町時代の辞書には、鉄製を鉄炮、紙製を紙砲と呼んだとあ
りますから、鉄や紙に包んで点火後、投げたものと思われます。
「あたりてわるる時」と言いますから、地面に落ちて割れた後、周囲に炎を
待ち散らしたのでしょう。
この時「鳴る」音もしたようですが、燃え上がる際の音ではないかと。
私も、「燃える火薬」の再現を見た訳ではないのですが、「焼き殺」された
そうですからね、『武経総要』が記すような油類が内蔵されていたのでは。
>てつはうを手投げしたという記録も無い。
「○○という証拠もない」は便利な言葉ですが、加筆もあるとはいえ『蒙古
襲来絵詞』の船には投石器らしきものがなく、それほど特徴的な武器の記述
がないのは解せないことです。手投げと考えたほうがよいでしょう。
「轟音で人馬が驚くんだから爆発してるだろ」というのは、どの史料のどの
箇所によるものなのですか。
351:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
07/08/05 10:33:01 0
ただ、ロシアあたりでもモンゴルが火器を使用したそうですが、その時の描写
がどんなものであったのか、知りません。
西方の一次史料ではどうなっているのか、ご存知の方がいらっしゃれば、ご教
授願いたいものです。
352:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
07/08/05 11:35:25 0
よく考えたら、紙はともかく、鉄製が、落ちて割れるのもおかしいですね。
鉄砲・紙砲というのが喩えであったのか。そもそも、紙製はともかく、鉄製
であれば、点火はどうなっていたのか(宋代は導火線ではなく、熱した鉄錐
で外皮を切り裂き、落下した時に丁度炎上する仕組)のか。
(それ以前に、日本側は「鉄砲・紙砲」という単語をどこから得たのか)
失礼、元代について、もう少し調べてみる必要がありました。
353:世界@名無史さん
07/08/05 17:11:00 0
>>350
>どの箇所のことですか。
『八幡愚童記』
鉄砲トテ鉄丸ニ火ヲ包ンデ烈シクトバス。
アタリテワルル時、四方ニ火炎ホトバシリテ煙ヲ以テクラマシヌ。
其ノ音甚高ケレバ心ヲ迷ハシ云々。
音で「心ヲ迷ハシ」てるな。
あと、元軍は“てつはう”を「烈シクトバス」とある。
手で投げるなら「投げる」と表現するはずだ。
例えば、信長公記で焙烙を「投げ入れ投げ入れ」と表現している。
「飛ばす」と表現しているのは手で「投げた」のではなく、機械的に「飛ばした」と考えるべきだろう。
354:世界@名無史さん
07/08/05 17:19:59 0
複数の史書には
「我が兵が始めに石つぶてを打ちかけ、次に敵もまたつぶてを飛ばした」
「怪力の小曽根某が敵を引き据えてつぶてとして飛ばした。これには敵味方ともに仰天した」
と石つぶてを「飛ばす」とする表現が数多くあるので、
飛ばすは、手で投げる動作に対しても頻繁に使われてる。
355:世界@名無史さん
07/08/05 18:19:26 0
既に鷹島町沖の水中調査で直径十四センチの「てつはう」が発見されてる。
直径十四センチもあっては手で投げるには大きすぎる。
『武経総要』には「火毬」という「てつはう」と同類の兵器があるが、
これは「砲を以って放つ。」とある。砲とは当然投石機のこと。
356:世界@名無史さん
07/08/05 19:39:45 0
弓矢スレで以前話題になっていた
河野六郎通有が左肩を打たれたという「石弓」はどうなんでしょう
>>351
以前モンゴル帝国スレにしたカキコだけど
139 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2006/08/08(火) 23:57:39 0
ロシアのウラジーミルで矢羽まで総鉄製の巨大な矢が出土していて、
今はクレムリンの武器庫にあるけどモンゴルの攻城兵器から発射された
ものでないかといわれているらしい。
357:世界@名無史さん
07/08/05 20:57:02 0
箱根に行くことあったら関所跡に行くといい。江戸時代の武器も展示してる。
カールグスタフみたいな大きい銃もある。
358:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
07/08/05 22:45:38 0
