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春秋 2010/5/1付
1966年5月1日、中国・内モンゴル自治区の最高指導者だったウランフは北京入りし、自由を
奪われた。「10年の動乱」と呼ばれる文化大革命が正式に始まったのは半月後。少数民族出身
の代表的な政治家は早々と打倒されていた。
▼その後、内モンゴルでは「民族の虐殺」が起きた、と楊海英氏の「墓標なき草原」(岩波書店)
は語る。控えめな公式の見積もりでも、2万7900人のモンゴル族が殺害された。拷問のために
障害が残った人は12万にのぼる。それぞれ、内モンゴルに暮らしていたモンゴル族の全人口の
1.8%、8%に当たる。
▼内モンゴルには日本も深いかかわりがある。かつて日本が作ったかいらい国家の満州国には、
モンゴル族も多く住んでいた。日本的な近代教育を受けた若者たちは、その後の内モンゴルの
歴史に決して浅くない足跡を刻んでいったのである。そして日本とのつながりは文革の間に迫害
を受ける「罪状」ともなった。
▼ウランフの失脚から44年の歳月を隔てた今日、上海万博の幕が開く。内モンゴルの文物などを
展示するパビリオンもお目見えする。だが、あの民族の悲劇に触れることはないだろう。文革に
関する研究がほとんどできないお国柄である。幸いにして自由の国となった日本に暮らす身として、
せめて思いをはせたい。
URLリンク(www.nikkei.com)