08/04/29 11:39:03
>>454 良い点に気付いたねw
“近年の亡命チベット人を見ると、「ダライ・ラマの指導力って、いかほど?」と思えてしまう。
ダライ・ラマが主張する平和主義が浸透してるなら、過激分子があんなに前面に出てくるか?”
チベットの旧貴族・元地主を中心とするチベット難民とその亡命政府の中で、ダライ・ラマの求心力は
どんどん低下している。 理由は、旧貴族・元地主の目標である政治権力への復帰と土地私権の回復
という要求を、1988年以降の中国政府とダライ・ラマ一家の交渉で放棄してしまったため。
ダライ・ラマ一家(側近を兄弟姉妹で固めている)は、旧貴族・元地主のような有産階級ではなかったので、
交渉から現実性を無くしてしまう、こうした要求を引っ込めてしまっても一向に構わなかったためだが、
このあたりの判断は、李登輝政権の国共内戦停止措置や万年議員追放に通じる部分がある。
しかし、この事でダライ・ラマ一家と旧貴族・元地主の溝は深くなり、中国政府とダライ・ラマ一家の交渉
が進展を見せずに停止すると、亡命政府は“民主的選挙”の結果を正当性の背景として、ダライ・ラマ
および その一家から権力を取り上げてしまうようになった。
この時期からダライ・ラマは引退と“転生”の停止を口にするようになるが、これが現実となってしまうと
亡命政府はラサから“拉致”して来た神輿を失い、チベット本土の住民への訴求力を失ってしまう事になる。
そのため、北京五輪直前という好タイミング(に思われた)でのチベット本土での蜂起と、支援団体である
欧州のプロ市民と連携しての抗議活動を強行してしまった。
しかし、亡命政府の甘い予想に反して中国側の態度は強硬で譲歩は得られず、各国での抗議活動は
テロ行為として現地警察の徹底した取り締まりに遭い、逆効果しか上げられない状態に陥ってしまった。
一方で中国は、ダライ・ラマを騒動の首謀者として名指しして攻撃し、騒動の収拾を要求するが、これを
受けたダライ・ラマは 米国の仲介で中国への交渉再開意向を打診し、直接交渉実現へと繋げてしまった。
ダライ・ラマは、奸智謀略に通じた“法王”であり、後白河法王やアレクサンデル6世同様の存在であり、
中共にとってさえ、毛沢東の信任を得ていたダライ・ラマは、不可触に近いの存在でもある。
ラサに米国領事館が開かれれば、ダライ・ラマはチベットに戻る事になるだろう。
それに従って難民達が帰還するか否かは、彼らの自由選択の範囲だ。