>>853
どうもありがとうございます。「愚童記」というといくつかありますが、こ
こでは、橘守部書写本ですか。
同文は私も参照しましたが、被害が爆発というよりは延焼によるものと思わ
れるのと、少なくとも宋代の火薬には爆発力は期待されておらず、爆発とい
う現象が必要とされた場合には、竹筒に詰めて代えていたことから、音とい
うのも現代人が連想する「爆音」にどこまで近いのか、疑問だと考えました。
蒺藜火毬は、鉄刃を撒き散らすことを期待されていたようですし、その撒き
散らすというのが、落ちた衝撃によるものか、それとも多少なりとも爆発効
果を期待していたのか、気になるところですが。
元代は筒状の銃器が登場する時代で、その少し前ですから、調べてみる必要
はあります。
研究らしい研究が、大正時代には「てつはう」説の分類が出ているのに、昭
和までしかないようなので、答えがはっきりしないで申し訳ありません。
昭和35年の荒川秀俊論文は、爆弾説(⇔焼夷弾説)を否定して、砲身の利
用は技術的に考えがたく、カタパルトの使用も彼我の文書からは検出されな
いことから、残るは人力による投擲(焼夷弾)となるが、「槍を安定桿とし
たロケットとして推進された焼夷弾まがいのもの」としていますね。
(当時の火薬に推進力があったのか、疑問ですが。宋代には竹竿にひっかけ
て、しならせた竹の反動で飛ばしています)
これに対する反論も調べたいのですが、まだ出てきていません。
最近『戦争の日本史』も出ていますが、あまり参考にならないようです。
>>355
沈没船から見つかった球状の物体で、陶製でしたね。
直接手で放り投げるのではなく、ほうろく火矢のように、紐を利用して放り
投げるのであれば、出来ない大きさでもないと思いますが。
逆に、片手で放り投げられる程度だと、威力が危ぶまれる。
>火毬
手砲も同書に記述がありますし、重量もものによっては5斤+aで、人力で
は不可能というほどでもないのでは。
359:世界@名無史さん
07/08/05 22:51:24 0
なんだ弓矢スレ見たら元寇の「石弓」についての話題で山野野衾がこんなこと言ってるじゃないか
スレリンク(whis板:79番)
>小型の投石具を指しているのかもしれません。
そのくせこのスレでは>>350のように
>手投げと考えたほうがよいでしょう。
どっちなんだよw
360:世界@名無史さん
07/08/05 23:16:44 0
てっきり、投石器(スリング)を使っていたんだと思っていた。
原始的な手榴弾の投擲は、近世までゴリアテを倒したダビデが使っていたのと
同じタイプの投石器で発射というか、勢いを付けて投げるのが一般的。
つか、手投げじゃ30mとかそんなもんでしょ。着発信管じゃないんだし、近代の
塹壕戦以外じゃほとんど役に立たない。
1930年代のスペイン内戦での市街戦のフィルムにも投石器と手榴弾の組み合
わせの攻撃が残っている。
361:世界@名無史さん
07/08/06 01:30:05 0
「日本の合戦武具事典」で石弓について書いてたと思ったので読み返してみたが
立ち木をしならせて反発力で石を飛ばすものとか、城壁から吊り下げた岩を落とす
仕掛けを指すとかいっててよく分からなかった。
近世には宝禄火矢を石弓で飛ばしたとか興味深い記述があったがソースは不明。
362:世界@名無史さん
07/08/06 09:38:17 0
以前ロシア人の著者による中世ロシアの城砦建築についての本を読んだら
モンゴル軍が回回砲以前の人力による投石器で、火と煙を噴いて飛ぶ弾体を
発射しているイラストがあったけど、本文中にソースや解説の記載がなかった。
ただモンゴル以前に南ロシアを支配していたポロヴェツ人は「彼等の中に活ける火を
發射する回教徒あり。その弓は自動的に發射する仕組みにして、男子五十人力
にして辛うじて引き張ることを得るなり」というような兵器を使用していたので
ポロヴェツ人を取り込んだモンゴル軍にも使用された可能性はあるのかも。
363:山野野衾 ◆CXSSL1llHI
07/08/06 23:22:03 0
>>359
石弓=小型の投石具
てつはうの飛ばし方=手投げ(縄つき)
別々の武器について述べたもので、矛盾はしていないと思いますが。
あれから、突火槍や霹靂砲などについて調べてみたのですが、『金史』の震
天雷の説明をよく見てみると、「其声如雷、聞百里外」とあり、「人与牛皮
