08/09/18 17:40:21 0
>>455
証言されている戦時の危機を告げる幽
姿出現の多くは、結果的には生き残った人でも、その人が重傷などの重大な危機に陥った
瞬間に起こったことが後にわかっている。
>>
一応、人として連帯責任上、本人の情況を直ぐに伝える必要をその伝達方法の意図でくまなく
さらけだすと言う種類の内容なんでしょう。
見た人と見られた人の内容的つながりの一致の現象が本当か嘘かは確かめられないが、
数多くの報告があると言う事なんですね、、、。
>>456 ポルターガイストの定義は、人によってかなりかわってくるようです。何者かの死者によって
起こったものと、目の当たりにした本人自身によって引き起こされている性質のものや、
のろいなどの何者かによる呪術によって引き起こされたものなど、、。
スレリンク(esp板:144番) を今度は、UFOの報告ではなくて、
幽霊の報告に当てはめてみる。(基本的にこのモデルは、如何なる種類の報告にも応用できて当てはめられる。)
つまり、本当の心霊体験の報告のもの(様々な種類の心霊現象があるが)と、
<病的な状態によって錯乱から生じて引き起こされた架空の体験のものの類や、>病的要因
<初めから、隠蔽や捏造、によってでっち上げの報告の架空の心霊体験のものや、
トリックによって、思い込まされた人為的に成立した心霊体験のものや、
何者かによって、催眠などの支配力によって架空の体験をさせられた物などによる報告や、>つまり犯罪的要因
<単なる判断ミスによる性質のもの>混乱的要因
などに、大別する事が出来ると言える。
463:、ミジンコ
08/09/18 18:25:19 0
>>457
>>462 を踏まえると、報告に関しては、何者が如何なる意図を持って如何に働き掛けをしたかという問題のようである。
私はラトクリフ埠頭の司祭の幽霊をでっち
上げて記事にしたのである。 >>
自首される事をお勧めする。
そのうち一人は、その司祭の幽霊は私に様々な圧力をかけて本物の幽霊になったのだから、
その司祭の幽霊は実在する、と主張した >>
紛らわしく不吉な野郎だなw
また、風変わりな幽霊クラブの事務局長として
プライスの跡を継いでいる男は、自伝に私のことを不謹慎な人と書いている。どちらも、仕組
まれたインチキを調査もしないで鵜呑みにしたために、馬脚を現したのだ >>
自首しろ
当主の妻であるイボンヌ・モリソン夫人は常
識もある信頼のおける人で、自分の家で幽霊の足音を聞いたとわめいても何の利益にもな
らない立場にあった >>
基本的には、超常現象も犯罪も病気も万人が経験する可能性がある。
464:、ミジンコ
08/09/18 19:01:47 0
>>459
ほとんどの超常現象研究家は、フレンドロートやグラミスのような場所での幽霊出現を異常事件の心
霊的記録(暴力の気配や激しい感情などがその場所に満ち満ちていて一種の異常浸透によ
って異常事件がおきる)と分類している。 >>
ぶっちゃけ、一まとめに風水の問題であると締めくくる事が出来ます。
URLリンク(ja.wikipedia.org) 風水
これが、そもそも古代文明の名残なんです。ピラミッドとか、ナスカの地上絵や遺跡や寺院なんかも、、、。
ある種の性質が残留するだとかの話は、気功や導引の類。邪気を出すとか、良い気を取り込むとか、、。
URLリンク(ja.wikipedia.org) 気功。
悪い気を出すように、人間は死後悪い魂は天国に行く前に捨て去られて、捨て去られた悪い魂が徘徊すると言う
現象の報告は、シュタイナーによってされています。
スレリンク(sm板:465番)
スレリンク(sm板:471番)-473
人によっては、ドッペルゲンガーと言う人も居るようです。
URLリンク(ja.wikipedia.org) ドッペルゲンガー
465:、ミジンコ
08/09/18 19:12:01 0
われわれは人間や動物に霊があることを信じる
気になれるが、靴やシャツや帽子の幽霊というのはどうだろう?また、裸で現れる幽霊と
いうのも聞かないようだ。死後の世界では、謙虚さとか上品さとかが何かの役に立つのだ
ろうか。 >>
私も興味深い 何かあるね、、、。
>>460
幽霊万歳? 大丈夫か?>>389
現実
の幽霊は、小説の幽霊とは対照的に、常に存在感のある実物そっくりの像である。それだ
けに、幽霊が急に壁を通り越したり、姿を消したりすると、心配でたまらなくなったり、
時にはがっかりする。このような心霊現象を体験した人は何百万といる。これらの人がす
べて詐欺師やうそつきや狂人であるはずがないことだけは確かだ。何かが起きたのだ。で
は、それはなんだろうか。 >>
要するに、、、↓の共通のものを感じさせるというか、、、
466:白からす黒ひつじ
08/09/18 19:24:09 0
>>465 要するに、、、↓の共通のものを感じさせるというか、、、 >>
スレリンク(sm板:321番)
(______________ J
そ 君 (__ ┌―‐―┐ ) き
ん ! (_ |`l TT了| } ゃ
な (_ j .| .|:| .l | / あ
か 待 (_ | | .|j .j | イ |
. っ ち (,_ |.| .|l .|:| ,. -‐ /_. っ
こ た ( |.|. |! |/ / !
う ま (` `ー /..:::::\≧,,,、:::7___
で え (―――――(:::::::>'´ == \::⌒l^⌒
_ (⌒ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ノ く彡/// ∪,ノ ;|
.レ⌒Y^'⌒`\________ く:::::∧ '_,. -、 く/::::::::/
|:::| \xく _,,,...,_ \:::::l、ヽ ,ノ \,,∠,,__
\|:::| _,....!,,_ \ iれ__,.、ヽ lF〒`ヾ.\,,..イ |::::::::,
`7´ _,,.ィ ヽ{|iュ ェッリ | || _,..-/7゙h _|:::::://
\.{n|.ィァ it} ', _'_ j) r'"三¨7´\| |´.|:::://
|:::トl、 rュj . ト ニ イl、 / ゚`.|n./ .イl ,∧ |:://
|::,| 'ーケトr'TTlイ /_`ヾtっ r'l゙ /⌒`lくミV /
,r1´|`'六´ //` ̄´ `Y´ |└┬シj ./ 7ヽ〈 /ヾ)<
./ | ∨|::|∨ ! { r ,、 _,シ /゙丁〈 / } { { \
つまり、心霊現象と密接な共通点が暗示する問題の核心に結び付く可能性に気付く事を切に祈るが、、、。
(オカルトやタントラの勧めではない)URLリンク(ja.wikipedia.org)タントラ
URLリンク(ja.wikipedia.org)アイレスタ・クロウリー
467:、ミジンコ
08/09/18 19:32:01 0
心霊現象に関する報告に関しては、医療上、刑事上、軍事上、重大な意味を持つ事になる
種類の情報が含まれる。
スレリンク(mental板:262番)
468:、
08/09/18 19:32:28 0
、
469:、念力に注意!
08/09/18 19:53:56 0
ドイツのバイエルン州に住む弁護士は、使っている電話の具合がおかしくなったとき、自分の静
かな事務所が大幅なポルターガイスト現象に見舞われようとしているとは、夢にも思わなかった。
結果的には、これまで報告されている中でも最も驚くべき念力の作用した事件となった。
ドイツのバイエルン州はローゼンハイム市にあるその弁護士の事務所は、とてもポルターガイスト事件が起こ
りそうな場所とは思えなかっただけに、ドイツの一般大衆のポルターガイストに対する見方を変え
ることになった。
1975年春、フライブルク超心理学研究所のハンス・ベンダー所長の紹介状を携えて、撮影チームを含む取
材班は、この事件を基にBBCのテレビ・ドキュメンタリーを製作するため、ローゼンハイムに取材を行っ
た。町の中央に到着して、ケニヒシュトラッセ13番地にあるビルを探し出した。たくさんの事務所が
入っている高い建物で、ここがわれわれが調査士にやってきた有名なポルターガイスト現象の中
心だった。現象は、アダムという弁護士の事務所を中心にして起きていた。
470:めいちゃん
08/09/18 20:01:40 0
弁護士、事務所、ポルターガイスト、念力、撮影チーム、BBC
471:めいちゃん
08/09/18 20:03:33 0
世界史に記されている超常現象、、、、、
472:めいちゃん
08/09/18 20:41:45 0
弁護士 >> URLリンク(academy6.2ch.net) 法学板
473:、ミジンコ
08/09/18 20:58:57 0
既にお気づきの事と思われますが、大変でしょ、この話、、、。
呪いだとか、呪い代行とかあるけど、、、、。
呪い代行よりは、もっとややこしいと言うか、、、。ポルターガイストですよ、、、。
他人の物をいくら破損した器物破損罪に相当する事をしても、有罪は成立はしないし、、、。
一部の宗教はともかく、法的に軍事的に医療的にどう扱うべきかは未知数、
いわゆるニュートン力学は破綻していて、どちらかと言えば、保険や危機管理の部類に入るんでしょうけど、、、
やはり、それが意味する事事態は、一部の人にとっては、本当に怖いんでしょうねぇ、、、。
474:、ミジンコ
08/09/18 21:09:46 0
予感だけでなく、本当に地獄の話です、、、、。
本当に深刻な話なんです、、、。
犯罪者の更正や統合失調症患者の治療による社会復帰の問題に
相当する、超常現象と言う不運の克服と言う課題の扱いの障害問題であると言えるでしょう。
475:、
08/09/18 21:35:04 0
ミミ彡ミミミ彡彡ミミミミ
,,彡彡彡ミミミ彡彡彡彡彡彡
ミミ彡彡゙゙゙゙゙""""""""ヾ彡彡彡
ミミ彡゙ ミミ彡彡
ミミ彡゙ _ _ ミミミ彡
ミミ彡 '´ ̄ヽ '´ ̄` ,|ミミ彡
ミミ彡  ゚̄ ̄' 〈 ゚̄ ̄ .|ミミ彡
彡| | |ミ彡
彡| ´-し`) /|ミ|ミ
ゞ| 、,! |ソ <、、、、、、、、。
ヽ '´ ̄ ̄ ̄`ノ /
,.|\、 ' /|、
 ̄ ̄| `\.`─'´/ | ̄ ̄`
\ ~\,,/~ /
\/▽\/
476:、ミジンコ
08/09/18 21:38:12 0
>>465-466
言い忘れた、要するに フランク・スミス さんと言う人は、そう言う領域の人だと言いたかった。
477:,
08/09/19 07:22:40 0
>>469
アダム氏はわれわれに次のように語った。あの有名になった事件は1967年の夏に起きたが、
その始まりは静かなもので、事務所のスタッフから電話の調子がおかしいという知らせを
受けただけだった。ローゼンハイムの1233番の事務所に電話をかけると、カチッカチッという雑音が入
ったり、切れたりした。そして、時には、連結していないはずの4台の電話が一斉の鳴っ
たりした。粉様な故障があまり頻繁に起きてほうって置けなくなったので、課長のヨハネス・
エンゲルハルトが、ジーメンス社の修理係を呼んだ。この会社は接続箱と4台の電話を取り付けた会
社だった。
ジーメンスの技術者たちは、数週間、事務所の電話線をチェックしたり、電話機を調べたりした。
どこにも悪いところはなかったが、彼らは受話器と接続箱を取り換えてくれた。だが、状
況はよくならなかった。。そこで、郵便局の係りを呼んだ。
10月はじめ、郵便局がジーメンス製の機器を郵便局のものと取り換えてくれた。郵便局は、通
話中であることを事務所の中でも目で確かめられるように計器を取り付けてくれた。電話
交換機についている通話を公に記録するメーターと同じものである。それと同時に、アダム氏は、
課長のヨハネス・エンゲルハルトと2人の事務員と1人のパートタイマーに、自分たちのかけた電話をメモ
しておいてくれと頼んだ。
1967年10月5日、アダムとエンゲルハルトは、事務所で誰も電話を使ってないのに、メーターが通話
中であることを示しているのに気づいて驚いた。10月19日にも同じことが起きた。アダム
とシュミット博士がいっしょにいるときだった。博士は、このときのことをアダムが郵便局に訴え
れるように、宣誓供述書に書いてくれた。
478:,
08/09/19 07:25:31 0
もうすでに、裁判沙汰の話になっているでしょ、、、
479:,
08/09/19 07:27:48 0
アダムはメーターとスタッフのメモとを比べてみて、このような出来事は決してこの2回だけではない
ことに気がついた。電話をかけてないのに、通話と記録されているものが何十とあった。
郵便局は、すべて普通に行われてきた通話である、と主張した。さらに不思議なことに、
すべて時刻案内にかけられたものだった。郵便局とアダムの間でけんかが始まった。スタッフは
全員時計を持っているし、少なくとも二つの教会の鐘の音も聞こえる、だから、電話をか
けた時刻はしっかり記録している、とアダムは言った。さらに、1人だけで事務所にいたこと
はないから、誰にも気づかれないで何十回も電話をかけているなんておかしい、ともいっ
った。1967年10月20日の午前7時42分から7時57分の間に46階も時刻案内に電話を
かけたことがメーターに記録されていた。郵便局は1分に3回もの割合でかけているといって
莫大な電話料金を請求してきた。これに対してアダムは、時刻を聞く時間を計算に入れなく
ても、ダイヤルを回して時刻案内につながるまでの時間だけで最低尾17秒かかるのにおかし
いではないか、とさらにしてきした。結局、郵便局は、また、電話機を取り替えた。今度
は、ダイヤルをロックして、アダム氏だけが鍵を持った。
