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ドナー隊事件は、アメリカ西部開拓史に名高い凄惨な悲劇です。
19世紀なかば、米国西部開拓が本格化した時代、イリノイ州のジョージ・ドナーは
八十人あまりの開拓農民キャラバンを引き連れ、西部へと向かいました。しかし五月出発では遅すぎたのです。
大平原を越え、ユタの砂漠を抜け、最後の難関シェラ・ネバダ山脈に達したときは十一月。
すでに峠道は身長をこす積雪、山越えなどままなりません。その地での越冬を決め、
丸太小屋を建て、牛馬を食料としました。しかし飢餓の恐れは現実となり 元気の良い者が十人、
山越えして助けを呼びにでたものの、道を失ってしまう。結局半月あまり雪の山中を彷徨、
餓死凍死した仲間の肉を喰った五人が山むこうのサクラメントシティに助けを求めました。
救助隊はキャラバンのうち幾人かを保護したものの、その一行も吹雪に襲われて食料を失いまた人肉にはしる・・・。
結局翌年春に全員救出されるまでに一行八十人のうち、四十人以上が餓死凍死または殺害され、喰われました。
で、生き残りの一人であるルイス・ケスバーグは、こう語っています。
「牛馬の肉はパサついて口に合わない。それより人肉が旨い。脳味噌なんかスープ
にするともう最高なんだ。」
後に彼はステーキハウスを開店します。その宣伝文句に曰く、
「最高の、一番良い肉しか売りません」