08/07/28 06:47:03 0
>>742
それはウパニシャド哲学の後期の部分でバラモン教の本質的な部分ではないよ。
バラモンとはそもそも祭祀やその言葉を指す言葉で、自然信仰と祭祀主義がその本質で
あり実態。カーストが前提だからウパニシャドの後期の部分はインテリや支配階層向きの説明だろ。
信者一般の理解ではない。
また、後期ウパニシャドのプラウマンとアートマンの融合とはカーストに個人が組み込まれる
過程の説明でしかない。ブラウマンは祭祀や社会や延いては宇宙全体で当時の「全世界」を意味する。
またアートマンとは個人や個の本質等の意味で、確かにバラモンに対する反発からの個人主義自由主義
の重視の萌芽ではある。
しかし当時のバラモン教に仏教と同じ梵我一如を認めるのは無理がある。
また解脱と言うのも司祭の昏睡状態のようなものを指し、祈祷師のようなものだよ。
仏教の言う修行の結果としての解脱ではない。
カースト前提と言う意味では輪廻にも甘んじろと言う意味。
むしろ正反対だよ。仏陀はブラウマンよりアートマンを重視したわけだよ。