この方法でも、結果は変わらなかった。11月8日、アダムはまったくかけてもいない電話に
対して莫大な額の請求書を送りつけられ、かんかんに怒った。彼は、見知らぬ人を相手取
って、詐欺罪あるいは横領罪だと非難する文書を出した。「ここ数ヶ月にわたって私の電話
は妨害されていて、業務用の普通の通話もできない」
480:,
08/09/19 07:39:16 0
超常現象によって、起きたくいちがいによって、いかなる社会的混乱がおきうるかと言う
問題提起にもなっている。
481:,
08/09/19 07:40:20 0
時刻マニア
1975年の春、アダムは郵便局から送られてきた通話明細書をわれわれに見せてくれた。それ
には、時刻案内の番号0119が何度も何度も出ていた。「5週間に500~600回、時刻案
内に電話している。1日に80回という日もある。郵便局に非常に腹を立てていた。電話加
入者を保護する会を設立したいとさえ思った」と、彼は語った。だが、このすぐ後で、アダ
ムは別の妨害とたたかわなければならなくなった。
1967年10月20日、事務所のライトがバンという音とともに消えた。土地にある会社シュテルンか
ら電気技師のバウアーが修繕に来てくれた。彼はライトを調べて蛍光燈のチューブがソケットに対して90
度回転しているのを見つけた。チューブを元通りにして彼ははしごを降りようとしたそのとき、
また、バンという音がした。チューブがまた回転してソケットからはずれてしまった。彼は、事務
所のスタッフから、どういうわけかオートマチック・ヒューズが飛んでしまう、1度に4箇所のヒューズが飛
んでしまうことである、と聞かされて当惑してしまった。そこで、バウアーは事務所の配線や
電気設備などを全部点検したが、すべて良好だった。彼はアダムにこう打ち明けた。「謎にぶ
つかってしまいましたよ。言ってみれば魔女ですね」
事務所の中に欠陥は見つからなかったので、電気の供給側に問題があるに違いないと、彼
は結論を下した。そして、ドイツ電力局に調査を引き継いでくれるよう要請した。それに応
じて、1967年11月15日に、課長補佐のパウル・ブルナーがアダムの事務所にやって来た。
482:,
08/09/19 07:47:08 0
つまり、>>467 の種類の課題の問題ですが、、、、
ブルナーは小柄だが精力的な人で、その見識と能力のいい仕事ぶちにはわれわれも感心してし
まった。彼はローゼンハイムの出身で、電力勤務は父親の代からだった。彼はオカルトにはまったく
興味がないとわれわれに告げて、アダムの事務所の問題には科学的な好奇心から取り組んだ
が、皮肉にも、彼の作成した公の報告書は超常現象研究の最も重要な資料の一つとなった。
ローゼンハイムの現象がだんだんエスカレートしていく様子は、時間をたどっていくとはっきりする。
1967年11月15日、水曜日、ケニヒシュトラッセ13番地のビル、特に、アダムの事務所のある会の配
線と電気器具類を広く点検。すべて良好で、異常現象がおこりえる原因としてショートは考えられない。
11月16日、木曜日、電流・電圧計を事務所に設置。後ほど、オシロスコープ付のテクトロニックスを追加
し、磁場とノイズの強さを記録できるようにした。事務所の電気系統からいくつかポイン
トを選び、電流・電圧の変化を自動的に記録した読み出しが出るようになっていた。外か
ら損傷を加えられないよう、計器に覆いをかけた。そして、次の数週間に、計器に異常な
ブレが出たことが紙に記録された。それも業務時間内におきていないことがわかった。オート
マチック・ヒューズをねじ込み式のものに取替え、いたずらをされないように、さらに覆いをかぶ
せた。11月20日、月曜日、蛍光灯のチューブが回転した異常な朝の翌日、なぜか電圧が変化
して、バンという音とともにアダムの個室の蛍光灯のチューブが床に落ちて壊れた。それと同時
に、電流が強くなって、50アンペアを記録したが、安全ヒューズは飛ばなかった。計器の読み
出しを調べたブルナーは、記録された線が直線ではなく、ループ状であるのを見て当惑した。日
がたつに連れて、ほかの蛍光灯のチューブも床に落ちてきだした。
483:,
08/09/19 07:50:26 0
11月21日、火曜日、用心のために、事務所のすべての蛍光灯を普通の電球に取り替えた。
また、バンという音がして、コピー機から薬品が流れ出した。プラグに差し込んだが伝記は来
なかった。ブルナーは、ガスや水道の本官を通ってビルに電気が来ているのかどうか疑問に思っ
て、調査員たちに様々な調査をさせたが、電気には異常はなかった。
11月22日、水曜日、電球が破裂し始めた。異常な力が発生しているところがないか近辺を
調べたが、何も見つからなかった。
11月23日、木曜日、事務所の電気系統を本線から切り離して、ケニヒシュトラッセの変電所K-1
1の変圧器に直接接続した。
11月24日、金曜日、ブルナーは謎の問題はこれで解決したと思った。ところが、自動記録計
は異常な線を記録しており、ところどころ、用紙がペンで破れているほどひどいことを発見
した計器はK-11に直接接続されているので、電力の供給側に問題があるに違いない、
事務所の電気設備はすべて問題なしと発表した彼の調査班に誤りはなかったのだ、とブルナー
は思った。ほっとして、計測器や道具を片付け電気技師を事務所から引き上げさせて、新
たな問題点を探るためにK-11に作業基地を設置した。だが、どこにも問題点は見つか
らなかった。そこで、また事務所に作業基地を作り出した。
ローゼンハイムの全送電系統が点検されたが、正常であると発表された。
484:,
08/09/19 07:52:29 0
>>483 ニュートン力学的原因は見当たらないと言う事。
11月27日、月曜日、一人の少女が破裂した電球の破片で怪我をした。また事故がおきない
ように、残りのすべての電球にナイロンの袋をかぶせた。その日の午後、さらに4個が破裂し
た。5時から6時の間に、軽快すべき新しい事態が発生し、ブルナーは、これは経験したこと
がない問題だと考えざるを得なかった。すなわち、電灯が揺れ始めたのである。
それから数日間、ゆれる伝統を眺めて、なぜ揺れるのか理由を見つけ出そうとした。「電燈
を揺らすことができるのかどうか、上の階で何度も飛び跳ねてみたが、揺れなかった。外
を通る車もじっと観察してみたが、揺れなかった。外を通る車もじっと観察した。静電気
の放電も調べてみたが、放電はなかった」と、ブルナーは述べている。
11月30日、木曜日、事務所の電気系統を本線から切り離して、ビルの外に置いた7kwの
発電機に接続してみた。すると、発電機の計器は常に220ボルトで送電してみることを示
しているのに、事務所の中では、電圧が変化し、電燈が揺れ、電球が破裂し、ヒューズがとん
だ。
12月7日、木曜日、午前中に90回以上も電圧のゆれが記録された。電燈が激しく揺れて
天井にぶつかって壊れ、壁がへこんだ。
485:,
08/09/19 08:15:32 0
>>484 一人の少女が破裂した電球の破片で怪我をした >> つまり、医療上、刑事上、軍事上、の扱いにも通じる。
486:,
08/09/19 08:17:40 0
絵が回転しだした
ブルナーは、自分の用いた方法とそれによって得られた結果が正しかったことを立証するため
にも、また、自分お名誉のためにも、マックス・プランク・プラズマ物理学研究所のカルガー博士とミュン
ヘン大学のツィッヒャ博士に助言を乞うた。両博士ともドイツで最も著名な物理学者である。ブルナー
はカルガーの助言に従って、計器を事務所の電源からはずし、その端末を普通の1・5ボルトの
電池に接続した。すると驚いたことに、電池がなくなるまで、計器の自動記録ペンは用紙の
上を1・5ボルトではなく、3ボルトから始まってジグザグに激しく揺れながら動いた。つま
り、電流・電圧計は完全に作動していたにもかかわらず、接続された電池の電圧をモニターで
きなかったのである。
12月11日、月曜日、8時45分、ブルナーと助手のマイヤーはタイピストの部屋でしゃべっていた。そ
のとき、突然、壁にフックでつるされた絵が傾いた。ブルナーは驚いたが、手を伸ばして絵を
まっすぐに直した。部屋にあったほかの絵も回転し始め、いくつかは床に落ちた。後ほど
タイピストたちはその朝はひどく緊張したと証言しているが、そのとき、彼女たちは怖くなっ
て机にしがみついていた。ブルナーとマイヤーは有利な場所に陣取って、この新しい現象をじっと
見守っていた。彼らが見ていると、最初の絵は、フックの周りを紐のついたまま320度回転し
た。
487:,
08/09/19 08:21:51 0
このとき、ブルナーは自分いは理解できないことだと悟って、実験を切り上げる準備をした。
そして、公式の報告書を書いた。彼は報告書に、すべてを点検した結果、ローゼンハイムの電力
供給はすばらしい状態にあり、それはアダム氏さえ満足しているが、説明できない電圧のゆ
れがいまだに生じている、と書いた。
これまでの技術では分からない未知の力が存在すると仮定せざるをえない。その性質、大
きさ、方向ははっきりしない。まったくわれわれの理解力を超えたエネルギーである。
この不可思議で、しかもしばしば害を及ぼすことがあるエネルギーを制御する方法が見つかり
そうにないと考えたブルナーはこれまで彼が実験について助言を受けてきた物理学者たちに
調査を引き継いでもらうことにした。
カルガー博士もツィッヒャ博士も、ブルナーと同じように、アダムの事務所で起きる電力障害を科学的に
説明することに強い関心を抱き、それぞれが別個に、最高級の計器類などを使って調査に
乗り出した。両博士は、圧力、磁場、騒音などを調べる機器を設置して、計器の数値がゆ
れる原因を突き止めることに専念した。両博士の提出した疑問と回答を要約すると、次の
ようになる。
488:,
08/09/19 08:26:02 0
1. ゆれはサージ電圧(波どうする電圧)のときに現れるか?否、電圧は常に一定である。
2. 電力障害は事務所の外にある高周波の変圧器によっておきたものではないか?測定されていないし何も見つかっていない。
3. 静電気の放電はないか?なし。
4. 青磁場はないか?発見されていない
5. 測定器のアンプの接触があまくないか?異常なし。
6. 2台目の機械も同じ数値のゆれを示した。
7. 超高周波または超低周波の振動はないか?発見されていない。
8. 人の干渉はないか?トリックやいたずらは不可能。
騒音を測定しているとき、博士たちは音がしていないのにモニターの針が大きく揺れているの
に気づいたので、マイクのクリスタルに圧力が直接かかったに違いないと結論を下した。これと同
じような目に見えない力が自動記録ペンに作用して、電流とは関係なく、不自然なループを描
かせるのではなかろうか。また、同じ力が電話機の中の小さなスプリングに作用して、ダイ
ヤルをす道りしてつながるのではなかろうか。その力は短時間だけ活動し、性質は複雑で電
気力学的なものではない。既知の物理学では説明のできないものである、というのが博士
たちの考えだった。
489:,
08/09/19 08:28:00 0
変わり身の早い知性体
アルガー、ツィッヒャの両博士は、次のように感じた。電話障害は、時刻案内に焦点をあわせると
ころを見ると、知性を持った力が作用して起きていることを示唆している。この力は調査
に抵抗しているのは明らかで、このことからも、細かく調べられることを嫌う知性体の存
在が考えられる。博士たちはこのような報告書を纏め上げて事務所を出て行った。
物理学者たちがアダムの事務所を去ると、ほかの科学分野の研究員たちが博士たちに代わっ
て調査を始めた。12月の中ごろから独自の実験を始めていたフライブルク研究所のハンス・ベンダー
教授たちである。教授の仕事に加わったのは、アダムが見知らぬ人でも訴えてやるといきま
いたためにやってきた数人の警官たちだった。こうした新たな調査員たちは、独自に証拠
を集めだした。両博士は重要な鍵を2つ残してくれていた。一つ目は、この現象の背後に
知性を持ったものが存在しているかもしれないということ、2つ目は、ポルターガイストは事務所
の営業時間内だけ活動的であると認めたことである。今度は、調査の焦点が事務所のスタッフ
たちに集まっていた。
490:,怒りの霊
08/09/19 08:29:27 0
調査員たちはローゼンハイムの弁護士事務所で起きた不可思議な出来事にすっかり当惑してしま
った。そして遂に、事務所のスタッフに疑惑の目をむけ、誰がどんな理由でやったかを捜索し
だした
アダム氏の事務所は、超常現象が続くにつれて、業務を行うことがだんだん難しくなった。
しょっちゅう調査員や取材記者にうろつかれるのは業務にいい影響を及ぼすわけはない。
スタッフは、絶えずじろじろ見られているようで、緊張して神経質になっていた。スタッフたちは、
仕事を中断させられるポルターガイスト現象だけでうんざりしていた。そこへ何かが新たに起き
ると、そのたびに、仲間同士で胡散臭そうに見てしまうのだった。12月12日に典型的な出
来事が起きた。課長のヨハネス・エンゲルハルトが午前の郵便物の袋をナイフで開けていると、隣の部屋
からアダム夫人の呼ぶ声がしたのでドアに近づいた。そのとき、彼の背後で絵が落ちる音がし
た。さっと振り返ってみると、絵が床に落ちていた。それだけではなかった。絵の上には、
彼が先ほど取り出した手紙がナイフを添えて積み上げてあったのだ。そのとき、事務所には2
人の事務員が居たけれども、エンゲルハルトが振り向く瞬間に、彼女たちが絵や手紙にさらわれ
るはずは無かった。それでも彼は、彼女たちが自分にいたずらをしたのだと思わざるをえ
なかった。
491:,
08/09/19 08:31:10 0
やがて、アンネマリ・シュナイダーにみんなの疑惑の目が集中しだした。彼女はスタッフの中で一番緊張
