06/11/19 15:57:29 0
>>261
多分「ヨーロッパ人はイベリア半島やイタリア半島南部やシチリアのイスラム教徒を迫害しましたねかんしゃくおこる!!11!!1!!111!」とでも言いたいんだろうが、現在の価値観で当時を断罪するのが以下に愚かな事かは言うまでも無い。
それにイスラムもユダヤやキリストの「啓典の民」には寛容だったが、他の宗教の教徒に対しては迫害を加えた。
イランのゾロアスター教徒とインドに移住したゾロアスター教徒を見れば明らかだ。
インドではパールシー(ペルシア人)と呼ばれたのに比べ、イランでは平然にガウル(不信心者)と罵られ続けた.
それに経典の民には寛容といってもこんな例もある。
キリスト教徒は馬に乗っていてもイスラム教徒が通りかかれば下馬しなければならなかった。
さらにユダヤ、キリスト教徒をイスラム教徒と区別する為、靴の色も指定されていた。
イスラム、キリスト教徒の平和共存、というより異教徒を押さえつけていたのが真相。
オスマン帝国やムガール帝国、イランでも異教徒がイスラム教徒を殺害すれば、たとえ正当防衛だろうとイスラムに改宗しない限り死刑。
その逆にイスラム教徒が異教徒を殺しても、裁判に掛けられる事さえ稀。裁判になっても無罪釈放、という有様。
異教徒がイスラム教徒を侮辱しても死罪。イスラム教徒が異教徒を「不信心者」と罵声を浴びせ、それに口答えしただけで「イスラム教徒への中傷は許されない」と斬首された者さえいた。