08/08/13 00:29:50 0
>>940
(中略)
いよいよ身辺に危険が迫り、図們脱出をはかったのは、1946年夏。
「おふくろのひさゑも、謙二さんのお母さんのチエさんも、頭を丸刈りにし、顔に黒い煤を塗り、
男に変装して子供たちの手を引きました。女だと判明すると、いつソ連兵に乱暴され、殺され
るかわからなかったからです」(板東)
(中略)
満州の首都・新京の街角には、「日本人の子供買います。男子500円」という張り紙が風に
ひるがえっていた。
公園にあった日露戦争の英雄、児玉源太郎の銅像は首から上がなかった。その銅像の
かたわらで、日本人の子供が値段を書いた紙を首からぶら下げ、彷徨していた。
(中略)
中国人が英二を引き取りに来る日の朝、チエはひさゑを説得した。
(中略)
そういって、ひさゑの気持ちを翻意させたのだった。このとき、英二が中国人の手に渡って
いたら、後年の板東英二はない。
千治松が述懐する。
「残留孤児たちは、親とはぐれたのではありません。親が飢え、やむなく子を売ったんです。
・・・(略)・・・」
(後略)