しているように見え、ポルターガイストが起きるたびに妙にびくびくしていた。業務時間中だけ
異常な数値を示していた計測をよく調べてみると、ことがおき始めたのは午前7時30分(ア
ンネマリが就業したと報告した時間)であることが分かった。フライブルク研究所のハンス・ベンダーら
の調査班は慎重に、彼女をしばらくの間調査した。ある日、アンネマリが廊下を歩いているのを
見ていたベンダーの助手の一人が、彼女が電燈の下に来ると、その電燈が微妙に揺れること
に気づいた。異常状態がつづいていたので、事務所には、めいめいが短い休暇をとってよ
いと、すでに決めていた。これは調査班にとって、異常現象が誰かのせいだとすれば、そ
の人間を特定できるチャンスでもあった。アンネマリが最初に休暇をもらった。すると、案の定、
事務所に平穏が戻った。
492:,
08/09/19 08:51:09 0
悲鳴とすすり泣き
>>462 の見地に注意の上、
12月18日にアンネマリは職場に帰ってきたが、以前よりいっそう緊張しているように見えた。
そして、電灯が揺れだしたとき、彼女は悲鳴を上げた。この減少は彼女の職場復帰ととも
に再開し、激しさも強くなった。壁の絵もおかしくなるほどよく揺れて、額縁が壊れるく
らい床に激しく落ちたが、ガラスはそのままだった。カレンダーはちぎれて飛んで言ったし、電
球は破裂した。机の引き出しが飛び出してしまうので、ビールマイヤーはスツールにタイプライターを載せ
て引き出しを押さえておかなければならなかった。アンネマリの緊張は日ごとに度合いが強くな
り、そばで異常現象が起きたりすると、悲鳴を上げたりすすり泣きをしたりした。幸い、
クリスマス休暇がやってきた。
1968年1月1日、仕事は再開された。すべて平常という状態が一週間以上続いたので、アダ
ムはこれでローゼンハイムの電球と蛍光灯の大口の消費者の座を降りることができると期待して
いた。が、それもアンネマリが職場に帰ってきた1月9日の午前30分までのことだった。
以前と同じように、アンネマリとともに現象も再開し、これまた以前と同じように、激しさもさ
らに強くなった。アンネマリは床に落ちた絵を拾い上げようとして、足に電気ショックを受けた。
また、ビールマイヤーは耳の中でものがはじけるような感じがした。
493:,
08/09/19 08:52:26 0
1月17日、クライマックスに達した。アンネマリとアダム夫人しか事務所に居ないとき、たくさんの電球
が破裂した。アンネマリは怖さのあまり階上の歯科医院へ駆け込み、歯科医のガイシュタレル氏になん
とかなだめられた。その後で、警官が写真を取りに来た。アンネマリが机に戻ってタイプを打ち始
めると、カレンダーが壁から落ち、机の引き出しが飛び出した。突然、引き出しから金属製の
現金を入れる箱が飛び出して、硬貨やスタンプが床中に散らばった。彼女と異常現象の間に何
か関係がると思った警官は、彼女をより細かく観察し始めた。
ベンデル警官は操作担当で、この件の解決のために努力を惜しまなかった。最後には、アンネマリ
が自分の手で物を動かしている現場を押さえられるだろうと、彼は信じていた。その彼の
信念も、その日の午後、重いオークのキャビネットが30cmも移動したのを見て、ぐらついてし
まった。キャビネットは180kg以上の重さがあったので、てこを使ったとしても、あるいは
フーベル嬢に手伝ってもらったとしても、アンネマリにはとても動かすことのできない代物だ、と
わかったからである。キャビネットは、明らかに、リノリウムの床から持ち上げて動かされていた。
押して動かしたものなら、すれた跡が床についていたはずである。これを元の位置に戻す
のに、2人の大男の警官の手が必要だった。このキャビネットの件が無ければ、ベンデルはきっと
事件を解決できると考えていたが、今や、それも怪しくなった。彼は、科学者たちと同じ
ように、この事務所には普通の物理法則は当てはまらないのではないかと、考え始めてい
た。だが、余分の操作として道具探しをしてみたが、何も出てこなかった。
494:,
08/09/19 08:53:43 0
同じ日の4時30分、アダム夫人が警察官にやってきて、キャビネットがまた移動したことをベンデ
ルに報告した。彼とティシュラー警官が彼女とともに引き返してみると、事務所は混乱状態だった。
女性事務員たちは、1日中手や足に電気ショックを受けて、ほとんどヒステリー状態になってい
た。キャビネットが二度動く前に、テーブルと椅子が動いていた。1つのテーブルはガタンと急に動いて、
それに向かって座っていたお客を震え上がらせた。ビールマイヤーがタイプ室を出たとき、彼女の
机と椅子は高くなり、アンネマリとフーベル嬢の椅子の高さは、どんな重さの人が腰掛けても高さ
が変わらないように、歯止めがしてある。しかし、その日の午後、ミュンヘン近郊のプラハにある
物理学研究所のビュッヘル教授が見ている前で、アンネマリの椅子が彼女が腰掛けたままの状態で高
くなったのだ。彼女はショックで真っ青になったそれから、奇妙な赤い斑点が皮膚に現れ
た。その日、彼女は欠勤してよいという許可を与えられた。彼女は事務所を退出するとき、
ハンス・ベンダーから記すように頼まれた日記に、悲しそうに、次のように書いている。「1月
18日、いまから病欠、・・・・すべてが早く進で欲しい。そうすれば、最後には私も休息でき
る」
アダム氏はぐずぐずしていなかった。アンネマリは解雇され、ケニヒシュトラッセの事務所には2度と戻ら
なかった。そして、不思議な現象も繰り返されることは無かった。ポルターガイストが起きてい
る間にこうむった被害は1万5000ドイツマルクに上った。不運なアダムはこの支払いをすべ
てしなければならなかった。
ハンス・ベンダーは実験室でテストを行ってみたいと思い、チャンスをとらえて、アンネマリに彼のフライブ
ルク研究所に来てくれるように頼んだ。彼女は最初家から離れることを渋っていたが、1968
年1月21日から26日までフライブルクに滞在することに同意した。ベンダーたち科学者はアダム
の事務所と配線や電気設備などをそっくり同じようにしてポルターガイスト現象を再現しようと
したが、電圧などのぶれもそのほかの異常現象も、何も起きなかった。アンネマリは、ある特殊
な状況下でのみ異常現象異常現象を引き起こすことができるのかもしれない。
495:,
08/09/19 10:53:23 0
>>485
>>494アンネマリは、ある特殊な状況下でのみ異常現象を引き起こすことができるのかもしれない。>>
芸能人でも起きる奴がいて、稲川淳二や松本人志などが挙げられる。
URLリンク(ja.wikipedia.org) 稲川
超常現象の起きる生き人形で、その後もその後もと、、、、。
URLリンク(ja.wikipedia.org)松本人志
理由も無く、松本の頭上の照明がゆれるなど、、、。
この手の変なジンクスを持つ奴は、実際に、結構、居るんですよ。
私は、市民革命と産業革命のふたつの革命に対し、市民革命は、人の人に対する人間同士の営みであり、
産業革命は、人の世界に対する人間との関係の営みであると申し上げましたが、
つまり、産業革命の営みは、例えば自然科学の営みにおいて、ニュートン力学の発想で、
事実関係の辻褄も行いの解釈や予測も解決できる意味で常識としての位置を占めるのであり、
同じ事は、量子力学にも当てはまり、実用に友好である事によって認められると言える。
そして、その大方が、その常識の中におさまって生活が成立っているといえるわけですが、
常識を超えた領域で生活を営む種類の人間は、領域での営みによって、
通常のニュートンや量子論者の自然科学の扱いを超えた、常識では説明のつかない情況を
生じる事があるものと思われる。
つまり、文明は自然科学者によって、つまり、いわゆる理系の人間の働きによって整っていると言う事を
産業革命は明らかにしている訳ですが、その文明の土台を壊す働きの自然の物理的な現象の事例とその報告が
あると言う事を意味する問題と言う事なのです。
スレリンク(occult板:210-214番)常識を超えた領域で生活を営む
496:,
08/09/19 10:59:50 0
>>485
>>494アンネマリは、ある特殊な状況下でのみ異常現象を引き起こすことができるのかもしれない。>>
しかし、産業革命と市民革命から解る、世界と存在とその本性からわかる純粋な客観的真相
とは別に、アンメマリの周囲の人間が、勝手に多くの特殊工作と共に、科学者や弁護士やBBCの放送局や
その他のものが、協力してでっち上げられると言う種類のドッキリカメラ的なことも出来ないわけではないと思われる。
URLリンク(ja.wikipedia.org) ドッキリカメラ
そうでなくとも、他にアンンメマリがそのような働きをしたように思わせるように計らった、超能力者の実力者が居ない訳では無いかもしれない。
497:,ミジンコ
08/09/20 08:58:34 0
つまり、陰謀などの可能性の問題がある。この場合、社会が超常現象の扱いとした時の
事件にからむ可能性の問題なんです。
498:,ミジンコ
08/09/20 09:19:26 0
>>494アンネマリは、ある特殊な状況下でのみ異常現象を引き起こすことができるのかもしれない。>>
この場合、つまり、この情報提供に関して、>>396の見地のモデルを適用すると、本当にアンネマリによって起きた超常現象である可能性、
BBCや弁護士、特殊工作員、科学者等が協力して勝手にアンネマリの問題にでっち上げたペテンの陰謀の可能性。(ドッキリカメラの実用)
アンネマリを含め、物理的実力行使あるいは、超能力によって、アンネマリが原因であるように全体を誘導した何者かが潜んでいる犯罪的可能性。
(関係者、以外の外部から働き掛けて誘導する者の存在と言う種類の支配力は、ここでは扱わない事にする。)
アンネマリを含め、関係者内に病的に気付かぬうちに破壊行為を行なう特殊な精神病の持ち主がいるか、
関係者全体が催眠の錯乱状態のうちにそのような物理的事態が進行した病的可能性。
499:,ミジンコ
08/09/20 09:41:29 0
>>485 485 :,:2008/09/19(金) 08:15:32 0
>>484 一人の少女が破裂した電球の破片で怪我をした >> つまり、医療上、刑事上、軍事上、の扱いにも通じる。 >>
また、アンネマリが原因であるかどうかはともかく、超常現象によっておこる、生命上の危機に関わる可能性。
例えば、超常現象によって物理的原因により死に至った場合、医療上では自傷他害の問題、刑事上では障害や殺人容疑、
軍事上では集合的危機管理の面で、無視できなくなる可能性の問題。
精神の病いと奇怪な現象との関係 [メンタルヘルス]
スレリンク(utu板)l50
ところが、そのような影響的事態に対して、上記の>>498の可能性の問題がそこには潜んでいるのである。
しかし、超能力による障害の可能性が明らかになった時、これが一体何を意味するかと言う問題がある。
500:,ミジンコ
08/09/20 09:58:48 0
写真を見た限りでは、アンネマリは、インディオとローマ的雰囲気のテンションの入った赤褐色のイメージの人
子供が、赤ん坊の人相ですが、ブルドックのような表情。
支配力の問題は、軍事上、医療上、刑事上、の問題です。
この支配の問題にあたって、特に、詐欺や隠蔽などのペテンが起こり得る可能性の
問題が深刻であると言えるでしょう。
501:,
08/09/20 10:05:35 0
ベンダーは、念力を再現する試みをあきらめて、アンネマリのESP能力を試してみることにした。
またもや、たいしたことは見つからなかった。ただ、不愉快なことを思い出して興奮する
と、瞬間的に高い値を示すことがあった。このことから、彼女の場合は、ストレスが異常現象
を誘発するように思えた。
確かに、ストレスと欲求不満はアンネマリの人格に大きな役割を果たしているようだった。彼女はフラ
イブルクに滞在中、ベンダーの友人の心理学者ヨハン・ミッショのいろいろな心理テストを受けた。彼
女は精神的に不安定で、腹を立てやすく、欲求不満から激怒することがある、というのが
ミッショの結論だった。彼女は他人に否定されることは耐えられなかったし、自分ではどうす
ることもできないくらい攻撃的な正確だった。彼女の欲求不満はよく分からないが、念力
となって発散されるのではなかろうか、とミッショは考えた。彼女のかかりつけの医師は彼女
の神経症について、充血(1箇所の血液が過剰に集まる)や痙攣も見られる激しいものであ
る、と述べていた。彼女の痙攣の発作はいつも次のような同じパターンを繰り返していた。
叫び声を上げ、痙攣が広がっていくにつれて目がどんよりとくもってくる。手足にひどい
影響が見られ、手や足の指が伸びて硬直する。また、ひざやお尻の筋肉が収縮して激痛を
伴う。
ベンダー教授は異常現象を引き起こす心理的動機を探った。時刻案内の件は、事務所を退出
できる時刻を知りたいという欲求をアンネマリが常に持っていたためではないか、とベンダーは推
測した。さらに、アンネマリはアダムの事務所では特にひどく緊張してしまうので働くのが嫌いだ
ったから、アダムを攻撃する意味で、様々な妨害事件を起こしたのではないか。
ベンダーによると、アンネマリが感情の高ぶりに応じて念力を出したと思えることは、その後の出
来事でも確認できたという。ベンダーには、アンネマリは潜在意識的にフィアンセ、正確に言えば、電
気技師と別れようと努めていたように思えたのである。彼女はフィアンセと一緒に、よくローゼンハ
イムの郊外にのラウブリングにボーリングに行っていた。投げたボウルは自動的に帰ってきて、倒れ
たピンは並べなおされる仕組みになっている。得点は電光掲示板に出る。
502:,
08/09/20 10:08:03 0
