09/07/05 16:56:55 0
【タスマニア人撲滅史】
『人間はどこまでチンパンジーか?』 ジャレド・ダイアモンド著 より
タスマニアはオーストラリアの南海岸から320キロメートルに位置する、アイルランドほどの
面積の、山の多い島です。1642年にヨーロッパ人に発見されたとき、そこには、オーストラリア
のアボリジニと近縁で、現代人の中でももっとも単純な技術しか持たない、約5000人の
狩猟採集民が住んでいました。(中略)イギリス人のアザラシ猟師と入植者が島に到着した
ほとんどそのとたんに、これら二つの民族間の悲劇的な出会いは、対立へと変わりました。
白人はタスマニア人の子供を誘拐して奴隷にし、さらった女を妾とし、男たちの手足を切断
するか殺すかし、猟場を踏み荒らし、彼らの土地からタスマニア人を一掃しようとしました。
こうして、対立はたちまち、人類史を通じて常にもっとも普遍的なジェノサイドの根拠であった
国民生活圏(ナチのスローガン)をめぐる問題になりました。誘拐の結果、1830年11月の
北東タスマニアの現地人の人口は、成人男性72人、成人女性3人、子供ゼロというところまで
減少しました。ある羊飼いは、釘を装填した回転銃で19人のタスマニア人を射殺しました。
ほかの4人の羊飼いは、現地人のグループを待ち伏せして30人を殺し、今日では「勝利の丘」
として回顧される崖の上から死体を放り投げました。
(つづく)