08/08/19 20:44:56 0
>ものごとの性質上、真理は偽りに対して排他的です。
これに関しては、鈴木大拙が禅に限らず仏教は二項対立、二元論的な発想で
はなかったということを述べています。
禅以外の仏教(の範囲自体がそもそも広すぎるのですが)についてどういう
見方からそう述べたのかは分かりませんが、禅では「不立文字」です。
白と言えば黒ではなくなり、黒と考えれば白ではなくなる。
結局、言葉にすれば真理ではなくなるのであり、悟るしかないというもの。
中国の百家の内、後代まで影響を与えたのは儒・道しかなかったと言ってい
いと思いますが、これらも仏教と門は異なれども同じ求法の者という解釈が
多かったと思います。
確かに道教かぶれの皇帝や廃仏もありましたが、殺害や根絶がキリスト教ほ
ど求められた(違いを言いたいだけですが)ことはないような。
月並みなところに落ち着いてしまいますが、やはり思想的土壌が異なるとい
うか。西洋哲学の「白ないしは黒」という二元論的思考はプラトンに遡ると
言いますが、南~東アジアでは白か黒のいずれかであり、いずれかのみを残
すということに、執着してこなかったように思います。
自論と異なって存在していれば、方便その他の理由をつけてしまう。
(これも厳密には南・東南アジアと東アジアで違いはありますが)