アンネマリは次のように述べている。
私たちは婚約してから3年たっていました。州に一回ボーリングに行きました。あるとき、ピ
ンを並べ直す仕組みがおかしくなって、ボーリングができなくなりました。機械が故障だとい
われたのですが、私には何を言っているのか分かりませんでした。すると、フィアンセはすべて
のことを重大に考えすぎて、こういうことでは結婚できないといったのです。
これは1969年の夏のことである。アンネマリは婚約破棄のショックを乗り越えるのに数年かか
った。ボーリングの機械の故障が彼女と何の関係があったというのか、それを証明できるもの
はないのだから、彼女は犠牲にされたと感じたのである。
>>
恐らく、彼氏は、触手系の人でしょう、、、。
503:,
08/09/20 10:09:18 0
死亡事故を起こしたと非難される。
最後に、調査員たちは直接アンネマリと話すことにした。1975年4月に会った。彼女は大丈夫
そうだが、もの悲しい表情の、年のわりには老けて見える、平凡な容貌の女の子だった。
彼女はアダムの事務所をやめてから、やはり弁護士のワインツァーのところで働いたことがあると
彼らに話した。彼女が電燈を動かしたりする異常なことを引き起こす能力があるというう
わさはどこまでも彼女についてまわった。そして、何かおかしなことが起きれば不幸なアンネ
マリはいつも解雇されたのである。「私は何にも影響を及ぼしたことはありません。私は本当
に大変傷つきました」と、彼女は語った。だが、バイエルンの彼女の同僚たちはいまだに中世
の迷信を信じていて、彼女は魔女だとささやいているようだという。
彼女はこんな話を続けた。「製糸工場で働いていたとき、事故がおきて男の人がひとり死に
ました。私のことを知っていた労働者たちが「死んだのはあの女のせいだ」と言いました。
彼らは私をすぐ解雇しないので、それとなくそれをにおわせただけでしたが、私は自分か
ら工場をやめました。その事故がおきたとき、私は工場にはいもしなかったのですが」
あの極めて疑わしい事件以来、アンネマリが関係して超常現象が起きたというニュースはない。それ
はたぶん、彼女がもはやそうした力を働かせる能力を持っていないということに関係があ
るだろう。大部分の超常現象と違って、彼女の場合は、実際は、科学者やマスメディアの注目を
浴びて誘発されたように見える。そのうち最も目覚しい現象は、事務所のスタッフ、電気技師、
弁護士、科学者、心理学者、景観などのあらゆる職業の40人以上の人たちが数ヶ月にわた
って観察したものだ、とハンス・ベンダーは指摘している。だが、どのような証拠があるにして
も、アンネマリがその現象をどのようにして起こしたかは、依然として、科学者たちにはミステリー
なのである。
504:,
08/10/19 19:45:33 0
>>496-498 ドッキリカメラ 犯罪過ぎ ローマとインディオの技術の操作の実験の集合的教養と言うか、、
スレリンク(uwasa板:578-584番) B・F・スキナー
スキナー箱の中の人間にスキナー箱の中のスキナー箱の実験をさせて反応を見るとか、
多くの次元の平行した世界の間の操作のヒントはスキナー箱にあるようである。
>>444 少なくともヤミによる平行世界からのヤミの操作の可能性はある。コントロールに関しては、4・1プロジェクトを
直ぐに連想しました。
wwww、、、気持ち悪い、、、、。
505:,
08/10/19 20:03:02 0
多くの次元の平行した世界の間の操作のヒントはスキナー箱にあるようである。>>
もっとほかの方法もあるか、、、、、、、。
506:とびどぐもたないでください
08/10/22 08:28:36 O
なんか朝日新聞で、雪男の足跡が見つかったとか何とか。懐かしいなぁ。僕が子供のころ(1980年代)は、そんなのが良く話題になってた気がする。
そうゆう定番の怪物っていつぐらいから史料に現れるのかな。
また、時代によって、流行りすたりとかあるのかな。20世紀はUFOが流行ったけど、最近はあまり流行らないよね(でも「虚船」とか「肉人」とか、時代を越えて存在している気もする)。
あと、人びとの思い描く怪物の姿は、変化するんだろうか。
僕の子供のころの宇宙人はタコさんとか3メートルとかだけど、最近はグレイとかが主流だよね。
『日本書紀』に鬼が出てくる(斉明紀)けどこの鬼はやっぱりトラのパンツにウシの角なんだろうか。
507:、ミジンコ
08/10/28 07:44:25 0
>>506 そういうの都市伝説って言うんだよ、、。
508:、ミジンコ
08/10/28 08:31:28 0
>>504-505 様様な種類の操作の方法があると言う事、、、、。
509:、ミジンコ
08/10/28 08:59:14 0
スレリンク(baby板:672-674番) 支配する5%
恐らく、このアンネマリの出来事に関しては支配力のかわりに、念力による器物の破損の超常現象として
その存在に付きまとう破壊面が現れると言う種類の問題だと思われる、、、。
スレリンク(mental板:296-308番) のような
運命的隔たりの衝突の破壊性の表れの一つと解釈される事になります、、、。
. /  ̄ ヽ
.(,ノノノ ソ) )
/ l(┃┃j ヽ
 ̄`ァ┬ ' ̄
/ ヽ/ \
|ヽ / / |
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レ___》《_|
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L⌒l⌒l
相殺の問題ですね、、、、世の中の制限、運命状況、環境、等において目に見えない運命の状
態の現れというのがあって、健康もピンからキリまであるといえる話でしょう。
510:、ミジンコ
08/10/29 08:59:20 0
多くの犯罪は、支配する5%の形を変えた現れである事がしばしばあります、、。
支配する5%と言えば、場所や縄張りの欠如を意味し、場所や縄張りを必要とする場所や縄張りを持つ支配的な人
場所や縄張りを持たぬ場所や縄張りを必要とする支配的な人、場所や縄張りを持たぬ場所や縄張りを必要としない支配的でない人、
等の意味も含む事を意味します、、、。つまり、不足に関係した人間の存在とそうでないものの存在について示唆した言葉なんです、、。
支配的であるほどのエネルギーを要する者は、そうでないものに対しそれなりの仕切りや距離や隔たりの分別によって、エネルギーの損失を補い
自己の存在を維持しようとする事になる。いずれにせよ、人間の存在と言うものは、それぞれがそれぞれに対し独自の破壊性を放つようになっている意味で
いずれにせよ生産性と破壊性の表裏を持つものである事を知る必要がある、、、。
物理学のエネルギー保存則と運動量保存則は、人間同士の運命にも当てはまるものと言わざるを得ない。
スレリンク(rikei板:215番)
スレリンク(rikei板:268番)
511:,ミジンコ
08/11/01 08:53:37 0
ただし、人が支配する5%と言う原始的存在形態をとるとは必ずしも限らないと言うことはある、、、。
みかけ上、平凡な人として暮らし平凡な人生を送る傍ら、そのエネルギが気付かぬうちに物質に対する
精神の破壊力として放たれて、周囲の人を巻き込むと言う現われをしたものと言うべき話であると思われる、、、。
つまり、人間同士の運命の隔たりは、支配する5%に絡んだ現われとして、病気や犯罪などの障害の表れとして、
寿命などの表れとして、状況とその健康状態の表れ、の相対的運命的差異として、運命的状況の現れをとるものと言えるだろう。
分別や節度、差し引き、可能性と制約、権利と義務、見極めに絡んだ、各自に共通する扱いの話であると言わねばなりません。
これは、生と死などの人生の時間的制約による運命の分別、死者と生者との違いなどにも絡む問題であると言う事です、、。
つまり、世の中の制限、運命状況、環境、等において目に見えない隔たった運命の状態の現れの扱いとして、全てが一直線上に並ぶ
障害の扱いの問題である事が解ってくる話であると言えるでしょう、、、。
つまり、分別や節度、差し引き、可能性と制約、権利と義務、見極め、等の問題と言う事になると言う事なのです、、、。
512:,ミジンコ
08/11/01 08:59:45 0
つまり、アンネマリのケースは、アニバーサル・シンドローム(命日反応)などの超常現象やジンクスに関係した
障害の扱いの話でありまして、福祉の管轄であると言わねばなりません、、、。
超常現象は精神医療や刑事や軍事の扱いの管轄の出来事ですが、そこでは福祉が重要な位置付けにある
事が解る事になる、、、。
513:,精神科医屋さん
08/11/01 09:46:26 0
アンネマリ位の破壊力を放つ念力は、注意して訓練を必要とするものと言えるでしょう、、。
コントロールの効かない状態の人には、抜け出すのが困難であれば軍事や刑事や精神医療の協力を得るか、
コントロールが効くようになるまで養生するか、費用が無ければ福祉の援助を得る必要と義務があるものと思われる、、、。
スレリンク(sm板:419番)-420
スレリンク(mental板:30番)
いずれにせよ精神医療が受け持つ管轄という事になる出来事であると言えるでしょう、、、。
念力を放つと言うのは、強健の現れであるうと思われる人もいらっしゃる事でしょうが、
それがコントロールが効かないと言う事は、やはり、見かけ上は健康のようでも運命の次元で
疲労をしているものとみなす事になります、、、。したがって、養生の対処とるべき協力を必要とする援助の問題と、
先ずは判断される訳です、、、。
/  ̄ ヽ
.(,ノノノ ソ) )
/ l(┃┃j ヽ
 ̄`ァ┬ ' ̄
/ ヽ/ \
514:,ミジンコ
08/11/01 10:59:29 0
つまり、克服し、回復すると言う事は、己の運命の領域における自覚とともに見極めや
わきまえのもとに適切な意思決定を普通の下せるようになるようになると言う事、、。
分別や節度、差し引き、可能性と制約、権利と義務、見極め、等の扱いの問題ですが、
アンネマリに関しては、運命上の 限界・限度 に関しての扱いの問題であると言うべきでしょう、、、。
限界に関しては(特に肉体的な意味で、、)、
意思と運命の次元における限界と、
複数の集まりの繋がりにおける関係上の限界と、
単独の個人の現実における意識上の限界、
に分けて考えることが出来るものと言えるでしょう、、。(もっとも重度の障害は、3つ全てを含むもの)
特に運命の次元での障害は、重さに応じた期間を要する養生によって、初めて克服される問題であると言えるでしょう、、。
515:,
08/11/01 21:07:30 0
>>499
しかし、超能力による障害の可能性が明らかになった時、これが一体何を意味するかと言う問題がある。
→
しかし、超能力による 傷害 の可能性が明らかになった時、これが一体何を意味するかと言う問題がある。
516:,
08/11/01 21:11:28 0
>>509 何故、そのような見解について言い切ることが出来なかったのか、、?
517:,
08/11/01 21:12:28 0
何故、そのような見解について言い切ることが出来る者が出てこなかったのか、、?
518:、ミジンコ
08/11/04 08:53:34 0
>>511 運命的活動領域の意味で、業界と言う認識が生じてくる訳ですが、
悪質な業界は生まれては直ぐに無くなるものと考えられる事になりますが、
極端に言うと、様様な民族や宗教はその人間の運命の状況を表すという結論に達するものと言えるでしょう。
運命的な差異による隔たりに関しては、
スレリンク(sm板:320番)
ユダヤの4分類気質の 英知 光明 力 触手 という形をとって現れる事もある。
いずれの人も、少なくとも4つのいずれかに属するようになっているものと言えるはずである、、。
解決の手がかりは、その独自の性格の個性の評価にあるんでしょうね、、、。
たとえば、触手系気質であれば、つまり、体験において対等でないが、業界同士の摩擦を緩和する
と言う意味では評価されると言う考え方もあるが、紛らわしくカリスマやら昔の宗教や操作のあいまい化した混乱の問題にも通じている、、。
簡単なようで難しい話で、実は個性の評価と言うのは傷害に関係した話である事がわかることになるはずなんですがね、、、。
519:、ミジンコ
08/11/04 08:59:48 0
>>517
実は、当時、正攻法で本当の事を言っても無視されるか、笑われるか、
暗殺されるか、人体実験への誘導を受ける事になったはずだからと言えるだろう。
スレリンク(uwasa板)l50x
人体実験の話が明るみになって初めて、正攻法で説明が可能となった話なんです、、、。
520:、
08/11/07 20:35:58 0
>>519 に関する話は、いったん、そこまでにとどめて先にすすめますか、、、。
521:、
08/11/07 20:41:34 0
>>501 これは、癲癇ですね、、、朦朧性に関係した、、、。
暴力行為とか、発作による動作にエネルギーが向かう事が無く、念力として発散される
事があると言う証拠を示す事例と言うか、、、。
522:、
08/11/07 20:51:27 0
>>502私たちは婚約してから3年たっていました。州に一回ボーリングに行きました。あるとき、ピ
ンを並べ直す仕組みがおかしくなって、ボーリングができなくなりました。機械が故障だとい
われたのですが、私には何を言っているのか分かりませんでした。すると、フィアンセはすべて
のことを重大に考えすぎて、こういうことでは結婚できないといったのです。 >>
彼女の勤務前に、誰かが、その事を知っていてプレッシャーをかけた実験であると言う可能性は無いですかね、、?