皆砕迸無迹」とありますから、爆発力があったようです。
前掲の荒川論文にも引用されていたのに、見落としていたという馬鹿な次第。
初見は1232年、金の滅亡する2年前ですが、火器に延焼力を期待する傾
向はこの世紀中は続くようですが、この頃になると火薬もベトベトしていた
ものの中から、粉状のものが出現し、筒型兵器に繋がるようです。
364:世界@名無史さん
07/08/07 01:44:26 0
宋(九七九~一二〇六)代には火薬の武器への転用が進み、一〇四五年に書か
れた『武経総要』には、「火毬類」として八種類もの火器が紹介されている。
初期の火器は、鉄球に火薬を詰めて導火線で発火させて投石器で発射するとい
う、爆弾のようなものであった。一二七四年に元(モンゴル)軍が日本に襲来
した際、投石器で鉄の火毬を撃ち込んだという記述がある。これが「てっはう」
と書かれたもので、日本史に登場した最初の火器である。
URLリンク(ghibli-fc.net)
365:世界@名無史さん
07/08/07 07:14:04 0
火薬の起源は古代ギリシャニダ
366:世界@名無史さん
07/08/07 09:00:34 0
インドだよ。
アレクサンダー大王の軍隊が火器で撃退されている。
367:世界@名無史さん
07/08/07 11:58:14 0
ギリシャ火薬は原油に石灰・燐化カルシウムを混合した焼夷剤で後のGUN POWDERとは違う。
ビザンチン帝国は手押しポンプを使って火炎放射器を開発。
コンスタンチノープル攻防戦、とくに海上戦闘で大いに威力を発揮しサラセン人の艦隊を焼き払った。
368:世界@名無史さん
07/08/07 13:32:53 0
十字軍時代にはムスリム側が投石器で飛ばす焼夷兵器もギリシャ火とか呼ばれててややこしい。
369:世界@名無史さん
07/08/08 07:53:48 0
なんでもかんでも「古代ギリシア起源」ってか。
・・あれどこかの国に似てる
370:世界@名無史さん
07/08/08 08:47:15 0
>>369
中世だよ。
当のギリシャ人は「ギリシャ火」と呼んでないし。
371:世界@名無史さん
07/08/08 13:45:58 0
俺昔から思うんだけど スリングって超お手軽で強力な武器だよな
犯罪や喧嘩で使われないのが不思議だぜ
372:世界@名無史さん
07/08/08 20:26:08 0
少数対少数の戦いで有効に敵に当てようとするとそれなりに訓練しないとダメだからじゃね?
暴動と呼べる規模なんかだと手ぬぐい使った投石とか結構頻繁に使われてた気がするが。
373:世界@名無史さん
07/08/08 21:42:24 0
How to Build a Sling
URLリンク(www.youtube.com)
How to Use a Sling
URLリンク(www.youtube.com)
374:世界@名無史さん
07/08/10 21:08:46 0
>>363
元軍に投石機があったのに「てつはう」の投射には使わなかったってか?
375:世界@名無史さん
07/08/10 23:51:51 0
>>374
そもそも野戦で投石機なんてそうそう使うもんじゃない。
376:世界@名無史さん
07/08/11 01:35:16 0
グラディエーターではローマ軍がゲルマン軍との野戦で投石機使ってたな。
377:世界@名無史さん
07/08/11 01:44:30 0
アルキメデスが凹面鏡を使ってローマ軍船を焼いたという伝説を
以前ディスカバリーchで実際に検証していたが、いくらやっても焼ける気配すらなかった。
378:世界@名無史さん
07/08/11 02:10:39 0
>>375
どっちかというと艦砲射撃じゃないの
379:世界@名無史さん
07/08/11 02:53:16 0
荒海を越える船の上に大型兵器を据え付けたというのか?
380:世界@名無史さん
07/08/11 09:36:25 0
アレキサンダーは双胴船に投石器のっけたけどね。
近海だけど。
381:世界@名無史さん
07/08/11 16:26:12 0
>>379
地中海も外洋に比べれば十分穏やかだとは思う
382:世界@名無史さん
07/08/25 10:18:37 0
古代ローマ軍もバリスタや投石器を載せた軍船を
ユーフラテス河での作戦で使ってたような