10/01/18 20:52:03 0
>>929
しかしながら13世紀のボレスワフ5世や14世紀のカジミェシュ3世、14世紀~15世紀のヴィタウタスの保護政策によるポーランド王国やリトアニア大公国へのユダヤ流入はハザール衰退よりかなり後のことである。
また通常16世紀初頭のポーランド(ポーランド・リトアニア共和国)のユダヤ人口は数万人と見積もられ、17世紀半ばの数十万人への増加を旧ハザール地域からの移民で説明しようとすると
10世紀以降のハザール国家解体から13世紀のモンゴル帝国の攻撃・支配、キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)やその後継諸国の統治に至るまで500年以上にわたって数十万人の人口を維持し続け、16~17世紀にポーランド・リトアニアに移住したことになる。
だがキプチャク・ハン国やジョチ裔諸国に人口比からすれば東欧を凌ぐほどの巨大なユダヤ社会が在って16~17世紀にそれが崩壊したという話は伝わっていない。
そもそも、『元朝秘史』、『元史』、『世界征服者史』、『集史』などのモンゴル帝国の資料では、
バトゥの西方遠征軍によるブルガールやキプチャク諸部族、ルースィ諸国、カフカス方面のアス(アラン系?)などの征服については書かれているが、ハザルについてはこれらの地域に存在していたような形跡や情報が全く出て来ない。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
これについて説明できる?