癲癇でしょ? 、、、だって、、、。
523:白からす黒ひつじ
08/11/07 21:05:30 0
運命的疲労というのは、物の破損と関係しているんですよ、、、。
ある意味食生活も関係あります、、、。
つまり、エネルギーを放出する事で、世の中に対し破壊性を放つことなく達成することもあれば、
運命的、生理的な、不足によって、何かを達成するために環境のエネルギーを取り込むかたわら、
エネルギーを失う環境にその損傷の現れが見られる様、、、、。
エネルギー保存則ですね、、、。
疲労を無理して押し通すと言う事は、体験において対等でないエネルギーを吸収し奪う
様を意味する訳ですが、エネルギーを失う周囲の環境にその存在の破綻の表れを見る様、、、。
癲癇発作と言う事は、その自身のエネルギーの不足の消耗部分を外部から得ようとする事無く、
消耗した自身から得ようとして、はまり込む状態のことを言っている、、、。
524:、ミジンコ
08/11/07 21:11:14 0
その運命のものすごいエネルギーが、自身の肉体に向かう訳ですから、
癲癇と言うものは、とんでもない肉体的損傷を追う可能性そのものを示唆している、、。
癲癇の克服の問題は、ある種の精神的鍛錬にのみ克服の可能性を見出せるものと言えるでしょう、、。
525:白からす黒ひつじ
08/11/09 10:35:39 0
間違いなく、癲癇などの病気のレベルから闇の操作の方向付けがあって、それが、ローマや
インディオなどの組織を形作ったり、時とともに優生学などの組織にも変容したりして形をとったりしたのもと思われる、、、。
526:白からす黒ひつじ
08/11/09 10:59:30 0
パラノイア、神経症、ヒステリー、と言う分類、、、。
分裂質、癲癇質、躁鬱質、と言う気質分類、、、。
よく、テンカントヒステリーと言う組み合わせが、引き合いにされるが、
ヒステリーは、心因性のものであり、癲癇は、肉体のものであると言われる、、、。
いずれも発作を伴う、、、。よくみてみると、いずれも体質の異なる肉体的精神的病気である事が
わかってくる、、、。ヒステリーは、共同のレベルで、癲癇は、個人的単独の独立のレベルで、起こりうる
心身の傷害、、、。 ということが、先ずわかる必要がある、、、原始から古代、古代から現代へと
時代ごとに意味が変わってきているんですけど、ヒステリーは、子宮の病気から、ヒポクラテスによって、性的欲求の
屈折した現れの心因性のものとみなされ、その後は、近代に至り能力とみなされ、最後は人体実験を可能とする
自己欺瞞の働きの影響力をもつそんざいそのものであることが、わかりつつある、、。
傍ら、癲癇は、神による病気と大昔は言われていたが、ヒポクラテスによって、肉体的病気と
みなされるようになり、最後は人体実験の材料と成り果て、社会に配置されるに至る、、。
527:白からす黒ひつじ
08/11/15 08:38:58 0
恐らく、癲癇もヒステリーも原始の時代から来たものであると思われるが、
特に文明の形をとる古代遺跡の領域から続いている事が明らかとなっている、、、。
古代においては、癲癇は、神によるものとみなされ、ヒポクラテスによって肉体の病気とみなされるようになった。
傍らヒステリーは、子宮に見られる肉体の病気と見られていたが、ヒポクラテスによって心因性の病気と受け取るような
方向付けを受けた、、。当時は男性には見られなかったはずだが、心因性とみなされるようになった後には、
男性の症例の報告が出てきたらしいと言う見解もある、、。
ヒステリーは、当時はあるとき突然発作が起きその特有のひきつけを起こしひどい場合はそのまま呼吸停止の死に至る。(精神による肉体への堕胎の働き)
癲癇は、発作か続く分、劣化が死に至るまで進行しうる傾向をもつとされていた、、。(ヒオクラテスによって優生学の方向付けが確立される)
(私が、彼を暗殺かと言う根拠はここにある)
やはり、ヒポクラテスの時代は暗黒時代そのものであり神についての存在等の不可視の領域と
人間の繋がりが肯定され得なかったヤミの意図と方向性を持った思想にならざるを得なかったものと思われる、、。
そして、ヒステリーは事実上、性行為による治療、自己分裂や悪の肯定や隠蔽や共有と言う経過をたどる、、、。
病気以前の運命の根本的な原因については目をそむけたまま、表面的な治療の発展と進行が促されただけだった、、。
そこには、権力と操作の追及の営みが潜んでいた事を明らかとしている、、、。
いずれにせよ、両者は、次元を事にする運命の肉体的精神的病気である事を先ずは踏まえる必要があるが、
その表面的治療よりも、根本的な運命の障害について目を向けないと本質的な克服に結びつかない問題なんです。
528:白からす黒ひつじ
08/11/15 08:49:52 0
そのようにして、集合的に魂の破滅の恐怖が全体的に浸透していて、傍ら、魂の破滅の運命的破綻の促進サバイバル的
ヤミの潮流が間違えなくあった、、。それは、ラッセルなどに見て取る事が可能である、、、。
つまり、利己主義によるヤミの支配のヒエラルキー体制が生じる必然性はそこにある、、、。
>>522 現在は最も精神的破滅の運命的破綻の策略のカラクリの環境が発達を遂げたヤミのピークの時代であると言えるでしょう。
アンネマリのエピソードは癲癇プラスヒステリーのような事例というべき問題と思われる、、。
現在は、ヒステリーは解離性人格障害といわれています、、、。
529:、
08/11/15 08:58:57 0
養生による疲労回復の扱いの問題ですが、養生を阻止する劣悪な環境作りが現在も進行しつつある、、、。
そして、そのようなヤミの人身御供の環境による方向付けの呪術的働きかけと
病気と犯罪を利用したペテンの情報操作によってふかしの領域からのヤミの支配力が完成されより強化を図る有様らしい、、。
530:、
08/11/15 08:59:27 0
、
531:、↓ちょっと保留しますか、、。
08/11/15 09:03:36 0
ボーリーの幽霊話
ポーリー司祭館は本当にイングランドで幽霊が最も頻繁に出没したところだろうか? そこ
が有名になったのは幽霊研究家のハリー・プライズがマスコミをうまく操ったためだろうか? プライ
ズは売名のために詐欺行為を行ったのだろうか? これらの疑問に答えるため、フランク・スミス
が調査にあたった。
ボーリーの教会は、イングランドのエセックス州とサフォーク州の州境をなすスタウワー川渓谷を見下ろす陸
の上に建っている。ボーリーは村ともいえないくらい小さい。エスックス州にあるこの集落の100
人ぐらいの住人は、ほとんどが農民か週末をコッテージで過ごす人たちだ。
こんな小さな村だが、1940年代に出版された「イングランドで幽霊がもっとも頻繁に出没した
ところ」という本で世界的に有名になり、さらに1946年に出版された「ボーリー司祭館の終
焉」という本で、その名声は浮動のものとなった。両者とも、存命中に心霊研究で有名に
なった。目立ちたがり屋のハリー・プライスの著書である。2冊の本には、ボーリー司祭館はさまざ
まな超常現象が多発するところだと書かれている。同館はビクトリア超の陰鬱な感じの建物だ
ったが、1939年に消失している。プライスの本には超常現象として、馬車の幽霊、首のない僧
侶、その僧侶の愛人だった尼僧の幽霊、先代の司祭の霊、薄気味悪い光、インクに変わった水、
不思議な呼び鈴、夜中に大音響とともに上から滝のように降ってくるさまざまなものなど
が挙げられている。
532:、続行
08/11/15 09:22:38 0
「タイム・アンド・タイド」紙は、「1940年の大きな出来事の1つ」としてプライスの著書を取り上げ
て絶賛し、「チャーチ・タイムズ」紙は「これまでなされたもっとも顕著な超常現象への貢献」と
述べている。ボーリー館の幽霊の調査に10年を費やしたと公言したプライスは、1948年3月29
日死ぬ日まで同館の幽霊について講演、放送を行い、記事を書いた。「タイム」紙は彼が死ん
だ翌日に次のような死亡記事を載せている。「その性質上、トリックやごまかしになりやすい対
象を、類まれな真摯な態度と潔白な心で研究した心霊研究家」
しかしながら、プライスの知人、協力者がみな、このような賛辞に満ちた証言に同意したわけ
ではなかった。プライスが死んだ数ヵ月後、「デイリー・メール」紙のチャールズ・サットンの記事がワールド・
プレス社発行の「インキー・ウェイ・アンニュアル」に載った。この記事のため、彼は侮辱罪になりそうに
なったが、罪は免れた。サットンは1929年にボーリーを訪れたとき、つまり、プライスがボーリーを始
めて調査したときのことに触れ、プライスがその調査中にインチキをしたのを見つけてしまったと
書いている。サットンの頭に石があったので、見ると、プライスがポケットに小石やれんがのかけら
を持っていた、と彼は書いている。
これよりさらに綿密な調査もある。英国心霊研究協会(SPR)会員であるチャールズ・ホープ卿
とヘンリー・ダグラス・ヒューム少佐の2人は、彼らが1920年代の終わりに司祭館で見たと証言して
いた現象について大きな疑問を抱いた。ダグラス・ヒュームは「これについては真実を完全に無
視している」と言って、プライスを非難した。彼の言うところによると、あるとき、彼がプライ
スといっしょに暗がりの中を司祭館の周りを歩いていると、セロファンをくしゃくしゃに丸める
ような音がした。後ほど、プライスのスーツケースの中をちらっと見たら、橋を引きちぎったセロファン
が1枚入っていたという。
533:、
08/11/15 10:16:02 0
この証言の結果、英国心霊研究協会はエリック・J・ディングウォール博士、K・M・ゴールドニー夫人、
トレバー・H・ホール氏の3人の会員に、その証拠を改めて調査するよう依頼した。3人は、遺著
管理者ポール・タボリ博士の許可を得て、プライスの個人的な書類や手紙などを調べた。また、彼
らは、プライスが1938年にロンドン大学から場所を恒久的に借りていたハリー・プライス文書館に収蔵
されていて、彼の死後、同館に寄贈された文書も調べた。調査は5年の歳月を要したが、
その結果は1956年に「ボーリー司祭館の幽霊」という本となって公表された。
この本の書評は、1940年代に出版されたプライスのそれと同じように、ただし、まったく別の
理由から、熱のこもったものだった。「サンデー・タイムズ」紙は、ボーリー館の伝説は完全無欠の
客観性で打ち壊されたと書き、A・G・N・フルー教授は「スペクテイター」紙で、「決定的な破壊力
を秘めた魅惑的な文書によって、ボーリーはハリー・プライスが1組のうそというカードで組み立てた
館に過ぎなかったことが判明した」と述べた。
そこで事は収まるはずだったが、さまざまな要因が重なって収まらなかった。一番大きな
理由は、ボーリーが世界中の新聞で25年間以上もセンセーショナルに取り上げられてきてい
たことかもしれないし、それに、どんなに客観的な記者だって、いい記者ねたがなくなっ
てしまうのはうれしくない。新聞もテレビも、ディングウォールやゴールドニーやホールが苦労して集めた
証拠に対して様々な言い訳をした。そして、プライスが本に書いている出来事は、「不可解で、
恐ろしく、なんとも説明のしがたい」ものだという声がふたたび聞かれるようになった。
1973年には、ゴースト・クラブ会長のピーター・アンダーウッド故タポリ博士が「司祭館年報;ボーリーの幽
霊」を出版して、プライス側の防衛に回った。「本書をボーリーを有名にした人、ハリー・プライスの霊
に告げる」と献辞を書いている。
534:、
08/11/15 10:29:41 0
コリン・ウィルソンは1971年に出版された「オカルト」の中で、ボーリーの一件を偏見を持たないで公平
に良心的に要約し、同意できる証拠と同意できない証拠をあげている。「これに似たような
事例は英国心霊研究協会の記録には100件くらいある。、、、、、したがって、」プライスは売名行
為に狂奔する病的なうそつきだったことを証明する本を誰かが出版できないならば、判断
を下すのを中止すべきだ」というのが彼の結論であった。
すると、それを受けるように、1978年、英国心霊研究協会の調査員トレバー・H・ホールが、プ
ライスは売名行為に狂奔する病的なうそつきだったことを証明する活動に乗り出した。彼の著
書のタイトルは「ハリー・プライスを求めて」で、プライス自身の自伝「真理を求めて」(1942年)のし
ゃれになっている。ホールの著書は、もう少し不注意な書き方をされていたら、暴露のものと
しては、かなり面白い本になっただろう。例えば、こんなことが暴かれている。プライスの両
親が結婚したのは、2人が40過ぎと14歳のときだったが、父親が母親をかどわかしたも
のだった。だが、プライスはその自伝で、自分は古いシュロップシャーのどこかにあった家族の田舎
の別荘の間を行ったりきたりして少年時代を過ごしたと述べている。そして、学校への往
復の途中でたいてい途中下車をしたと述べており、田舎の寄宿学校で教育を受けたことを
におわせている。ところが、ホールの調査によると、プライス家の所在地はブロックリーから遠くはな
いがブロックリーほど快適とはいえないニュー・クロスだったことは明らかである。彼が通った学校も、
ニュー・クロスにあるハバーダシャーズ・アスキーズ・ハッチマン・ボーイズ・スクールという、中流階級の下の家庭
の子供の行く中学校で、私立の寄宿学校ではなかった、とホールは述べている。シュロプシャーと唯
一の関係は、プライスの祖父がかつてロディングトンにあるブルズ・ヘッドの地主だったことだけであ
る。
535:、
08/11/15 10:36:54 0
プライスによると、学校卒業、父親の製紙会社の重役に就任する傍ら、1908年の結婚までの
10年間、アマチュアのコイン収集家兼考古学者として楽しい生活をしたという。実は、ホールの調査に
よると、プライスはニュー・クロスでいろいろと風変わりなことをして生計をたてた。広告用の店屋
の写真を撮ったり、ダンスやパーティーにポータブルの蓄音機やレコードを賃貸したりした。コンサートで奇
術師もしたが、これは後にボーリーで調査中にやったと非難を浴びたトリックと同様のものだった。
ケント州の田舎では、にかわや糊や羊の腐蹄症の治療薬を一軒一軒売り歩くようなこともした。
プライスには、彼の著書(全部で18冊)の売れ行きが示しているように、間違えなく文章に
対して嗅覚のようなものがあった。
プライスは、1902年に自分の出身校の校内雑誌「アスキーアン」のために記事を書いている。これは、
グリニッジにあるローマ時代の邸宅の遺蹟発掘について、発掘調査隊長の著書をネタにして書いた
ものだが、彼は、1942年に出版された自著「真理を求めて」の中で、実際に発掘に参加し
たと述べている。彼はまた、雑誌「ケンティッシュ・マーキュリー」に、ケント州のコインと記念品について一
連の記事を寄稿しているし、それに引き続いて、「シュロップシャーの記念品と貨幣」という一連
の記事を、「ウェリントン・ジャーナル」に書いている。
ホールは、プライスのコインに関する記事を調べるために、リーズの大補際で故銭学の権威であるチャール
ズ・エリソン師に見てもらった。同師は、プライスの記事がある2冊の書物の文章をそっくり
写し取ったものであることを発見し、「プライスの書いていることは裏づけがないので、鵜呑
みにするのは危険です」と結論を下した。
536:、
08/11/15 10:40:59 0
ホールの報告によると、プライスが経済的に独立できたのは、父親からかなりの遺産を相続した
コンスタンス・ナイト結婚したおかげだったという。プライスが行商をやめて心霊研究家兼書籍収集家
としての本業に就けたのは、彼が言っているように彼の家が裕福だったからではなく、妻
の資産によるものだったのだ。数千冊に及ぶオカルトと魔術関係の本の収集は、「プライスが生涯
であげた最大の功績である」とホールは述べている。
しかしながら、その収集本にさえごまかしの気配があると、ホールは言う。プライスの収集した
本の中に、はっきりと英国心霊研究協会の蔵書印が押された本が何冊かあり、それらには
プライスの蔵書票が付けられていたという。
ホールの目には、蔵書票のことは、プライスの暗部を示す一例であると共に、特に興味深いもの
として映った。プライスは蔵書票に2種類のかぶと飾り(家紋)を使っていた。1つは競い獅
子で、調べてみると、リッチモンドのチャールズ・ラッジ・プライス卿の家紋で、ハリー・プライスとは何の関
係もないものであることが分かった。もう一つは、かぶと飾りのある盾の紋章で、ロバート・
