朱元璋とともに苦難を乗り越えていくスレ 第7巻at WHIS
朱元璋とともに苦難を乗り越えていくスレ 第7巻 - 暇つぶし2ch642:転載
07/04/20 04:19:37 0
>700(永楽帝の宦官重用(例えば鄭和)は正しかったのですか?)
方孝孺を族滅したことからも知れるように、永楽帝は自ら廷臣と融和する途を断った。
宦官を重用した──というよりは、宦官しか頼るものがなかったのだろう。
後漢や唐とは性質を根本的に異とするにしても、明代における宦官の弊害は筆舌に尽くし難い。
これはまさに永楽朝に端を発するもので、けだし永楽帝自身の責に帰すると言うべきであろう。
しかし、永楽帝が宦官を極端に重用したことは事実だが、彼一代に限っていえば
必ずしも宦官の政治関与が歴代の諸王朝と比して常軌を逸していたとまでは言えぬ。
例えば、宦官の弊害がもっとも少なかったとされる宋代においても、童貫を筆頭として
武職を拝し勲功を遂げる者もあったし、辺境の軍隊に宦官を遣わして監軍たらしむこともあった。
宦官の政治参与を制度化して文臣の内閣を軽んじ、司礼監ないし東廠といった内廷の機関に
実効的な権限を付与して既に取り返しのつかぬほど宦官勢力を肥大化させたのは宣宗皇帝だ。
一般に宣宗は明代における明君の一人とされるが、後世に禍根を残す悪弊のほとんど全ては
彼の朝廷において完成されたものだ。宦官の権威を文臣に優越させておきながらも、
巧妙に両者を使い分けて統治上の便宜をはかったことは、確かに宣宗の英邁な資質を
示すものと言えるだろう。とは言え、ただ政務の煩を回避して己の遊興に割く時間を作るために
悪習を制度化することがいかに弊害をきたすかは、多少なりとも想像力を逞しくすれば理解が
可能であった筈だ。その意味で宣宗もまごうかたなき暗君と言え、「明代の皇帝」の域を出ない。



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