ディッチャー・プライスの名前とラドノー州ノートン・マナー(荘園)という住所が刻印されていた。ホールの調
査によると、この家紋はランカシャー州のパー・オブ・パー家のものであり、ノートン・マナーはロバート・グ
リーン・プライス夫人から紹介に対する返事には、ロバート・ディッチャー・プライスという人物は聞いたこ
ともないし、ノートン・マナーに住んでいたことは絶対にない、と書かれていた。
1940年に出版されたボーリー司祭館についての最初の著書の中に、プライスはグランヒル家から聞い
た話を載せている。グランヒル家は父親のシドニーと息子のロジャーと娘のヘレンの3人家族だった。こ
の家族が家出ブランセットつきの交霊会を開いたとき、ヘレン・グラン・ヒルが、一人の尼僧がボ
ーリーで殺害されたというお告げを引き出した。その尼僧はマリー・レールというフランス人だった。と
ころが、この交霊会でのこととプライスがそのすぐ後で開いた交霊会の時について、ヘレンは、
家族3人とも前もってボーリーの幽霊のことを本で読んでいたので暗示にかかってしまった、
と英国心霊研究協会の調査員ディングウォール、ゴールドニー、ホールの3人に詫びるように言った。
537:、
08/11/15 10:58:58 0
フランスの尼僧の幽霊の話が載った「イングランドで最も幽霊が出没するところ」が出版された後、
プライスはカーライルの聖職者W・J・フィシアン・アダムズから、実は、マリー・レールは尼僧院からおびきだ
されて土地の地主と結婚したが、夫に絞殺されて司祭館の井戸に埋め立てられたのだ、と
言った趣旨の凝った手紙を受け取った。その尼僧の幽霊は、19世紀に、司祭館の住人か
らフランス語の辞典を盗み出したが、それは司祭館の人々と交信したくて自分の英語を磨くた
めだった、ということも手紙には書かれていた。
この聖職者の話は途方もない話に脚色されていくつか伝えられているが、プライスは上述の話
をかたくなに信じていた。ホールは、すべてプライスのでっちあげで、その上塗りをするために
偽の証拠づくりをしたと、プライスを非難している。プライスが1929年に始めて司祭館を訪
れた時に霊姿として現れたと証している2個のフランスのメダルが、実は偽りの証拠だった。
1つはローマ・カトリック教徒であることを示すメダルで、もう一つはイギリス革命後に国会議員に渡さ
れたバッジであるという。だが、生前、プライスは、「幻視したメダルが1つある。それはロヨラ(イ
エスズ会を創設した16世紀の聖者)のメダルだ」と言っていた。プライスの忠実な秘書だった人
も、「ロヨアのメダルは私が見た唯一のものです」と述べている。
538:、
08/11/15 11:36:26 0
不可解な出土品
ホールはこの件についてさらに、プライスが1943年にボーリー司祭館の地下遺蹟の井戸のあった
ところと証する場所から人間のあごの骨を発掘したときの模様を語っている。骨が出てき
たのは柔らかい地層で、発掘作業はランプで照らしながら行われた。井戸はコンクリート製の近代
的なものだった。廃墟を壊しているとき、司祭館には電気が通ったことがなかったにもか
かわらず、スイッチや長い電線が出てきた。これは、プライスがこのとき初めて見つけたように見
せかけようと、以前にこっそりと骨を埋めるためにポータブルの蓄電池を使ったときのもので
はなかろうか、とホールは書いている。
このような調子でホールの著書は続き、プライスの行った心霊研究計画の説明が不正確で、ほと
んどまったくのでっちあげと言って良く、説明のたびに、細部があべこべになって矛盾し
ていたことなどが、随所に示されている。「ハリー・プライスを求めて」は正にコリン・ウィルソンが書評
したとおりだ、。「本書は、プライスが常習的なうそつきで、目立ちたがり屋だったことをしめ
している」
プライスとC・E・M・ジョード教授がドイツの山奥で行ったばかげた実験で、報道カメラマンの前でや
ってみせた魔術の儀式などは、目立ちたがり矢以外の何者でもない。
539:、
08/11/15 11:41:28 0
しかし、プライスの人格に欠落があったことは、必然的に、ボーリー司祭館に幽霊が出たという
話も嘘だったことを意味するのだろうか。司祭館が建てられた1863年からプライスがそこ
に興味を抱いて始めて訪れた1929年までに、そこについては様々な話が語られていて、
その中には超常現象と思われるものもあった。さらに、1930年から1937年までに
プライスはボーリーを1度だけ訪れているが、それでもその間に、少なくとも2000件の超常
的な出来事が起きたと記録されている。1938年というのはプライスが空き地になっている
司祭館を借り受け、「タイム」に求人広告を出してプライスと一緒に司祭館で暮らして証人になっ
てくれる人を何人か公募した年だった。1973年から1938年までの1年間にも、プラ
イスの留守中に、何件か異常なことが起きたと報告されている。最終的には、プライスが住んで
いた時から、夜中に不審火が出て司祭館が消失した1939年2月27日までに、奇妙な
ことが起きた。
こうしてみると、プライスの果たした役割を無視しても、やはり、ボーリー司祭館はイングランドで
最も幽霊の出没するところだったのだろうか。
540:、
08/11/15 11:54:10 0
539>> 1973年から1938年までの1年間にも、、、
1937年から1938年までの1年間にも
>>531-539 ボーリー司祭館
ローマとインディオの奴か、、、、。 タイミング的には西太后的な、、、。
541:、
08/11/15 11:55:29 0
緊張高まるボーリー
だだっ広くて薄暗く、しかも外形が醜いボーリー司祭館は、まるで幽霊をおびきよせているよ
うだった。ハリー・プライスの到着とともに、そこは超常現象のメッカとなって、新たなものも続々
と発見されだした。誰かが手を貸していたのだろうか?
サドバリー街道の反対側に墓地があり、その墓地の真ん中に12世紀に建てられたボーリー教会
がある。イングランドで最も頻繁に幽霊の出没する館とは、この教会の司祭館のことだったが、
1939年の冬の消失時には、建てられてからまだ76年しか経っていなかった。ボーリー司
祭館は醜い赤れんが造りの2階建てで、23室もある部屋のほとんどは、周囲のあちこち
に植えられた背の高い樹木の陰になって薄暗い。この建物は、1863年に、この地方の
地主でボーリー教会の司祭でもあったヘンリー・D・E・ブル師が妻と14人の子供を住まわせるた
めに建てられたものである。
司祭館のすぐ裏手の片側には、周囲を納屋や馬小屋や作業場などに囲まれた農場があった。
1875年に館の両端が建て増しされたため、結果的に小さな中庭が出来た。ダイニングルーム
の暖炉には僧侶の像が彫刻されていたが、この装飾は、13世紀にこの地に僧院があった
という土地の言い伝えをブル師が信じていたことを示すものだったかもしれない。この地に
幽霊話が出来たのは、この僧院の僧侶が原因だった。彼はここから13kmほどはなれたと
ころにあるブレスの尼僧院の尼と駆け落ちしたと伝えられている。そして、2人は捕らえら
れて処刑された。男は首を切り落とされ、女は尼僧院の壁に塗り込められた。それ以来、
ここに彼らの幽霊が出るようになったという。このまことしやかな話は、1938年にエセッ
クス考古学教会がまじめで熱心な幽霊研究家のシドニー・グランビルへ出した手紙の中で否定され
ている。グランビルは、幽霊研究家で作家のハリー・プライス代理として考古学教会に真偽のほどを
確かめたのだ。教会からの手紙には、その地には僧院も尼僧も存在したことはない、と書
かれていた。
542:、
08/11/15 12:07:22 0
だが、ヘンリー・ブル師もその後を引き継いだ息子のハリー・ブル師も、明らかに、好んで幽霊話を
人に語ったようだ。それが日曜学校に来る子供たちの間に広まったが、大部分の子供たち
は、話してくれた人が司祭だっただけに、その話を福音と思い込んだまま大人になったの
だろう。
この最初の尼僧の話が別の話にすり替えられる前に、ブル家の家族、特にミリーとエセルの姉妹が、
後に尼僧の散歩道として知られるようになった司祭館の庭を幻のような人影が横切るのを
看たという噂が広まった。この道は地下水の流れに沿っていて、生暖かい夏の夕方ともな
ると、よくブヨが群がった。ブル家の姉妹がプライスに1900年7月に尼僧を見たことを話
したとき、彼女たちは、「夕方でまだ日が出ていた」とだけ付け加えた。したがって、それ
がブヨの群れでないとは、誰も確信を持って言えない。後にこの司祭になったG・エリック師は、
白い人影に驚いたことがあると述べている。それは焚き火の煙だった。まだ、「デイリー・ミラー」
紙のV・C・ウォールも同じような人影を見たが、それは司祭館のメイドだった。
ブル家はガスも電気も水道もない不便なボーリー司祭館で65年近くも暮らしていた。1892
年に父親がなくなると、息子のハリーがその跡を継いで司祭になり、大勢の兄弟たちと一緒に
館に住みつけた。少なくとも、その内の3人は、ハリーが亡くなる1927年まで館に住んで
いた。ハリー自身は、1911年に結婚したとき道路の向こう側のボーリー・プレイスに引っ越した
が、1920年には司祭館に戻ってきた。これは、たぶん、妻の死後のことだろう。
543:、
08/11/15 12:13:22 0
陰気な感じのする屋敷ではあったが、後に住んでいたブル家の住人は、快活な人たちだった。
これは、1940年代、1950年代にここの調査にあたった調査員たちに接触した同家
の友達や知人の証言によるものである。館では誰かが悪戯をしているような奇妙な音がし
た。英国心霊研究教会のヘンリー・ダグラス少佐によると、館の裏庭を歩く音や館に隣接した納
屋の中での話し声、馬小屋の前にある手押しポンプを動かす音などが、館の中にいてはっ
きりと聞こえたという。そのほか、ドシンドシンという音や人のうめき声なども聞こえた、と
少佐は語っている。調査員たちが別の人から聞いた話によると、ブル家の姉妹はメイドたちに、
この屋敷には幽霊が出るよ、と楽しそうに語ったという。そして、メイドの1人は、そうい
う話を聞かされた後で、足を引きずって歩く音を聞いた、と調査員たちに語った。ハリー・ブ
ルは年をとるに連れて、村に噂の種をまくようになった。彼はナルコプラシーにかかったことがあ
るようだ。この病気になると、いつも眠い状態になるが、彼はこの病気になって、庭にあ
ずまやで1日の大半を眠って過ごしていた。その眠りから覚めたとき、ハリーは、尼層に会っ
たと言い張った。尼僧が僧侶とかけおちして行く幽霊馬車音を聞いたので、アモスという昔、
館にいた下男を呼んだという。だが、この男はずっと前に亡くなっていた。ハリー・ブルが亡
くなって家族も司祭館を去った1927年までには、この地方の人々には、あそこは幽霊
屋敷というイメージを、頭の中に作り上げてしまった。そして、一年以上も空き家のまま荒れ
果てていく内に、その名前が有名になったのだろう。
1928年10月2日、ボーリーに新しい司祭が妻を伴って着任した。G・エリックス・スミス師がそ
の人で、彼は結婚当初しばらくの間インドで過ごしたが、妻が病気になったので帰国を決意
し、教会本部の命令でこちらへふにんしたのだった。彼はボーリー着任を了承したとき、自暴
自棄になりかけていたかもしれない。教会本部のことばを信用してきたにもかかわらず、
司祭館の状況はひどいもので、2人ともそれにがっかりしたからである。
544:、
08/11/15 12:19:54 0
最初の年の冬、スミス夫妻は、何かと不満を感じているところへ、この館には幽霊が出るとい
う噂を聞かされた。だが、幽霊そのものには悩んでいなかった。スミス夫人が1945年に「チ
ャーチ・タイムズ」にあてた手紙に書いているように、夫妻とも、「ネズミと土地の迷信以外は何も
出てこない館」だと思っていた。
スミスの気がかりなことといえば、神経質な教区民が何人かいて、彼らが夕方の集会に来たが
らないことだった。このような教区民の恐怖心を取り除いてやろうとしたが失敗したため、
心霊研究教会の住所を聞こうと、「デイリー・ミラー」紙の編集長に手紙を書いた。彼としては、
協会から研究員がやってきて、合理的な方法で謎を解決し、土地の住民の教父を取り除い
てくれるものと期待していた。
ところが、新聞社の編集長は協会の研究員ではなく新聞記者のV・C・ウォールを派遣した。1
929年6月10日の月曜日、ウォールはボーリー司祭館についてのセンセーショナルな第一報を送った。
記事にはこう書かれていた。「首なしの御者と尼僧の幽霊の乗った馬車が2等の栗毛の馬に
引かれて出没する。そして誰もいないはずの部屋から足を引きずって歩くような音が、、、」
「デイリー・ミラー」の編集長はプライスにも電話した。プライスはその2日後に初めてボーリーを訪れた。
プライスが到着すると同時に客観的な現象がはじめて起きた。彼が屋敷に足を踏み入れるか入
れないうちに、石が飛んできて老化の窓ガラスが壊れ、装飾品がめちゃくちゃになった。
階段には、小石やコインやメダルやスレートなどの原姿が雨あられと降って来た。そして、呼び鈴は
ひとりでに鳴り出し、鍵は錠前から飛び出していった。尼の散歩道のある庭を見下ろすブル
ールームといわれる寝室で効霊会が催されている時、故ハリー・ブルの作った壁の鏡をコツコツたたく
音がした。この音は、プライス、彼の秘書、新聞記者のウォール、スミス夫妻、当日館を訪れていた
ブル家の2人の姉妹が耳にした。
プライスはそれからの数週間に5~6度司祭館を訪れ、そのたびに奇妙な出来事に出くわした。
それらは「デイリー・ミラー」のウォール記者によって逐一報道された。
545:、
08/11/15 12:24:45 0
結果は予想通りだった。スミス師は教区民の教父を静めるどころか、うかつにも、あおってし
まったのである。観光客がよるとなく昼となくおしかけてきた。観光会社が大型バスを仕
立てて観光客を運び込み、気がついてみると、スミス夫妻は包囲されたのも同然の状態になっ
ていた。7月14日、がたがたの館と招かざる訪問客に愛想をつかして、彼らはロング・ミルフ
ォードに引っ越した。スミスはそれからしばらくの間教区を運営したが、その後、1930年4
月に新たにノーフォークに住居を定めた。
プライスはボーリーで少なくとも2度不安な気持ちになったはずである。1度目は、数枚のコインと
ともに聖イグナティウス・ロヨラの像を刻んだローマ・カトリックの大メダルが現れて、角砂糖がいくつか空中
に飛び去っていくのとほとんど同時に、ドサッと落ちてきた時である。拾い集めると、今ま
で人の手に握られていたかのように暖かかった、とスミス夫人は思い出して語っている。夫人
のメイドのメアリー・ピアソンはよく悪ふざけをする人だったが、彼女は夫人にこう謎解きをして見
せた。「あの男がコインを投げつけたので、私は角砂糖を投げてやったんですよ」 2度目
は、ずっと後にブルールームで交霊会を開いているときのことである。このときはもっと茶番め
いた出来事が起きた。外をのっそりのっそり歩く音がして、それから鎧戸がガラガラと開
く音がした。それに肝をつぶしたプライスは、声を押し殺して、ハリー・ブル師の霊でしょうか、
と尋ねた。明らかに土地の雑役夫のそれとわかるしわがれ声が、「馬鹿だね、彼は死んだよ」
と、答えた。
後に、スミス夫人は、呼び鈴が鳴り出したのはネズミのせいだと、断言している。屋根裏の垂木
に沿って呼び鈴の配線がしてあったからだ。という。また、2階の窓に見えた明かりは、
渓谷に沿って走っている列車の明かりが反射したものであることを、この地方の人々はよ
く知っていた。
546:、
08/11/15 12:33:29 0
541
, -‐.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:‐- 、
/:.:..:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.ヽ、:.:.:.:.:.ヽ
/.:.:,r─-----─¬尸:.:.:.:.:.:l
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レー| ◯ ◯ イ:.:/.:/.:|rァ
{ ハ! ' ' ' ' 'ノイィ介//')
ト、j| r‐--─‐、 に'// /
ノ:ハ:.ヽ、 |/ ̄ ̄ } /-イ/ 厶 <<また、、、、したくなっちゃったのいかな?
/ ̄ ̄ `ヽ:.:.\──' イ川:/ { / 世界史板責任者さーん?
/ \父_ー-‐ '´ /ノ.:.:/ | !
/ ヽ 〉 \ 厶‐、/ lノ
厂 \ / {⌒>'´ ヽ\ イ
/ \,-┴‐n< \ヾ |
547:、
08/11/15 12:35:08 0
スミス家がボーリー教区を去ってから6ヶ月の間、司祭館には誰も住まなかった。そして193
0年10月16日、ハリー・ブル師のいとこのライオネル・A・ホイスターが新しい司祭として引っ越して
きた。ホイスター師は50代の始めの人で、前任地のカナダのノバスコシア州サックビルから帰国したのだ
った。彼はカナダには1928年から30年まで赴任していた。彼はリュウマチをわずらっていた
が、優しい人で、誰からも慕われた。31歳の魅力ある妻のマリアンヌと2歳半くらいの幼女アド
レードを溺愛していた。
ホイスター家がボーリーに住んでいる間に、役2000件の出来事が発生した。そのほとんどは、
およそ14ヶ月間に集中している。人の声、足音、物を投げつける音、壁に鉛筆で書かれ
たメッセージ(伝言)などである。このうち、1つは別として、そのほかのすべてはハリー・プライ
スのせいにすることはできない。というのは、彼はホイスターの赴任中にボーリーを訪れたのは1度
だけだったからだ。ブライスはボーリーを訪ねた翌日の1931年10月15日、ボーリーの不思議な出
来事について簡明なコメントをいくつか出したが、そのうちの1つを手紙の形で友人に書き送
った。「、、、、、、心理学的には大いに価値のある出来事だが、心霊学的には何の価値もない」
スミス家が去ってホイスター家が到着してから6ヶ月が経過した。その間にボーリーが司祭館の荒廃ぶ
りはさらにひどくなった。ホイスター夫人の夫のいとこにあたるブル家の人たちに寄れば、夫人
はボーリー司祭館を見た瞬間から嫌いだったという。彼女は土地の人とはだれとも友達になら
なかった。付き合うのは、夫のライオネル以外には、家族の友人で彼女の年齢に近いフランス系カナダ
人のフランソワ・ダルレだけであった。この人は館の裏にある納屋を借りて住んでいた。英国心霊
研究協会の調査員たちは、彼がホイスター家の家事を取り仕切っているような印象を受けたとい
う。1932年にマリアンヌ・ホイスターとダルレはロンドンで花屋を開店して、ボーリーには週末だけ帰ってき
た。ということは、恋人同士になっていたのだろう。ホイスター夫人はヒステリーとは言わないまで
も、奇妙な振る舞いが多く、かんしゃくを起こすと失神した。まったく物質化現象が見ら
れないあるときなどは、あたかも自分がそれを起こすことが出来るかのようにふるまった。
548:、
08/11/15 12:47:11 0
ホイスター家の到着後まもなく、ふたたびボーリー司祭館に幽霊が出没しだした。村人たちは、マリア
ンヌ・ホイスターに面と向かって、あなたが幽霊の糸を引いていると言って非難した。
549:、
08/11/15 12:48:58 0
廃墟となったボーリー
ホイスター家がボーリーに引っ越してきて以来、壁に書かれたメッセージ、ひとりでに鳴る呼び鈴、幽
姿、不審火、、、、、このような超常現象が次から次と起きた。問題は、本物かということである。
1878年に、エスター・コックスという若い女性が、カナダのノバスコシア州アマーストに在住の彼女の姉の家で
起きる物質化現象の中心人物となった。エスターには他の人には見えないものが見えた。その
家では、物を投げつけられたり、家具がひっくり返されたり、ボヤが起きたりした。そして、
エスターあてのメッセージ(伝言)が壁に書いてあるのが見つかった。そこで起きた出来事は本に
もなった。ウォルター・ハッベル著「幽霊の出る家;幽霊の実話―アマーストの大いなるミステリー」(1879
年)がそれである。この本は大成功で、10版を重ねて5万5000部も売れた。だが、
1919年に、米国心霊研究会がこれに対して、ウォルター・F・プリンス博士の著した「評論的研
究」を発表して、アマーストの出来事は実際はポルターガイスト現象ではない、と述べた。プリンス博士
は、すべてが分裂症ないしはてんかん性ヒステリーにかかっていたときにエスター・コックスが行った企
みである、と述べている。
550:、
08/11/15 12:57:11 0
アマーストから約8kmはなれたところに同じように小さな町サックビルがあって、そこに、エスター・
コックスの結婚した姉の一人が住んでいた。また、この町は、50年後にライオネル・ホイスター師と妻の
マリアンヌが住んだところでもある。ホイスター家の人々も、例えば現在のサドバリーの住人なら誰でも
ボーリーの不思議な出来事のことを耳にしたことがあるように、アマーストの出来事のことは聞い
ていただろう。ホイスターはボーリー赴任中に司祭館で起きた出来事について書いているが、この
とき彼は、ティードという変名を使っている。この事実は、彼がアマーストの出来事を聞いていた
ばかりか、細部まで詳しく知っていた証拠とみてよい。というのは、ティードという変わった
名前は、エスター・コックスの姉の結婚名だったからだ。したがって、彼の妻もその出来事を知っ
ていた可能性がある。2つの出来事の間には驚くほど類似性がある。ディングウォール、ゴールドニ
ー、ホールの3人調査員は、「ボーリー司祭館の幽霊」の中で、呼び鈴が鳴った事、物を投げつけ
られたこと、ボヤの発生、壁に書かれた不思議なメッセージなど、19以上の現象が双方に起きて
いると、述べている。
例えば、マリアンヌ・ホイスターがボーリーに到着して、ここはとても嫌いだ、と言ってから間もなく、
彼女は幽姿を見始めている。彼女以外の人は何も見ていない。そのすぐ後で、アマーストの出来
事と同じような物質化現象が起きはじめた。彼女はでたらめなことを言うといって非難す
る村人に、妻に忠実で献身的な彼女の夫は、自分には霊的な力がないので幽姿を見ること
が出来ないと答えたが、彼女を弁護するために、出来事の大まかな記録をとり始めた。だ
が、この記録は、彼も認めているように、時間が経ってからとったため混乱しているとこ
ろがおおく、本人が期待したほど役に立たなかった。
1931年10月、ハリー・プライスはブル姉妹の要請に応えて、再度ボーリーにやってきた。ここで、
なぜブル姉妹が要請したか、その動機を推測してみるとおもしろい。たぶん、姉妹は、この
館に住んでいたときに、悪戯や冗談の出所を知っていたので、今度の幽霊は本物だろうか
と疑ったためだと思われる。プライスも同じような疑問を抱いていたのだろう。彼は、ホイスター
夫人が自分でやった詐欺行為という確信を抱いて館から帰っていった。
551:、
08/11/15 12:59:17 0
ディングウォール、ゴールドニー、ホールの3人は、報告のあった現象を調査するにあたって、ホイスターが
最初の記録に残している出来事を分析した。いつも鳴る呼び鈴のことは1つの現象と数え
て、それぞれ異なった現象が103起きていた。そのうち、99は完全にホイスター夫人の誠実さ
に変わるもので、3つは自然的原因によるとすぐわかるもの、そして、残る一つだけがど
うしても説明できないものだった。
大きな疑問が残るものの中に、鉛筆書きの文字が壁の上に現れるという出来事があった。
ホイスター家が館にいる間に、7つほどのメッセージが壁に現れたが、そのほとんどがマリアンヌあての
もので、「明かり、ミサ、祈り」を要求していた。もう一つは、ホイスター家の養女の名前「アドレー
ド」あてに書かれたものである。メッセージの文字はすべて子供っぽい筆跡である。司祭館で
起きた不思議なボヤのうち、1回か2回かは幼いアドレードのせいかもしれない。少なくとも1
回、この子供は寝具に火をつけようとしているところを見つかったことがある。1933年に
ホイスター家は6ヶ月の休暇をとって旅立ち、三時会員のH・ロートンが司祭の代理を務めた。この
とき、都合の悪いことは何もおこらなかったが、ダグラス・ヒューム少佐も述べているように、
ロートンも館の中やその周辺でおかしな音がするのを聞いた。いずれにしても、その音を聞い
たところまでは、ホイスター夫人はフランソワ・ダルレとともに彼女たちのロンドンの花屋で時間を過ごし
ていた。それに、その前の年、マリアンヌとフランソワが花屋を開店するために始めて館を出て行っ
たとき、心霊術者たちの一団がやってきてお祓いをやったので、ホイスター家の人たちが親しみ
を込めてゴブリン(鬼)と呼んでいたものは、すっかり片がついたと思われていたようだ。
それとも、マリアンヌ・ホイスターは本当に司祭館の屋敷にいなかったのだろうか。
1935年10月、ホイスター家はボーリーを去った。それから5ヵ月後に、A・C・ヘニング師が任命さ
れた。彼はボーリーとは別のところに住むことを希望した。それ以来、ボーリーの代々の司祭は
リストンかホックスアースの司祭館に居住している。教区も1930年代以降はそれらの地区と併合され
ている。
552:、
08/11/15 16:07:45 0
しかし、散々使い古され、様々なドラマが演じられてきた館ではあったが、それでもmかだ、
それから4年間使用された。1937年5月19日、ハリー・プライスは司祭館を借りて、その一週
間後に、「タイムズ」に求人広告を出した。当番制で館内を観察する仕事で、大胆で批判精神
に富み、偏見がなく、暇と知性のある責任感の強い人、というのがその内容だった。応募
者が「心霊研究について知識を持っていなければ、余計に好都合だった」と、ぷらいすは
後に述べている。
ハリー・プライスとマリアンヌ・ホイスターが彼ら自身の個人的な目的のために詐欺行為を働いたとしても、
1938年11月に現場に居合わせたもう一人の詐欺師は純粋にお金目当てで働いていた。そ
の男はウィリアム・ホート・グレグソン大尉だった。彼は、ブライスの賃貸契約が切れた6ヵ月後に、ボー
リー・司祭館を買い取った。さっそく、グレグソンは、自分の買い取った屋敷を見世物にして観
光バスを出す事についてプライスに助言を仰ぎ、ラジオ放送に出て、小さな超常現象をいくつか
列挙して見せた。だが、彼の観光バスを出す計画は、1939年2月27日、突然沙汰やみに
なった。館は火事で焼き払われ、あとに残ったのは壁がいくつかと黒焦げの梁と煙突だけ
だったからである。
プライスを自主的に支援していた評判のいい心霊研究家のシドニー・グランビルは、彼の家で行われ
た交霊会で、サネックス・アミュレスという人の霊が、ボーリー司祭館を焼きはらってやると脅迫した、
と述べた。だが火事の本当の原因は、ウィリアム・クロッカー卿の自伝「平凡から離れて―ある弁
護士の生涯」(1967)の中に、はっきりと書かれている。著名な法廷弁護士だったクロッカ
ーと保険清算人のカスバート・バックル大佐は、保険会社のために、グレグソンの賠償要求を調査した
のだった。「彼自身による放火であると認め、失火による損失という彼の厚かましい訴えを
拒否した」と、クロッカーは書いている。
553:、
08/11/15 16:20:06 0
それでもmかだ、 、、、、それでもまだ、
554:、
08/11/15 16:35:57 0
恥知らずのペテン
ボーリー司祭館は、最終的には、1944年の春に撤去され、跡地は整地された。そこには、現在、
果樹園とモダンな平野が3棟ある。館の撤去作業中、プライスが「ライフ」のカメラマンと研究員のシンシア・
レドシャムをボーリーに連れられてきた。そのときまったく偶然に撮った写真に空中に浮かんでい
るような1枚のれんがが写っていたが、実際には、それは作業員が空中に投げたものだっ
た。「ライフ」は、その写真を冗談ぽい説明を付けて掲載したが、プライスはその著書「ボーリー司
祭館の終焉」(1946)の中に「最後の超常現象」として写真を収めている。シンシア・レドシ
ャムはあきれはてて、「ハリー・プライス恥知らずのペテン」と言った。
本当のところは、最初から最後まで恥知らずのペテンだったのである。それを、プライスが最も
安直に個人的な名声を勝ち得ようと利用したのだ。その証拠に、彼の死後示されたように、
彼の底の浅いインチキは、調査をしてみると持ちこたえるべくもなく、すぐに発覚してしまった。
1938年にC・G・グローバル氏にあてた手紙に、プライスは次のように書いている。「貴殿の種々
の批判に関して申しますと、司祭館に幽霊が出るという話の真偽は、最近、私どもの観察
員たちが行った調査報告によって決まるのではなく、これまでの50年間にそこで起きた異常な出来事によって決まるのです」
だが、1946年のディングウォール博士宛の手紙には、コップ一杯の水がインクに変わった時の事に言及
して、「ホイスター夫人のトリックは幼稚です。ホイスター家とブル家とスミス家を切り離しても、まだ何か残
るというあなたの意見に賛成です」したがって、残る何かとは、最近、私どもの観察員た
ちが行った調査報告であることになる。
プライスのインチキ話はすべて破棄されたが、1960年代、1970年代に、幽霊研究家たちは執拗に
地方を調査し続けた。その結果、本当に超常的なものを偶然に発見したようである。今度
は司祭館跡からではなく、ボーリー教会そのものからだという。
555:、
08/11/15 16:44:57 0
終わりのないボーリー
ハリー・プライスも彼を誹謗する人たちも、彼を指示する人たちも、みなボーリー司祭館にこだわっ
ていた。これは、見当違いの場所で幽霊を探していたことになるのだろうか。
ここでは、司祭館とは道路を隔てて向かい側にあるボーリー教会で、1970年代から調査が続け
られている本物の幽霊探しを検証する。
ハリー・プライスは、ボーリーについて調査するにしろ本を書くにしろ、12世紀に建てられた教会事
態にはほとんど注意を払わなかった。実は、彼には、1929年にエセル・ブルから聞いて、気に
していた話があった。エセルによると、教会の地下にはウォールレイブ家の棺が収められていたが、
19世紀に何者かが運び去ったということだった。プライスはそのことをそれ以上追求しよう
とはしなかった。そのため、彼は本物の超常現象に出会うチャンスを逃してしまったのか
もしれない。というのは、1970年代の初めから、教会の内部と周辺で説明できないような
出来事が起きているからだ。その多くはテープに収録されているが、司祭館で以前起きたこ
とよりはるかに不可解であることが分かった
556:、
08/11/15 16:49:38 0
この土地は、木造の教会が始めて当時、土地台帳にはイノシシ牧場と登記されていた。現在の
教会の南側の壁には、12世紀の創建当時の建物に使用されていたすい石や荒石が混じって
いる。内陣と身廊の北側の壁と西の塔は15世紀に追加され、それから100年後に赤煉瓦の
玄関が建て増しされた。教会の境内には、周りにイチイとトチの木が植えられ、ブル家の墓があ
る。ハリー・ブル師の墓には意思の十字架があったが、乱暴者が壊してしまった。ブル師は、晩
年にあずまやでまどろんでいるとき、尼僧と馬車の幽霊を見た、と言い張った人物である
エセックス州ハーロウで小さな心霊研究グループを主催しているジオフリー・クルーム=ホリングスワースは、ブル師の
本当の死因は梅毒だった、と述べている。梅毒は進行すると、ナルコレプシー(嗜眠発作)を伴
い、眠気が取れなくなる。その間に、患者は幻覚症状を呈する。これで、ブル師が幻視を見
た理由をきちんと説明できる。だが、クレーム=ホリングワースは、これだけでは理由にならない、
と言う。彼と彼の助手ロイ・ボッターは、彼ら自身が尼僧の幽霊を12分間にわたって見たから
だ。
クルーム=ホリングスワースは1960年代にボーリーが議論を呼んでいるのをたまに知り、自分で事実調査
をしてみることにした。彼と彼のグループはボーリーで一連の不寝番を行った。その後の調査員
たちもそうしたように、外から人が入ってこないように、夜間も監視を続けることにした。
いろいろな天候を選んだり季節を変えたりしながら1年間にわたって観察している内に、
彼らは、コツコツ物をたたく音、ハーハーあえぐような声、家具を動かす音など、様々な音を聞い
た。ある時、果樹園で、大きな黒い動物のようなものが果樹の間をぬって彼らのほうへ近
づいてきて、ドシンと音を立ててフェンスにぶつかった。
557:、
08/11/15 17:00:26 0
また、別の夜、午前3時ごろ、このグループは、笑い声や陽気な話し声を聞いたが、その
声を通ってボーリー教会の方へ進んでいくようだったという。その夜は霧が出ていたが、道路
のほうに誰のいないことを確認できるくらい明るかった。夜遅くまで酒を飲んでいた人た
ちの声かもしれないと思った。が、声が聞こえてくる方向を不審に思ったので、ロイ・ボッター
は自動車に乗り込み、エンジンを切ったまま坂道をロングメルフォードの方へ降りていったが、誰に
も出会わなかった。彼は、声の聞こえ具合を確かめるために、携帯無線を使ってクルーム=ホリン
グスワースと連絡を取りながら、ロングメルフォード街道沿いの各地点で叫んでみて実験をした。しか
し、果樹園に入る人には何も聞こえなかった。グループは、同じような音を記録しようと、
テープレコーダーを境界の玄関にセットして、遠くから見守ることにした。玄関に入る人影は見えな
かったが、物が壊れる大きな音が聞こえた。言ってみると、テープレコーダーがかなりひどくた
たきつぶれていたという。テープはリールからはずされていて、ぐしゃぐしゃにされていた。
だが、ハーロウ・グループに、ボーリーでは何か奇妙なことが起きると確信させたのは、あの尼僧を
見つけたことだった。ある雲のない夜、クレーム=ホリングワースは、果樹園にたって、尼僧の散歩
道の方を見ていた。
突然、彼女がはっきり見えた。黒い法衣にずきんをかぶった彼女は、庭を横切って垣根の
通りを越した。「誰かが私の足をひっぱっているのかな?」と思った。グループの中で一番近
くにいる、道路に出ていたロイを大声で呼んだ。その人物はモダンな車庫の中へ姿を消してし
まったが、あそこにいるんだ、と私は思った。そして、ロイがやってきたとき、私たち2人
は彼女がガレージのもう一方の側から出てくるのを目にした。彼女は私たちに3mぐらい手
前まで接近してきたので、2人とも彼女の顔を見ることが出来た。たぶん60歳代の、年を
とった婦人だった。私たちは、水のない溝の上を何もないかのようにすべるように渡って
いく彼女のあとを付けていった。彼女は建築用の煉瓦の中に消えてしまった。私たちは2
人とも怖いという感じはしなかった。
558:、
08/11/15 17:05:31 0
このような体験をしたクルーム=ホルングスワースに、プライスの話の矛盾を指摘する批評家を相手にす
るゆとりはない。彼はこういっている。
プライスが幽霊話をでっち上げたかどうか、私の知ったことではない。根本的な問題は、そこ
に幽霊が出るかどうかということだ。だから、私の言うことを信じれば、出るという事だ。
私は何もでっち上げていない。ロイと私は、尼僧をはっきりと、およそ12分間にわたってみたのだ。
クルーム=ホリングスワースの確信に満ちた話は、映画監督兼カメラマンのディー・デンシャムに感銘を与えた。
デンシャムは、1974年、テープレコーダーを使ってその教会で実験する許可を取った。その結果はB
BCがテレビ放送番組に使用したが、デンシャムの言葉によると、まったく不可解なものだった。
最初のテープ録音は冬の真夜中に行われた。教会を隅々にまで注意深く調べた後、祭壇のそ
ばにカセットプレーヤーを置いて班員たちは反対側のすみで見守った。テープにはドシンドシンという音
やコツコツと何かをたたく音が入っていた。次に、2台のテープレコーダーを教会の中において鍵をか
けた。1台は祭壇のそばに、もう一台は通路の中ほどに置いた。すると、重いドアをあけた
り閉めたりする音が、かんぬきがきしむ音とともに、ふたつのテープに入っていた。班員た
ちが外から見守っていたが、玄関のドアも内陣の小さなドアも開いたことはなかった。内陣
のドアのかんぬきを後で調べてみても、きしむようなことがなかった。
翌週、デンシャムの録音班は午前12時30分から不寝番についた。今度は高級なステレオテープに高
感度のマイクを2つ用意して、1つは祭壇の近くに、もう一つは通路の中ほどに設置した。そ
の上、祭壇の前にはカセットプレーヤーも置いた。それから、班員の半数は教会の中に入って鍵を
かけ、残りの数は教会の庭で見守った。
「突然、あたりの気配があやしくなった」と、デンシャムは語っている。「1人の班員が誰かに
見られているようだと言い出した。そして、われわれはみんなひどく寒いと思った」
559:、
08/11/15 17:09:52 0
次の2~3分間に、何かを通路に投げ込むようなガチャンと言う音がテープに収録された。ドアを
ノックする音や何かをコツコツとたたく音、大小のドアは鍵をかけて館抜きしてあったにもかかわ
らず、またもやドアをあける音、それに、背筋が寒くなるような人のため息もした。後ほど、
録音班は、カセットレコーダーがめちゃくちゃになっているのを発見した。クレーム=ホリングスワースのテープ
と同じように、テープ引き出されてぐしゃぐしゃにされていたのである。
録音班は7月にふたたびボーリーを訪れた。午前1時45分、また、あたりの気配が怪しくな
ったのを彼らは感じた。
誰かに見られているな、とわれわれの誰もが感じた。そして、体がぞくぞくするような悪
寒がしたおかしなことだが、このとき、様々な音が機会に収録されているような感じがし
た。事実、祭壇の近くで何かがひそかに動く音、またドアが閉まる音、何かがたたきつけら
れるような音、それから、大男が祭壇の前の欄干のそばをのっしのっしと歩くような音が
収録されていた。教会の床は石造で、その上に厚いじゅうたんが敷かれているので、普通
では作り出せないような音だった。
それから録音班員たちは、内陣のドアの近くで何かが光るのを目にした。続いて、人を威嚇
するような音がした。これは最後にボーリーを訪れた時の事だったが、ドアのそばのカーテンに小
さな光るものがいくつも見えた。そして、ドシンという音がした。
デンシャムは次のように述べている。
正直なところ、ボーリーはどうなっているのか、説明に困る。人に担がれたりだまされたりし
ないよう、また、テープも新しいものを使い雑音も入らないように、あらゆる努力をした。
いろいろな説明を当てはめてみたが、どれもうまくいきそうにない。教会に鉛筆と紙を置
いていって、何かを書いてくれるように頼んでみたのだが、応じてくれそうにない。まさ
か、テープを壊したりわれわれに物を投げつけたのは、われわれのことをおこっていたから
ではないだろう。
560:、
08/11/15 17:13:58 0
境内のエクトプラズム
1974年の夏以来ボーリーを最も定期的に調査していた研究者の一人は、エンフィールド超心霊研究会
の会員でプロのカメラマンであるロナルド・R・ラッセルである。いつも彼に協力しているのは、電気技
師のフランク・パリーと機会技師のジョン・フェイである。ラッセルはアグファcc21のカメラでボーリーを撮影
しているとき、おかしな写真が出てきた。このカメラのフィルムはカセットに入っていて、現像はアグフ
ァの現像所でしてもらう。
まったく通常のフレームの範囲でシャッターを切ったにもかかわらず、教会の境内のエクトプラズム(心
霊体)が写っていた。影のあるはずのないところにあり、北側のドアの近くに薄く光ったも
のが写っていた。カメラマンである私には、カメラの故障とは説明できないものである。
バリーは、ビッチやレベルを調整し、雑音を取り除いて、目当ての音をぴたりと取り出せる8ち
ゃんねるの録音機とグラフィック・アナライザーを使っている。ラッセルは次のように述べている。
われわれは今までに、異常な音や足音、物にぶつかる音などを、何百と収録している。あ
る時、ウォーグレイブ家の墓の近くに、障害物のようなものがあることを突き止めた。エネルギーが
竜巻のように立ち上っていて、触るほどだった。手をそこに通すと、静電気が発生したよ
うにバチバチという感じがした。また別の時には、ブツブツつぶやくような低い声がした。
561:、
08/11/15 17:16:48 0
444 KBだった
ラッセルは、プライスが事実を潤色したかもしれないと譲歩はするものの、ボーリーに関してはプライス
一派に加担しているようだ。
私は、ここには3つの要因が作用していると思う。第一は尼僧だ。ウォールグレイブ家のような
カトリックの家庭にいる尼僧ならば何もおかしなことはない。たぶん、クルーム=ホリングスワース氏が見
た幽霊というのは、それに似たある人物の心霊的な記録に過ぎないだろう。第二は、教会
そのものにある種の力が集中しているように思えることだ。そこはふたつの小道の交差し
たところで、教会でダウジングしてみれば、そちらに曲がるはずだ。第三は、その力は観察
者がいると強くなり、季節によって増減すると言っておきたい。
教会の幹部たちは、この問題については話さないようにして、態度をあいまいにしている。
だが、教区のガイドブックには、「幽霊」の見出しがあり、次のように書かれている。
この教会に幽霊が出るという人は、もちろんいる。古い教会や建物には、一部の人が幽霊
が出ると言いそうな雑音や陰気な場所が多いが、この村に長く住んでいる人やこの教会で
礼拝を行っている私たちには、そんな経験はまったくないので、一部の人の言うことは指
示出来ない。